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二十.図書室の悲劇

 こんな私を見たら、あなたは何と言うかしら? 笑顔を期待しているわけではないけれど、軽蔑されることも覚悟しているけれど。


 せめて、怒って欲しい。愚かな私を、叱って欲しい。でも、あなたが全てだった私から、あなたを奪ってしまえば、この世界なんてどうでもよくなってしまうの。


 あなたがいない世界で、これ以上生きていくなんて、耐えられそうもない。


 誰にでも優しいあなたが、大好きだった。


 時には、あなたに優しくされる、私以外の誰かを見ると嫉妬に染まることもあった。


 でも、それがあなたの意志だから、あなたそのものだから、許すことができた。


 でも、どれだけ望んでも、あなたはもう、この世には存在しない。


 自分が犠牲になって、他の人たちを救うと言えば、とても響きのよい話に聞こえるけど、結局私は自殺しようとしているだけ。あなたに会うために、そちらへ行こうとしているだけ。


 もし、私がそっちへ行けたなら。


 もう一度、あなたに会えたなら、愚かな私を叱ってください。花人さん。




 それ以外は、何も望みません。




▲□▲□▲




 不思議な凡字や、紋様で彩られた、白い魔法陣。


 昔、時雨が見たというのも、こんな感じの奇怪な光景だったのだろうか。


 図書館の扉を開き、隙間から中を覗きこめば、異世界に迷い込んだような感覚に囚われる。締め切られたカーテンのせいで、室内はとにかく暗く、普段見慣れたその場所とは、全く異なった空気を醸し出していた。


 受付のある中央付近は、円形に開けた空間になっていて、そこが魔法陣の中心となっている。


 カウンターの上に置かれた数本の蝋燭だけが、唯一の光源だ。


「何か、御用かしら?」


 淡々とした、静かな声がした。


 談子が扉を全開にし、室内へ踏み込む。


 目の前には魔法陣の中央に立ち、片手に持った大きく分厚い本を開いて目を通す、美しい女子生徒の姿が。


「イナホ先輩」


 彼女に向かって、談子はその名を呼ぶ。その声で、来訪者が誰だか理解したらしく、イナホは初めて面を上げた。


「月見さん。どうしたの。こんなところまでやってくるなんて」


「先輩が、図書室に行くって言っていたから、様子を見に」


 談子はイナホに、みかんや蛇羅、鬼外がやられたことを報告した。そして先程の時雨との会話から情報を得て、ここまでやって来たことを説明する。それを最後まで黙って耳に入れていたイナホだったが、間があくとともに、物静かに口を開いた。


「そう、そんなことまで知っている先生がいたの。……これが、あなたたちの話していた「呪い定めの書」よ」


 隠し事がばれた子供のように、観念して肩を竦めて見せる。イナホは手に持っている、その本を翳して見せた。


「それを使えば、鬼を退治することができるんですよね?」


 談子の目が期待に輝く。時雨の友人は、これを使っている途中に鬼にやられてしまったらしいが、イナホは今まさに、本に書かれたまじないのようなものを実行しようとしている。これが完成すれば、きっとみんな助かるに違いない。鬼も消え、綺羅姫も救われる。談子はそう信じていた。


「この本を初めて見つけたのは、今から二年前。呪文や古代文字を自在に読み取る能力を持って生徒会に所属した私は、この本の中身を解読したわ。そして、その時にはもう気付いていたの。この本に、鬼を封じる力も、打ち倒す方法も記されていないことをね」


「え、それって……」


 予想外の返答に、談子は言葉を詰まらせる。


「じゃあ、なぜその本を使って、儀式みたいなことをしているんですか? 鬼が倒せないのなら、こんなことしていても、無意味じゃありませんか」


「あなたにとっては、そうかもしれないわね。でも、私にはとても重要な書物なの。この儀式も、決して無駄ではない。――この「呪い定めの書」はね、最終的にタイムオーバーとなり、鬼が封印の中に帰って行った時、道連れにされる魂を、術の発動者に固定するためのものなの」


「……どういことですか?」


「つまり、この本に書かれた儀式を実行した人が、鬼に魂を抜き取られ、さらに全滅を免れて鬼の封印がタイムオーバーを迎えた場合に限って、鬼は強制的に儀式の実行人の魂を連れて行くことになるの。要するに、ルール崩しね。これを発動しておけば、他の魂を抜かれた人たちは、確実に助かることができるわ」


「でもそれって……、イナホ先輩の命を、犠牲にするってことでしょう?」


 イナホは、静かに微笑む。表情を歪めた談子は、彼女に駆け寄り、本を奪い取ろうとした。しかし本は、イナホの手に張り付いているかのように、全く動かない。


「やめてください、そんなの駄目です! きっと、みんなが助かるような方法があるはずなんだから、一緒に考えましょう!」


「あなたの力を以って、鬼を封じる方法は見つかった?」


「そ、それは……」


 口ごもる。実際、今までいろんな人を犠牲にしてまで逃げてきたにも拘らず、結局そんな方法を見つけることはできずにいた。


 それを全て見通していたかのような笑顔で、イナホは談子の肩に、自由に動く側の手を置いた。


「ごめんなさい。あなたを信用していると言った手前、あまり期待はしていなかったの。だって、ないんだもの。今まで必死で探してきたけれど、そんな方法が記された書物は、一冊だってありはしなかった。結局、鬼を鎮めるには、絶対に生贄が必要なのよ」


「だからって、それがイナホ先輩である必要なんてないでしょう!?」


「でも、それ以外の誰かである必要もないわ。これは、私がずっと心に誓ってきたことなの。もし今度、鬼に対峙する機会が与えられたならば、必ず実行しようと」


 イナホは談子を言い宥め、ゆっくり話を続けた。


「二年前にも、この学校で鬼が暴れたことは知っているわね? その時に魂を持って行かれた夏祭花人という人は、私の恋人だったの。彼は、私が教えた、この呪い定めの術を使って、自らの魂を鬼の元に固定してしまったのよ。……最後まで生き残っていたのは、私一人で、横たわる彼の側で、ずっと震えていたわ。日没が訪れ、鬼の封印が再発動してからも目覚めない彼を見て、私は後悔した。鬼を憎んだ。彼の命を奪った鬼が、鬼をその内に湛えた綺羅姫が許せなくて仕方がなかった。でも、どんなにあがいても、結局、私にはどうすることもできない。あの時も、これからもね。そう悟った時、私は決めたの。せめて私の目が届くうちは、私の手で犠牲者をなくせるようにしようと。本当に憎まなきゃいけないのは、鬼でも綺羅姫でもなく、あの人に死を選ばせた、私自身だったんだって」


「そんなのおかしいです! 別に鬼が現れたのだって、その人が死んでしまったのだって、イナホ先輩のせいじゃないでしょう? 先輩が負い目や責任を感じることなんてないですよ。逃げましょう、一緒に逃げて、他の方法を考え直しましょう」


 イナホの腕を取り、無理矢理にでも引っ張っていこうとする。


 こんなの間違っている。生贄なんて、絶対に必要ないのだ。


「もう、無理なのよ。私は術の中に入ってしまったから」


 イナホは、その場から動かない。彼女の足元を見ると、大量の文字の群れが巻きついていた。文字たちは、足から伝ってどんどん上昇し、イナホの身体を埋め尽くしてゆく。腕に到達した文字列が、不要物を排除するように、談子の手を弾き飛ばした。


「陣から出なさい。その本棚の側の床に、抜け穴があるの。そこから逃げられるわ。文字たちが鬼を呼んでいる、もうじきここへ、鬼がやって来る。逃げて。春眠くんたちと、必ず生き残って」


「い、嫌です、そんなの、そんなの……」


 一心不乱に首を振る談子に、イナホは笑いかけた。今までに見たことのない、満たされた、優しい笑顔だった。


「お願い、あの人のところへ、逝きたいの。私の犠牲で皆が助かるなら、それで私は満足だから」


 直後。図書室のドアが勢いよく剥がしとられ、激しい咆哮の嵐が吹き荒れた。


「早く行くのよ!」


 イナホに突き飛ばされ、談子は背後にあった本棚に背中をぶつける。足元の床が、談子の重さで下がり、足場がなくなる。視界が落ち、暗闇の中に吸い込まれた。


「イナホ先輩! 嫌だ、先輩!!」


 最後に見た光景。


 入り口に立ち尽くす鬼、それを視線を通い合わせ、体勢を崩したイナホの姿。


 その光景は、目蓋の裏へ鮮明に焼きつき、目を閉じても決して消えなかった。

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