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「カナ……あの……」
昼休み――ユカが、困ったような顔であたしのところに来た。
「ん? 今日はどうする? 食堂? 中庭?」
「あの……そうじゃ、なくて……」
ユカはモジモジすると、急にあたしの腕を掴んで「こっち」と言って廊下に引っ張り出した。
いつも言いたいことははっきり言う、ユカの行動にしては、ちょっと変だ。
「ちょ……ユカ、痛いよ。何?」
「あの……樋口くんが……屋上の階段のところで待ってるって」
「ヒグチくん……ああ、バレー部の」
ユカは男子バレー部のマネージャーをしている。
その関係で、ヒグチくんとやらに頼まれたんだろう。
今日の体育の時間、あたしにボールをぶつけたのが、そのヒグチくんとやらじゃなかったかな。
「ボールのことなら気にしなくていいのに」
「あの……多分、そういうことじゃ……」
言いかけて、ユカはぷるぷると首を横に振った。
「とにかく、行ってほしいんだ」
「ふうん……」
あたしは「わかった」と答えると、ユカに手を振って階段に向かった。
屋上は勿論、鍵がかかってるから、外には出れない。
でもその手前までは行けるから、授業をサボりたい人がたまにこの場所まで来るみたいだ。
……それか、誰かが誰かに告白するときか。
「ああ……そういうことか」
思わず呟く。
ユカがいつになくモジモジしていたのも、そのせいかな。
世話好きなのに、あの子は恋愛方面はからきしだから……。
「……あ」
屋上のドアに寄りかかっていた男の子は、私の姿に気づくと――軽く会釈をした。
ほぉ……。
バレー部にしてはあまり背が高くないな。170あるかないか……。
優しそうではあるけど、何かあまりパッとしないし。
だいたい、ユカに頼むってところがなあ……。
「何?」
「あの、3限の……体育のとき……」
「ボールぶつけたこと?」
「うん」
「別にわざとじゃないし、あの時だって謝ってたじゃん。わざわざいいよ」
「そうだけど……ごめん」
「いいって。それじゃあ」
「あ……」
何かメンドくさそうだし、これで終わったことにしちゃえ。
まだ何か言いたそうなヒグチくんを残し、あたしは階段を降り始めた。
「えっと……シンジョウさん!」
「……何?」
まさか、こんなに「さっさと終わらせよう」という空気を出しているあたしを呼びとめる根性があるとは……。
意外にガッツがあるね、ヒグチくん。
「俺、あの…………好きなんだけど!」
「何が?」
そんなんじゃ、伝わりませーん。
「えっと……あの……」
「……何?」
仕方ない、もう1回だけチャンスをあげよう。
そう思って、メンドくさいな、という空気はとりあえず引っ込めてみた。
ヒグチくんはしばらくモゴモゴしていたけど……やがて、大きな溜息をついた。
「…………ごめん、いいや……」
「……そう」
何だ、せっかく話を聞こうと思ったのに。
「じゃね」
「……うん」
ヒグチくんの顔は少し悲しげに見えた。
ちょっと悪いことをした気分になったけど……いやいや、色々とタイミングが悪すぎるよ。
無かったことにした方が絶対にいいって。
さーてと……。
「――カナ!」
鋭い声が飛んできた。
見ると、ユカが真っ赤な顔で震えながらあたしを睨みつけていた。
「ユカ……どうしたの?」
「……どうしたの……じゃない!」
ユカはあたしの腕を掴むと、ずんずん歩き出した。
それは教室でも食堂でもなく、女子トイレの方……。
「ちょっと、ユカ、あたしお昼まだなんだけど……」
「私だって、まだ!」
「じゃあ、とりあえず食べながら……」
「無理!」
ユカの腕は、さっきとは全然違った。
強くて――すごく、熱くて。
「ねぇ……何で!?」
女子トイレに入った途端、ユカは急に涙ぐんだ。
泣くようなことがあったかと、あたしはドキリとした。
「ユカ……どうしたの? 何があったの?」
「カナが悪いんだよ!」
「な、んで……あたし……」
ユカは自分の制服の袖で涙を拭くと、再びあたしを睨みつけた。
「カナならわかったよね? 樋口くんが何でカナを呼び出しのか……」
「そりゃ……」
「それに、もう言ってたよね!?」
「だって、あれじゃあ……」
「あれじゃ、何?」
「あれじゃあ、ダメだよ」
あたしが答えると、ユカはますます顔を赤くした。
ワケがわからない。
男子の告白を断るなんて、別にこれが初めてじゃない。
ユカだって、その現場に遭遇したことはある。
でも……こんなに怒ったことは、ない。
「樋口くんは、駄目じゃない!」
「だってさ、まず呼び出すのにユカを使う時点で意気地なしだし、呼び出したら呼び出したであんなに時間をかけるようじゃ……」
「だからって……」
「あたしの答えは決まってる。無かったことにした方がいいよ」
「……!」
その途端、あたしの頬に熱い痛みが走った。ハッとして、思わず頬を押さえる。
――ユカが、振るった右手はそのまま――ボロボロと大粒の涙をこぼした。
さっきまでの比じゃない……本当に、号泣だった。
「カナにとっては、日常茶飯事でも……」
「……」
「樋口くんにとっては……一大事だった!」
「……!」
そうか……あたしがその「一大事」を潰したことを、怒ってるのか。
「ねぇ、何でカナってそうなの? 勝手に決めちゃうの?」
「勝手にって……」
「無かったことにした方がいいって!」
「そりゃそうでしょ、フラれるよりは……」
「さっきのは、フラれるよりずっとひどかった!」
「――あのねえ!」
ムカッとして、あたしは思わずユカの肩を掴んだ。
「フる方の身になってみなよ! 毎回、毎回、ガッカリする顔見せられてさ。それが何で勝手なのよ!」
「ほら、結局はカナの都合じゃない!」
「あたしの都合で何が悪いのよ! あっちの都合に合わせてみたところで、あいつら、挙句の果てには『思ってたのと違う』とか『思わせぶりな態度しやがって』とか、好き勝手なこと言うんだよ!」
あたしがそれでどれだけキツい思いをしたか、ユカは知ってるはずだ。
こっちは何もしてないのに、勝手に女子の目の敵にされたり。
男どもには「あいつ遊んでるから」みたいな噂を流されたり。
なのに……!
「樋口くんはそんな人じゃない!」
「――じゃあ、ユカが慰めなよ! それでユカが付き合ってやればいいじゃん!」
思わず叫ぶと、ユカが大きく目を見開いた。
さっきまでの、真っ赤になって怒った顔じゃない。
ひどく――傷ついた顔をしていた。
「……あ……」
どう言ったらいいかわからなくなって、あたしは思わず俯いた。
ユカの顔を見るのが怖かった。
ユカは、自分の肩からあたしの手を外すと――黙って女子トイレから出ていってしまった。
あたしは……追いかけることができなかった。
何となく、わかってしまった。
ユカは――ヒグチくんが好きだったんだ。
教室に戻ったけど――ユカの姿は見当たらなかった。
具合が悪いと言って早退してしまった、と……クラスの女子が言っていた。




