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八.休日の校内

 日曜。


 そもそも、休日というものは、その名のとおり休むために用意されているもので、そんな日に早起きするなんて行為は、日頃のだらけた習慣に染まった身体が許してくれない。


 結局、談子がダラダラと支度を整え、学校へやって来たのは、太陽が頭の真上を通過しようとする時間となった。


「遅い! 遅すぎるぞ談子よ、何時間待たせれば気が済むのじゃ?」


 鉄製の校門の上に器用にも腰を据え、綺羅姫はイライラと貧乏ゆすりをしていた。談子の姿が目視できるようになった途端に、怒鳴りだす。いつから待っていたのかは知らないが、あの怒りようからすると、きっと朝からここにいたのだろう。


「ごめんごめん。ちょっと寝坊して。お菓子あげるから、機嫌直して」


 とりあえず簡単に謝り、目の前に着地した綺羅姫に、小さな紙袋を差し出す。先日、広島へ里帰りした隣人の帰宅土産にもらったもみじまんじゅうが、たまたま家にあったので黙って持ってきたのだ。談子の父は、まんじゅうが好きだが、おそらく貰ったことにすら気付いていないだろうから、ないものがなくなっていたって、怒って瓦割りチョップを食らわされることは、恐らくない。


 綺羅姫は紙袋を奪い取り、中を漁る。まだ包装されたままの箱をバリバリ破いて、中身のまんじゅうに手をつけた。


「ほう、もみじまんじゅうか。食うのは何年ぶりかのう。……うむ、なかなかいける」


 そしてもぐもぐと食い始める。そりゃそうだ、もし不味いなんて言った日には、校庭の桜の木に縛り付けて、目の前でまんじゅうを、さも美味しそうに食い漁ってやろうかと考えていたが、その必要はなくなったようだ。


 もみじまんじゅうの中身は、あんこに留まらず、チョコやらカスタードやら、いろいろな味があってなかなか面白い。談子はチーズが好きだが、綺羅姫は抹茶が気に入ったらしい。


「立ち食いもなんじゃ、わらわがよい場所を知っておる。そこでゆっくりまんじゅうを食おうぞ」


 口の周りに緑色の粒をつけたまま、綺羅姫は談子の背中に飛び乗った。一昨日と同じ要領で出発しようとしたが、力を入れた途端に腰と腹と足に痛みが走り、動きが止まる。


「……どうした? 談子よ」


 固まってしまった談子に疑問を覚え、綺羅姫が談子の頭を軽く叩く。


 さっきまではなんともなかったのに。朝から軽い痛みはあったものの、これほどの激痛には至らなかった。やはり筋肉の使いどころが普段と違うからか。運動不足者の厳しい現実を改めて実感した瞬間だった。


「くっ、筋肉痛は二日後にやって来る……」


「どこの年寄りじゃ、お主は」


 辛うじて出せた台詞がそれかと、綺羅姫は呆れていた。しかし、痛いものは痛い。だからといって、ここでこうしていても仕方がないので、まるで錆び付いたからくり人形のように、ぎこちない足取りで、ゆっくりゆっくり校内に入っていった。




▲ ▲ ▲




 同刻。人気のない購買部に、一人の女子生徒が足を踏み入れた。片手で本を開き、歩きながら読んでいる。本のタイトルは「般若心経」。


 休日のため売店は営業していないが、自動販売機は時を問わずに延々と商売を続けている。彼女は本を閉じ、鞄の中にしまいこんだ。


 紙パックの飲料水が横一列に並ぶ、直方体の機械に向かって歩みを進めながら、ポケットから百円硬貨を取り出す。


 今、女子の間で人気の飲み物は、いちごみるくシェーキとかいうジュースだ。


 この生徒の目的も、このいちごみるくシェーキだった。人気という割に、今まで一度も飲んだことがないため、その未知の味に少し期待を抱きながら、販売機の目前にまでやって来たのだった。


「あー、イナホちゃんだ。おはよー。珍しいね、ジュース買いに来るなんて」


 そこには先客がいた。長い茶髪を後ろに流した、明るく元気のよい、しかしやる気なさそうな女子生徒。


 同じ生徒会役員の二年生、名前を、夏みかんと言う。三年生の先輩にタメ口をきいちゃっても平気なのは、彼女のほうが役職が上だからである。


「おはよう、みかん。今朝は時間がなくて、食事ができなかったのよ」


 生徒会書記の役職を持つ、艶のある短い黒髪の女子生徒――秋田イナホは、同胞に向かって挨拶と笑みを返す。ふと、みかんの手元を見ると、イナホが求めていた飲み物が握られていた。早くもストローを刺し込み、中身を口の中に吸い込んでいる。


「ちょうど良かった、一緒に生徒会室まで行こうよ」


「ええ、いいわよ」


 みかんを待たせ、イナホは自動販売機の前に立った。硬貨を投入、所望の紙パックが飾られている場所に取り付けられたボタンを押す。しかし、何の反応もない。もう一度押すが、やはり結果は同じ。故障しているのか。そう思って強く押してみた。やはり品物は出てこない。連打してみたが、突き指しかけたので止めた。


 なぜだ、なぜ出てこない。この販売機は買い手を選ぶのだろうか。こんな、いまどきの飲み物が似合わなさそうな顔をした人間に、いちごみるくシェーキは売らないと、そう言うのか。


 少し苛立ってボタンを睨み付けた。そこに書かれた赤い文字が目に留まる。


 売り切れ。


「…………」


 暫く考えて、イナホはゆらりと後ろを振り返った。「ん?」と首を傾げる、みかんと目が合う。そして素早く手に持っていた鞄からノートを取り出し、最新のページを開いて床に這いつくばり、さらさらと何かを書き始めた。


「何してるの、イナホちゃん?」


 その奇妙な行動に、いささか不審感と興味を覚え、みかんは上からノートを覗き込む。


「お父様お母様、私はいちごみるくシェーキを飲むという、ささやかでかつ壮大な夢を、いとも簡単に諦めなければならない境遇に陥らされてしまいました。所詮、私の夢などタコの入っていないたこ焼きのように質素でくだらなく有り得ないものなのです。自信をなくしました、この失意の念を背負って、お祖母様の元へ旅立とうと思います。せっかくなので、ここにその名前を記しておきましょう。そう、夏みかんという、私を死へ追いやった愚かな人間のその名前を!」


「ええ――っ!? ちょ、ちょい待ち、アタシのせいっすか? 早まらないで! こ、これあげるから、あんまり残ってないけど、あげるから許して!」


 みかんは慌てて、罪人のレッテルを回避しようと、必死でイナホを宥め始めた。




▲ ▲ ▲




 遺書に気に入らない人間の名前を書こうとするのは、イナホの嫌がらせ的に悪い癖だ。


 普段は真面目で人望も厚い、万能な人間なのに、ストレスがたまると、こうなるから困る。


 みかんは、半分以下に減ったいちごみるくシェーキを、ゆっくり味わって飲んでいるイナホを横目に、深い息をついた。


 この学校は、一風変わった制度をとっていて、別に二年や三年にならないと生徒会役職につけない、ということはない。逆に誰でもなれるというわけでもなく、選ばれた人間だけが生徒会側のスカウトで、毎年卒業生などの穴埋めに招かれるという形を取ってきたので、選挙などを行ったことは一度もなかった。現に今も、入学したての一年生が一人、今年卒業していった元生徒会役員の推薦によって上層部に所属している。


 一年前、みかんが入学直後に生徒会役員になって、初めてイナホと出会った時から、その癖は健在だった。


 イナホだって、本気で言っているわけではないだろう。と、信じたい。三年生の他の役員に聞いてみれば、「入学当時はこんなことはなかった、あの時から、彼女は変わってしまったのだ」と口を揃える。


 ――例の人が、死んでから。


 澄ましていても、可哀想な人なのだ。まだ入学する前の出来事だから、みかんはことの次第を、又聞きにしか知らない。だから、その時、彼女がどんな様子だったのか分からないから、うまく励ます方法も思いつかない。


 願わくば、あと一年、平穏に過ごさせてあげられるのが一番だなと思う。


 そのために、休日にも拘らず学校に生徒会を招集させて今後の方針を検討する全体会議でも行ってみようかと思ったのだが、どうにも集まりが悪くて困る。そりゃあ、休みにまで学校に来たいと思うような人間が生徒会に居るわけもない。みかんだって本当は、家でごろ寝しながら、ドラマの再放送を見たかった。


 しかし平日だと、最近やけに活発に動き出した綺羅姫に、妨害される恐れがある。他に適切な方法がなかったのだ。


 ボーっと、明後日の方向を見て途方に暮れていると、並んで歩いていたイナホが横目に声を挟んだ。


「あなたが副会長として、一生懸命やってくれていることは感謝するわ。でも、酷いかもしれないけれど、どうにもならない現実ってあるのよね」


「えっ、何の話ー?」


 驚いて、みかんが聞き返すと、少し間を置いて、イナホは切り出した。


「……また、彼女は、馬となる人間を見つけたようだわ」


「ああ。あの娘が、綺羅姫にどんな影響をもたらすかなんて、まだ分からないけどね」


「分かってからじゃ、もう手遅れよ」


 彼女によって、馬に見初められた者は、少なからず命を落とすという謂われが、昔からある。それは綺羅姫という童女の存在そのものが関係しているが、それは極秘事項となっているため詳しくは表立って語られない。でも実際、が死んだのは、綺羅姫の馬をしていたからだ。


「でも、あの娘は普通の女子生徒って感じだったし、しばらく様子を見てもいいんじゃないの?」


「そうね。……いけない。図書室に用事があるのを忘れていたわ。先に行ってくれる?」


「ああ、うん。いいよ。それじゃ、後でね」


 そして二人は、道を別った。


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