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二十二.……したはずが。

 生気の感じられない、閑散とした部屋。


 辺りには人形のように横たわる、魂を失った人間達が複数人。


 暁は、冷たい壁に背を当てて、座り込んでいる。無言で呆然と、天井を見上げていた。


 その右手には、白い、一回り小さな手が握られていた。手首から腕へと視線を向けていくと、静かに横たわる、一人の少女の顔が。その媒体からは魂が抜け落ち、血の気を失って青白くなった肌が、いっそう寂涼感を強調している。


「ぐうぅ……」


 少女の反対側の手を握り締める、さらに一回り小さな両手。安眠は不安と必死に戦いながら、それでも談子が、さっきまでと変わらず笑いかけてくれるはずだと、信じているのだろう。


 安眠は死んだ体を術によって動かしている、キョンシーだ。今の談子と、同じ色の肌をしている。死者として、尚も存在し続けるその身体に、苦痛はない。痛みを伴わない肉体は戦闘に適し、人間の持つ、不自由な生活の営みのほとんどを必要としない。味覚も、嗅覚もない。それが幸せであるのかどうかは、暁には分からない。


 だが、魂はなくとも、心がある。その穢れを知らない幼い心は、きっと屍となり、キョンシーに成り果てた今でも、辛い思いをすれば、締め付けられるのだ。彼女が談子を見つめながら、悲愴な顔をするのが、何よりの証拠といえる。


「……それにしても、おかしい」


「ぐう?」


 談子の顔を見ながら、暁は眉を顰めて疑問を漏らす。それに反応し、安眠は不思議そうな表情を向けてくる。何がおかしいのか、と問いかけるように。


「月見が死んだことで、校舎内の人間は、全て全滅したはずだ。なのに」


 遠くから、今もなお聞こえてくる、鬼の咆哮。


 この鬼捕獲用結界の中に存在する魂を、全て鬼に食われてしまえば、鬼は満足して封印の奥、すなわち綺羅姫の身体の中にある、地獄へと戻っていくはずだ。そして再び綺羅姫が、元の姿を取り戻す。それで終わりだ。


 暁と安眠は、この領域内に魂を持たない。よって結界内では最初から除去された存在となり、幾つかある鬼の封印条件の対象には成りえない。


 そのため、最後の一人となった談子の魂が食われた時点で、鬼はこの場から消滅しなければならなかったはずだ。


 なのにどうして、鬼は変わらず、校内を彷徨い歩いている?


「ぐうぐう!」


 訳が分からず唸っている主人に近寄り、安眠は暁のポケットから携帯電話を取り出した。


「ぐぐう」


「あ? 何だと、兄貴に連絡しろだ? 冗談じゃねえよ、いくら非常事態とはいえ、あいつの助言を受けるくらいなら、自分で考えたほうがマシな意見が出るってもんだ」


「ぐうぐ、ぐぐぐう!」


 嫌がり拒む暁だが、今は駄々を捏ねている時ではない。安眠が必死で説得を試みてくる。もう、考えを纏める時間も残されていないのだから、鬼との対峙経験のある兄、春眠覚に話を聞くのが最短の解決法に違いない。少なからずとも、何かいい案をくれるはずだ、と安眠は言い切る。


 何もしないよりマシだと、押しに押され、暁は物凄く嫌そうにしながらも、しぶしぶ携帯のメモリを探り始めた。そして兄の名を見つけ、ダイヤルする。


 数十秒の呼び出し音の後、聞きなれた嫌な声が暁の鼓膜を震わせた。


『呼んだかい、僕の子猫ちゃん。僕の魅惑の美声が聞きたくなったんだよね、いいともいいとも、枕元で君が眠りにつくまで愛の言葉を囁き続けてあげるよジュテーム。いやいやお礼なんていらないさ、君と僕の仲じゃないかマイハニー、ただそっと君の横顔を見つめていられれば最高のボーナス間違いなしだよ』


「いい加減にしろ、変態野郎。だれかれ構わず、気色悪い電話の出方をするな」


 身体中に鳥肌を立てて、暁は怒鳴りつける。相手が女性ではないと分かった瞬間、電話の向こうの相手――覚は態度を一変した。


『んだよ、男じゃん。おい、どこの誰だか知らないが、野郎の分際で俺に電話をかけてくるとは、いい度胸だ。女の子様たちの愛の言葉で染められた俺の電話回線を臭い息で濁した罪は大きいぞ、環境破壊推進委員会の差し金め。受話器越しに耳へ小型ミサイルをぶち込まれたくなかったら、今すぐ回線を切って携帯をへし折ってドブ川に捨てるんだな。ついでにお前も飛び込んで、細菌まみれになって死んでしまえクソ野郎』


「ふざけんな、この忙しいときに。着信表示見たら、誰からの電話かくらい分かるだろうが」


『表示? 何もない、ただ番号が意味なく羅列されているだけだ』


「お前、俺のアドレス消しやがったな? ちゃんと残しとけって、前にも言っただろうが」


『何だ貴様、ずうずうしい。さっきから俺俺と偉そうに代名詞を使いこなしやがって。さてはオレオレ詐欺か。残念だったな、俺から金をふんだくりたかったら、今度から艶めかしい声の女性に頼んでやってもらうことだ。採点基準九十点を超えたら、お前の口座に三十ペソ振り込んでやろう。で、結局、お前は誰だ?』


「一回しか、俺って言ってないだろうが。黙って聞いてりゃ、どうでもいい話でとことん時間潰しやがって。お前との通話料金、全額請求してやるからな。肯定したくないが、俺はお前の弟だ。分かったら、さっさと用件に入らせろ」


『弟ー? 何を言う、俺には弟はいない! 俺に必要なのは美しい姉と可愛い妹だけだ! 男はいらんっ』


「テメーの願望で家族設計立ててんじゃねえ! ……もういい、いくら安眠に言われたとはいえ、お前なんかにものを聞こうとした俺が馬鹿だった。時間の無駄だ、もう切る」


『斬る!? なんて恐ろしいことをあわわ。冗談に決まってるだろう暁わはは。ちょっとしたナウでヤングなジョークだっての、真に受けるなようふふ』


「その台詞自体、年寄り臭いんだよ、脂の乗ってないサンマみたいな声出しやがって」


『フッ、お前も、人の罵り方というものが分かってきたようだな。で、結局のところ、何の用だ』


「鬼が出た。対策法を教えろ」


『それが人に物を聞く態度か。まあいいだろう、盆暮れに里帰りした時にでも鍛え直してくれるわ。鬼が出ただと? 随分と周期が早いな、まだ二年やそこらしか経っていないというのに。生徒会役員とコンタクトはとってるんだろう? 蛇羅くんにでも相談しなさい』


「あいつ死んだぞ」


『もうやられてんのかい。そういうことは先に言え。ならイナホちゃんだ。彼女なら何か新しい知恵をくれるやもしれん。近付くのが怖かったら、みかんちゃんでもいい』


「どっちも死んだ」


『マジ!? 弱いぞお前ら、そんなことで世界鬼ごっこ選手権に優勝できると思ってるのか!』


「そんなことはどうでもいい。……すでに全滅してるんだよ。俺と安眠以外、生き残っているやつは校内にはいない。なのに、鬼の封印が再発動しないんだ、これがどういうことか、さっさと説明しろ役立たず」


『おかしな話だな。全滅すれば自然と鬼は元の姿に戻る、と鬼ごっこマニュアル初心者篇に書いてあったが。……しかし、今度は何が原因で、鬼は復活したんだ? クソガキ』


「物語りの智慧を持つ奴が現れた。その所為だ」


『なんと! これは重要なことだ、ちゃんと応えろよ。それは女か?』


「そうだ」


『ガッデム! あと一年遅く生まれていれば、運命の出会いを果たせたかもしれないのに! 留年すればよかった、ああ惜しいことした。憎い、お前が憎いぞ肉井さん! 何丁目の肉井さんだお前は! なあ、その娘可愛い? 目は二重ですか、泣き黒子ついてる? 下着の色は、スリーサイズは?』


「知るか! それとこれと何の関係もないだろうが」


『関係ないわけないだろうが! その娘の可愛さレベル次第で、俺のトークテンションは大きく変動するぞ。対処法を教えて欲しいんだろう、なら言え、その娘はビューティーなのかブースーなのか!』


 暁は横目で談子をちらりと見た。そして少し照れくさそうに返答する。


「……可愛いよ。黙ってりゃ」


『ほうほう。お前程度の美的センスで可愛いと言うことは、まあ大きく見積もって、Cくらいと考えるのが妥当か』


「ぶっ殺されたいのか」


『まあまあ、そんなに憤るな。心配しなくても、お前が惚れた娘に手は出さん。でも今度紹介しろよ』


「惚れ!? いい加減なこと言ってんじゃねえよ、そんなんじゃ……」


『あー照れるな照れるな、パラリラパラリラ。これで春眠家も安泰だな。跡のことはお前に任せる。俺はこれから美女大国ブルガリアに行って王族に養子縁組してくるから。今、神戸空港に来ているのさ』


「そんな遠くで何してんだよ」


『タコ検定を受けようと明石にやって来たんだが、既に終わった後だったんだよ! 俺だって成田空港が良かったんだ』


「そういう問題でもない。つーか、勝手に家を押し付けるな、だいたい、お前、ブルガリア語なんて話せないだろう」


『馬鹿にすんなー! そんなものペラぺーラに決まってるだろう。よく聞いてろよ、シオタラン!』


「下らん。もういい、切る」


『KILL!? ついにお前は殺人にまで手を染めようというのか愚か者! そんな子に育てた覚えはお父さんありませんよ!』


「お前に育てられた覚えはない」


『冷たい奴だな。というわけで、俺は旅立つ。今度会ったときには、俺のことは魅惑のプリンスサトールと呼ん』


 通話を切った。


「……だから言っただろうが、結局、何も分からないじゃねえか」


「ぐふう……」


 二人は、大きく溜息をつく。無駄な時間が過ぎただけで、振り出しに戻った。実に疲れる。


 もし、ストレス量で給料が配給される会社で働いていたら、億万長者も夢ではないだろう。


 何にしても、これからどうするかと考えていると、携帯が再び振動する。安眠も電話に耳を傾けた。着信は覚からだ。出るや否や、覚が怒鳴る。


『シオタラン、日本語に訳すと塩足らん!』


「やかましい! 今度は何だよ、もうお前に聴くことは何もない、二度とかけないから、お前もかけてくるな。じゃあな」


『待たんかい、薄情な弟め。いいところで切りやがって。言おうとしたことを忘れていたから、わざわざかけ直しててやったんだぞ、感謝しろ崇め奉れ!』


「用があるなら、さっさと言え。つーか、最初に言っとけ」


『ええい、どこまでも口が減らんやつめ。まあいい、正月に里帰りした時は覚えてろよ。よく聞けよ、全滅したのに鬼が消えない。その原因を考えると、思い当たることは一つだ。まだ校内に生き残っている奴がいる』


「何だと? でも福内が調査した校内にいる人間数と、やられた数は一致してるぞ」


『まだまだ甘いな、暁。鬼外くんがやられたのはいつだ? 恐らく鬼ごっこ前半じゃないのか』


「まあ、中盤くらいだな」


『なら、それ以降に、もし校内に入り込んできた人間がいたとすれば……?』


「――そうか、そういうことか!」


『お前の皺のない脳味噌でも、分かったようだな。また困ったことがあったら、いつでも俺の名を呼ぶといい。その時はこう呼ぶんだぞ! 魅惑のプ』


 携帯の電源を切った。


「今の聞いてたな、安眠! そいつが鬼にやられる前に、校内をくまなく探すんだ」


「ぐう!」


 意気込み、安眠が先頭を切って教室を飛び出した。暁も腰を上げ、握っていた談子の手を離し、その青白い顔に語りかける。


「何とかしてやるからな、待ってろよ」


 そう言って駆け出した。

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