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ダンスとケダモノ

 小さな子供に対して出す様な、低く甘い声が耳元で次の動きを教えてくれる。

 子ども扱いされているのは察したが、不思議と悪い気はしなかった。

 ダンスが全く分からないフリージアを、シルバは巧みなリードでどんどん踊らせていった。


 二歩続いて、いち、に。繰り返して、次の変調で回る。

 ホラ、回るんですよ、回って……そう! さぁ跳んで、フリージア姫様!

 

 ダンスホールがグルグル回る。煌々と揺らめく燭台の輝きが、幾つもの螺旋になって、その中でフリージアはシルバの声と手に導かれて、跳ねる。

 二人はホールの中央で目を引く踊り慣れた一対にしか見えない。

 

「うまい」


 二度目のターンで、フリージアの身体を受け止めながら、シルバが言った。

 フリージアは頬を高揚させて、白い小さな歯を唇から覗かせた。


「あ、ありがとうございます」

「次も一緒に踊りたいです」


 シルバはそう言って、フリージアの手に指を絡めた。

 大きな熱い手だった。

 こんな風に人と手を繋いだことが無いフリージアは、赤くなった。

 彼女は自分の心臓の音が、耳の中で余りに大きく響き出したので外に聴こえないか慌て、それを掻き消す為に勇気(こえ)を出す。


「わた、わたくしもです」


 シルバはやっぱり顔じゅうで笑った。

 フリージアも笑って見せた。

 笑い合える事の楽しさに、フリージアの胸はじんと幸せを感じた。

 シルバがフリージアの身をふいに回転させると、丁度ダンスの曲が終わった。

 手と手が、離れた。


「光栄です。しかし、独り占めしては恨まれますので」


 シルバはそう言って、恭しく礼をして、フリージアから離れて行ってしまった。

 フリージアは寂しく感じたが、こんな時どうすればいいか知らなかった。

 彼の後について行って、一緒に用意された飲み物や果物を楽しみたいと思ったが、躾だけはくどくど厳しく説かれていたので、それが良いのか悪いのか解らなかった。

 彼女は行動の一つ一つに、妄想のお説教をぶら下げて怯える子供だった。

 周りの立派な大人たちの中で堂々と背筋を伸ばし、これまた堂々と飲み物の順番を横入りするシルバの背を、フリージアは目で追った。

 彼は出会った瞬間からタブーを恐れていない節があり、そこにフリージアは無意識に惹きつけられる。


 ほら、横入りして睨まれたけれど、相手に笑って何か言っている。そして相手は呆れたように……けれど、ほら、なにをどうしたの? もう睨みを効かせた相手に苦笑いさせて、グラスを合わせている。


 憧れにつま先を浸していると、男達がフリージアの周りに集まって来た。

 皆、次は私とダンスを、と希った。

 フリージアは自分が全く別人になった気がする。

 ここに、人々の中央に立っている、人を惹きつける誰かに。

 

『みなさま、黒幕に囲まれて一人お食事をなさった事があって?』 

「え?」

 

 クスクス笑いと女の声が聴こえて、フリージアは驚いて声を上げたが、彼女を囲う誰もが不思議そうな顔をして「どうしましたか?」と微笑んだりしている。

 フリージアは赤くなって首を振り、俯いた。


―――― ダンスの前にも聴こえた声が、また聴こえた。それも……。


 誰にも知られたくない、自分でさえ蒸し返したくない過去を言葉に乗せて。

 姉だろうか? 

 フリージアは、親族の集まるテーブルにつまらなそうに座っている姉を見る。

 そこからダンスホールまで、あの声が届くとは思えない。


――――だれ。


 二曲目のダンス曲を、音楽家たちが奏で出した。

 気もそぞろに一番近くに差し出された手を取って、フリージアは再び踊り出す。

 目の端に、唇の片側だけ上げて笑うシルバの姿が見えた。


 あの人が見ている。

 教えて頂いた通り、踊らなくては。



 二曲目は上手く踊れなかった。

 だって知らないのだ。一曲目にまともに踊れたのは、やっぱりシルバのお蔭だった。

 フリージアは改めて、シルバに感謝した。

 三曲目には、フリージアはもう踊りたくなくなっていた。

 慣れない尖った靴が、痛かった。

 四曲目はもう、踊らなかった。

 上手く踊れない事に、心が萎んでしまっていた。

 飽きずに差し伸べて来る手を断って、フリージアは父の傍の席に座り、息を吐いた。


「疲れましたか」


 父が気遣ってくれた。

 フリージアは頷いて、手先を額に添える。


「はい、少し頭痛が」

「いかん」


 父は立ち上がり、フリージアの手を取ると、皆に何も言付けせずに広間の外へと連れて行った。

 その際、一度もそうした事が無かったのに、父はフリージアの肩を抱いた。

 フリージアは驚いたが、これも大人になったからかしら、と嬉しかった。


「部屋で少し、お休みください」


 父はそう言って、フリージアの部屋まで連れて行ってくれた。

 灯の消えたフリージアの部屋は、月明かりで薄暗かった。

 彼女が熱心に刺繍した庭園の風景が、壁一面に飾られている。

 庭園に戻った気分で、フリージアはホッと息を吐く。ナズナを思い出してしまって、胸がチクンとしたのは、無視した。

 後ろ手に扉を閉めた途端、父が肩に置いた手でフリージアの腕をなぞった。

 ぞわっとくる触り方だったので、フリージアは身体の筋を少し固めた。

 父の手は彼女の腕を楽しむと、今度は腰に伸びた。


「お父様……?」


 異様な空気をようやく察して、フリージアは父を見る。

 何故だか恐ろしい気がして、身体が動かなかった。

 王は、荒い息をしてフリージアを見ていた。


「どうしたのですか……? お父様の方も、体調がすぐれないのでは……?」


 父の目の光に怯えながら、フリージアはそれでも気遣った。

 そんな彼女に、父は喘ぐ様に囁く。


「父ではない」

「え?」

「フリージア!」

「!?」


 突然抱き着かれ、寝台の上に押し倒された。勢いでマットがたわんで、シーツが乱れてふわりと舞うのを、目を見開いて見た様な気がする。

 フリージアは何が起こったのか解らず、悲鳴も上げる事も出来なかった。

 それでも反射的にもがいた動きで、フリージアの仮面が外れた。

 フリージアの顔が露わになり、驚愕と怯えの上に月光が降り注いだ。

 王はフリージアの小さな身体を組み敷くと、愛らしくも妖艶な顔を見下ろした。

 

「やはり、仮初とは言え血縁者はお選びになりませんか、姫。ふ、ふははは、は、は……」

「お父様……?」

「そうです、父です。否! 父ではない! ああ! どうして父なんだ! 父ではない!!」

「ひっ……!」


 獣の様に声を荒げ始めた腹の上の父に、フリージアは息を飲み、身体を捩って逃げようとした。

 しかし、華奢な腕でどう押しのけられようか。まだ小枝の様な足をバタつかせたところで、どう逃げられようか。

 王はフリージアの身体に覆いかぶさり、彼女の細い首筋に頬ずりしながらブツブツとうわ言の様に呟いている。


「フリージア……フリージア。あの若造共……そなたを抱き踊るなど……許さぬ……許さぬ……私が……私が育てた!  違う、……父じゃない! ……フリージア。フリージア様……ショクシュにして頂けないのなら……!」

「や、やめてください、お父様……いやっ」

「どうか私をお供に、百年を……!! 国の糧になりましょうぞ……!!」


 胸元の空いたドレスは簡単にずり降ろされて、フリージアの真っ白な胸が露わになった。

 ようやくフリージアは泣き声交じりの悲鳴を上げたが、獣と化してしまった王の耳にも、父の耳にも、泣き叫ぶ彼女の魂の声は届かなかった。

 宮殿の皆が、フリージアの誕生日祝いの為にダンスホールへ集まっている。

 だから誰も来ない。

 この獣の檻に、誰もやって来てはくれないのだ。

 身体を貪られるおぞましい不快感で涙を溢れさせた瞳を、いっぱいに開けて、こんな時だというのに、フリージアは自分で刺繍した庭園を見渡す。

 花々が咲いている。

 木々が茂っている。

 光が射して、草むらの向こうでナズナが微笑んで――――。

 

「ナ――――」


 彼女が声を振り絞った時、誰かが吐息の様に短く笑うのが聴こえた。 


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