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二十七.最後の闘い

 眠りについたはずなのに、次に起きた時にも眠っていた。でも意識がはっきりしている。目の前には、いつも一緒に遊んでくれた哥哥グーグがいた。哥哥は自分と、一緒にいた不眠に向かって、冷たい眼差しで命令した。


「今日からお前たちは、俺のキョンシーだ。俺の指示に従うこと、俺には絶対に逆らわないこと。分かったな。もう、俺は哥哥じゃない。これからは暁と、そう呼べ」


 哥哥の表情は、とても辛そうだった。自分と不眠が死んだのだと聞かされたときは、良く分からなかったが、その話をする哥哥の辛そうな顔を見ていると、だんだんそれが悲しいことなのだと分かった。


 哥哥は、死んでしまった自分を、キョンシーとして助けてくれた。側においてくれた。嬉しかった。その恩に報いるために、今まで戦ってきた。でも自分は不眠より弱いから、どうしても役立たずになってしまう。それがとても苦痛だった。


 でも今日だけは、不眠の力が借りられない今回だけは、どうしても役に立たなくてはいけない。哥哥は大切な人たちを守るために戦っているのだ。力にならなくては。


 恩返しを、しなくては。




▲□▲□▲




「いたぞ、鬼だ」


 外に出た暁と安眠は、桜並木のうちの一本の陰に隠れて息を潜めた。昇降口の辺りに、鬼が彷徨いている。


 相変わらず、まだ微かに漂ってくる人間の魂を探しているのだろう。


「引き付けるだけでいい、無理に戦おうとするなよ」


「ぐう」


 暁の合図で、二人は鬼の目の前に飛び出した。鬼もこちらに気付き、邪魔をさせまいと襲い掛かってくる。


 鬼の爪が、暁の顔面目がけて振り下ろされた。紙一重で避けるも、完全に躱しきれず、暁の頬の皮が破れて、血が飛び出る。


「ぐううっ!」


「大丈夫だ。俺に構わず、鬼に集中しろ!」


 悲痛な声を上げる安眠を声で制し、暁は隙を作らず鬼に攻撃を繰り出す。つかず離れずの距離感を保って、何とか鬼の注意を引き付ける。太陽もだんだん低くなり、辺り一面が橙色に染まっていく。安眠の顔も、鬼の顔も。暁の表情に、一瞬焦りが生まれた。


 その時に生じた、僅かな隙が、鬼を勢いづかせた。鬼の腕が暁の肩を強打し、身体を吹き飛ばす。


 迂闊だった。校舎の壁にぶつかって勢いを止めるも、肩が外れて、そこから起き上がれない。元に戻そうと、強引に骨格を変形させる。ゴキリと嫌な音が鳴り、激痛が走った。


「ぐああああああ!」


 思わず声を上げてしまう。それのせいで、安眠の注意力も格段に落ち、鬼の魔の手が伸びる。


「ぐうっ!」


 安眠は鬼の攻撃を、紙一重で避けた。小さく身軽な身体を駆使して、必死に戦おうとしているが、どうにも実力不足だ。その基礎力が大幅に違いすぎる。


「安眠、引け! やられるぞ」


 キョンシーだから、身体がボロボロになるまで戦っていいというものでもない。その媒体が復元不可能にまで破壊されれば、安眠は完全に死んでしまうのだ。そんな無茶をさせるために、暁は安眠をキョンシーにしたのではない。


「ぐうううっ!!」


 しかし、安眠は引かなかった。


 主の命令に逆らう。今まで、絶対にしなかったことだ。


 安眠は懐から携帯電話を取り出す。安眠は携帯を持っていない。あれは談子のものだ。こっそり、盗み出してきたらしい。


 蓋を開き、何やら探して操作している。それが何か悟った暁は、大声を張り上げた。


「やめろ安眠! 今、目覚めたら……」


 しかし、その声も虚しく、安眠は携帯の着信音を盛大に鳴らした。


 コケコッコー!


 何とも奇怪な、鶏の鳴き声の着信。変えろと言ったのに、変えていない。暁の表情が歪む。


 その音を聞いた安眠に、異変が起きる。携帯を落とし、背を丸めて、小さく項垂れた。


「ぐうううううううう……」


 咽の奥から聞こえてくる、血に飢えた獣のような唸り声。


 間に合わなかった。いつも眠そうに閉じられていたその目が、カッと開かれる。


 焦点の存在しない真珠のような大きな白眼が、鬼の姿を映し出す。


 安眠が、覚醒した。


「ぐうああああああ!」


 安眠はすさまじい速さで、鬼に向かって飛び掛る。


 小さな足が繰り出す蹴り、普段は決して威力の強くない拳が、鬼に直撃する。途端に、鬼は激しく吹き飛んだ。


 安眠の体内には、すさまじい潜在能力が眠っている。鶏の鳴き声を合図に目覚め、その力を発揮するのだ。その事実を知ったのは、安眠を使役し始めて暫くしてからだが、その威力は不眠さえも凌駕し、この世に現存する、どのキョンシーよりも破壊的で強力であると思い知った。


 しかし、その力は安眠の小さく脆い身体では制御することが難しく、下手をすれば己の身さえも滅ぼしてしまう、まさに両刃の力なのだった。


 こうなってしまっては暁の指示も聞かなくなるし、もはや力尽きるまで、止める術はないに等しい。


 これだけは使わせないと、昔に誓ったのに、まさかこんなところで覚醒してしまうとは。


 その分、鬼が食らったダメージは、今までの比にならないほど凄まじかった。鬼の着物は裾が千切れてボロボロになっているし、その中から覗いた硬そうな肌にも、痣ができている。


 安眠の蹴りが腹部を直撃。赤い口から黒い血を吐き、鬼は悲鳴を上げる。ひょっとすると、このまま勝てるのではないだろうか。一瞬、そんな淡い期待を抱いてみたが、やはり鬼は一筋縄ではいかない。


 腹部にめり込んだ安眠の足を掴んで、引きちぎったのだ。


「安眠!」


 暁の悲痛な叫びと共に、安眠は投げ飛ばされ、こちらへ飛んでくる。暁は慌てて、その体を片腕で受け止めた。反動で再度壁にぶつかり、背中を強打する。


 痛みを堪えて、安眠に注意を払う。気を失ってしまったようだ。


 安堵の息を吐く。これ以上、身体の組織を破壊されると、直せなくなる。


 鬼は、身体を震わせてその場に蹲る。暫くは動けないだろうが、こちらも満身創痍だ。


 次に鬼が動き出せば、確実にやられる。鬼が動き出すのが先か、日没が先か。


 緊張に身体を強張らせる。歯を食いしばって、どう逃げるべきか考えていると、上から髪の毛を引っ張られる感触がした。


「暁、こっち」


 上を見上げると、窓から上半身を乗り出した談子の姿が。


「早く、中入れる?」


 ゆっくり身体を起こし、安眠を談子に手渡し、校舎の中へ押し込んだ。


 直後に素早く、鬼に視線を向ける。己の体力を回復させるのに必死なようで、暁たちの動きには気付いていない。それを確認し、暁も談子に手を貸してもらって、窓の桟に足をかけた。


 教室内に降り立ち、静かにかつ素早く窓を閉める。薄暗いその部屋は、今は使用されていない、何もない閑散とした空き部屋だった。あるのは、立て付けの悪い和製の箪笥くらい。


 この部屋は、綺羅姫が人知れず生活していた教室だ。鬼の存在が公にならないように、ここでひっそりと息を潜めて、日々を過ごしていた。みかんによって色々改装が成されているので、今見ただけではただの空き教室だが、夜になると人間が普通に生活できるくらいの家具や寝具が床から取り出せるようになっているらしい。


 辺りを見渡していると、肩に激痛が走った。脱臼した部分に、談子の手が触れたのだ。


「あ、ごめん。どうしたの、怪我したの?」


 あまりの痛さに、思いきり顔を歪めると、談子は慌てて手を離し、心配そうに顔を覗き込んだ。


「ほっとけば治る。それより、こんなところで何してる。のこのこやって来て、鬼に見つかったら終わりだぞ」


「大丈夫、上で霧利先輩が伸びてるから」


 談子は上を指差す。教室の天井の端に、人がひとり通れる程の四角い穴が開いていた。もし再度談子がやられても、上に霧利がいるから全滅はしないと、そう言いたいのだろうか。しかしその考えには賛同できず、暁は尚も顔をしかめたまま談子を睨みつける。


「この上、職員室なんだ。さっき見つけた、応接室の穴がここに通じてたの。ちょうどいいと思って降りてきたんだよ」


「丁度いいって、何が」


「あのね、あたし、思い出したの。鬼を封印する方法」


「何っ、本当か?」


 暁が身を乗り出すと、談子は少し自信なさ気に頷いた。


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