十五.裏技発動
「……くそ、ここもか!」
暁が、舌打ちをした。
談子たちが立っているのは、体育館の入り口。
静まり返った体育館の中では、バスケ部と見られる数人の生徒とバスケットボールが床に散乱していた。
さっき、昇降口でカップルらしき二人の男女が覆い被さるように倒れていているのを発見したばかりだ。鬼外の調査した通りの場所で、調査したとおりの人数の生徒たちが、魂を抜き取られていた。
ここまで正確とあっては、逐一見て回っても、気が萎えるだけだ。
そんな光景を目の当たりにし、談子はずっと俯いていた。外傷は特になく、ただ眠っているだけのように見える死体たちを見ているうちに、だんだん気分が悪くなってきた。
みかん、そして蛇羅の尊い犠牲。その上に立ち、今も何もできず、ただ生きているだけの自分に、とても重い何かがのしかかってくるのを、ひしひしと感じていた。
もし、このまま全滅でもしてしまったら。
そこまでいかなくとも、タイムオーバーで誰か犠牲者が出てしまったら。
そう考える度に、落ち込み方が激しくなってくる。
「ぐうう……」
そんな談子を見て、安眠が心配そうに側に寄って来て、励ましてくれる。何とか作り笑顔で応待するが、頬がぎこちなく吊り上がる感触から、絶対うまく笑えていないことは明らかだ。
余計に安眠に、心配をかけてしまっている。
「顔色悪いぞ。少し、休憩していくか」
そんな談子を見て、暁までもが気を使ってくる。今の状態で鬼に向かって単独突進していく気はなくなったらしく、すっかり態度も思考も落ち着いていた。
みんな、いろんな形で鬼対策を考えようと努力しているのだ、これ以上、変に場の空気を悪くするわけにもいかない。談子は首を否定的に振って、先へ進むことを優先しようとした。
「また、鬼が来るかもしれないし、ここに留まっているのは危険だよ。生き残ってる人たちは、みんな職員室にいるんでしょう? そこへ行こうよ」
「つっても、地形が変わっちまって、職員室がどこにあるのか、分からないだろうが」
蛇羅がやられてから、談子たちは必死で走り、偶然にも昇降口に出られた。外から校舎を見ると、中の空間の広がりや歪みとは裏腹に、校舎外に設置された施設などの位置は変わっていないことに気付き、一番目立つ体育館へやって来たのだった。
鬼外の作った見取り図から、青い印が集中して集まっているのは職員室であることが分かった。
まずはそこへ向かってみようと考えたのだが、いかんせん場所が分からない現状に変わりはなく、途方に暮れていた。
「今から中に入って職員室を探すとなると、至難の業だぞ。……くそ、やっぱり、不眠(
フミン)を連れてくりゃ良かった」
やりきれず、暁が愚痴を吐き始めた。知らない名前の出現に、談子は首を傾げる。
「不眠って誰?」
「安眠と同じ、キョンシーだ。俺たちキョンシー使いは、一度に二体までのキョンシーの保持を許可されている。不眠の基本戦闘能力値は、安眠を遥かに上回っているんだ。あいつさえいれば、鬼と戦っても勝てたかもしれないのに」
拳を握り、暁は悔しそうに歯を噛み締める。血の気が多く短気で、しかも負けず嫌いな彼の言い分も分かるが、それよりも、側でしょんぼりと項垂れる安眠の姿のほうが目に留まって、談子は何だかいたたまれなくなった。
「そんな言い方したら、アンちゃんが可哀想でしょう。アンちゃんだって、一生懸命やってるんだよ、それを役立たずみたいに」
「別に、そんなつもりはない。俺はただ、正論を述べただけだ。安眠だって弱くはないが、鬼を倒せるほどパワーを上げると、制御が難しいんだ」
「それは、あんたの力不足でしょうが。自分の未熟さを、人に押し付けるんじゃないわよ」
その言葉には流石に暁もカチンと来たらしく、談子を思いきり睨みつけて怒鳴った。
「他人に、俺のことをどうこう言われる筋合いはないね。安眠も不眠も、俺の所有するキョンシーだ、どう扱おうが、俺の自由なんだよ」
「何、その手前勝手な考え方! キョンシーだって人格があるのよ、それを物みたいに扱って……!」
「ぐうぐう、ぐぐう……」
更にエスカレートしそうな二人の口論を、安眠が間に入って仲裁する。特に、談子に向かって必死で言い聞かせようと、頑張っていた。何を言っているのかは、相変わらず分からなかったが、自分は平気だから喧嘩するなと、おそらくそう言いたいのだろう。暁よりも談子のほうが融通が利くはずと、安眠なりに考えて、談子への説得を強めてきたのだ。
こんなに、ご主人様である暁のことを一生懸命考えているのに、どうしてそんな風にしか見てあげられないのだろう。同情心が浮かんでくる。安眠にではなく、暁に対して。
「……ケッ、うんざりだ。いつまでお前みたいな偽善者と一緒に、鬼ごっこなんてやってなきゃならねえんだ」
白けたらしく、暁は悪態をついて、そっぽを向いた。
この緊迫した時間と空間、自分の力ではどうにもならない、焦燥感ともどかしさ。それらがプレッシャーとなって暁を苛立たせているのだと、何となく理解できる。だからって、言っていいことと悪いことがあることくらい、考えてほしいものだ。
更に言い返そうとした談子を、安眠が制止する。
「ぐうぐう、ぐぐぐう!」
そして暁に何やら話し始めた。それに耳を傾けた暁の表情が、良い方向へ変化する。
「何? 家に電話して、不眠に学校に来るように言えばいい? そうか、その手があったか! でかしたぞ安眠」
目を輝かせ、嬉しそうにズボンのポケットから携帯を取り出す。と言うより、今まで気付かなかったほうが不思議だ。間抜けなやつめ。
誉められても、どこか寂しげな笑顔を浮かべている安眠を見ていると、不眠とやらがやって来て、事態が良くなっても、談子の怒りは治まりそうになかった。
メモリから家の番号を選択し、暁は携帯に耳を当てる。しかし、待てど暮らせど、通話が始まる気配がない。回線を切り、リダイヤルする。それを数回繰り返したが、やはり結果は同じだった。
「……くっそー、あいつ、電話が鳴ったら、ちゃんと出ろって言ってあるのに」
「どっか、出掛けてるんじゃないの?」
「あいつは引きこもりだから、よほどのことがない限り、外には出ない」
「ぐぐ……、ぐうう!」
何か思い出したように、安眠が声を上げた。
「どうした、安眠」
「ぐうぐう、ぐぐぐう、ぐうぐ!」
「何? 不眠は反抗期の天の邪鬼だから、言われたことと正反対のことしかしない? だから電話に出ろと言われたから、絶対出ないと思う? ……あのナマクラ娘……!」
こめかみを引きつらせ、明後日の方角を睨みつける暁。そっちの方向に家があるのだろうか。
何にしても、結局助太刀は望めず、元の木阿弥に戻ってしまった。
「やあ、済まん済まん。待たせてしまったな」
振り出しに戻って溜息をついていると、体育館のステージの奥から鬼外が現れて、こっちへやって来た。
「あれ、鬼外先輩、どっか行ってたの?」
「別に待ってないが。いなかったことにすら、気付いてなかったし」
談子や暁にとっては鬼外がいようがいなかろうが、別に大した問題ではなかった。安眠はいないことに気付いていたようだが、必要以上に気に懸けてはいなかったみたいだし。
「くっ、最近の新参者どもは、態度が悪くて適わん。せっかく、対・鬼兵器をかき集めてきたというのに」
そう愚痴る鬼外の背中には、丸く膨らんだ唐草模様の風呂敷が背負われていた。
談子たちの側まで来て、それを床に降ろして広げる。中からは、ガラクタとしか形容しがたい奇妙なものが、たくさん湧き出てきた。
「みかん殿に頂いた、素晴らしい忍具や暗器の数々でござる。これだけあれば、向かうところ敵なし。鬼であろうとも、太刀打ちできんだろう!」
「そうか? どれもこれも、子供の玩具みたいにしか見えないが」
「……みかん先輩に、おちょくられてるんじゃないですか?」
憐れな目を向けられ、鬼外は少し自信をなくして怯んだ。しかし、その程度でめげていては、エセとはいえ忍者は務まらないようである。気を取り直して、ガラクタを漁り始めた。
「たとえば、この自動火打石! これによって拙者の苦手な火遁の技が、難なく使えるのである! それ、火遁、火遁!」
カチカチと、自動火打石のスイッチを押す。シュボっと、穴から勢いのいい火が吹き出した。
「つーかそれ、ただのライターだしね……」
呆れた顔を見せる談子を見て鬼外は焦り、今度は二丁拳銃を取り出した。
「この鉄砲から出る水で、拙者お得意の水遁の技が、簡単に使えるのである! それ、水遁、水遁!」
ピューピューと、銃口から水が飛び出して辺りを塗らす。もう談子は言葉も出なかった。完全に遊ばれているな。みかんのやりそうなことだ。
「はっはっ、今度ばかりは、恐れ入ったであろう。感動しすぎて言葉も出ないと見た! これほどまでに万能な文明の利器が揃っておれば、殿の尊い犠牲も無駄にはならんだろう」
それを逆手に取り、優越感に浸る勘違い男、鬼外。もう好きにしろと、談子は完全に無視した。
「気楽な奴だな。玩具使って楽しく遊ぶのは勝手だが、あくまで俺たちは鬼に追われてるんだ、邪魔だけはしてくれるなよ」
暁が、つまらなさそうに溜息をつく。それを見た鬼外が、挑発するように笑いを飛ばした。
「何だ貴様、随分と余裕のない言葉を吐きよる。楽しいとは思わんのか? 鬼と戦うなど、この先、経験できるかどうか分からんのだぞ」
「別に、興味ないな。鬼を相手にして、楽しいなんて思ったことはない」
「フン、臆病風に吹かれおって。キョンシー使いの一族とは、その程度のものか」
「何だと!?」
「ちょっと、こんなところで、喧嘩は止めようよ」
「ぐうぐう」
鼻で笑う鬼外の挑発に乗り、暁は怒りを露にする。待ってましたと言わんばかりに、鬼外は楽しそうに応対している。
突然のことに、外野でオロオロする談子と安眠のことなんて、お構いなしだ。
「キョンシー使いは、代々この地に人材を送り込み、鬼の封印を守るべく助力してきた、由緒ある一族だ。エセ忍の分際で、俺たちを貶して、ただで済むと思うなよ」
「何が由緒だ。誇りなんぞで飯は食えん。我が福内一族が仕えていた武家も、その代々伝わる何とやらを重んじるあまり、織田軍の奇抜で斬新な戦法によって滅ぼされた。それを目の当たりにした拙者は知ったのだ。いつの世の戦にも、必要なのは書き古された戦略図ではない、これからいくらでも書き込み自由な白紙なのだと。それが分からん頭の固い奴には、どうあがいても鬼を倒すことなど不可能! そちらの女子や幼子のほうが、よほど勇敢に見えるわ。誇りが守りたければ、彼女らの後ろで指を咥えて、拙者の勇姿を見物していろ」
「……この野郎、言わせておけば!」
暁の拳が飛ぶ。怒りにまみれたその顔は、頭に血が上りきって真っ赤だ。勢い任せに飛ばした右ストレートが鬼外の顔面を直撃した。と思ったときには、その場所に鬼外の姿はない。談子と安眠も呆気に取られて周囲を見回すが、どこにも見当たらない。
「そうそう、武闘家ならば、意見は身体を張って主張せねばな」
その声は、上からした。驚いて見上げると、体育館の高い天井に足の裏をつけ、逆さまに立っている鬼外が。あの姿は少し忍者っぽいと、談子は思った。
「拙者は、鬼と戦うことを楽しく思っている! これほどにないほど胸が高鳴り、身体が暴れたくてうずうずしておるのだ。お主に戦う意思がないのであれば、鬼の始末は拙者に任せてもらおう!」
笑いながら、鬼外は言い放つ。
頭も冷えてきて、いささか落ち着いた暁は、冷たい視線を頭上に向けた。
「死に急ぐなら、勝手にすればいい。俺は俺のやり方で、鬼の始末をつける」
「……いい目だ。それこそ戦いに身を投じる野生の眼! それを見ているとお前の兄を思い出す。奴とは良い修行仲間だった」
「変人同士、波長が合っただけだろう。俺とあいつを、一緒にするな」
昔を懐かしんで、顔を綻ばせる鬼外に、暁は悪態をつく。暁は、根底から嫌って存在を否定しているようだが、暁の兄とは、意外と人望の厚い人だったのではないかと思う。
実力だって、暁以上に持っているのだろうし。
なんて口走ったら暁に殴られそうなので、談子はその意見を心の中にしまっておいた。
「ぐうぐう」
ふと横を見ると、安眠が鬼外のガラクタを漁っていた。なにやら、四角いトランシーバーのようなものを手にして振り回している。
「何だろね。ちょっと見せて、アンちゃん」
何だか妙に興味を引かれ、安眠からそれを見せてもらった。
黒い箱のようだが、中を開くと携帯ゲームのように小さな画面が出てきて、手元にいくつかボタンがついている。
電源らしき赤いボタンを押すと、画面が明るくなり、メニュー画面のようなものが表示された。
インターネットの検索画面のようなものが出てきて、何かを入力できるようになっている。パソコンとは違うものの、かなり精密な機械のようだ。
『ハーイ! お気軽ナビ、使ってくれてありがとう! これが必要になったってことは、鬼ごっこに行き詰まってきたのかな?』
突然、機械が喋り始めた。驚いて辺りを見渡すが、側にいた安眠に、この声が聞こえた形跡がないことを確認し、確信する。
この声は、物語りの智慧を持つ談子にしか、聞こえていないのだ。
息を飲み、身構えて再び声に集中する。
『ここだけの裏技、このマシーンをちょこっといじれば、学校を囲むように設置されたバリアーを湾曲させて、十分間だけ穴を開けることができるんだ! もしもの時には、下の黄色いボタンを押してくれ!』
「すごい! ねえ、すごいもの見つけたよ!」
あまりの感動に、談子は大声を上げる。大発見だ、これもみかんが作ったものだろうが、談子の能力がなかったら、全く活用できていなかったかもしれない。
談子の声に反応した連中が、何ぞやと集まってきた。談子は、さっき機械が言っていた内容を、再度説明して聞かせる。暁の表情も、感動に染まった。
「それってつまり、外に出られるってことじゃねえのか!? よっしゃ、それを使えば、直に不眠を引っ張ってこれる!」
「うむ、助っ人を呼んでくるなら、まだ校内に生き残りがおる、今しかなかろう。膳は急げ、使ってみるのだ」
「うん。たしか、黄色いボタン……」
ポチ。何のためらいもなく、ボタンを押した。画面に校内全土を映した縮小マップが表示される。その端の方に、黄色い光が点滅し始めた。
「……ここに開いたってことかな? プールサイド」
「めちゃめちゃ遠いじゃねえかよ! 十分で行けるのか?」
「行くしかないでしょ! 膳は急げ、グラウンドを突っ切れば、きっと間に合うよ」
時間が惜しい。談子たちは一目散に駆け出した。