【第二章】
第二章
侍に連れられながら、奄美 郁は湿った薄暗い道を歩いていた。気味の悪い水音が、どこからかピチャンと鳴り響いている。明かりは壁に掛けられている何本かの蝋燭が頼りだ。
(もしかして俺、殺されるんじゃ・・・)
よからぬ想像が、郁の頭の中で膨らんでいく。不安な思いでいっぱいになっていると、前で先行して歩いていた侍が急に立ち止まった。思わずその背中にでこをぶつけてしまう。
「ここだ。」
侍は自分の着物の胸元に手を突っ込むと、チャラン、と音がする金属を取り出した。郁はひょいと横へ顔を出して男の背中越しに先を見ると、小さな牢屋が見えた。男が手にしていたのは、牢屋のカギだったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、俺はいつまでここに入ってるわけなんだ!?」
「黙れ!!」
郁は再び抵抗したが、無理やり乱暴に牢に入れられてしまった。ガシャン、と扉が閉まる派手な音が鳴る。侍たちは見向きもせず、元の道へ去っていった。郁はその場で頭を抱えながら、うなだれた。
「勘弁してくれよ・・・。」
しん、としたこの牢で、空しく溜息が漏れた。
(これ、ちゃんと夢なんだろうな・・・?)
理解できなかった。自分は先ほどまで、いつものように道場で稽古をしていたのだ。それが突然、景色が変わり、状況も一八〇度変わった。一体ここはどこなのか、もしかするとあるドラマの芝居だったりするのか、ドッキリなのか。色々考えを巡らせたが、思いつかない。とにかく今は、ここから脱出したいと思った。しかし脱出した後にあてはない。
「くそ・・・。」
「大丈夫?」
突然、背後から声がした。驚いて後ろを振り返るも、暗がりでよく見えない。
「ここだよ、ここ!」
するとまた、背後から声がした。
「だ、誰だよ!!」
再び振り返ると、ぶん、と上から宙づりになった少年の顔が、郁の鼻先につくぐらいの近さまで迫ってきた。
「うひぁぁ!?」
自分でも情けないと思うほど、素っ頓狂な声が出たと思う。郁は思わず腰を抜かしてしまった。
「あっはっはっは、驚いた?」
少年は楽しそうに高い声をあげた。そして、宙づりになって逆さま状態になっていた体を起こすと、郁の姿を上から下まで、観察するようにまじまじと見た。
「なんだよ、不躾な奴だな。」
「どうしたの?何かやらかした?」
少年は、その場にあぐらをかいた。不思議そうな表情でこちらを見ている。郁もまた、不思議だった。この少年は、歳は一四、五くらいで、オレンジのバツ印をしたピンと首に巻いた布が特徴的だった。ここにいるということは、それなりの理由があるということだ。この少年にどんな理由があるのだろうか。
「何もしてねぇよ。」
「えぇ?でも、何かしたんでしょう?」
「だから、何もしてねぇって!」
郁の怒鳴り声が、大きく響き渡る。苛ついていた。さすがにまずいと思い、少年に謝る。少年も気まずそうに謝った。
「じゃあ、どうしてここに来たの?」
「それは・・・。」
回らない頭を無理やり思い起こす。そして、たどたどしいながらも、この世界に来てからの経緯を全て打ち明けた。何故、見知らぬ他人に軽々と話してしまったのか自分でもよくわからない。ただ、この少年には何か安心感があった。懐かしいというか、なんとなく大丈夫な気がした。
「火?刀から、火が出てきたの?突然?」
少年は、先ほどとは違う顔色で身を乗り出して聞いた。
「あ、ああ。信じられないだろうけど・・・、あと、そう、敵も変な魔法みたいなのを使ってた。氷の波動、みたいな・・・。」
少年は考え込むような仕草でうつむいた。しばらくの沈黙の後、少年は人差し指を顔の前に、にこりと笑みをみせた。
「こんな感じ?」
すると、その人差し指から小さな火を、ぼう、と灯した。
「うわ!」
郁の驚いた反応に、少年は眉間を寄せた。
「そんなに驚くことじゃないでしょ。おにいさん、キミも紅種なんだね。」
「紅種って・・・。俺は何種でもない。そんな魔法は使えない。」
郁の言葉に、少年は目を瞬かせた。
「隠すことないよ。だってオレはおにいさんと同じ紅種だよ。大火事があってからは、今までよりも生きづらくなったけど、同じ人種なら隠すことないよ。それに言ったじゃん、刀から火が出たって。」
「大火事だと?人種?どういうことだ。」
「この間の三月にあっただろ。江戸中燃え尽くされたあの大火事が。あれは・・・紅種の仕業だと騒がれてる。この世には6つの人種があるだろ?氷を扱い戦う氷種、癒しの力を持つ花種、雷を扱う雷種、素早い風種、強力な力をもつ土種、そして炎を扱う紅種。今回の大火事のような大火災は、炎を自由自在に操れる紅種にしか出せない。だから町中の紅種を幕府が捕まえて、犯人を捜してる。」
少年は物悲しそうな顔をした。郁は、ここが江戸時代で明暦の大火後であることに気が付いた。何故すぐに気づいたのかというと、時代劇俳優を目指していた郁は元々歴史が好きだからである。とはいえ簡単に信じられなかったが、少年の様子を見ていると本当のことのように思えた。もしこれが本当なのだとすれば、歴史の教科書にはそのようなことが全く記載されていない。そのこともあって正直、半信半疑だ。
(俺はタイムスリップしたのか・・・。でも、何故?)
郁の疑問はすぐに分かることになる。
「そういえば、おにいさん。名前は何ていうの?オレは奄美 夜ノ丸!」
「!・・・おまえ、奄美って言うのか?」
この少年に安心感を感じた理由が分かった気がする。
「そうだよ。それで、おにいさんは?」
「俺は、」
と言いかけたとき、ふと自分の中で考えがよぎった。
(自分の名字が一緒だとおかしいよな。変な方向に歴史が変わったら嫌だ。佐藤ならまだしも、奄美だし・・・)
「・・・郁。」
「そっか、じゃあ、おにいさんの方が年上だし、郁兄って呼ばせてもらうよ!」
夜ノ丸は嬉しそうに笑った。郁も一応笑ったが、胸の奥底では色々な謎が深まっていくばかりだ。
(夜ノ丸、おまえのほうが何百歳も年上なんだよ。)
同じ名字、これは深い縁があると思った。血が繋がっているかはともかく、夜ノ丸は郁の先祖ということになる。タイムスリップしたのも、「奄美家」に関わる何かが起こるからとしか思えない。
(しかし、これからどうするかだな・・・)
あれだけ焦っていた気持ちはいつのまにか落ち着き、一息ついた時だった。
「あのね、郁兄。実はオレ、・・・犯人が誰だか知ってるんだ。」
「!?」
こそ、と小さな声で夜ノ丸が言った。予想外の言葉に動揺する。
「オレはそいつを捕まえようとしてたんだ。でも、その前にオレ自身が捕まった。だから、郁兄。一刻も早くここから出て、オレがそいつを捕まえたい。郁兄みたいな、罪のない紅種をもう巻き込まないために。」
「そ、それなら、おまえが幕府に犯人は誰なのか言えばいいんじゃねえのか?」
「それじゃダメなんだ。」
夜ノ丸は、いままでとは違う力強い調子で迫った。
「幕府に突き出したら間違いなく殺される。その前にオレが捕まえる。幕府は・・・それから。とにかく、ここから出たいんだ・・・。」
弱弱しい声色で、夜ノ丸はうなだれた。郁はどうしたものかと、その様子を見つめた。夜ノ丸は、犯人に強いこだわりがあるようだ。人としては助けたいが、ここで手を貸せば歴史はどうなるのか。
(でも、俺がタイムスリップした時点で歴史は既に変わっているんだよな。)
「・・・わかったよ。」
郁は決心した。
「手を貸してやる。」
すると夜ノ丸の様子は一変し、目を輝かせた。
「本当に!?」
「ああ。・・・だがその代わり、外部には秘密にするのを約束するから、その犯人を教えてくれないか。」
「・・・・・。」
夜ノ丸は考えこんだ。それからどれだけ時が経ったか、郁が脱獄を諦めかけて寝そべろうとしたとき、ようやく口を開いた。
「・・・・奄美 郷太郎。
オレの、・・・兄だよ。」