表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/31

十三.まず一人

 イナホからの連絡があり、さらに学校全体に鬼逃走防止用の結界が自動的に張られたのは、今から三十分前。


 今頃になって、夏みかんは大きな失態を犯していると気付いた。


 今日は日曜、みかんの大好きな、ドラマの再放送がある。簡単な話し合いだけの予定だったから、すぐに帰れると思って油断したのが運の尽きだ。


 録画して来ればよかった。こういう時は、自分の面倒臭がりな癖を呪ってしまう。


「あーあ、もう、ついてないな。瀬戸黄門見れないじゃん。今日は梅平ケンケンが出るってのにー。今朝も早く家出たから、アンデル戦隊メルヘンジャー見損ねたし。昨日録画した劇場版ホラえもん見たかったのに、ぶー」


 お気に入りのテレビ番組名を羅列し、頬を膨らませて拗ねる。生粋のテレビっ子みかんにとって、週末はお好み番組の宝庫だ。時間もたっぷりあるから、一週間撮り溜めたビデオも見放題である。いくら自分から言い出したとはいえ、やっぱり休日に学校なんて来るべきではなかった。


 それにしたって、予想外にも程がある。まさか自分が在学中に、鬼が復活してしまうとは。


 数百年もの昔から、この学校に鬼は密かに存在し続けてきた。そして何らかの拍子に封印が解け、幾度か最悪の事態を招いてきたのだ。不安定なものだから、封印が破れてしまうのは仕方がないことだが、その平均周期を割り出してみても、鬼が復活するのは、だいたい五年から十年の感覚であると把握していた。


 前回、鬼の封印が解けたのは二年前。みかんが入学する、ちょうど一年前だ。だからして、自分の代では絶対に鬼は出てこないと、断定していたのだが。


 その油断が、致命的なミスとなってしまった。また反省。


 生徒会室として使われている多目的教室。今は机を全て端に寄せ、高く積み上げているから、すっきりして広く感じる。代わりに中央には、みかんが運び込んだ対鬼用の仕掛けを作動するための装置が、いくつか置かれている。どうせ自分以外には使いこなせないのだからとフルオート制御にしてしまったため、作動はできるが初期入力以降の操作ができないのが欠点だ。


 外で倒れこんでいた二人の一年生を中に運び込み、扉を閉めた。一番地理的に複雑で、到達が困難な位置にこの教室が来るように学内を改装したのだから、そう簡単に、鬼はここまでやってこれないはずだ。


 今、校舎内の教室の配列は当初の予想以上にめちゃくちゃなはずだ。それは、みかんが発明した空間移転装置によって変形されているからだ。


 みかんは、自作の発明品を用いて、鬼にとって不利な状況を作り出せる、云わば補佐役として、入学と同時に生徒会にスカウトされた。いちおう、期待はされていたようなので、何もしないわけにはいかないだろうと、冗談半分でコツコツ作ってきた装置だが、役に立ったのは中々に嬉しい。この装置の影響で、鬼も簡単には動けなくなったはずだ。


 だた、欠点もあった。鬼も迷うが、生徒も迷ってしまう。そんな時のために、目的地誘導型のゾンビロボットもセットで作った。なぜゾンビかといえば、ただ単にスプラッタ好きな、みかんの趣味だが、どうせ走るならスリルがあったほうがいいという勝手な持論に基づく発明品と相成った。それを使って、三人をここまで連れて来たわけだ。


「ううう、筋肉痛だってのに、また走らされて。もう最悪……」


 一年生のうち、一人が起き上がった。彼女とは一度お目にかかったことがあるし、さっきも電話越しに会話をした。


 名前は、月見談子。経緯は分らないが、綺羅姫に目を付けられ、一昨日辺りはずっと綺羅姫をおんぶして校内を走りまわっていたようである。あれでダメージが筋肉痛だけに留まっているのだから、見かけによらず底知れぬ体力を秘めた新入生だ。


 そしてイナホが言うに、彼女が鬼の封印を解いた、重要参考人――。聞くところによれば、あの『物語りの智慧』の持ち主だというではないか。


 こういった、鬼の封印を脅かす存在、もとい、鬼対策に活用できそうな力を持った人間を素早く見定め、生徒会に引き入れて行動を制限する。それが副会長としての役目の一つだったのだが、今回ばかりは完全な監視漏れだ。もっと早くからこの少女の異質さに気付き、目を光らせておけば、こんな事態は免れたかもしれないのに。再三反省。


 と、後悔しても、今更遅い。過ぎた失態を逐一考え直したって、いい案は浮かんでこないし、何より面倒臭い。今は鬼を封印する方法を考えるのが最重要だ。それこそ、いかなる手を使ってでも。


「談子ちゃん、だったよね? 鬼の封印を解いた」


「えっ、いや、その……すいません」


 談子は表情を痛く歪め、素早く項垂れた。ちょっと嫌がらせを含んで話しかけてみたのだが、思ったより素直な反応に、みかんは満足する。自分のしでかした罪をしっかり把握して、落ち度を認めているし、自らの失態が、どれほど甚大な事態を引き起こしているかも理解している。


 見た目よりも賢そうな娘だ。第一印象は、悪くなかった。


「ごめん、ごめーん。別に、説教しようってワケじゃないから、そんなにかしこまらないでよ。イナホちゃんから詳しい話、聞いてるんだよね?」


「あ、はい。なんとなくは……。でも、途中で鬼に邪魔されて、全部を聞くことはできませんでした」


 自信がなさそうな返事。不安に溢れた瞳が、しっかりとそれを語っている。


 ならば、続きはみかんが説明しなければならない。みかんはゆっくりと、必要な説明を順を追って始めた。


「昔から、この土地には鬼がいてね。綺羅姫の身体に封印して、ずっと監視してたんだって」


「それは、イナホ先輩から聞きました」


「うん。そして、万が一その封印が解けた時に、被害を最小限に留めるために、学校全体を覆う結界が作られたの。これは鬼の封印が破られると同時に自動的に発動して、内部にいる全ての生命を外界から遮断するためのものなんだ。これを使うことで、鬼は学校の外に出られなくなるの。同時に、結界の中にいる人も、出られないんだけどね。だから、結界の中に閉じ込められた人は、鬼に襲われる格好の標的になってしまう」


「鬼に、人を襲わせないようにするって選択肢はなかったんですか?」


「残念だけど、鬼は強いから。倒せるんなら、最初からそうしてただろうし」


 この結界だけは、はるか昔からこの地に伝えられてきたもので、みかんの発明品ではない。ちょっといじって構造を研究してみたが、さっぱり分からなかった。


 それだけあって、実に良くできた装置だ。しかし、それだけの技術を持ってしても、鬼を倒す術は創り出せなかった。これが精一杯の、苦肉の策だったわけだ。


 そして今も、先人たちの作り上げた技術以上の改善案は見つかっていない。進歩のなさが、情けない限りだ。


「でも、その代わりに、生徒会があるんだよ。結界の中に閉じ込めた鬼を、再び封印できそうな力を持つ人材を集めた組織、それが生徒会なの」


 昔からのジンクスで、鬼のいる場所には、自然と鬼を相手に闘える力を秘めた人間が集まってくるという。それが証明されたかどうかは明らかではないが、現に今、この学校には、ある程度の人材は集まっている。


 それらを結集させて作ったこの学校の生徒会ならば、団結して戦えば鬼を退治、もしくは迅速に再封印できるかもしれない。


 しかし、まとまりがないのが欠点だ。みんな好き勝手な行動を取る連中ばかりだから、全員が集まる時なんて、年に数回あればいいほうだ。


「いちおう、他の役員たちにもメール送っといたんだけど、みんな来てくれるとは限らないしねー。ホントに自己中な奴らばっかりだから」


「でも、呼び出してもみんな、校内に入って来れないんじゃないですか? 結界のせいで」


「ああ、それは大丈夫。内側からは出られないけれど、外側からなら、いくらでも入れるから」


「うなぎを取る罠みたいなもんですか」


「そうそう、そんな感じ。うまく使えば、全滅防止に使えるんだけど、今日は日曜だから無理そうだねー」


 平日の、それも午前であれば、いくらでも生徒が登校してくるから、全滅の恐れを招く確率が格段に低くなる。その分犠牲者や目撃者が増すとデメリットがあるが。


「そうだ、イナホ先輩に聞きそびれたことが。日没になって、鬼が再封印される時まで生き残れば大丈夫だって言われたんですけれど、どういう意味ですか? 一度魂を抜き取られたら、その人たちは死んじゃうのに、平気なわけがないじゃないですか」


「それはねぇ、これを読むと少し分かるかな」


 みかんは、教卓の引き出しに突っ込んであった用紙を一枚取り出し、談子に手渡した。受け取った談子は、無言でそれに目を通している。


 今までに鬼と対峙してきたOBたちの残した情報を編集して作り上げた、「仁明高校鬼ごっこマニュアル 初心者篇」だ。主に今までに確認できた鬼の出現方法や、再封印方法を簡単にまとめてある。特に重要なのが、真ん中辺りに書いている事象だ。




・一人以上の人間の魂が抜かれてしまった状態で鬼の封印が完了すると、ペナルティとして、そのうち誰か一人の魂がランダムで選ばれ、鬼の封印の中に道連れにされます[重要]!。




 これが何を意味するのか。やや説明不足かと思ったが、必要以上に細かく書くと余計ややこしくなると思ったので、そのままだ。案の定、談子もそれを読んで首を傾げていた。みかんは教壇に立ち、黒板にチョークを突き立てた。絵がうまいわけではないので、簡略的な図形を描いて、できる限り分かりやすく説明をしてみる。


 黒板の左端に小学生の落書きのような鬼の絵と、それに魂を食われた人間の絵を描く。


「つまりね、鬼と目が合ったり、身体に触れられると、普通の人間は魂を抜き取られてしまうわけよ。それは、魂を食べられるという行為に繋がるのだけれど、その間に何段階かのステップがあるみたいなのね」


 右隣に縦長の長方形を描く。それを横線で三つに区切り、それぞれに名前をつけた。


 一番上が現世、真ん中が冥土、そして一番下が地獄。


「鬼は、地獄に封印されてるの。そこから現世に出てきて、人間を襲う。でもその場で魂を食べるんじゃなくて、そのまま吸い取って、いったん冥土に保管するの。保管された魂は、鬼が全ての魂を取り付くし、満足して再封印されて地獄へ戻る際に、全部道連れにして持って行かれる仕組みなのね。でも鬼が満足しないうち、つまりまだ現世に魂が残っている状態で日没が来て再封印されると、魂の捕獲状態が不完全になり、ほとんどの魂は自動的に解放されて、自分の身体に戻れるみたいなの。つまり、結界内に一人でも人間が生き残っていれば、タイムオーバーと同時に、一度死んだ人間も生き返れるということ。特殊な事例なんだけれど、昔から、この法則を利用した封印方法がメインになっているみたい」


「へえ、何か複雑だけど、とにかく全滅さえしなければ、みんな助かるってことですね」


 話に納得がいったようで、談子は胸を撫で下ろして息を吐いていた。しかし、それで安心するのはちょっと甘い。みかんはでも、と話を続けた。


「それにも、ペナルティってのがあってね。タイムオーバーで再封印される鬼にも、意地ってもんがあるわけよ。最終的に、自分が捕まえた魂のうち、誰か一人のものを、地獄に道連れにしてしまうの。それは鬼の気まぐれ、つまりランダムに決まるから、誰が連れて行かれるかは分らないけれど、それ相応の犠牲は伴ってしまうというわけよ」


 談子の表情が、みるみるうちに歪む。当然と言えば当然の反応だが、感情の変化が激しい娘だなと思った。それだけ、素直だということなのだろうけれど。


「じゃあ、もし一人でも、魂を取られてしまえば……」


「制限時間、つまり日没までに何らかの方法で鬼を封印してしまわない限りは、必ず誰か一人は死んでしまう、ってこと。でもね、タイムオーバー以外の封印方法は、実は未だに発見されていないの。全滅じゃないって前向きに考えるのが、今のところは精一杯かな。もちろん、一人も犠牲者を出さずに日没まで持ちこたえられれば一番ベストなんだけれど……」


 それは無理に決まっている。恐らく学校には自分たち以外にも、一般の生徒や教師たちが少なからず閉じ込められているだろう。いちおう、職員室に密室を作り、そこにいる限りは鬼に見つかることのないように配慮した空間歪曲を行ったが、運よく全員が職員室にいるなんてことはあり得ないし、もうすでに、誰かがやられてしまっている可能性のほうが大きい。


 談子も、その辺りは少なからず理解したらしく、俯いて何やら考え込んでいた。でも、いくら物語りの智慧を持っていたとしても、これだけの情報から新しい封印方法を導き出すのは不可能だろう。


 やっぱり、逃げ延びるのが最善の方法だ。たとえ、誰かが犠牲になったとしても。


「そのこと、綺羅姫は知ってるんですか?」


「え?」


 突然の言葉に、呆気にとられて思わず聞き返す。談子の視線が突き刺さる。とても真っ直ぐで鋭い視線だ。一瞬怯んでしまったほどに。


「鬼の封印が解ける度に、誰かが犠牲になっている事実を、綺羅姫は理解していますか?」


「さあ、直に聞いたことはないけれど、やっぱり知ってるだろうね。意識が戻ってみれば、誰かの姿が消えている。って感じなんだろうし」


 それを聞いた談子の表情が曇る。さも悲しそうに眉を顰め、必至で訴えかけてきた。


「きっと綺羅姫は、今まで死んで逝った人たちに気付く度に、自分のせいだって思って、すごく責任を感じて傷ついてきたと思います。今日だって、もし誰かが犠牲になってしまえば、また苦しむことになるでしょう? あたしはこれ以上、綺羅姫が悲しむところを見たくありません。だから、絶対に鬼を止めてみせます」


 強い眼光。その口から出た言葉に偽りがなく、本気なのだと一目瞭然だった。だが、言うのは簡単なのだ。それができれば、きっと誰かが既にやっているだろうだろうし。


 その旨を伝えようと口を開きかけると、もう一人の一年生が立ち上がった。生徒会所属のケンカ番長、キョンシー使いの春眠暁だ。側には彼の使役するキョンシー、安眠も起立している。


「あのガキの気持ちがどうこう、なんてのはどうでもいいが、さっさと鬼を封印してしまいたいと言う意見には、同感だ。日没を待つなんて、ちまちました行動をしていられないし、俺たちは鬼と戦うために、この学校に来たんだ、廻り合わせたからには、それなりに成果を挙げないとな」


 暁は短気だ。ここ数週間、行動を観察していただけでも、よく分かる。確かに、彼に持久戦なんて不可能だろう。かといって、短時間でけりをつけられるほど強いかといえば、少し説得力に欠ける。


 イナホや蛇羅から聞いた、過去の鬼退治の現状から推測しても、暁と安眠だけでは、鬼の注意を引くことすら困難かもしれない。


 でも、ひょっとしたら、ということもある。みかんは二年前に実践された方法を教えてみようと思い至った。


「蛇羅さんに聞いたんだけれど、二年前に鬼が復活した時、鬼を一時戦闘不能にすることに成功したらしいのね。その時のキョンシー使い、つまり暁くんのお兄さん――覚先輩のことだけど。彼が囮になって鬼の気を引いている隙に、蛇羅さんが持ってる瞬間冬眠能力で鬼を眠らせて、行動不能にしたんだって」


 蛇羅の掌には、特殊な力が込められていて、彼の左手に触れられると、急速に体温を奪い取られ、動物が冬眠するのと同じ状態に陥らされる。そうなると体温が戻るか、反対の力を持つ右手で触れられるまで、決して目覚めない。


 いざ、説明してみたものの、談子は何が何やらといった感じで、頭に疑問符を大量に浮かべているし、暁は兄を嫌っているらしく、彼の名前が出ただけで、不機嫌な顔をしてこちらを睨みつけてくる。真面目に話を聞く気があるのか、こいつらは。


 言うんじゃなかったかな、と少し後悔するものの、言ってしまったからには最後まで話を進めるべきだろうと、再び口を開いた。


「連絡はしたから、すぐ蛇羅さんが来てくれるはずだよ。どう、二人で同じように鬼を眠らせてみる? 成功する確率は正直高くはないけど、ただ追われて逃げ回ってるよりも、鬼の動きを抑えといたほうが、鬼を封印するいい案も、落ち着いて考えられそうじゃないかな?」


「確かにな。だが二年前は結局失敗したんだろ? そう聞いたことがある」


 痛いところを突いてくる。


 確かに、その時は失敗した。鬼を眠らせて安堵し、気を抜いた蛇羅が鬼の側で躓いて、右手で触れてしまったのが敗因だったそうだ。


 だが、そのミスさえなくせば、今度は半永久的に眠らせておくことも可能だろう。眠らせてすぐに蛇羅を鬼から隔離すればいいわけだし。まだ犠牲者が出ていなければ、それでハッピーエンドだし、そうでなくても、何かいい知恵を絞れる時間の余裕はできる。


「ぐうぐう、ぐぐうぐう!」


 安眠がこちらへ向けて、何やら訴えていた。しかし言語の疎通がままならず、結局何を言っているのかさっぱり分からない。


「暁、アンちゃんが何か言ってるよ」


「とりあえず、何でもやってみることに意義があるのではないかと言っている」


「キョンシーのほうが、よく分かってるじゃないの。まあ、まだ日没まではかなり時間があるし、この入り組んだ校舎じゃ、鬼もそう簡単に、ここまではやってこられないだろうから、じっくりと作戦を練ろう」


 提案して間もなかった。生徒会室の扉が勢い良く開け放たれたのは。


 中にいた全員が顔を上げ、瞳孔を見開く。


 もう鬼がここまで? いくらなんでも早すぎる、しかし相手は鬼だ、何が起こってもおかしくはない。全員が身体を強張らせて構える中、外からやって来たのは、うだつの上がらなそうな、一人の男子生徒であった。


「やあ、遅くなって申し訳ない。ちょっと病院へ行っていてね。……どうかしたかい?」


 しまりのない笑顔を浮かべ、中へ入って扉を閉める生徒会会計、助冬蛇羅。その姿を見た全員が、安堵の息をつき、身体の力を抜いた。


「脅かさないでよー、蛇羅さん。鬼かと思ったじゃん」


「いやあ、すまないすまない。君からの連絡を受けて、これでも慌てて駆けつけてきたんだよ。道にも迷ったけれどね」


 爽やかに笑ってみせる。間が悪く、肝心な時にはさっぱり役に立たないことで評判の蛇羅だが、こう見えても生徒会役員。いざって時には活躍してくれるはずだ。


「ちょうどいいや、蛇羅さん。さっきから話してたんだけど、二年前に鬼を眠らせたって方法、今から再現してくれないかな? 幸い、鬼の注意を引けるキョンシー使いもいる訳だし、今度こそは絶対いけると思うんだけど」


 みかんが提案を伝える。蛇羅は思い出したように、ああ、と頷いていたが、いざとなると眉を顰めた。


「だが、あれは本当に命懸けだよ。鬼だって学習しているだろうし、いくらキョンシー使いが特異体質とは言え、同じ手が通用するかどうか……」


「俺と兄貴を一緒にするな。あいつがどうやって鬼の注意を引いたかは知らないが、俺はそれ以上に完璧にやってのける。それだけの自信は、あるつもりだ」


 暁が言い切った。兄と比べられるのが嫌いなのは分かるが、それは少し自分を奢りすぎではないかとも思う。談子も、側でそのような考えをした表情を浮かべていた。


「覚くんは両手を広げて、「僕の胸へ飛び込んでおいでセニョール」とか言いながら、鬼に向かって突っ込んで行ったよ。あれには流石の鬼も物凄く引いてたね。君にそんな芸当ができるかい?」


「……あのバカ男が」


 暁は怒りと羞恥に顔を赤くして、こめかみを痙攣させた。みかんと談子はその様子を想像して笑いをこらえている。覚の顔や性格をそれなりに知っているみかんは、なおのこと、想像に磨きがかかって、苦しさが半端ない。


 確かに、稀代の変人と名高かった春眠覚ならば、それくらいは決行しそうだ。そして、その信じられない行動をやってのけるからこそ、大物であるといえる。


「ほっ、他にも方法はある。力ずくでも鬼を押さえ込むから!」


「しかし、覚くんはキョンシー二体を駆使して、やっと鬼の動きを制することができたんだよ。見たところ、今ここにキョンシーは一体しかいないようだし、君では明らかに力不足ではないかい? 悪いことは言わない、死に急ぐ真似はよすんだ」


 蛇羅の説得に応じたわけでないだろうが、力不足という点では思い当たる点がいくつもあったのだろう。暁は拳を握り締めて、悔しげに顔を歪める。側では、安眠が落ち込んで俯いていた。


「そうそう、それからだね――」


 タイミングを見計らい、蛇羅は自分の両手を顔の前に上げて見せた。それを見た、全員の表情が唖然となる。


 蛇羅の手は、白いギプスによってグルグル巻きにされ、親指以外は大福の中のあんこみたいに、しっかり包まれてしまっていた。


「実はここへ来る途中で、こんな状態になってしまってね。たとえ暁くんの準備が万全でも、その作戦は不可能なんだよ」


 それを理解した途端、みかんは冷めた表情で蛇羅を睨みつける。暁も同じように表情を歪めていた。


 あれだけ期待させておいて、このオチは何だ。蛇羅がいれば何とかなると思ったのに、当の本人は、この有様。ふざけるのも大概にして欲しい。


「で、何で先輩は、怪我したんですか?」


 特に怒りはないらしく、談子が普通に尋ねた。まあ、こちらで勝手に話を盛り上げすぎたのも落胆の大きさの原因だ。事情くらいは聞いてもいいと思った。内容によっては、水に流してもいいだろうし。みかんも彼の言い訳に耳を傾けた。


「じつはね、学校へ来る途中で、子供がトラックに撥ねられそうになっていたんだよ。僕が何とか飛び込んで、子供を突き飛ばして助けたんだ」


「へえ、すごいじゃん、先輩かっくいー!」


「ぐううー!」


 談子と安眠は、尊敬の眼差しで蛇羅を見つめる。蛇羅は照れていたが、その話には続きがあった。


「でね、子供を助けたのはいいものの、今度は僕が轢かれそうになってね。慌ててバック転をして逃げたんだ。そうしたら、なかなか勢いがついてしまってね、調子に乗って五回転をしたら最後にボキッと。両手首をやられてしまってね、この有様さ」


「そのまま、轢かれとけばよかったのに」


「本当に、うだつの上がらないやつだな」


 みかんは舌打ちする。暁も頷いた。


「先輩、かっこわるー」


「ぐううー」


「そ、そんなに責めなくても、いいじゃないか」


 前言撤回だ。そんな、どうでもいい出来事で学校を危機に晒す奴なんて、生徒会役員失格だ。しかも、わざわざ手負いで学校に来られても、足手まといなだけだし。


「だったら別に来なくてもよかったのに」


「そう言わないでおくれよ。僕にも何かできないかと思って、こうやって道に迷いながらやってきたわけなんだから」


「何もできないでしょ。左手の使えない蛇羅さんなんて、あんこの入ってないアンパン並みに不必要じゃん、特撮ヒーローの仮面の中身くらい、期待を裏切る存在でしょうが」


 言うだけ言われても、返す言葉が見つからなかったらしく、蛇羅は押し黙る。普段は戦国大名のように凛々しく、頼りがいがないこともないが、こういう大事なときになると、落ち武者並みに、どうしようもなく役立たずになる。うだつが上がらないなんてのは、本当に彼のために作られたような言葉だ。


「頼みの綱は断ち切られたか……。ならやっぱり、物語りの智慧、ってのに賭けてみるしかないかなー」


 そう呟くと、談子が思いっきり、驚愕的な反応を示した。自分の持つ能力の話が出て、いささか動揺したらしい。


「イナホちゃんからも聞いてない? 昔、綺羅姫の身体に鬼を封印したのは、物語りの智慧を持った人間だったって。ひょっとしたら、その人が、この学内のどこかに、封印方法とかを残してる可能性もあるわけよ。今までは全然、それらしいものは見つからなかったけれど、談子ちゃんになら見つけられるかもしれない。あるいは、何かのきっかけで、全く新しい封印方法を得られるってことも考えられるし」


「あ、あたしが……?」


「そう、それが見つかれば、綺羅姫だって、みんなだって助かるんだよ? 責任押し付けちゃう形になるけれど、あたしたちも協力するから、探してみようよ」


 必死で推してみる。しばらく俯いていた談子だったが、決心が固まったらしい。強気に頷いてくれた。みかんも、その返答に満足気に大きく頷いて見せた。そうこなくては。


 なら今度は、その方法を見つけるまでの鬼対策を、一から練り直さなくてはならない。まあ、どうせ鬼は中々ここまで来れないだろうし、考える時間は、まだ残っているだろうから、あまり焦る必要はないが。


 そう思ったのだが、詰めが甘かったようだ。


 ドクン。


 みかんの心臓が高鳴り、身体が大きく痙攣した。瞳孔が開いていくのが分かる。金縛りにあったように、手も足も、何もかもが言うことをきいてくれない。


「……みかん先輩?」


 そんなみかんの態度にに気付き、談子は首を傾げる。


 みんなに、伝えなくちゃ。


 震える口を何とか開き、彼女たちに呼びかけた。


「みんな、今すぐ教室から出て。あたしの後ろの扉から」


「何で急に……?」


「いいから、何も言わずに教室から出て」


 そして、みかんは歩き出す。蛇羅が入ってきた側の扉へ向かって。


 ガラスの向こう側で、鬼が辺りを見回している。


 予定よりも来るのが早すぎる。ひょっとすると蛇羅の後をつけてきたのかもしれない。


 想像以上に賢い生き物のようだ、鬼というのは。


 まだ向こうは、こちらの存在に気付いていない。逃げるなら今だ。みかんは扉に張り付いて、内側から鬼の姿が見えないように、ガラスを体で塞いだ。


「蛇羅さん、二人のこと、頼んだよ」


 蛇羅は気付いたらしい。その発言の意図するところを。


 慌てて、向こう側のドアに向かって歩き出した。


「みんな、早くこっちへ」


 誘導する声が聞こえる。何が何だか分からずとも、談子と暁、安眠は黙って従っている。蛇羅が頷いたのが見えた。それを合図に、みかんは扉を勢い良く開く。ガラスが割れそうなくらいに激しい開扉音。廊下に響き渡るその音に、側にいた鬼が気付かないはずがない。


「ほらほら、こっちよ、あたしの魂が欲しかったら、捕まえてみな!」


 みかんは教室の中に後退りする。鬼は咆哮をあげながら、うまくついてきた。そこで初めて鬼の存在に気付いたらしく、入れ違いに外へ出ようとした談子と暁、安眠が立ち止まり、振り返るのが見えた。


「みかん先輩!」


「大丈夫、振り返らないで。早く逃げて!」


「大丈夫なわけあるかよ、お前も逃げろ!」


 後輩たちの声。普段は何も感じないまでも、今となってはとても心強い。


 鬼が教室へ入ると同時に、蛇羅に誘導されて、みかん以外の全員が外に出た。駆ける足音が遠くなっていく。それを確認し、みかんは少しでも鬼を食い止めようと、視線を合わせないように俯きがちに構えた。しかし、何の準備もなしだ、みかんに対抗する術など、ないに等しい。


「あーあ、あたしも死ぬのか。運がよければ生き返れるんだけどな。どうだろう」


 全て、あの子たちにかかっている。今はその希望を、切に願って託すしかできないのだ。いま自分にできることは、鬼の足止めだけ。ならばそれを精一杯するしかないじゃないか。


 うっすらと、視界が滲むのを感じた。


 何泣いてんるんだよ、次に涙を流すのは、メルヘンジャーの最終回って決めてたのに。


「死にたくないなー! あーもう、最悪!」


 開き直り、みかんは鬼に向かって飛び掛った。その顔を、鬼の大きな手が、しっかりと覆う。顔が、死の仮面に包まれた。


 重い。身体の力が抜ける、意識がだんだん薄れていく。


 これが、死ぬということなのだろうか。


 なんだろう、この感覚。


 それどころか、何も感じやしない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ