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九.鬼の名は暴かれ――

 校舎の裏庭を、談子と綺羅姫は歩いていた。


 綺羅姫が知るという、ゆっくりと休憩できる場所に向かっているところだ。


 談子の筋肉痛が著しく悪化したため、仕方なく綺羅姫も、自分の足で歩いているのだった。歩みを進めながら、談子はふと、一昨日の出来事が気になって、尋ねてみた。


「そうだ、一昨日は結局、どうなったの? やっぱり怒られた?」


「こってり絞られたわい。まあ気にするな、いつものことじゃ。あやつらは、わらわが校内を彷徨くと、決まって叱りに来る。もう、うんざりじゃ」


 ほとほと疲れた、と言いたげに、綺羅姫は大きな息を吐く。


「生徒会長なのに、何で歩き回るといけないんだろうね?」


「それは、この外見のせいもあるじゃろう。わらわはずっと前から、この姿のまま成長が止まってしまっているのじゃ。子供の姿でその辺を彷徨かれるのは迷惑なのじゃ」


 何かの病気だろうか。精神的な病を患うと、成長が止まってしまう場合もあると、以前テレビでやっていたのを思い出す。もしそうならば、だからこそ自由にさせてあげるべきではないかと談子は考える。


 かと言って、その意見を現実のものにするには、色々と厄介な壁が立ち塞がりすぎているが。


「色々、大変なんだね。けど、また外に出たかったら言ってよ。あたしが一緒に散歩してあげるから」


 所詮は一生徒にしか過ぎない談子にできる気遣いといえば、それくらいのものだ。綺羅姫は顔を上げ、談子を見つめた。しかし、その瞳は、とても寂しげに見える。


「その言葉だけ、貰っておこう。わらわも、わらわなりに考えた。外を出歩くのは、今日限りにしようと思う。来てくれたことには、感謝しよう。しかし、これ以上わらわの側にいると、お主にもよからぬことが起きるやも知れん」


 病気が感染る、という意味だろうか。でも談子は滅多に風邪なんか引かないし、心の病気だって、感染ってしまうほど軟な神経はしていない。


「そんなに心配しないでよ、あたしなら大丈夫だからさ!」


 綺羅姫の背中を軽く叩く。しかし中々、元気にな顔に戻ってくれない。これには談子も、少々困った。


「一昨日も、言われたじゃろう。あまり余計なことに首を突っ込むと、鬼に食い殺されるぞ」


「そうそれ、あたしは、それを探しているの」


 一昨日、みかんが言っていた脅し文句だ。今日学校へやってきたのは、綺羅姫と遊ぶことももちろんだが、鬼について調べ倒すという目的もあった。


「本当に、鬼っているのかな? 綺羅姫、何か知らない?」


「鬼……? 何を言っておる、そんなもの、迷信に決まっておろう」


 冷たく突き放されてしまった。それも、新種の生き物でも見るかのような目で。ちょっとショックを受けたが、負けじと談子は自分の熱意を伝えようと奮闘する。


「そりゃ、みんな鬼なんていないって、物語の中だけの化け物だって言うけどさ。あたしは、絶対いると思うんだよ。だから絶対、この学校にいる鬼を見つけ出してやるんだ」


「仮に、見つけてどうするのじゃ?」


「うーん。どうってことはしないけど、話がしてみたいな。言葉は通じないかもしれないけど、きっと鬼って悪い奴じゃないと思うし、手話でもパントマイムでも何でもいいから、意志の疎通を図ってみたい。なんてね」


 馬鹿馬鹿しい話だと笑ってみせる。綺羅姫も首を縦に振った。


「まったくじゃな。……しかし、それが叶うとしたら、実に面白そうじゃ。その時はわらわも混ぜてたもれ」


「オッケーオッケー。一緒に友達になっちゃおう」


 そこそこ話に乗ってきてくれた。それが嬉しくて、自然と談子もハイテンションになる。綺羅姫も少し笑ったが、すぐにまた寂しそうな表情を浮かべた。


「……前にも、似たような話をして、わらわを喜ばせてくれようとした者がおった。夏祭なつまつり花人はなひとといって、当時の生徒会副会長じゃった」


「へえ、そんな人いたんだ」


 物好きな人だ。もしくは、その人も談子と同じく、何か弱みを握られて無理やり綺羅姫の馬という地位に成り下がってしまったクチだろうか。


 でも、きっと好意を持って接していたのだろう。綺羅姫も良く懐いていたみたいだ。彼女の少し嬉しそうになった表情が、それを物語っている。


「その人、今はどうしてるの? もう卒業しちゃったか」


「いいや、死んだ」


「死んだって……」


「事故ではない。わらわが、殺した」


 静かな、単調なその物言いに、談子は言葉を失い、足を止めた。合わせるように、綺羅姫も立ち止まる。そして控えめに、それでも冷静な声音を保って言った。


「そやつだけではない。以前にも、わらわのせいで、多くの犠牲が出た。わらわが生徒会長などという役職に就かされているのも、生徒会の連中が、わらわを監視しやすくするためだけの建前なのじゃ。連中は、わらわと他の生徒との接触を快く思っていない。だから、わらわが新しい馬を見つけてくるたびに、ああやって怒るのじゃ。……どうじゃ、もうわらわに関わりたくなくなったじゃろう?」


 自嘲するような言い草をぶつけてくる。


 そうは言っても、人が死ぬきっかけなんて、いくらでもある。その要因の一つとして綺羅姫を挙げるには、どう考えても証拠が足りなすぎるだろう。まして、故意的に死に陥らせたなんて、絶対にないはずだ。やはり事故や、偶然ではないだろうか。


 綺羅姫だって、その人を気に入っていたに違いない。今まで背中に背負われて走り回ってもらい、遊び相手になってもらっていたのだから、死んだことに何の衝撃も受けていないわけは、ないはず。


 なのに、落ち着いて物事を客観的に見据えようとする意志の冷静さは、とても子供とは思えない。というか、そうであってはならないと思う。


 でも、こういう自分の感情を押し殺した子供というのは、危険なのだ。


「綺羅姫が嫌ならやめるけど、そうじゃないなら、自分の意思でやめようとは思わないよ。別にその人が死んじゃったのだって、綺羅姫のせいなのか分からないし」


 ここで談子が怖いからやめるなんて言えば、きっと綺羅姫は無駄な罪悪感をすべて受け入れて、一生苦しんで過ごさなければならないかもしれない。大袈裟だが、そう思った。


 鎖は、どこかで断ち切ってやらなければならない。自分にそれができるなら、喜んでしようと談子は考えていた。


 それは意外な返答だったみたいだ。綺羅姫は、鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、目を丸くしてきょとんとしていた。聞き間違えではないかと示唆しているようにも伺える。


 それほどまでに、談子は彼女に信用されていなかったのだろうか。だったら、その考えを少し変えてもらいたい。


「どう? あたしと一緒じゃ嫌?」


 笑いかけた。綺羅姫は、自分の耳がおかしくなったわけではないと確信したのか、顔を赤くして、そっぽを向いた。


「す、好きにすればいいじゃろう。わらわは、別に構わん」


 照れているのだろうか。貶し言葉への応答は慣れていても、こういった率直な好意見への反論は苦手のようだ。その仕草が何だか可愛く感じ、談子は歯を出して笑った。




▲ ▲ ▲




『この世はいつも貪欲だらけ


 富を欲する餓鬼どもが、誉れを求めて女鬼を喰らう、乱れたうつつ


 それはやがて御仏の怒りを引き起こし、哀れ女鬼が暴れ狂う


 喰われし者に安息なく、月神のみ知る衰弱の調しらべは虚しく隠れる


 鬼は人の欲の塊なのだ


 鬼がいるとは、すなわちおろかな人間があふれているに等しき事象


 もし、自分が善人であることを示したいと願ふならば


 その名を一度、叫んでみると良い。


 その名は、その鬼の名は―――』




 見上げると、銅像が天に向かって伸びている姿が、真下から確認できる。この銅像は「双子の創始者」と呼ばれる、この学校を創立した二人の男を記念して作ったものらしい。双子といっても、本当に血が繋がっているわけではなく、ただ単に顔や背格好が似ているから、そういわれているに過ぎない。


 でも、この銅像を作った職人は、きっと二人が本当の一卵性双生児だと思い込んで作り上げたに違いない。それくらい、並んだ顔はよく似ていた。


 胸から上までの銅像は、大きな石の台の上に取り付けられていた。その台に背をもたれかけ、談子と綺羅姫は、ひと時の休息を楽しむことにした。綺羅姫が良い場所だと推すだけあって、静寂が漂い、鳥のさえずりが心を和ませる。


 おまけに日中はほとんど日が当たらないので、程よく湿り気があり、涼しく居心地がいい。美術の時間に、ここで一人写生でもできたら、すごく気分がよさそうだ。


 しかし談子の頭の上からは、双子の創始者がひたすら何かを話し続けている。無視しようとすればできるが、その内容がどうにもこうにも談子の好きそうな、と言うか求めていた話題そのものだったため、耳が離せない。


「わらわは良く、ここにこっそり散歩に来るのじゃ。この銅像は気に食わんが、湿っぽさが結構好きでな」


「夏とか、気持ち良さそうだよね」


 銅像の声は、喫茶店のバックミュージックのようにさり気なく耳に入れているので、別に綺羅姫に話しかけられても普通に応対できる。既に抹茶は品切れ、次に綺羅姫は白餡の入ったもみじまんじゅうを食い漁ろうと、手を伸ばしている。


「……信じてもらえるか分らないけどさ、あたし、モノの声が聞こえるんだよね」


 自然と、談子の口から本音が漏れる。不審な目で見られるかもしれないという恐怖もあったけれど、綺羅姫なら何だか聞いてくれそうな気がした。ついでに言えば、やっぱり誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。由喜は昔から信用してくれないし、暁に聞かれでもしたら、絶対バカにされて大乱闘に陥りかねない。談子の顔をちらりと見て、綺羅姫は頷いた。


「別に疑いはせん。人間、誰にでも個性というものがあるからな」


 意外と落ち着いた、期待に近い返事。談子の心の中に引っかかっていた何かが取れたような気がした。嬉しくなって、話を続ける。


「うん。でね、さっきからこの銅像が、何か喋ってるんだ。ちょっと昔話っぽい話」


「ほう、面白そうじゃ、話してみよ」


 談子は頷き、銅像の話を丸暗記し、そのまま聞かせた。綺羅姫も楽しそうに耳を傾ける。


「もし自分が善人であることを示したいと願うならば


 その名を一度、叫んでみると良い。


 その名は、その鬼の名は、魂喰鬼姫尊たまくらいのおにひめのみこと


 人は、そう呼び恐れおののき……どうしたの? 綺羅姫」


 話も終盤に差し掛かったころ、急に綺羅姫が震えだした。


「そ、それは駄目じゃ、その物語は、その名前は……」


 頭を抱えて、苦しそうに声を上げる。


 いったい、どうしたというのか。病気が再発したのだろうか、それとも、さっきのもみじまんじゅうにあたったのか。


 原因が分からない。保健室か職員室に連れて行こうと思い立ち、綺羅姫を抱き上げようと手を差し出す。


 だが、その腕が静止した。


 綺羅姫に触れられない。


 なんだか、とてつもなく――。


 異形なものが、目の前に現れた。


 その長い、恐いほど黒かった髪は根元から徐々に色素を失い、不気味な白髪へと変貌を遂げた。さらに、その髪の隙間から短い、赤色の角のようなものが二本、飛び出している。


 荒い息を周囲に振りまきながら、舞台で踊る歌舞伎役者のように、頭を振り乱して綺羅姫は暴れる。


 談子は、無意識に後ずさっていた。


 長く垂れ込んだ前髪の隙間から除いた綺羅姫の顔には、あの愛らしく小生意気な童女の面影は、これっぽっちも見当たらない。


 喩えるなら、その顔は般若の面。膨れて垂れた目蓋、青白く削げ落ちた頬、頬骨辺りまで横一直線に裂かれた赤い口は、いびつな三日月形を描いている。


 その形相を見た全ての者が、一番にこれを思い浮かべるだろう。


 ――鬼。


「う、うそ、綺羅姫……?」


 指の長さと同じくらい伸びた鋭い爪を腕と共に垂らし、鬼が立ち上がった。談子の本能が、逃げろと信号を送ってくる。しかし、震えの止まらない全身がそれを妨げ、思うように身体を動かすことができない。


「何やってるの、早く逃げなさい!」


 突然、背後からの怒鳴り声。


 聞き覚えのある声によって我を取り戻すと、金縛りが解けた。


 必死で逃げようと、談子は足を動かす。振り返ると、校舎の窓から血相を変えたイナホが、身を乗り出していた。


「振り返っては駄目よ、真っ直ぐ走るの!」


 言われた通り、がむしゃらに走る。しかし、背後からひしひしと感じる邪悪な気が、どんどん談子に吸い付いてくる。あまりの恐怖と、怖いもの見たさが混ざって、思わず後ろを振り返ってしまった。


 目の前には、微かな光を遮るように覆い被さろうと、飛び掛ってくる鬼の姿が。長い爪の先端が、白く鋭く光る。談子の瞳は大きく開き、その異形の姿を眼球にくっきりと焼き付ける。


 イナホが息を呑む音が、耳を通り抜けた。それと同時に、腕を思いきり引っ張られ、窓の桟から校舎内へ引き込まれる。言うまでもなくイナホの仕業だ。


 桟を乗り越え、校内の冷たい廊下に這い蹲るようにして落ちる。痛がる間もないうちに、イナホによって強引に身体を起こされた。


「立って、急いで逃げるのよ」


「でっ、でも、綺羅姫が……」


「あれは鬼よ、綺羅姫じゃないわ。死にたくなかったら、さっさと走りなさい!」


 怒鳴られ、強引に腕を引かれ、談子は頭の整理も付かないまま、一心不乱に廊下を駆け抜けた。


 遠ざかっていく、化け物の咆哮。


 混乱と恐怖と、そして絶望が頭の中で寄り固まって気を失いそうだ。談子の瞳から、何度も何度も涙の粒が飛び散っていたことに、きっとイナホは気付いていない。


 立ち止まった時には、既に乾いてしまっていたから。

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