理想と現実
後書きにいただきもののイラストを載せさせていただいてます。
暗い道の、更に暗がりを選んで馬車が待っている場所まで辿り着くと、馬車の傍でしゃがみ込んでいた男がシルバを見つけて立ち上がった。
男は背が高く、闇の中でも手足が長いのが判る。
彼はシルバに小走りで駆け寄って、少年の存在に一瞬躊躇したものの、シルバが肩に担いだ荷物に手を差し出した。
シルバは彼から顔と身体を背けて断った。
「いい。俺が運ぶ。カマドゥ、ソイツを縛ってくれ」
「シルバ様、この少年は?」
「……抵抗しねえから」
シルバは言いながらさっさと馬車の中へ肩の荷を下ろす。
馬車と言っても荷台に幌をかけただけの小さくて粗末なものだったので、席は無く床板だ。
荷を下ろす際、自分用のクッションを目で探してしまった事に苛立って、シルバはクッションをボンと蹴っ飛ばした。人間扱いなんか、するもんか。
血生臭いシーツに包れたそれはピクリともせず、下ろされた場所にクタリと崩れてシンとしている。
シルバはそれが死んでいないかそっと触れて確かめた後、説明不足を厭そうに補った。
「先生がそのガキも持って来いってよ」
「わかりました」
カマドゥと呼ばれた手足の長い男は、それ以上の説明を求めずシルバに従って少年の身体を縛り上げる。
少年は焦点の定まらない瞳で虚空を見詰め、未だぼんやりとしていた。
シルバが馬車に乗り込んで、ふぅ、とひとまずの息を吐いた。
――――ヤベェ、疲れた。
「お疲れ様でした」
縛られた少年を馬車に運び入れると、カマドゥがシルバを労った。
シルバは暗闇の中で頷いた。
相手に見るかわからないが、相手に伝わるのはわかっている。
「よっく縛ったか?」
「何者です?」
「<触手>だ。ヨォ、さっさとずらかろうぜ」
シルバの言葉に、カマドゥはギョッとした顔をして少年を見た。
しかし「はい」とだけ返事をして馬車を動かし始めた。
逞しい二頭が引く小さな馬車は、静かに滑る様に動き出し、夜の闇の中へ消えて行った。
*
青々とした林を抜ける。
もっとも、夜は色など塗りつぶしてしまうけれど。
けれどいい。
皆同じ色なら、不公平もないだろう。
心だって、持たなくてもいいだろう。
極彩色は悪だ。
――――奪ってやる。
*
幌馬車はかの国の追跡から簡単に逃れる事が出来た。
王を殺害出来たのが効いた。統制がさぞや乱れている事だろう。
極秘に行われていた姫への禍々しい信仰を、推して取り返したがるのは何人か。
しばらく前からランタンをぶら下げてある幌内で、仄暗い中に浮かび上がる血に濡れたシーツの塊をシルバは見やる。
ダンスを知らない姫なんかいるものか。
あの、嬉しそうな顔。
大して大事にされてなかったんだろ。そうだろ?
シーツは少しも動かない。
この場でこのまま殺せれば、辛気臭く無くて良いのにな、などと思っていると、視線を感じた。
シーツと同じく縛られ、床に転がされている少年が訝し気にシルバを見ていた。
自分に何が起こったのか、全く分からないといった表情だ。
しかし、侮りがたいとシルバは感じた。
目が覚めてこの状態で、喚いたり暴れたりしなかった。じっとシルバを見ていた――観察していた――。
意識がまだ霞がかっているせいかも知れない。けれど、完全に自分を取り戻してもコイツはきっと下手に取り乱したりしないだろう、とシルバは直感した。
シルバは唇の片端を釣り上げて「ヨォ、色男」と笑いかける。
「俺にもモテる方法教えてくれよ」
「……あなたは誰ですか」
「無礼者、お前こそ誰だ」
「……?」
シルバの返しに、少年は目を細める。彼の中では辻褄が合わない会話だろう。
彼の目の細め方に生真面目な礼儀正しさが表れていて、シルバは憐れまれる前に切り出した。
「見た所、舞踏会にはいなかったな」
「僕は庭師の子です。庭にいました」
――――確かに。しかし、庭師? 庭師?
「俺を覚えているか」
少年はシルバから目を逸らした。それを誤魔化すかの様に、苦労して起き上がり座る。
落ち着いていると言うよりも、肝が据わっている。――――そう感じた。
「いえ……暗かったので」
「状況を覚えてるなら、覚えてるって事だろ」
「……僕はあなたに何かしましたか」
「ロスタイムを作った」
少年は素直に首を傾げた。
「それで……僕は罰せられるのですか」
シルバは目玉をクルリと動かして、顎を指先で撫でる。
『罰せられる』、か。セリフからして、確かにシモジモらしい。庭師なのは嘘じゃ無い?
しかし大国の姫と庭師がどうして?
少年を見る。
鳶色の艶々した髪に、同じく鳶色の澄んだ目を筆頭に、整った顔をしている。纏う空気は故郷の谷を吹き抜ける穏やかな風に似ていた。
自分と真逆の人間がいるならきっとコイツだ。
それは気に入らない発見だった。
そうでなくとも、おかしな豹変をして驚かされたのを根にもっている。
――――道中の退屈凌ぎに、コイツを波立たせてからかおう。
「今から、お前を俺の国へ連れて行く。百花繚乱の姫がお前に掛けた呪いの研究材料にされる」
少年はジッと澄んだ目でシルバを見るだけで、悪戯に口を挟む気は無さそうだった。
『なぜ?』『どうして?』を、シルバが自ずと明かすのを待っている態が気に入らない。
こういう時は、疑問の答えを急いて乞うのが礼儀じゃないか?
ただの庭師が澄まし返りやがって。
「あー、何から話そっかな。まず、お前のいた国には妖魔が憑りついている」
少年は眉を潜め、シルバの目を覗き込んで来る。
こういう類の話をするには、喋りにくい相手の顔だ。
シルバは腕を組み、顎を上向きにして続けた。
「その妖魔は、百年から二百年のスパンで他国の男を喰うんだ。それを養分にして国を栄えさせる」
「聞いた事がありません」
「まあ、言いふらしたい内容じゃないだろうな。察せよ。城内のそのまた内々でやってた事だろう。でもお前は知っているだろ? 仮面を被った姫を」
少年の瞳が初めて無防備になってシルバを見た。
馬車の車輪が何かを踏んで、車内が揺れ、薄暗い明かりがシルバと少年の顔を交互に明と暗に分けた。
「揺れちまいました。すみません」
御者座から謝るカマドゥの声を、シルバは無視して少年を瞳で探る。
少年の瞳は言っている。姫に何か関係が?
シルバはそれ以外の事を読み取れない事に、意図せずもどかしさを感じた。シルバが知りたいのは自分が既に知っている事じゃない。
思いと答えの違う疑問を、シルバも少年も出し渋った。
行きつくところは二人共『知りたくない』のだ。
だったら、とシルバは喋る。喋ってやる。聞かせてやる。
「男を喰う役目を担うのが姫だ。刺繍靴を履いて生まれた姫には、妖魔が憑りついている。――もしくは、癒着している。その魔性の力で国の繁栄の為、他国の男を喰う。だから、然るべき時――ガキの間、姫を育てる周囲を護る為に仮面を着けて過ごすんだ。時が来て、男を狩る日までな」
「――――嘘だ」
少年は凛としてシルバを真っ直ぐ見た。ランプの灯りが揺れ、彼の顔を照らす光が暗くなっても明るくなっても、瞳の光の強さが変わる事は無かった。
少年の無知を覆す答えを持つシルバは笑い出しそうになって、唇をひん曲げる。
「ふん?」
「僕は――――喰われたりしなかった」
やっぱり。やっぱりお前は顔を見たんだ。
誰よりも一番最初に、顔を見せられた。
一体何故だ。何時だ。どこでだ。どうしてだ。
どうしてお前なんだ。否、こうなったんなら大体分かる。
――――でも、残念だったな。
「おう、お前は触手になったんだ」
「さっきから、あなたの言う言葉のほとんどが僕には理解できないのですが」
このもっともで生意気な返答に、シルバは何故かカッとなった。
「オメーは合いの手が下・手・だ・なっ!」
唸る様にそう言って突然少年に飛び掛かかると、彼の前髪の辺りを片手で鷲掴みにした。
突然のシルバの攻撃的な所業に、あくまで取り乱さない少年は目を据わらせている。それでも、胸の辺りが大きな呼吸で上下に動いていた。
「……もっと上手に俺とお喋りしてくれよ……」
「……ショクシュって何ですか」
――――そうだ。それでいい。
「魅了意外の力が無い姫を護るバケモンだ。お前はソレになった。……姫に自ら顔を見せられたろ」
「……」
「選ばれたんだよ! お前は!!」
シルバは怒鳴って、掴んでいた少年の髪を殴る様に放した。
身体を縄で縛られた少年は勢いに成す術も無く床に倒れ、小さく呻いた。
シルバは息を吐く。なぜこんなに苛立っているのか、不思議だった。
目の前の少年が扱いにくいから。自分と全く相容れないから。
それとも……罪が無いから? 何も知らないから?
か細いすすり泣きが聴こえた。
少年は泣いてなどいない。泣き声は、縄で縛られたシーツから漏れていた。
「姫様……!?」
初めて少年がシルバの前で動揺して見せた。
彼はこれ以上ない程無我夢中で起き上がり、シーツに近寄ろうとした。
シルバはそんな彼を難なく蹴飛ばして、シーツから遠ざける。
「ナイトが弱っちいガキで助かったぜ。今は妖魔の力も断絶されてるしな」
「姫様に何をした」
「見ての通りだ。俺の国へ連れて行く。俺の国はコイツに千年以上呪われている。その呪いを解く為に、コイツを殺す。そして悪いが恐らくお前も」
「んー!」
姫がシーツの中でもがき出した。
「うるせぇな、じっとしてろよ」
姫に触れようとしたシルバの前に、少年が飛び込んで来た。
ほとんどシルバに体当たりする感じでシルバと姫の間に入り、背に姫を庇う。
「いってえ」
「乱暴しないでください」
「しねぇよ、殺しはするけど」
先生によって力の封じられている小娘なんか子猫みたいなもんだ。乱暴する間も無い。
「顔まで覆ったら息が出来ない。せめて口の縄を解いて下さい」
「おお、忘れてた」
もう叫ぼうが喚こうが、誰にも聞き咎められないところまで来ている。
色々聞いてみたい事もあるし(素直に喋るかはわからないが)、ひ弱そうだったから、ちょっとした何かが引き金になって途中で死ぬ様な事があったら困る。
それに好奇心もある。
顔を見て見たい。
先生には怒られそうだけれど……。
でも、先生の力をシルバは信じているし、敵である妖魔よりもずっと素晴らしいと盲信している。
だって、だからこうして捕らえる事が出来たんじゃねぇか。
「じゃ、拝ませてもらおっかな。言っとくが、舌を噛んだりしてみろ、お前の大事なナイトも一緒に死ぬからな」
シーツがシルバの言葉に震えた。
シルバは唇を歪め、姫の口に噛ませた縄を解く。
そして思い切って、シーツを捲った。
汚れたシーツから出て来たのは、血に濡れ固くなった金色の髪をごわごわに乱した、血みどろの少女だった。
恐怖と悲しみに青ざめた顔は長く縛られていたせいで縄の痕が赤くつき、むくんでいる。
目は腫れあがって虚ろだった。
唇は色あせ乾いている。
「姫様!! 姫様……!」
少年の声が煩い。
けれど何故だか気にならない。その位シルバはその場から遠くにいた。
彼は笑い出した。
悲しい位笑えてしょうがなかった。
胸の中で衝動が衝動とぶつかっては弾けた。
やるせなかった。
長年憎んで来た相手は、百花繚乱の姫。男を魅了する恐ろしい魔力を持つ――――。男を喰う――――。
これが!? 真っ赤なボロ雑巾じゃねえか!!
魅了? コイツはダンスも踊れない。
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなよ!!
俺の百花繚乱の主は何処だ。