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眼中花

 乱暴に担いだ小さな身体の、なんて軽い事だろう。

 シルバは木々の生い茂る庭園の中を駆けながら、思った。

 背後には、煌々と明かりを焚く宮殿がそびえ立って、彼の行く手に彼の影を濃く落としている。

 自分の影を踏み付けながら、彼は抱えているものを優しく扱ってしまわないように気をつけた。

 だから彼はむやみに飛ぶように掛けた。肩に担ぐ身体が、良く揺れる様に。乱暴にしたかった。


――――ガキだ。踊りも知らない、ガキだ。

 

 それでも、手に触れた瞬間、視線に取り込まれた瞬間、唇から小さな歯が見えた瞬間……一瞬一瞬が、彼の心を襲った。

 ダンスを踊らせたのは彼か、彼女か。


『わた、わたくしもです』


 小さな手の感触。絡めた指は、ちょっと力を籠めたら折れそうで、実際折れるのだろう。

 命を投げ打って、守りたくなる様な。

 ゾッとしてシルバは舌打ちをした。


――――早く殺さなければ。


 下調べしておいた庭園の隅にある小さな出入り口へ向かって、影に紛れて駆ける。

 肥料や土を庭園へ運び込む際、正門を汚さないように造られた庭師の出入り口だ。

 ここを抜ければ、仲間が馬車を用意している手筈だ。

 門が見えて来た。張りつめていた緊張を解く様に一つ息をして、ハッと飲み込む。

 門の壁に、何かがもたれる様にうずくまっていた。

 シルバは走る速度を緩め、注意深くそれを観察した。

 動かないので、そろそろと近寄る。

 近付けばすぐに判った、それは少年だった。

 少年はうずくまって、荒い息をしている。

 暗闇の中で、シルバの気配に気が付いたのか顔を上げた。


「だ……れ?」


 二人の視線が暗がりの中で合わさった。

 厳しく、緊迫した表情をしているシルバに、少年は小さくギクリとしたが、弱々しく助けを乞うて来た。


「すみません……肩を、貸して、ください……」

「……」

「家まで……すみません……」


 時間の無駄だ。そして、見られた。

 シルバはこの悪事の手がかりを絶対に残したくはない。

 仕方なく腰の剣を抜き、少年を殺す為に歩み寄った。

 少年は突き進んで来るシルバが助けてくれるとでも思ったのか、手を伸ばした。

 シルバはその腕を切り落とそうとして止める。

 一発で殺さなければいけない。悲鳴でも上げられたら面倒だ。

 真っ直ぐ少年の心臓目がけて刃を突き出し、一気に突き刺した。

 少年は目を見開き、声も上げれず一度だけ痙攣してぐるんと黒目を回した。

 ざわっと、風も無いのに木々が騒めいた。

 

「……ちっ」


 シルバは即座に剣を少年の身体から抜いて、血糊を振り払うと門の外へ駆け出した。

 門を抜けきった時、ぱち、と乾いた音が背後でたった。

 

「まっれ」

「!?」


――――もう一人!? 

 

 シルバは振り返り目を見開く。


「な……?」


 心臓を突き刺したはずの少年が、グラグラ揺れながら立っていたのだ。

 少年は顔を奇妙な笑顔に歪めて、酒に酔った様にフラフラしている。

 千鳥足でふらつく度に、胸から血が吹き出し地面を濡らしていた。


「れれれえれれれ……あれれ……ウフッ、うまま、あれけなぃ……れれれ……舌……レれ……」


 絶命して白目を剥いたはずの目玉の中で、黒目がグリグリ踊っている。

 思わず立ち止って見ていると、少年が足を絡めて転んだ。


「きゃふん! もぉ、いっら、ちがぁ、い・っ・た・あ・あ・い! ンフッおにさ、ん、まっれれれ」


 呂律の回らない言葉は、女の声をしている。

 

――――女だったのか……?


 しかし、血の吹き出している胸元は背の割に全く膨らんでいない。身体も少女にしてはがっしりしているし、先ほど苦しそうに喋っていた時は確かに、如何にも声変わりしたばかりといった少年の声だった。

 それにしてもゾッとしない奴だ。

 シルバは構わない事にして踵を返した。

 今頃、中々戻らない王と皇女に宮殿の中の誰かが気付いているかもしれない。

 同じく、いなくなった何処かの貴公子にも。

 再び駆け出そうとしたシルバの肩に、ポン、と何かが触れた。

 驚いて身体を構え、そろりと目だけで肩を見る。

 手が置かれていた。


「まっれっつぁ~、いっれれるぅん、アーウンウンッ! ゴボ……ゲッホ! アー……ウンッ、ま・あ・て。ウ、ウンッ……むずかし……アアアーーー!! もぉ、うっ!」

「……なんだ、テメ……」


 異様さにシルバの背に冷や汗が伝う。いつの間に近寄った?

 思い切り手を跳ね除け、飛び退って向かい合うと、少年がきゃっきゃと笑って手を叩いた。


「きゃワイイ」

「……キモい。もっかい殺してやる」

「フー……フフ、フフ・ん、? ア、こうか。……っちのセリフだよ、クぅぅぅソガ、キが」


 少年が声音と目の色を変える。辺りは暗闇だというのに、双眸がギラリと翠色に輝いた。

 禍々しく光る瞳の中に、八重咲の花が見える。

 花は輪郭だけ赤く、後は黒く光っていた。


「お前……!」


 シルバは少年から大きく飛びのいて、肩に担いだ姫を奪われないように構えた。

 少年は目をぎらつかせて一歩一歩、近づいて来る。


「アタシを、返せ」


 どす黒い声は、もうこの世の者ではない力を帯びていた。

 



 カラリと乾いた風が吹く谷間にこびり付いた国の、岩陰に隠れるように建った小さな石の城の一室に、ピシりと正座して講義をする先生と、同じくピシりと正座してそれを聞く兄と、ゴロリと横になって片腕枕をし退屈そうな自分。

 先生はとても涼やかな声を厳しく張って、教えてくれた。


『いいですか。一姫(いっき)につき一騎(いっき)、守護者がつきます。ソイツを<触手>と呼ぶ』


 先生からそれを聞いた時、幼かったシルバは『ハン』と笑った。


『自分ではナンも出来ねぇのかよ』


 兄の非難の目など気にもしないで、彼は言った。

 先生の返答は短かった。


『出来ます』

『魅了だろ?』

『軽んじられるな』


 先生はそう言って、シルバのおでこをしなやかな指で突いた。

 シルバはそうされてとても嬉しかった。だから、余計に先生を挑発する。


『先生みたいにキレー?』

『シルバーニ、静かに聞け』

『ハルス様、良いのです。シルバーニ様、魅了は見た目の力ではありません。魔性の力です』

『じゃあ、イポメアの姫、ブスかも知れないんだ』

『剣の達人が、なまくらを持つと思いますか』

 

 先生は穏やかに言って、三人の間に開いていた書物のページを捲った。

 捲られたページには、いびつにディフォルメされた男が描かれている。

 男の身体には、男に従う様に蔓草や柔軟にくねる木の枝が巻き付いている。腕から突き出した太い枝に、人間が刺さってぐったりしていた。人間を突き刺した太い枝の先には、赤色の花がたくさん咲いている。串刺し人間から零れている赤い雫型は、血なのか、はたまた花弁か……。

 先生が綺麗な爪をつー、と滑らせて隣のページを指差すと、そこには奇妙な瞳が大きく描かれていた。

 鮮やかな翠色に光る見開かれた二つの双眸の中には、輪郭だけ赤い黒薔薇が描かれている。

 

『これが<触手>となった人です。このように、触手の様に植物を使うのでそう呼びます』

『……へー』


 兄弟は自分達が向き合うものの姿に、いよいよゴクリと喉を鳴らす。


『バケモンだ、兄様』


 兄はこくんと頷くだけだった。


『普段は人の姿ですが、姫を護る為に変化します』

『……』

『元々、イポメアの皇女という身分を持って生まれて来るので大抵傍に従えるだけの存在ですが……我々にとっては厄介な相手です――――彼らは……彼は』


 元々はただの人です。


 兄弟は頷いた。彼らもまた、ただの人だった。

 だからどうしてか知りたい。どうして、自ら魔性に下るのか。

 たとえ、答えが分かろうとも。


『これは特別な魅了によるものです。特別な魅了の一つは、先日お話しましたね?』


 先生が兄に向って言ったので、シルバは面白く無い。

 ムッとして、兄を見る。兄は弟の方を見ずに、真っ直ぐ前にいる先生に答えた。


『イポメア国で刺繍靴を履いて生まれた姫は、……愛した男を<庭>へ連れて行き百年をそこで過ごした後、<庭>の花に……』

『違うね、ヤッた男を、だ』


 躊躇って言葉を選んだ兄に、シルバは茶々を入れた。


『良いですよ、ハンス様。ご自身で意味が解っているなら』


 ホッとした顔で先生に頷き、兄は厭そうに弟を見、咳払いして続ける。


『百年を<庭>で過ごし、男を<庭>の花にする。<庭>は花にされた男の出生国の利点を取り込み、イポメア国へ還元する……イポメア国は、これを極秘に行っている』

『そうです。百年から二百年にたった二人を魅了するだけですから、漏らさないのは簡単でしょう』


 シルバは「ふん」とガラスのはまっていない窓へソッポを向いた。ちょうど、瑠璃色の小さな小鳥が遊びに来てちょんちょん跳ねていたので、彼はそれを眺める事にした。


――――つまんねぇの。ヤんなきゃいいだろ、それで終いだよ。だらしねぇなぁ。


 パッと小鳥が飛び立った。羨まし気に目で追うと、否応なしに青空が見える。

 空は高く晴れ、白い大きな雲がゆるゆると青の中を泳いで行く。

 気持ち良さそうだ、とシルバは思った。 

 彼はまだ、溺れる怖さを知らない子供だった。


 ・

 ・

 ・


『では、もう一つの特別な魅了の話を――――』




  聞いていますか、シルバーニ様。シルバーニ様……。



――――うるせぇな。聞いてるよ、先生の声なら、いつだって。




 知識と記憶が、即座にシルバに答えを与えた。

 多方面から繰り出して来る樹木の枝や蔓草を、剣で薙ぎ払いながら彼は問う。


「お前、<触手>か!!」


 少年は小首を傾げてニタリと笑うと、人差し指を唇に当てた。あくまでも、幼気な少女の様な仕草を崩さない。しかし、シルバはそれをもう異様に思わなかった。

 見た目や仕草が異様なのではなく、目の前の少年は存在そのものが異様だからだ。


「アラ、そう呼ばれているの? そうヨ、()()()()リトル・フローラのナイトなの。今は未完全だから、アタシが代わりに、ね」


 そう言いながら、胸に手を当てると傷口から蔓が何本も這い出てうねった。

 蔓が不気味に伸縮している間に、少年の胸の傷が塞がって行く。

 シルバが歯ぎしりした。


「いつの間に……今夜が『初見』かと」

「ザンネンだったわねぇ。ナイトになりそびれちゃって! カワイソな、王子サマ!! でも大丈夫ヨ、正庭は空いてる! オマエなんか、要らないけど!!」

「願い下げだ!」


 シルバは少年に切りかかる。しかし少年はふわりと浮いて、彼を見降ろした。


「……百花繚乱の、主……」

「ウフ、フ、オマエ、どうしてそんなに知っているの?」

「うるせぇ! 降りて来いオカマ野郎!」

「な……! ひどぉい!」


 少年が目を吊り上げてシナを作った。

 身体の持ち主が見たら酷くショックを受けるだろうな、と、こんな時なのにシルバはそんな事を思った。

 それにしても。

 シルバは顔じゅうで笑った。

 肩に担いだ小さな姫を、挑発する様に見せびらかして、彼は剣の刃を少年に真っ直ぐ向ける。


「会いたかったぜぇ、ヨォ、ちょっくら踊ろうぜ」  


 シルバがそう言うと、少年の瞳の中で花びらが歓喜に震えて輝いた。




『<触手>なんて呼び方、彼らが可哀想だと私は思うのですよ』

『じゃあ、なんていうんだよ。呼び名が無いと面倒だろ』

『そうだねぇ……』


 先生は人差し指を眉間に当てて、ふと微笑んだ。


『<眼中花>……とか……。あ、シルバーニ様、なんで笑うんですか、良いと思うんですけどねぇ……』


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