二十三.生き残りは救世主
「いいか、安眠。こんな祝日の昼に、学校へ何の用もなしにやってくる奴なんて、そういないはずだ。となると、おそらく夏が連絡を送った生徒会役員の誰かが、月見達がやられるまでに校舎内に入ってきた可能性が高い。初顔合わせの時に会った、役員の連中の顔は全部覚えてるな?」
「ぐう!」
「よし、まずはそれに該当する奴が、校内にいないか探すんだ。迷わないようにな」
「ぐぐ!」
大きく頷いて、安眠は廊下を駆け抜ける。それに続いて、その姿を見失わないように、かつ安眠が見落とした部分がないか確認しながら暁も小走りに走り出す。
この学校の生徒会には、綺羅姫率いる生徒会中枢部に所属するみかん、蛇羅、イナホ、そして暁を含む四人の他に、計十二人の委員長が存在する。鬼外や安眠はその委員長クラスの人材として、中枢部の人間の下で鬼対策の活動を行っている。
それら生徒会役員は選挙などではなく、鬼に対抗できる特技を持っているかで決められ、スカウトされる。したがって、もし校内に入り込んだ人間が委員長クラスの誰かであった場合、うまく行けば暴れる鬼と対等に戦える力を、持っているかもしれないということだ。
そうでなかったとしても、その誰かが鬼にやられてしまえば、今度こそゲームオーバー。
魂を抜かれた全ての人間が、死んでしまう。そのたった一人を最後まで守り抜くことができれば、死んだ人間のたった一人の魂と引き換えに、残りの人間は助かることができるのだから、被害は最小限に食い止められる。
今は、それに賭けるしかない。
現在、最終的に魂を持っていかれるのは、呪い定めの書による呪術を発動したイナホと決まってしまっている点が、かなり複雑ではあるが、全滅するよりはいいに決まっている。イナホだって、自分で選択した末に決意したことだ、それ相応の覚悟があったはずである。
だが、その局面に陥った時のことを考えると、どうしても浮かんできてしまう。
談子の泣き顔が。
自分がどんなに辛い目にあっても、こんな訳の分からない鬼ごっこに巻き込まれても、愚痴や文句は言えども、決して弱音一つ吐かなかった彼女が、他人のために大粒の涙をこぼし、鬼に対して本気で怒鳴り散らした。
最初はただの好奇心丸出しの、何も考えていない馬鹿女だと思っていたが、誰よりも責任感の強い、そのため全てを一人で背負い込んでしまう、そんな人間なのだと分かった。
彼女が泣いた時、暁に焦燥も困惑も大してなかったが、妙な恐怖が湧き上がったのを覚えている。彼女が絶望して涙を流した。それだけで、本当に何もかもが終わってしまったかのように感じたのだ。 校内に閉じ込められてから、馬鹿にしたりされたり、罵りあったりしていたが、随分と談子の存在に助けられていたのだと、彼女が倒れて、改めて分かった。だから、次に目を合わせたときには、泣き顔なんて見たくない。
自分が助かっても、イナホが死んでしまったと知れば、やはり泣いてしまうだろうか。だが、鬼を倒して日没までに封印することなんて、やはり今の暁には到底不可能だ。
「……俺にできることなんて、限られてるんだよ」
だから、これで勘弁してくれ。
両頬を掌で叩き、精一杯の喝を自分に入れる。気を取り直し、暁は廊下を駆け抜けた。
「ぐ? ……ぐうぐう!」
前を走っていた安眠が立ち止まり、上を見上げて叫び出した。暁が側に寄り、小さな指がさす先を見る。
そして、顔を歪めた。
裏庭に面した校舎の壁に、カタツムリが張り付いている。それも、ただのカタツムリではない。なんせ、これだけ離れた場所からでも、その形や渦巻き模様がはっきり見えるのだから、かなり大きなものだ。
「う……。よりによって、こいつか」
暁は、あからさまに拒否反応を示す。
このカタツムリを、生徒会役員顔合わせの際に見たときから、どうにもこうにも苦手だと思っていた。別にカタツムリもナメクジも嫌いではない。塩を振れば溶けるところが何とも魅力的だと勝手に思っている。
塩から連想されてシオタランがでてきたため、不愉快に思い思考を目の前の巨大カタツムリに戻した。
「アレはほっといても、鬼にやられる心配はないな」
できるだけ、アレに近付きたくない暁は、そう自分に言い聞かせて、そっとしておこうと思った。そのまま関わらず、素早くその場を去ろうとした時。
「ぐぐう!」
安眠が地面を蹴った。その飛び上がった先には、例のカタツムリが。あの渦巻に、なにか興味そそられるものがあったのかもしれないし、ただ単に、壁から剥がして落としたかっただけかもしれない。
「安眠、やめろ、戻って来い!」
暁はそれに気付くや否や、慌てて呼び戻そうとしたが、もう手遅れだった。カタツムリの張り付いている建物と、暁がいるこちらの建物の壁を交互に蹴り飛ばしながら、安眠はどんどん上へ登っていく。そして、カタツムリの目の前に来て一瞬動きを止め、力を溜めた。
「ぐうー、ぐっ!」
そして、強烈な右足蹴りが炸裂。その衝撃で、渦巻き模様の殻は壁から剥がれ、回転しながら、暁めがけて飛んできた。
「うおっ! コントロール良すぎ」
下半身に力を入れ、暁は跳んだ。ゴールキーパーではないので、受け止めるなんて自殺行為は避け、その場から逃げるように、大きく横へ跳ぶ。
ズドーン。まるで隕石でも落下したかの如き、衝撃と轟音。平日だったら、大騒ぎになっているところだ。
地面にめりこんでも、まだ回転している殻。コンクリートの地面を、えぐりながら数十センチ進んで、ようやく制止する。煙を上げて動かなくなった巨大カタツムリに、軽々と着地した安眠と、遠くに避難していた暁が近寄る。
「ぐ、ぐう……」
やりすぎたかもしれない。安眠は中身の壮絶な現状を想像したらしく、怯え震えていた。
暁は恐る恐る、カタツムリの殻をドアをノックするように叩いてみる。
ビシッ。叩いた場所に、罅が入った。驚いて、一歩後退る。まるで、卵が孵化するように、ビシビシと亀裂を走らせるカタツムリ。それも限界を迎え、殻は一気に割れて、中から何かが生まれ出た。
「キャ~! ぐるぐる~、ゲロゲロ~!!」
悲鳴を産声に飛び出したのは、ヒヨコでも恐竜でもエイリアンでもない。一応、人間だった。
長い金髪は、これでもかというくらい縦に巻かれ、何本もの長いバネが頭から生えているようだ。ナルト蒲鉾を貼り付けたかのような、渦巻く眼球は、目を合わせた者までもを渦の中の世界へ引きずり込もうとする。目が開いていない安眠でさえ、目を回して倒れてしまった。
いちおう、この学校の生徒であることが着ている制服で分かるが、ネクタイの先端まで、心なしか丸まっている。なんだかグルグルな、変な女。
だが、暁は知っている。こいつは三年生で広報委員長の、片津霧梨だ。
霧梨は目が回りすぎたのか、気持ち悪そうに殻から外に出て倒れる。
「うおえ~。吐く、マジキモ~」
「キモいとこ悪いんだが、もう時間がないんだよ。とっとと起きて、俺について来い。今生き残っている奴は、お前だけなんだ。鬼の目の届かないところへ逃げるぞ」
あのまま張り付いていれば、絶対に安全だっただろうが、落ちてきてしまったからには仕方がない。何としても、鬼にやられないように保護しなければ。一瞬、このグルグル目で鬼の目を回せないかと考えたが、そんな退治の方法は自分自身の戦闘美学が許さないと、思い直した。
「なんじゃい、このヤロ。誰かと思えば、変態春眠一族の末裔じゃん。あちきは、みかんちゃんに頼まれて、わざわざ長い道のりを学校まで歩いてきたのよ~。みかんちゃんを出しなさいよ~」
癖なのか生まれつきなのか、彼女の口調は凄くゆっくりで、聞いているこっちがイライラしてくる。短気な暁なら尚更だ。まさにカタツムリ。だからあまり、関わったり会話をしたくなかったのだが、今はそうも言っていられない。
「もう、鬼にやられちまってるよ。つーか、一族全部を変態呼ばわりするな。異質なのは兄貴だけだ」
「んなこたー、どうでもいい~! そんなら、みかんちゃんの死体置き場へ連れて行きなさい~、あちきが生き返らせてあげるから~」
霧梨が起き上がり、どーんと言い張った。
「生き返らせる? どうやって」
暁は不審そうに顔を顰める。霧梨は空を見上げ、頭をゆっくり回し始める。
「ぐるぐる~。あんたには、見えないの~? こっこらへん、鬼に抜き取られた魂が、飛び回ってるじゃないのん~。まだ鬼に吸収される前の段階だから~、あちきの能力を持ってすれば~、体の中に戻すことだって~、不可能じゃないワケよ~」
「何、マジかそれ! もしやお前、黄泉繰りの一族?」
空を見上げても、暁には魂なんてものは見えない。鬼に抜きとられた不完全な魂が見えるのは、特殊な力を代々受け継いだ、死者に魂の情報を再び与えるといわれる、黄泉繰りの一族だけだ。
少なくとも、暁はその一族以外に、魂を意図的に本体に戻せる人間を見たことがない。彼らは春眠家とも深い繋がりがあり、キョンシーを作る際、その媒体の魂を呼び戻すため、彼らに依頼するのだ。
しかし、彼らはその名の通り、一度死んでキョンシーとして再生された媒体にしか、魂を送り込むことができない。だから記憶は戻るが、肉体は死んでいるため、今まで人間として当たり前にやって来た生理現象がほとんどできなくなるのだ。感覚器も、ほとんど使い物にならなくなる。
もし霧梨が、この時点で黄泉繰りを行えるとすれば、完全な人間を復活させられると言うことに繋がるのかもしれな。本当に可能ならば、彼女は凄まじいレベルの力を操れるというわけだ。暁の心中に、大きな期待が膨らむ。
だが、霧梨は首を傾げて、頭を回す。
「よみ~? なにそれ~? あちきは、しがない魔法使いですよ~」
今度は、暁が首をもたげる。また何か、おかしなことを言い始めた。
「あちきは~、マイマイ星からやって来た~、素敵な捨て身な魔法使い~なのですよ。みかんちゃんの作った電波受信機に導かれ~、遥々この地球って星まで、やってきたのです~」
「……アホ話はいいから、早く行くぞ」
「アホとはなんじゃい、ワレ! 世の中には、訳の分からん星から来たとかいう変な宇宙人が、地球人の税金を搾り取って侵略を企むような、そんな時代に突入しとるんじゃい!」
「分かった、分かったから落ち着け!」
胸倉を捕まれ、恐怖心をそそられる怒りに歪んだ顔に睨みつけられ、暁は逃れようと必死で霧梨を宥める。
ある程度落ち着いたのか、霧梨はまた、機嫌良さそうにのんびり話し始めた。
「そ~そ~、それでね~、マイマイ星の住民は、みんな渦巻くものを操れるの~。水でも~、風でも~、頑張ればヒトの魂だって~、ぐるぐる回して綺麗に収納できてしまうかもしれないのです~」
「なるほど、要は洗濯機みたいなもんか」
その経緯はどうあれ、霧梨が生徒会に、みかんにスカウトされたのは、その能力を活用するためなのだ。そうと決まれば、彼女の力に頼って、今まで倒れた全ての人間を生き返らせてもらえればいい。
「ならその能力で、死んだ奴らを何とかしてくれ。こっちの教室で大量に死んでるんだ」
「それはム~リで~すよ~。ム~リ無~理。あちきは霧~梨」
「何でだよ」
「あちきは、まだまだ修行中の身~。それに魂は軽いけど、中々抵抗力があるのね~ん。せいぜい生き返らせるにしても、一人が限度かな~なんて~」
「んだよ、使えねえな。……分かった、俺が悪かった。凄い力だから」
小さく舌打ちしたが、再び胸倉を掴まれ、必死で霧梨を宥める。
そして考えた。一人しか生き返らせられないならば、効率よくいきたい。みかんは、あくまで鬼に対して行動制限を行うことで精一杯だろう。彼女が復活したところで、鬼を倒すことは難しい。
なら確率的に見て、鬼を封印できる可能性が高い人間を生き返らせたほうがいいのではないか?
それなら一人、薄いながらも望みがありそうな人間がいる。
「片津、夏より先に、生き返らせて欲しい奴がいる。物語りの智慧を持つ人間だ。分かるだろう? その能力を持つ者は、鬼の封印を解いてしまう危険性が最も高いが、逆に鬼を封じる術を得られる確率も高い人間でもあると言われている。そいつに、この戦いを託したいんだ。夏も、そうしたほうがいいって、言うに決まってる」
みかんは、ああ見えて、かなりの策士だ。今となっては真相も闇の中だが、全てを見通した上で、事態がこうなってしまうことも、霧梨がやってくることも計算のうちに入れていたのかもしれない。
ならばやはり、最後に希望をかけるなら、生き返らせるなら、あの少女――談子しかいない。
「頼む、あいつを生き返らせてくれ。きっと、夏やみんなを、無事に生き返らせられる筈だ」
頭を下げる。普段の暁なら絶対有り得ない行動。それだけ、期待は高まっているのだ。
もう、どうあがいても、自分一人の力ではどうすることもできないと確信してしまった、だができるだけのことはやりたい。暁なりの意地でもあった。
その思いが通じたのかどうかは定かではないが、霧梨は首を回して考え始めた。
「う~ん。みかんちゃんが~、そういうかもしれないなら~、きっとそれがいいのかも~? そう言えば~、みかんちゃんから来たメールにも~、そんなことが書いてあったような~。……うん、書いてあった!」
必死で過去の記憶を手繰り寄せ、携帯で受信メールを確認し、霧梨は拳を握った。
「見て、ほら~」
暁は霧梨の携帯の画面を覗き込んだ。
「さむ~さりちゃさんへささ。がさっこさうにさこれたさらさゆうささせんしさてださんこさちゃんさをささたすさけさてあげさてねさ。くさわしさくはさあかつささきくさんささにきささいてちょさ」
「……何が書いてあるか、さっぱり分からん」
「マジョ~? あったま悪~。下の添付画像見てみなよ~」
画面をスクロールさせると、写真が出てきた。湯気を立てた、おいしそうな学食の人気メニューが現れる。
「うどんだな」
「うどんですよ~。うまそ~。ハラヘリヘリハラ~飯食ったか~?」
「だから何なんだよ」
「まだわかんないっすか~? 霧梨ちゃんは、すぐに分かったですのに~。しょ~がない、ヒント。これは何うどん~?」
「これはたしか、さぬきうどん……」
暁はハッとする。
「そうか、「さ」を抜くのか! つーかアホらしい……なんでこんなところで、頭の体操みたいなことしなきゃいけないんだよ」
時間もないっていうのに。タネが分かったため、急いでメールを解読する。
「む~りちゃんへ。がっこうにこれたらゆうせんしてだんこちゃんをたすけてあげてね。くわしくはあかつきくんにきいてちょ」
そう書いてあった。それが分かった瞬間、別に頑張って訳さなくてもよい内容だったと気付き、暁は脱力する。
「じゃ~、なぞなぞも解決したところで~、その子のところへ連れて行きなさい~。霧梨ちゃんが、何とかしてあげちゃうからね~」
「おっし、頼むぞ!」
後悔先に立たず。膳は急げ。
倒れている安眠を叩き起こし、トロトロ歩く霧梨の腕を引っ張って、職員室へ戻ろうと暁は駆け出す。
「ちょ、待っ、あんま早く走らないで……う」
「う?」
「ううううう……」
急に身体を激しく動かしたせいか、霧梨は立ち止まり、顔を見る見る青く染める。
「お、おい、もう少し我慢しろ!」
「も、ダメ……」
直後、渡り廊下の側の溝には、絵にも描けない凄まじい光景が広がった。




