一.鬼の出る高校
それは、金曜日の昼休みのこと。
春の陽気もうららかで、やっと高校生活に馴染めてきたかなと思える、そんな雰囲気の一年一組。
教室の中央付近に、妙な噂で盛り上がる二人組がいた。
「この学校、鬼が出るんだって」
「へぇ。バイトの鬼とか、テストの鬼?」
「違う! 本物の鬼だって。角が生えてて、おっきくて、なんか怖いやつ」
「本物って、あんた見たことないでしょ」
「ある! 豆まきのときとか。あっ、おばあちゃん家に鬼の剥製があるんだよ。すっごいリアルなの」
「ああそう。なんか違う気がするけど、まあいいんじゃない?」
「由喜ちゃん。全然、信用してないでしょう?」
「信じてるよ。おばあちゃん家に、鬼の剥製があるんでしょ?」
「そこじゃないから! 話ずれてるし、もぉー!」
机に手を乗せ重心を取りながら、真剣な話をしているのにまったく相手にされず地団太を踏む少女、月見談子。
セミロングのストレートな髪の、目立ちどころのない平凡な少女。
だが、その捉えどころのない雰囲気は、常人を寄せ付けない、独特の空気を醸し出している、とよく評される。
昔からオカルト的要素の含まれる事象が大好きで、よく奇妙な行動を起こしては、周りから不審な目で見らている。
話している相手は、談子の前の席に座り、談子をからかって暇を潰している友人、名残由喜だ。
小学校時代からの談子の親友であり、いちおう世間からは、捉えどころのない談子の、善き理解者として知られている。男子生徒も顔負けの長身。短く切った茶髪が、明るく活発な性格を、よく表現している。
至って平凡かつ、まっとうな人種であるものの、何の抵抗もなく談子と親交を温められる辺りに異質さを見出され、周囲からは変人扱いされている、理不尽な少女だ。
今もまた談子は、由喜に軽く流されながらも、何の信憑性もない噂話を拾ってきては熱演を繰り広げているのだった。
▲ ▲ ▲
談子が通う、東京のちょっと田舎にある、仁鳴高校。
この学校には、はるか昔に封印された鬼が眠っているという。
その噂は、入学当時から、どこからともなく流れてきた。この仁鳴高校伝統の昔話らしく、根拠も証拠もないのに、長い間語り継がれて消えることがない。
どこの学校にもある七不思議、みたいなものだろう。そう判断した新入生たちは、特にそんな話を信じる素振りもなく、ネタがなくなったときの話題の題材程度に認識しているのが普通だった。
しかし、そんな摩訶不思議な話が大好きな談子にとっては、紙面一面を飾り立てても足りないほどの壮大なニュースだ。
だからこうして、ひとり盛り上がって、高揚する感情を数少ない友人にぶちまけているのだった。由喜は迷惑そうにしているが。
「鬼を封印した御神体みたいのがね、学校のどこかにあるんだってさ。でも誰も見たことないんだって。きっと人目につかないところにあるんだろうなー」
「談子ちゃん。見た人がいないってことは、存在してないってことなんだよ。分かる?」
目を輝かせて想像上の御神体をうっとり見つめる談子を諭しながら、由喜は茶々を入れてくる。
だが、その程度でめげる談子でもなかった。
「ちがうよ、きっと人には見えないように、結界とか張って守ってあるんだよ。あー、気になるなぁ。誰が、そんな高度なことやってのけたんだろう」
「あんたの頭の中に湧いてる、ウジムシ君たちでしょ」
「すごーい、あたしの頭……」
「ああ、ダメだこりゃ」
妄想モードに突入した談子に呆れて、由喜はこめかみを押さえて息を吐く。こうなると、何かきっかけでも起こって現実に引き戻されるまで、談子は元に戻らないと分かっているから、それ以上何も言ってこない。
「私的には、その鬼とやらに食われた、小さな女の子の幽霊が出るって噂のほうが、信憑性があるけどねぇ」
鬼の噂に引き続いて有名なのが、その噂。
かなり昔の話で、かつてこの地にあったとされる神社の一人娘が鬼に食われ、未練を残した魂が辺りを漂って出てくる、というものだ。
どちらにしても信じる要素はないが、テレビでよくやる心霊写真特集などが好きな由喜は、そっちのほうが話題にするには楽しそうだと感じているらしい。
談子はというと、お化けや妖怪は好きだが幽霊は嫌い、という妙な偏りを持っているので、そういう話は進んでしようとしない。たいして変わらんだろうと、由喜に何度突っ込まれたか知れない。
「はっ、鬼なんて、いるわけないだろうが。馬鹿馬鹿しい」
突然、右隣の席から、野次が飛んできた。一気に現実の世界へ引っ張り戻された談子は、怒りを煮え滾らせて、声の主を睨み付ける。
気怠そうに椅子に浅く腰掛けて、背中を反らせている男子生徒。名前を、春眠暁という。
黒髪黒眼、目つきも顔色も悪く、小柄でどこか陰湿な雰囲気はあるが、黙ってじっとしていれば婦女子から黄色い声を浴びせかけられそうな、それなりに端整な顔立ちをしている。
現にクラスの女子生徒たちが、彼氏にするべきか否かと幾度も激論を繰り広げている。由喜も意外とタイプらしく、「私より背が高ければなぁ」と本気で悩んでいた。
しかし、談子にとってはどうでもいい話だった。人は見た目ではない、中身で選ぶものだ。それがモットーの談子に、外見的秀麗さなど、何の意味も持たない。
付け加えて、自分の趣味好みにケチをつけてくる、ウザったい人間に好意を抱けるほど、人間離れもしていない。
そもそもこいつは、入学当時から談子が奇怪な話を繰り広げるたびに鬱陶しいと喧嘩を吹っかけてきていたため、今では犬猿の仲となっている。
今回も例外なく、談子が黙っているはずもない。
「うるさい! あんたに頭ごなしに否定される覚えはないわ」
「存在しないものを否定するのは当前だろう。お前の歪んだ頭から放出される妄想話が、こっちまで流れてきて実に不愉快だ。そんなひん曲がった脳ミソしてるから、ネクタイまでひん曲がってるんだよ」
談子は慌てて自分の首元を見た。学校指定の黒いブレザーから覗く、同色のネクタイ。不器用な談子が自分で取り付けると、なぜか右上がりに傾いてバランスが悪くなってしまう。
癖なのだからどうにもならないと認めているが、なぜかこいつに指摘されると、すごく腹が立つ。
「ほっといてよ。だいたい、何でいちいち人の話に首突っ込んでくるわけ? あ、分かった。あんた友達いないから話し相手いなくて寂しいんでしょ。いっつも席に座って、一人でボーっとしてるもんね。そうならそう言えばいいのに。本当に素直じゃないんだから。そんな裏表が逆さまな、憎たらしい性格してるから、制服の下に着てるTシャツまで裏表逆なのよ」
暁は驚いて自分の胸倉を掴んだ。カッターシャツの下から覗いていた、青いTシャツの縫い目が表に出ている。
少し顔を赤らめて、暁は睨みをきかせる。談子はニヤニヤ笑った。
二人の目線の間に、火花が散る。意地でも目力で勝敗を決しようと、互いに躍起になる。
小さいが盛大な花火大会を閲覧しながら、由喜は大きく息を吐いた。
「あんたら、本当に仲いいわねー」
「「よくない! 誰がこんな変人と!」」
指を差し合って怒鳴る。
「おーおー、声まで揃えちゃって。由喜さんは少し妬いてしまいますよ」
好みのタイプの隣の席の男子生徒にか、長年連れ添ってきた愉快な親友にか。頬杖を突いて、由喜は客寄せパンダでも見ているような視線を、談子たちに向けてくる。
「キシャー」
「ガルルル」
談子と暁は、奇声を発しながら威嚇しあう。
そのコブラ対マングースのごとき熱い戦いに終止符を打つように、チャイムが鳴る。五限目の担当教師が、教室に入ってきた。
「皆さん、席について。授業を始めますよ」
科目は古典。担当は、このクラスの担任である新任教師、瀬見時雨だ。
若い年齢のわりに落ち着いた空気がとても大人っぽく、鋭いイメージを持たせるシャープな赤縁メガネをかけこなしているわりに、やさしくとろんとした瞳が厳しそうな雰囲気を緩和している。
長い髪に、ふわふわウェーブのパーマをかけた、小柄な女性だ。この学校の卒業生だというから、生徒たちから見れば先輩にもあたる。
チッと舌を打ち、談子は不機嫌そうに席に座り直し、教壇に目を向けた。暁も普段から座っている目を更に鎮座させて肘を突き、前方を睨み付ける。
その眼の先にいた時雨は、怒りの視線をとばっちりで受けていたが、特に気にする素振りもなく授業の準備を始めた。
なかなかタフな先生だ。四限目の世界史の担当教師なんて、暁と目が合っただけで腰を抜かしていたのに。それくらいでないと、現代の高校教師なんて勤まらないのかもしれないが。
「じゃあ、教科書開いてね。今日から新しいところに入りますね。タイトルは、『鬼に金棒』」
時雨の声を聞き流しながら、開いた教科書には目もくれず、談子は黙々と考えていた。
あの夢も希望もない、談子を馬鹿にしてばかりの馬鹿者共の額を床にこすり付けるためには、やはり鬼の封印を見つけるのが一番手っ取り早いだろう。
宛てはないが、談子には鬼を見つけられるに違いないという確信があった。改めて、強く決心をする。
――何としても、鬼を見つけ出そう。
「では月見さん、教科書読んでください」
突然当てられ、我に返った談子は慌てて立ち上がり、教科書を見た。
「えーと、鬼に金棒とは、野球部員に向かってケツバットを連打する監督の意ではありません? ……なんじゃいこりゃ」