表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

十二歳の狩人

 『鐘の日』からしばらくして、フリージアは十二歳になった。

 若草色の美しいドレスを身に付けて姿見の前に立つ彼女の隣に、厳格そうな父王の姿が並んでいる。父は恐る恐るといった様に、彼女の綺麗に結われた金色の後れ毛を指先で整え、おめでとうを言った。

 

「美しくなった。そなたの父親で良かった。若者でなくて良かった。そうでなければ、ひれ伏してしまいそうだ」

「わたくしは、美しいでしょうか。でしたらなぜ――――」


 フリージアの言葉を、父は遮った。


「二度も言わせるでない。それよりも、今宵はそなたの誕生日パーティである」

「……ありがとうございます」


 フリージアは沈んでいく気持ちを抑えて頭を下げる。

 今までの彼女の誕生日パーティは、ちっとも楽しくなかった。

 重たく分厚いローブを頭から被り、いつもよりも派手な仮面を着け、楽しそうに踊る人々の前でジッと座っている。それが彼女の誕生日パーティだった。

 子供の頃は、絵本や物語の誕生日との差にしくしく泣いたものだった。

 

 ――――でも、今年は何故だか少し違うみたい。


 ドレスだ。袖は無く、胸元も開いている。華奢ですべらかな首には、首飾り。ほんのりと先がバラ色の耳たぶには耳飾りがキラキラ揺れている。

 仮面もしなくて良いのだろうか。

 しかし、父に仮面の入った箱を差し出し出されて直ぐにフリージアは期待を捨てた。


「そなたは何故仮面を着けなくてはいけないか、解るか?」


 ――――いいえ。いいえわかりません!


「……結婚するまでは、顔を男性に見せてはいけないからです」

 

 父は「うむ」と、重く頷いた。


 ―――― でも、この国の女の子達は誰も仮面なんかしていないわ。


「皇女だけの、重いしきたりである」

「……はい」


 フリージアは泣きそうになって顔を床に向けて頷いた。

 彼女には姉妹が二人いる。けれど、姉妹の二人とも、一度も仮面を着けていなかった。

 今日初めて聞いた訳じゃない。けれど、何度告げられても、この言葉は新鮮にフリージアを傷付けて来る。

 いっそ、『お前だけ』と言ってくれればどれだけ楽か。

 涙の滲んだ瞳を隠す為に、フリージアはノロノロと仮面を箱から出して着けようとした。


「――――?」


 仮面に違和感を感じ、目を見張る。涙を忘れて、父を見た。


「陛下……お父様……」

 

 父は物問いた気なフリージアに頷いた。

 フリージアは再び仮面に視線を落とす。

 仮面はいつもの頭ごと覆う物では無く、目元だけを隠す仮面だった。忌々しい鍵穴も無い。


「着けなさい」


 言われて、フリージアは驚きと興奮に震える手で仮面を着ける。慌てて覗き込む鏡の端に、父の顔がチラリと見えたけれど、彼女はその表情を気にする暇が無かった。

 美しい瞳を完全に出す事は出来ずとも、愛らしく艶めく唇が鏡の中でフリージアに微笑んだ。

 

 ――――わたくしに表情! 表情、皆の前で……!


 鏡に見入っていると、唐突にフリージアの足元へ父が片膝を突いて頭を下げた。


「お、お父様?」

「百花繚乱の姫よ。今日までの、数々の御無礼をお許しください」

「お父様!?」

「そんなに驚かれますな、これからも父です。十二歳を迎え、大人扱いさせて頂くだけの事」

「大人扱い……」


 それでこんなにも変わるのだろうか? そんなはずがない。それとも、そうなのだろうか? 姉にも、父は膝を突いて頭を下げるのだろうか。二年後の妹にも?

 フリージアは混乱して、自分を見上げる父を見る。父は既に知っている父ではなく、まるで――まるで(しもべ)の様な、そんな顔を彼女に向けていた。それに、父は今、なんと言った? 百花繚乱の姫……? 


「さぁ、パーティへ。今宵は異国の貴公子を大勢招待しております。貴女はもう大人です。このパーティはいずれ迎える結婚の練習も兼ねております」

「結婚の練習……?」

「難しい事ではありません。気に入った若者の前で、仮面を取って見せるのです」


 父の豹変に動揺しながらも、フリージアは短い喜びの声を上げそうになった。


「仮面を……」

「そうです。しかし、お気をつけください。たった一人にです」

「でも、皆の前で取ったら皆に顔が」


 顔が。


 ――――否、どうして顔を見せたらいけないというの?


「構いません。見詰めるのです。たった一人を」

「たった一人」

「他の者の目を見てはいけません。しかし、気を張られますな……これは練習ですからな」

「あの、あの……」


 なにがなにやら解らないフリージアの前に、父は無言で手を差し出した。

 

「さぁ、ダンスホールへ」


 ――――ああ、これは父だ。有無を言わさない。でもきっと、この為に今まで父だったんだ――――


「……はい」


 フリージアは自国の王の手を取った。王は頷いて、彼女の手を引いて部屋を出る。

 柱の連なる渡り廊下を行く途中、庭園の方から、花火が上がった。

 花火は夜空に大きな音を立てながら打ち上がって行く。

 

 紫色のヴィラ。ピンク色の八重咲きアーカー。青く花びらの鋭いベカチャギャン。

 白いポンポンのククリ。煎じると麻薬になる真っ赤なポッカ。

 

 足を止めたフリージアに、王は何も言わなかった。しばらく二人は夜空に咲く庭園を眺めた。

 王はフリージア姫を見る。

 降り注ぐ色とりどりの花火の光に染まる、娘ではない美しい娘。

 高貴で、愛らしく、清廉で、可憐で、狂ってしまいそうな、美しい娘。

 自分のものではない。強くそう心で思いながら、王は魅入る。

 フリージアが溜め息を吐いた。ただそれだけで、王は片手を彼女へ近づけそうになり我に返った。


「行きましょう」

「……お父様」


 ドーン、と花火の音が、王の頭の中にまで響いた。

 見上げて来るフリージア姫の唇が動き、自分を呼んだだけで。

 王は立ち竦み、胸に下げた女神像のレプリカを握りしめる。


「なんでしょうか」

「おた、お誕生日プレゼントを下さい……」


 意を決した様に思い詰めた様子で言う、目の前の娘に、王の心臓が高鳴る。

 この娘が、自分に贈り物をねだっている。

 この高揚した気分は何だ?


 ――――この姫の願いを叶える事ができる自分。ああ……!!


 いや、解っている。しかし、私は父だったではないか!


 王の口が、勝手に動いた。

 謎の幸福感に、声が震えた。

 

「なんなりと。お望みのままに、我が姫……」

「わたくしに時間をください。半刻で良いのです。お願いします」

「……どういう事です?」

「その……幸せに胸がつかえて……庭園の空気を吸いたいのです」 


 意外な願いに、王は戸惑った。


「しかし、姫が来なければ宴が始まらない」


 そっと、白い手が王の手に触れた。

 雷に撃たれた様に、王の心臓が跳ね上がった。

 育てるのは、(おんな)でなくてはならなかった、と、王は深く後悔した。

 しかし、王妃はこの日を恐れて姫から遠ざかった。

 姫は見上げて来る。自分を、見ている。それだけ、それだけで。


「……お願いします。お願い」

「半刻ですぞ……」


 姫の顔に喜びがパッと花の様に咲いたのを、王は目をつぶって見ないように努めた。

 固い約束の言葉を述べて姫が走り去っていくと、王は渡り廊下の床に膝を突き、顔を両手で覆った。


「――――狩られそうになった……」


 呻く王の薄い唇が、歪んでいた。笑んでいたのだ。



 ナズナ、ナズナ、と、彼の名を心で呼びながら、フリージアは庭園へ駆けた。

 あの花火を観て、きっと喜んでいるハズだ。だって、わたくしたちの庭園の花ばかり!

 花火職人が、フリージアの庭園好きを知ってこしらえた花火。ナズナは観ているに違いない。

 フリージアはナズナと一緒に見上げたいと思った。

 そして、見て貰うのだ。

 自分の姿を。

 

 ――――お父様は『たった一人に』と、仰っていらした。


 たった一人。 

 だったら、ナズナだ。

 彼に顔を見せたい。笑顔を見せたい。


 フリージアは花火に照らされる庭園で、ナズナを探した。

 ナズナは直ぐに見つかった。

 人気の無い一角の、大きな果樹の上にいた。


「ナズナ」


 呼ぶと、ナズナは直ぐにこちらを向いて目を見張り、首を傾げた。


「誰……ですか?」

「あの、あの……フリージア……で、す」

「姫様!?」


 驚いて木から飛び降りて来たナズナに、フリージアは微笑んだ。

 ナズナはフリージアの姿を見て、少し呆然とした後厳しい顔をした。

 フリージアの胸がざわついた。――――想像と、違う。


 微笑んでくれるかと――――。


「どうして? お誕生日のパーティじゃないのですか?」

「す、少しだけ時間をもらったの。花火を、見たくて。それで……み、見て下さい。ドレスを着ているの」


 ドレスの裾を摘まんで広げて見せた。

 けれどもナズナは首を振る。


「は、花火なら宮殿から見えるじゃないですか!? 駄目です、こんなところにいたら」

「ナ、ナズナと……」

「姫様は、ダンスホールで踊るんです」

「ナズナと……」

「僕といても、土の上でしか踊れませんよ。さぁ、誰か呼びましょう」

「いや……いや。待ってナズナ」


 スタスタと行ってしまうナズナの腕を、フリージアが掴んだ。


「仮面を、今夜は取っていいんですって。顔を……」

「姫様……」

「わたくしの顔を見て……」


 庭園に来なければ良かった、と、フリージアは心の中を悲しみでいっぱいにして思った。

 お父様は「大人に」と仰ったのに。

 もう十二歳なのに。

 子供みたいに、花火に浮かれて。ナズナを困らせて。

 すぐに戻ろう。

 でも、わたくしの顔を、知って欲しい。

 目をいっぱいに広げているナズナの前で、フリージアは仮面に手を取った。

 初めて、父や召使い以外に顔を見せるのは、少し恥ずかしい。

 けれど。

 

 仮面が外れた。

 フリージアは、そっと瞳を上げる。

 碧く虹色に揺らめくオパールの瞳を。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ