添い遂げた恋人たちへー前編-
西暦3018年、人類は月と火星のテラフォーミングを主体とした人工宇宙工学の利用を活発化させた。コロニーの開発も進み、火星圏域には200以上もの小惑星コロニーが誕生した。さらには木星圏域への人類進出をも見据え、古より利用し続けた月軌道エレバーターの取り外しも数年以内に完了する見通しをたてていた。
科学者カレン・サスペンダーは月面基地ソムド7に恋人のトーマス・ラッドと住んでいた。彼女の専攻は光合成物理学で、この時代より活用が進み続けている人間が行う光合成エネルギー摂取の基礎確立であった。
トーマスは基地職員幹部で宇宙船の停留を請け負うソムド・ステーションの駅長を務めあげていた。その日の夜、彼はカレンへ婚約指輪を渡す予定だった――
サスペンダー研究所ではカレンと助手のアンネ・E・ブルックリンの2人の少数精鋭で日々の研究に取り組んでいた。
「アンネ、今日は早く帰らないといけないみたいなの。夕方からは貴女に任せてもいい?」
「ええ、何かいいことでもあるのかしらね?」
「さぁ、たまたま彼が早く帰れるだけかもね」
「また~そんなこと言って、あなた達、付き合って3年はたったのでしょう?」
「そ、そうだけど……それがどうしたって言うの?」
「そろそろなんじゃないの?」
「もうっ! 変なこと言わないでよ。ちゃんとそこのフラスコの様子をみなさい」
「はいはい」
カレンもトーマスもそれぞれの両親へ挨拶を交わし終えていた。
2人のこれからは約束されていた。その筈だった――
火星圏最大コロニー、マザーゆきの宇宙船リップ397は離陸準備をしようとしていた。そこへ親との別れを果たした子供が走って向かっていた。大人と機械の目を潜り抜けて出てきたのだろう。誰しもがその事態に驚愕していた。宇宙船からは高濃度のエネルギー粒子が放出され始めていた……
巻き込まれればこの子供の命はない。
「ママー! ママー! 置いてかないで!!」
走る子供の勢いは増していた。誰もが彼の死を目撃する筈だった。
「危ないっ!!」
子供を庇ったのは、いち早くその事態に気づいたトーマスだった。
宇宙船が離陸するその刹那、彼は狂う子供を掴んで、その身で覆いかぶさった。
トーマスはそのままジェット粒子をその身に浴びた。
余りに悲劇的で残酷な情景に他ならなかった。リップ397は何事もなかったかのように空のその先へ飛んでいった。飛行場に残ったのは黒ずんで無惨な姿となった2人の怪我人だった。
ただちにトーマスも飛行場に突入した男の子も病院へ搬送されたが、トーマスは即死が確認されて、一命を取り留めた男児も一生治らない大火傷をその身に背負う事となった。
カレンが病院に駆けつけたのはトーマスの死亡確認がとれて間もない時だった。顔にかけてある白布をとった彼女は両手で口をふさぎ、そのまま衝撃にすくんだ。
「うそ……うそでしょ……いやあああああ!!」
攪乱するカレンをその場に居合わせた病院職員が押さえつけた。彼女が正気に戻るまで、それは長い年月をも必要とするものであった。
トーマスの悲劇的な死去よりカレンは彼女の両親がいる月面基地ソムド3へと帰郷した。カレンの研究はそのまま助手のアンネが引き継ぎ、彼女が実質主任となり、新しい部下を招いたのちに新体制で研究を再開し始めた。
アンネはいつカレンが帰って来てもいいよう、自ら副主任を名乗り、主任職が全うできる仕事をいくつか残していた。定期的にカレンの親と連絡をとっているが、ここのところ繋がらなくなった。トーマスの訃報から3カ月たっての事だ。
「おい、聞いたかよ。先輩がソムド8で新たな研究施設を極秘裏に開発したって」
「噂話だろ? 事実がどうかもわからないのに鵜呑みにできるかよ。あくまでも俺達は科学者だろ?」
「正式には科学者見習いさ、マスコミが騒いでいて、じきにニュースにもなるぜ」
アンネは出勤時に部下達の気になる発言を耳にした。彼女は極秘裏な研究などしていない。先輩とはまさか……。耳にした途端に彼女は黙っていられなかった。
「先輩って誰? 今の話、聞かせて貰えないかしら?」
「ブ、ブルックリン主任!? いつの間に!?」
「副主任よ。しっかりしなさい。それよりフランク、今の話……」
「………………」
部下達が噂していた先輩とは、やはりカレンのことであった。彼女がソムド7のマンション街において、極秘裏に研究施設を設営したこと。またその研究内容が光合成科学を応用したクローン人間の生成であるということだ。
アンネはカレンのことをよく知っていた。カレンは重い病を背負っており、長生きできない体にあることに。宣告は歳が30になるその時、あと2年でその時がくる。彼女がそれまでにしそうなことといえば容易に思いつくのだ。
「クローン人間の生成? そんなのいけないに決まっているじゃないか」
アンネは月警察の一刑事である兄のリチャードに自身の不安を打ち明けた。
「仮にそうだとして、どうだ? 証拠になるものとかでてくるのか?」
「ええ、でてくる筈だわ。最悪の事態にならないうちに、止めて欲しいの」
「まぁ、俺の管轄はソムド6だからな。その区域の知り合いに話はしてはみるよ」
どうやら警察の下層部にはまだ話が行き届いていないらしい。インターネットで囁かれている程度のものなのか。しかしクローン人間の生成は一般に禁固50年は固い大罪である。アンネのすることは決まっていた。
アンネは研究室より3連休をとることにした。高速リニアに乗車し、1日目の晩にはカレンのいると思われるソムド3の実家を訪れた。しかしその実家には誰もいなく、住人不在の電子表示がタッチで示されるだけであった。
「なんてこと……」
家族全員で行方不明。一家心中の可能性すらもでてきた。ソムド3とソムド8、ソムド9はさほど遠い距離にない。この案件に取り組み可能な探偵業者をネットで探し、依頼をしてみることにした。
翌日ソムド8にある探偵事務所をアンネは訪れた。受付は若い男性職員だったが、応じた探偵は老獪な探偵だった。
「カレン・サスペンダーさんの話題は今、この地ですごく話題になっているよ。アンタは関係者みたいだが、アンタじゃない人探しで尋ねてきたのが少なくとも50人はいたかな(笑)」
「マスコミですか……」
「ま、そんなところさ。噂が本当なら大ごとだからな。頭脳聡明な彼女だ。そのへんの対策はしっかりしてあるさ。彼女の両親は偽名そして仮病を使ってソムド7の病院に入院している」
「!?」
「私どもでない機関を使ってそうしたようだな。しかし直に退院するらしいぞ。どうせ『知らないうちに出ていった』とシラを切るのだろうが」
「あの、シャーロックさんはカレン主任の居場所をご存知なのですか?」
「知らないよ? 知っていたらマスコミの奴らにペラペラ話していたさ」
「そうですよね……」
「でも、推測ならできるな」
「本当ですか!?」
「まぁ、あくまで推測に過ぎないがね。違っていても恨まないことだ」
「信用します! 実績のある探偵であると伺っていますから!」
「ふむ、おそらくだが、ソムド9の自然保護区・立ち入り禁止エリアまで彼女は行き、そこで何かしらの研究開発を進めているのだと思う」
「なんですって……」
「噂が本当なら、いずれ捕まって裁かれる。その考え方があたっているならば、最も合理的なやり方だよ。あそこは危険な肉食獣やらが自然に開放されている所だからな。もしかしたら生物研究を名目に偽名を使って合法的に入園をしたかもしれんぞ。アンタらの研究は光合成の人工科学なのだろ? 頭のいいマスコミは既にいくつか水面下で入っているぞ」
「わかりました。私も何か方法を探って彼女の捜索に尽力したいと思います」
「ふふ、よほど信頼している師なのだな。だが高い手数料は貰うぞ?」
「勿論ですよ」
探偵より伺ったTV局のクルーと交渉し、TVに出演する条件で快く合流することとなった。そのクルー達もまたあの探偵の推理を鵜呑みにして、自然保護区区域を探しまわっているらしい。
ソムド9の自然保護区は月面基地ソムドのなかでも最も大きい自然公園である。普通のソムドの2倍の広さに値するその地には10万人以上の研究者や愛好家が合法非合法問わずに滞在している。観光名所としてもよく知られて、年間300万人もの観光客を呼び込んでいる。その中で非合法に潜伏しているカレンを見つけるなど、実に馬鹿げていることなのかもしれない。あの探偵の掌で泳がされているだけなのかもしれない。それでも彼女は彼女自身を止められなかった。
アンネは部下に3カ月の休暇を懇願し、73式トラックの中で目を閉じた――
老獪な探偵の読みは外れてなどいなかった。
彼は木造のお家のなかで目を覚ました。上下鼠色の寝間着を着ているようだ。
「おはよう。目を覚ました?」
太陽の陽射しが彼女の微笑みを眩しく照らした。
不完全な彼の認知能力は常人よりも遥かに物事の理解を難しくした。
着替えは勿論、食事に排泄に全て彼女の介助を受けなければできなかった。
寒い季節は凍える手を温めようと、火を焚いた暖房の中へそのまま手を入れた。
「馬鹿! 何をやっているの!」
彼女は彼の手を取り、たくさん怒った。でも彼は何が何だかわからなかった。
寒くて手が震えることがいけないことなのか? 余程大切な暖房なのか?
彼があれこれ考えているうちにある言葉が彼の心をうった。
「私をみて! 貴方は私の大事な人! トーマスなの!!」
彼は唖然とするしかなかったが、次の瞬間、彼女は彼女の唇と彼の唇を合わせた。彼は何が何だかわからなかった。でも自然と感情が湧いていくのは感じた。
どこか懐かしい匂い。懐かしい感覚。
キスしてほんの数秒、彼女は大きく目を見開いた。
「ごほっ! ごほっ! うぅ……」
彼女は部屋の片隅に向かい、両手でその口を塞いだ。離した手には彼女の血が滴り落ちていた。
そうか。彼女は長くないのだ。彼はやはり何かを思いだそうとしていた。
それからというもの、彼の学習能力は向上していった。日常生活で必要な能力は自力でほぼできるようになった。今では午前中に行う散歩が何よりもの彼の楽しみとなった。勉強の時間はちょっと苦手だけど。
散歩の時、彼女は右手で彼の左手を持ち、もう片手は大きな銃を持っていた。獣が襲ってきた時にそれで彼を護るのだという。実際に護られたこともあるし、食事ででてくる肉は彼女が狩猟してとってきたものだ。
「カレン、オレがそれを持つよ」
「え?」
彼は勇気をだして言ってみた。華奢な体型をした彼女が持つには結構重いのではないか。そこまで言葉にすることはできないが、そんな彼の優しさであった。
彼はその日、2匹の猪を射止めた。そしてその猪をその日の食材にすることにした。日に日にやつれていく彼女。彼は彼で何かできないか、ずっと考えていた。
彼はやがて家事をこなすようになった。炊事洗濯掃除、食材探しも彼が積極的に行うようになった。必要とあればソムド9の街まで彼が買い物に出掛ける事もあった。彼女の誕生日には彼が街で買った洋服をプレゼントした。彼女はそれをとても喜んでくれた。彼もそれにつられてとても喜ぶことができた。
彼が生誕して3カ月するかしないかの頃、彼は街で働くようになった。ジリ貧で生活するには限界がある。彼女と彼は共に支え合い育みあって毎日を過ごした。
そんな彼と彼女の生活に思わぬ衝撃が加わった。
アンネと彼女を従えた撮影クルーがお家の中に突入してきたのだ。
「何をする! やめろ! やめるんだ!」
彼の言葉を無視し、取材陣は2人掛けで彼の体を掴みかかり、彼の撮影をした。1台のカメラは彼によって破壊されたばかり。その見返りだった。撮影許可などなかった。
再会したアンネとカレン。アンネの言葉の表面には憎悪しかなかった。
「どうして……どうして黙っていたの!?」
「アンネ、どうして、どうしてここがわかったの?」
「しらばくれるな! 貴女のやったことは立派な犯罪よ!」
アンネはその場にあったマグカップを掴んで、彼の顔へと紅茶をぶちまけた。そしてカレンの頬を強くぶった。
「目を覚ましなさい! トーマスは死んだのよ!!」
カレンは衝撃的な言葉に呆然とした。だが湧いてくる感情に嘘はつけなかった。
「黙れ……黙れっ! うあああああああああああ!」
カレンはとっさにとったハサミでアンネの腹部を刺した。続けざまに取材陣の1人をも刺した。
突然の事態に混乱するクルー達。その混乱に乗じてカレンは彼の手を手繰り寄せて言い切った。
「トーマス! 私についてきなさい!」
犯罪者たちは消えた。混乱にまみれて残された取材陣2人はとんでもない光景をビデオに収めてしまったが、リーダーはひ弱な男性カメラマンに告げた。
「何しているの! カメラなんか置いて早く追いかけなさい! 通報は私がするから!」
「は、はいぃ!」
カメラマンはすぐに家を出たが、カレン達はどこにも見当たらなかった。
激痛を堪えながらも静かに喘ぐアンネはただ虚しく言葉を残すしかなかった。
「どうして……どうしてなの……カレンッ……!」
やがてアンネの意識は遠のいていった――
∀・)お久し振りです。イデッチです。カレンとトーマスの行方、アンネの決断、その先までお付き合いいただければ嬉しく思います。本日中に完結するので宜しくです♪♪