拒絶と誘惑
花火は絶え間なく打ちあがっていた。
仮面を取ったフリージアの顔は、美しかった。
悲しみと、無自覚な期待の含まれたその表情は裸で、だからこそナズナの目をくぎ付けにした。
魔法めいた風が起こってフリージアとナズナを包み、巻き上がって消えて行く。微かに、笑い声が木霊していた。
「ナズナ」
見て欲しい。仮面の下で、わたくしこんな顔をしていたの。
笑ったり泣いたり出来るの。あなたと同じに。
ナズナは大きく目を見開いて、フリージアを見ていた。
フリージアは、何か言ってほしかった。
けれどナズナは何も言わない。驚きに薄く開かれた唇を、動かしてはくれなかった。
それどころか、一歩後退り、顔を両手で覆ってしまった。
「わたくし……どこか変かしら……?」
フリージアは悲しくて、同じように一歩下がった。
「いいえ、どこも変ではありません。姫様、どうか宮殿へお戻り下さい……」
顔を手で覆ったまま、ナズナが絞り出した声で答えた。
そして、フリージアにとって信じられない言葉を吐き出した。
「僕、もう姫様に会いたくありません……」
「どうして!?」
「もう行って下さい!!」
悲鳴にも似たフリージアの問いに、ナズナは絶叫交じりの言葉で答えた。
「ナズナ……」
地面がグラグラ揺れた気がした。花火に照らされる庭園の花樹は眩暈の様にうねり、フリージアの華奢な身体をよろめかせた。
突然の拒絶にフリージアは喘いで息をし、震える手で仮面を着けるとナズナに背を向け駆け出した。
――――せっかく、仮面を外せたのに。ナズナに見て欲しかったのに。一緒に笑いたかったのに。
舞い上がった分だけ落ちる溝も深くて、フリージアは髪が乱れるのも構わず宮殿へ駆け戻った。
打ち上がる花火も、いつもは心を癒してくれる庭園の花々も、何も目に入らなかった。
だから、遠ざかった背後で、ナズナが崩れる様に倒れる姿には全く気付かなかった。
*
ダンスパーティは、フリージアを待っていた。
会場に集まった全員が、しずしずと現れたフリージアの姿に目を奪われた。
透けそうな程明るい金色の髪を顔の周りに輝かせ、十二歳ながら妙に色気のある白い肌が、走ったために少し色づいていた。華奢な肢体は美しい翡翠を飾った緑色のドレスに包まれて、フリージアは豊かな花畑に咲く金の花の様だった。
仮面を取れば、さぞや、といった彼女の見栄えに、兄妹たちはポカンと口を開けている。
そうとも知らず、フリージアの方も会場の皆に目を奪われていた。
父が言っていた通り、会場には様々な人種の若い男達がそれぞれの民族衣装を身に纏い集まっていた。皆、立派に背筋を伸ばして明かりの中に立っている。
しかしそれがなんだと言うのか。世間知らずでまだまだ心の幼いフリージアは、立派な青年たちを見て喜んだりしない。
フリージアが目を奪われたのは、皆が仮面を着けていた事だった。
父の横に並び、戸惑っていると
「今宵は我が姫の誕生祭へ、ようこそ」
と、父が良く通る太い声を上げた。皆が礼をした。
父は頷き皆を見渡して、フリージアを見、小さな声で言った。
「交易のある国の、貴公子たちです。姫の為に集まったのですよ」
フリージアは頷いた。貴公子たちなど、どうでも良かった。
――――いつもの仮面を着けていたら? この人たちは、ナズナの様に微笑み掛けてくれるかしら。
「今宵は珍しい趣旨をと思い、皆に仮面を着けてもらった。おもしろかろう? 各々の国で、流行らせてみてはどうか」
さざ波の様に穏やかな笑い声が、会場をゆると包んだ。
もちろん、『趣旨』などとは詭弁だ。フリージアの仮面を、皆の仮面で隠してしまう為の。
王は笑い声に微笑み、巧みに笑み崩れて見せた。
「――――と、言うのは詭弁でな。本当はこの美しいフリージア姫を皆に見せるのが惜しいのだ。親馬鹿であろう」
再度、さざ波。
「しかし、私も子離れしなければいけない。フリージア姫は十二歳だ。婚姻も考えねばならぬ」
婚姻、という言葉に、少しだけ貴公子たちに緊張が走った。
この国は大国である。フリージア姫はこの国を継がないが、この姫を手に入れれば大国の後ろ盾を得る事が出来るのだ。――――そして、彼の姫の立ち姿の、なんと優美な事か。
王は彼らの緊張を容易く見抜き、目を細める。
「姫はずっと私が箱に閉じ込めて育てた。だから、男を知らぬ。今日まで、誰とも踊らせた事も無い。客人方よ、どうか姫に手ほどきを頼めないだろうか。私に、子離れの機会をくれないだろうか」
喜んで、とばかりに温かく、熱烈な拍手が会場を満たした。
フリージアは、父の言っていた『練習』とはそういう事だったのか、と、父の言葉を聞いていた。
「ありがとう―――ありがとう。上手く姫を魅了した者には、姫から褒美を―――美しい顔を、その者にお見せするよう、打ち合わせがしてある」
再び、熱を帯びた拍手。
フリージアは俯いて、目を閉じる。
――――ナズナは、喜んでくれなかった。他の方は、こんなに嬉しそうにしてくれるのに。
もう会いたくないと叫んだナズナの声が、フリージアの心を引っ掻く。
晴れ晴れと顔を見せに行き拒絶されるなんて、なんて惨めなんだろう。
フリージアは閉じた瞼にギュッと力を入れ、開いた。瞳がギラリと光ったが、フリージアも、他の誰も、気付かなかった。
――――ナズナは庭師。わたくしは、皇女。
――――見なさい、皆、わたくしの顔を見たくて盛り上がっている。わたくしを求めている!
「音楽を」
と、王が言うと、楽曲が始まった。
貴公子たちが、フリージアの周りに集まり、うやうやしく手を差し出す。
――――ああ、でも。誰も。
分厚いローブを纏い、仮面を被ったおかしな姫を知らない。
一人ぼっちで、花樹に紛れ隠れていた、姫を。
変な気分だ。あれは本当の自分じゃないなんて思っていたのに。
誰も彼も、あの姿の自分に、手を差し出すだろうか?
頭の中がグチャグチャで、フリージアは後退りかけ、誰かの声を聞いた。
『誰でも良いのよ』
ハッとして、手直にあった手を取ろうとした時、彼女の手をパシッと素早く取った手があった。
「――――あ……っ」
驚く間もなく、引き寄せられる。
銀色の髪をした男だった。真っ赤な、炎を模った仮面をしている。彼は男、と呼ぶには少し幼かった。青年になりかけの少年で、ナズナより二、三歳上だろうか、と、フリージアは思う。大人の男だらけで緊張していたので、年が近い彼に、少しだけ安心する。
「おお、光栄でございます、ワタクシを選んでくださるとは!」
自分で強引に割り込んで引き寄せたクセに、彼はそんな事を言った。
今度こそ驚いて彼を見上げると、仮面の奥の橙色の目が笑いかけて来た。
仮面越しにも分かる野性味のある顔で、フリージアは少し怯んだ。父や優し気なナズナ以外、男を間近で見た事が無かったので、余計にだった。
お上品な貴公子たちは、不服そうな視線を彼に浴びせつつ、女はフリージア以外にもいるので、しばしその相手をする為引いて行った。
「ささ、踊りましょう、姫」
腰を抱かれて、飛び上がりそうになる。
彼は笑って、フリージアを猫の子の様にヒョイと脇から抱き上げ、くるくる回ってダンスホールの中心へと移動した。
フリージアは彼の陽気な様子が気に入った。
子供の様に声を立てて笑いそうだった。――――彼女は、『高い高い』をして貰った事がなかった。そして、子供が大人にされる遊びに憧れてもいた。
彼はフリージアの口元の緊張が解れたのを目ざとく見つけ、一礼した。
「シルバーニと申します。シルバ、とお呼びください、姫」
「……初めまして、シルバ。フリージア、です」
シルバは「良く存じ上げております」と言って、顔じゅうで笑んだ。
飾らない様子に、フリージアは安心出来た。
音楽が、ダンスの始まりの一節を奏でた。
ペアになった男女が向き合い、手を取り合う。
その中央で、フリージアは棒立ちだった。
皆が相手にお辞儀をしている時も、キョロキョロと周りを見渡していたので、シルバがお辞儀の姿勢のまま彼女を見上げ「姫、ダンスの挨拶です」と教えてくれた。
「ダンスをした事がないのです」
シルバの気安い様子に、ついついつられてフリージアは白状した。
シルバは橙色の瞳をキョトンとさせて、それからニッと顔じゅうで笑った。
「では、教えて差し上げますよ! 姫様」
フリージアはホッとして、彼に身体を預けた。
悲しみや惨めさを振り切りたいフリージアの心は、初めてのダンスにクルクル回される。
とにかく、忘れてしまいたかった。
絶対に無理だとしても。