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潰れた果実

 ナズナは引きつった様に笑う目の前の少年――そう、彼もまだ少年だった――に激しい怒りを感じながら俯いていた。

 少年が笑っているのは、他でもない彼の主だ。

 主と言うのもおこがましい気がする。

 ナズナはただの庭師で、彼女は一国の皇女なのだから。

 それから、彼女がとても繊細な事も知っていた。

 仮面の向こう側から聴こえて来る声は滲んで消えてしまいそうな程儚くて、彼女の心から零れ出る言葉は頼りなく、少しの切っ掛けで留まって聴こえなくなってしまいそうだった。

 だからナズナはいつも、庭中で一番難しい花よりも更に気を付けて彼女に接して来た。

 いつかきっと咲く。そんな風に思いながら。大事に。

その彼女が惨たらしい姿で俯き、無遠慮に笑われているのを見ると、胸が痛むのと同時に頭に血が登り、耳が熱かった。

 本当は腹の中で沸く怒声を浴びせたい。温厚な彼が未だかつて、出した事の無い強いものだ。

 けれど笑っている少年は少し危うい所があって、下手に接するとどうなるか予想が付かない。

 それがナズナをギリギリで冷静にさせる。

 何も出来ずに、手足を縛られている自分が惨めだった。

 姫の頬から零れる涙が、汚い床に落ちる音が聴こえる気がした。

 早くこの許しがたい時間が過ぎ去ればいいのに、と、ナズナが堪えていると、唐突に笑い声が止まった。

 あまりにも唐突に止まったので、幌馬車の中は空白でいっぱいになった。

 ナズナが思わず顔を上げると、無理矢理音を押し込めたその空白の中、姫が凛と少年へ向かって顔を上げていた。

 まだナズナの見慣れていない姫の大きな瞳からぽろぽろ零れる涙が、ランプの灯りで輝いていた。

 対する少年は、先ほどまで笑っていた余韻を引きずりながらも表情を硬くしていた。


「どうして」


 と、姫が訴えるように尋ねた。

 声はナズナの記憶通りで、頼りなく震えていた。

 ナズナは姫にこんな勇気があるとは知らなかったので、驚いた。


「どうして?」


 と、少年が低く冷たい声で応えた。


「聞いてただろ? お前を殺すため」

「ナズナは助けて下さい」


 ナズナはハッとして姫を見たが、彼女は彼の方を見ずに少年を見詰めていた。

 少年が乾いた笑い声を上げて首を振った。


「コイツはお前のせいで人じゃなくなった。お前にそうされた。多分お前より先に殺す。邪魔だからな」


 少年はそう言って、念を押すように繰り返した。


「お前が巻き込んだ」


 姫は一瞬身体を震わせて、それでも果敢に少年の方を見ていた。

 否、ナズナの方を見ないようにしているのかもしれない。


「ま、巻き込んだのは……貴方だわ」

「わかってねぇな、お前が選んだんだろ? 仮面を取って、コイツに顔を見せた」


 責めるように言う少年に、姫は涙をこぼしながら首を振った。


「ナズナは助けて下さい」

「無理だね。お前もコイツも地獄に堕ちろ!」

「どうしてわたくしを憎んでいらっしゃるの?」

「だーかーらー!!」


 微妙に噛み合っていないやり取りに、ナズナは成す術も無い。

 先程から入ってくる情報の殆どが、彼には信じがたく、そして何より理解が追い付かない。


「お前の本体が俺の国を呪ってんだよ! お陰で国は枯れっ枯れだ」


 姫が妖だなんて、彼女を誰よりも知っている彼には冗談にしか聞こえない。

 けれども心の中で、奇妙な程納得している自分もいる。


 姫はいつも重たい仮面を被らされていた。


 そして、初めて見た彼女の美しい顔。

 見ることはきっと叶わないと思っていたのに。

 見てしまった。彼女は仮面の下で、誰にも気づかれずに咲いていた。

 彼女の本当の輪郭はナズナの心を握り潰した。

 仄かに夢見るものが目の前に現れた時、それが想像以上だったらどうすれば良いのだろう。触れる事など不可能だと予め知っている時はどうしたら?


ーーーー心はひとたまりもなく、潰れるしかない。


 潰れた果実から果汁が滴り、目眩がするほど甘く香って仕方がない。

 妖。魅了。男を……。


 でも僕は喰われて無い。喰われるという意味が、あまりよく分からないけれど。

 姫を守る役目があるから?

 否、今は何だって良い。とにかく、今姫を守れるのは自分だけだ。


「呪いが解ければ良いのでしょう?」


 姫へ恨み言を連ね始めた少年に、ナズナが割って入った。


「姫様を殺さなくても、きっと方法は……」

「ああン? お前さぁ、積年の恨みって知ってる?」


 こめかみに青筋を立てて少年が目を釣り上げ歯を剥いた。


「姫様がやったことじゃない」

「コイツの根本がやっている! コイツは存在悪だ!」

「フリージアの何を知っているんだ!!」


 怒りに思わず彼女の名を呼んで、ナズナはハッと口をつぐんだ。

 少年は目を見開いてナズナを見、それからじわじわと顔を嗤わせた。

 少年の紅い瞳が、妙に光った。


「フリージア?」

「……」

「へぇぇ~……なんでただの庭師がお姫サマ呼び捨てにしてんの? お前の国で庭師はどんなご身分なワケ?」

「庭師は……庭師です」


 こんなヤツに、姫との秘密を知られたくなかった。

 ナズナが顔を背けると、少年はさも愉快そうにナズナの側にしゃがみこみ、笑った。


「……おい、色男。教えといてやるよ。触手は百花繚乱の主を守る為だけにある。お前は一生主には触れられず、主が庭へ誰かと百年を過ごし始めるのを見てから……」


 そこで少年は勿体ぶって言葉を切り、クス、と笑って続けた。


「枯れるのさ」


 少年がどうしてこんなに楽しそうなのか、ナズナには理解が出来ない。

 少しの、しかし思いがけない程の喪失感を胸に落っことしながら、ナズナは少年を見返した。

 憎しみを体験したことの無いナズナの身体が、そうと分からずに熱くなった。

 瞳だけが、冴え冴えと冷たい。


「だからなんです? あなたは庭とかって所へ行くチャンスがあるって言いたいんですか?」


 口から切り出された言葉に、自分で驚いたのと同時に少年の拳が飛んで来た。

 

「ナズナ!!」


 姫の叫び声が聞こえたと同時に、更に反対側の頬を殴られる。


「止めて下さい! 止めて!」


 姫様。僕は知ってます。一回だって期待した事なんて、ありません。

 お顔を見る事すら、期待した事無かった。

 

 少年はひたすら無言でナズナを殴り続け、ナズナはうっすら笑ったまま、意識を無くしてしまった。


 遠くで、姫の泣き声を聴きながら。


* * * * * *


 初めて出会った時、彼女は朱色のしだれ咲ポピレスの茂みに隠れていた。

 彼女が先に彼を見つけ―――彼が仮面に驚いて怖がらないように。  


 だから、ナズナは彼女の仮面が怖くなかった。


 でも、今は怖い。

 仮面なんて無いのに。

 仮面が無いから。

 深い穴に、落ちて行きそうで。

 妖、妖……そうなのかも知れない。

 だけど。

 触れられないなら、きっと大丈夫。

   

 

 

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