添い遂げた恋人たちへー後編ー
アンネは病床にて目を覚ました。目の前には目を覚ましたアンネに大喜びするリチャードの姿があった。どうやら家族に何も言わずソムド7を出ていった彼女を心配して追ってきたようだ。ここがソムド9の病院であることもわかった。
「リチャード?」
「良かったよ! ホント良かった!」
「あの、もう一人の刺された人は?」
「ああ、あそこにいるよ!」
兄の指さしたその先、向かい側の病床にて得意気に話をして取材を受ける男がいた。傍にはアンネと行動を共にした取材クルーの他2人もいる。
「傷が浅かったのかぁ……」
アンネはそっとお腹を撫でた。思えば彼女もまた家族、研究仲間に何も言わず飛び出した身だ。カレンの悪口を言えたものでないのかもしれない。
「警察は捜査に乗り出したの?」
「ああ、明らかなクローン精製に纏わる資料が発見されたからな」
「………………」
「おい、お前まさかアイツを探しにいくとか言わないでくれよな」
「今すぐに判断したりしないわよ」
「おいおい」
心配する兄に今自分が思っていることなど言えない。言える筈などなかった。やがて彼女が退院する日がきた。
病院のロビーにて一人の黒人女性が腕を組んでアンネを待っていた。ジェシカ・ランドリー、カレンの捜索と取材を共にした撮影クルーのリーダーだ。
「退院おめでとう。私たちは彼女の捜索を引き続き行うよ? 貴女はどうする?」
「私もそうするわ。ギャラはなくてもいいわよ?」
「そ、じゃあさっそく準備しなくちゃあだねぇ!」
「ええ!」
アンネはやはりカレンと対話がしたかった。これまでとは違う気持ちで。もう救えない立場にある彼女の、その気持ちをただ理解したかったのだ。
カレン研究所はアンネ副主任の発令のもとで解散する事となった。それと同時に、彼女は研究員として引退することも決めた。博学な彼女は教員の資格やその他多種職業に活かせる資格を所持しているので、特に悩むこともなかった。
今はカレンと話し合いたい。彼女の寿命の限界はすぐそこまできているのだ。
アンネは部屋の片づけをしているうちに1枚の写真を見つけた。
アンネとカレンが肩を組んで写っている研究所開発記念の1枚だ。
研究所の歴史は10年も経たないうちに閉じることとなった。これも運命だと言えばそうなのだろう。しかしアンネに後悔などというものは1つもなかった。
「待ってなさいね。カレン」
アンネは微笑むと封筒にしまった写真をそっと鞄の中に入れた――
アンネはジェシカと共に再び探偵シャーロックの事務所を訪ねた。
「しかし本当にいたとはね。私の勘は当たるな。はっはっは!」
「今回もシャーロックさんの推測を伺いたいのです。難しいですか?」
「いや~どうだろうか。ほら、そこのモニターをご覧なさい」
「?」
モニターには地球から月への月軌道エレベーターを取り外す話題で報道番組が賑わっている様子が映っていた。地球は超高温化で今ではほとんど人間が住んでいないと言われる。またエレベーターの老朽化も著しく、目的を失った物でしかなかった。それは一般世間でよく話されている事だが、それがカレンとどう関係しているのか、アンネ達には何もわからなかった。
「あの、この話題とカレンが行方をくらましていることとどう関係するのです?」
「それが大いに関係しているのさ」
「え?」
「今や地球でなくコロニーに人間が住居を構える時代、そのコロニーの数たるや火星圏で236、地球圏で713もある。頭のいい悪い奴はすぐにコロニーからコロニーへの移動を考えるに決まっている」
「でも宇宙船での移動となるとパスポートが必要になるのでは?」
「ちっちっち、頭が良いヤツはそこで終わらないのだな~。頭のいい奴ならどうすると思う?」
「ま、まさか」
「そのまさかだよ。そして彼女は軌道エレバーターが解体するこのタイミングを選んで計画していた。今ほど偽造パスポートのチェックが軽薄な時はないからな」
「コロニーは1000近くか。火星基地を入れるともっと……まさに天文学的な捜索になるワケね」
「オネーチャン、賢いね。それが答えさ。私の」
「どこです?」
「んん?」
「どこのコロニーに向かったとシャーロックさんはお考えなのですか?」
「おいおい、そりゃあ無理難題にも程が……」
「勘で構いません」
「ははは、その目で言われたら答えるしかない。ズバリ、マザーじゃないかな。太陽系最大のコロニーにして、収容人口20億を超えるコロニーだ。余程の者でない限りはここに逃げたらお手上げさ。無法地帯なスラム街も多く抱えていると聞くし、仮に捜索するのだとしても、とても勧められないよ」
「わかりました。それで結構です」
「おい、アンネさん、正気か。マザーのどこを探すって言うのだい」
「運命に任せます」
「はっはっは! 面白いな。実に面白い。今日の案件は支払いなしでいいぞ!」
「ええ!? 本当かよ!?」
アンネは喜ぶジェシカをよそに、窓に映る青空ゆく雲を眺めた。
カレンとはまた出会える。そんな予感がはたらいて仕方ないのだ。
彼は山小屋の中で目を覚ました。今日までの宇宙船を乗り継いでの移動に少々疲れてしまったようだ。自分がどれだけ寝ていたのかを覚えていない。
カレンは台所で料理を作っていた。彼がベッドから起きあがるのを「おはよう」と微笑んで迎えてくれた。机の上にはたいそうな御馳走が並べられていた。
ここはマザーという人口惑星のジャシャール地区という地域らしい。山々に囲まれた奥地で大きな湖を構えているのが特徴だ。人が住んでいるには住んでいるようだが、大して見かけることもない。人よりも野生の動物が多くいたりする。
カレンとの生活はソムドにいた時のようにすぐに馴染むことはなく、ひたすら現地の言葉を学ぶのに必死な彼の姿があった。病弱なカレンは滅多なことで外出することはなく、食材探しの狩猟や釣りなどに奔走する彼もいた
そんな生活にやっと慣れてきた1年後、山越しに聴こえる教会の鐘の音を合図に彼はカレンを散歩へと連れていくようになった。すぐに息切れする彼女だったが、彼のその行動にはいつも満面の笑顔で喜んでみせた。
雪が多く降り積もった冬は二人して雪ダルマを作ってはしゃいだ。
たくさんの花々が咲き誇る春はカレンに大きな花飾りをつくってみせた。
初夏の昼下がりには自家製のカヌーにカレンを乗せて湖を渡ってみせた。
落ち葉の溢れる秋、迷子になった観光客の女の子を保護し、両親へ届けることもあった。彼女は「楽しい思い出になったよ!」と遥か遠くのコロニーより自筆の手紙を届けてきた。
カレンが笑顔でいてくれるのならそれで良かった。それだけで彼は一生懸命になれた。でもそれは彼だけではなかった。カレンは狩猟に出掛ける彼の為にマフラーを編んで彼の誕生日にプレゼントした。彼は彼なりに喜んでみせた。
雪が積もるジャシャール3年目の冬、彼はマフラーを忘れて家を出た。
マフラーを届けようと急いで彼を追いかけたカレンだったが、玄関先で激しい動悸に襲われ、そのまま激しい咳き込みと吐血を催して倒れてしまった。
マフラーを忘れたことに気づいた彼はすぐにお家に戻り、そこで倒れた彼女を発見したが遅かったようだ。すぐに彼は彼女の看病を始めた。呼吸はある。彼は彼女の一命をとりとめようとただ必死になった。
その日の晩、彼女は目を覚ました。しかし体がそれ以上動かないのだと言う。
「ごめんね、あなた。私、もう長くないの。ごめんなさい……」
彼は「わかっているよ」とは思っていたが、そう言わなかった。
自分は彼女に何ができるというのだろう。何をすべきだというのだろうか。
彼の知らない何かが彼女を連れてゆく。呼んでいる。
翌朝、彼は散歩の帰りに小さな花を見つけた。イオノプシディウムという花だ。この地域では冬になると見かける花だ。彼は思いついて2輪ほど摘んで家路を急いだ。
彼は「ただいま」と迎えた彼女に「プレゼントがあるよ」と返事を返した。
彼のプレゼント、それは花と茎で作った些細な指輪だった。
そっと彼女の薬指に自家製の指輪をはめる。
彼女は驚いていた。そして次第に大泣きを始めた。
「ありがとう。ありがとう」
彼女の小さな声の言葉は静かな部屋に確かに広がっていった。彼の作った指輪は彼の薬指にも輝いていた。
それから彼女が目を覚ますことはなかった。ただ静かに時間が流れていった。
彼は何となくわかっていた。
彼自身もまた長くないことを。
カレンが永遠の眠りについたその翌日、彼は彼女を抱えて外にでた。
教会の鐘の音がジャシャールの山々に響く……
自宅を離れてどれだけの時間がたったことだろう。
毎朝聴いていた鐘の音を鳴らしていた教会の近くに2人はやってきた。
「ついたよ。カレン。ここがいつも鐘を鳴らしていた教会だよ」
鐘の音はもう鳴っていない。彼女の心臓の鼓動も聞こえない。それでも一度は彼女が行きたいと願ってやまなかった、その場所に彼は彼女を連れてきたのだ。
彼は彼女を手繰り寄せ、彼女に額にそっとキスをした。
ポタポタポタポタ……
何かの雫が彼女の頬へと降り注ぐ。
雨なんて降ってもないのに。どうしたことだろうか。
そうか。そうだったのだ。彼はいま初めて泣くということを知った。涙というものを知った。そして大声をだして悲しみに喘いだ。
やがて彼の瞳は灰色に染まった。そして彼の心臓も止まったのだった――
カレン・サスペンダーと彼女の創ったトーマス・ラッドの亡骸は皮肉にも彼女達の捜索を続けていたアンネ一行によって発見された。捜索の打ち切りをしようとしていた時の出来事であった。まさに運命の悪戯としかいいようがなかった。
カレンと彼女の創ったクローン人間は月に還ってきた。
この出来事はソムドの世界中、否、太陽系の各コロニー中で話題にあがって止まないほどの報道となった。
ジェシカの撮影クルー、そしてアンネには目にも余る数値の収益があがった。しかしアンネにとってそれはどうでもいいことであった。
これから何をして生きていけばいいのだろうか。
コーヒーを一飲みしたアンネは日記を記したタブレットを閉じてベッドへ飛び込んだ。もう日記を書くのは最後にしよう。そう彼女は心に定めて、夢の中へと意識を沈めていった――
∀・)エピローグに続きます♡