花開く疑惑
フリージアは、シルバの国ルベンスへ到着するとすぐさま細い鎖で腕を縛られた。
何処かもわからないまま、大きな建物の隅で荷馬車から降ろされ、血の色をした液体を小さじ分飲まされた。その液体を飲み込んだ時に、フリージアはなんとなく覚悟を決めた。
もう、死ぬのだ、と。
フリージアは頭に布を被せられ布で猿轡をされた。犬の様に鎖の垂れた首輪も着けられた。
ナズナも同じように液体を飲まされ、猿轡と目隠しをされると、カマドゥに鎖を引かれ抵抗しながらも歩き出した。
フリージアはシルバに引きずられながら、薄暗い建物の中へ入り、下へ降りる階段を降りていった。
長い降り階段が終わると、重苦しく暗い道が続いた。唯一視界に入る地面は、十歩ほどでむき出しの土になった。
地下牢にでも入れられるのだろうと思っていたが、進むにつれて徐々に前方が明るくなっていき、空気の重くない場所に出た。
シルバが歩みを止め、誰かに声を掛けた。
「兄上、捕えて来たぜ」
「……うん。ありがとう」
返事をする声は、なんとなく儚げな男の声だった。
「その娘が、百花繚乱の姫?」
声と足音が近づいて来る。
布を被せられ足元しか見れないフリージアの視界に、男の靴のつま先が見えた。
「まだ子供じゃないか」
声の主はそう言って、フリージアに掛けられた布を捲ろうとした。
シルバが止める声がする。
「おい、止めとけ」
「どうして?」
「どうしてって……妖だから」
「薬は飲ませたんだろう?」
シルバの台詞を無視して、フリージアの布が捲られた。
覗き込んで来た男を見ると、シルバとそっくりな顔をしている。
しかし、穏やかで優し気な佇まいや表情が全くの別人だった。瞳の色も違う。
「成程、美しい姫だ。でもまだ幼いな」
「子供だろうと女の化け物だ。もう触手を作ってやがった。オイ、なにボサッと突っ立てンだ? ルベンス国の国王だぞ。頭が高い」
無理矢理頭を下げさせようと、シルバがフリージアの頭に手を伸ばした。
それを国王だと言われた男が止め、意外な事を言った。
「止めろ。この姫は、これから私かお前の妃になるのだから」
ふわりと布が降りて来て、また視界を覆った。
フリージアは聞き間違いだと思って、固まって地面を凝視していた。
その場にいる誰もが彼の言葉を信じられないのか、誰も口を開かない。
わかっていた事なのだろうか、国王の少し愉快そうな声がする。
「さて……どちらが娶ろうか? 恨みっこなしだよ」
「なに言ってるんだ……? そんな事許す筈ない……先生はどこだ?」
いよいよ驚きと戸惑いを声に乗せ、シルバが周りを見渡しているのが気配で判った。
微かにチャポンと水音がした。
「これで、大人しくしてもらっている」
シルバの息を飲む音が聴こえた。
「それは……それはコイツを大人しくさせる為に先生が作った薬だろ!? どうして兄上が先生に使うんだ!? 一体どういう事だ!?」
「私が『先生』の教えを鵜呑みにしていなかったという事だよ」
「!?」
シルバが絶句している間に、そよ風が吹いた。すると、木の葉がさざめく音がした。
のどかな小鳥のさえずりも聴こえてくる。
フリージアは、この場所は地下ではないのかしら、と場にそぐわない事を思った。
「幼いころに、私はお前と迷子になった事があるんだ。お前がふらふら何処かへ行っちゃってね。城の脇にある森の、大きな木の根っこの中から出て来たんだよ。お前は妖精がおいでおいでをしたなんて言ってた」
「知らねぇ、そんなの……」
「凄く小さかったから……木の根っこの中を覗くと、洞窟になっていた。僕は君に誘われて、潜り込んだんだ。……何もない空間があった。その日はお前を連れてそのまま帰った。それからしばらくして、私はまたそこへ行ったんだ。父上と母上の葬儀の後だった」
舌打ちが聴こえた。溜め息と、唸り声も。
「……あの日の事は覚えている。兄上がいなくなって大騒ぎになったんだ……」
「すまなかったね。私は責任に押し潰されて、逃げたんだ。お前の方がよっぽど王に相応しいよ。――――いい隠れ場所を見つけていた私は、明かりを持って木の根っこに潜った。明かりが壁を照らした――――そこには壁画が描かれていた」
「……」
「植物に祝福され、花を身に纏う女神が描かれていた。腹の位置に、一輪の花が咲く子宮も描かれていた。そして、その足元には死神の様な女が蔓薔薇に包って眠っていた――――私はずっと思っていた――――この姫こそ」
フリージアにかけられていた布がまた持ち上がった。
シルバにそっくりでいて全く違うその人が、フリージアに微笑み掛ける。どこかうっとりとして、敬うように彼は熱く囁いた。
「本当の守護者だ」
彼の背後に、巨木が見える。巨木は空を目指し高く伸びていた。空が見えるという事は、ここは地下ではないのだろうか、と場違いな事をフリージアは頭の片隅で思った。
フリージアは、シルバと目の前で微笑む男が持つ、自分への考えや思いなど、とても受け止めきれない。
「俺を騙してたのか!?」
シルバが怒鳴って、国王の腕を掴んだ。
「騙しているのは私じゃない、先生――――マソーニャ・ローザの方だ。あれは私達を手懐け、こうしていよいよヘリアンサスを手に入れようとしている」
「そうだ!! ぶっ殺すんだよ!! コイツを!!」
シルバが大声を上げ、フリージアに腕を伸ばした。
すかさず国王が楯になり、弟を押さえ付ける。
「なんでだよ!?」
「ヘリアンサスを殺してマソーニャの封を解いてはいけない。かつて国中の植物が病気になったのはあれのせいだ。ヘリアンサスが、封じているんだ!!」
「ふざけんな! なんで先生を信じないんだ!! 兄上は良い生徒だって褒められてたじゃねぇか!!」
男二人の揉み合いに、フリージアはおろおろとして後退った。
そんな彼女を押しのけて、カマドゥが揉み合う二人の間に入った。彼はシルバの身体を抑え付け、宥めた。
「ハンス様もシルバーニ様も、落ち着いてください、どうか……」
「放せ! カマドゥ!!」
「カマドゥ、シルバーニを別室へ連れて行ってくれ。頭が冷えるまで、部屋から出さないように」
国王が服を正しそう言うと、カマドゥが迷いを見せた。
「先ほどのお話は信じて良いものなのでしょうか」
「マソーニャの方が信じられるのか? しかし、この国の王は私だ。私の判断に従えカマドゥ」
「……はい」
カマドゥの返事に頷いて、国王がフリージアの前で片膝をついた。
「百花繚乱の姫、手荒い出迎えになり大変申し訳ない。正式に花嫁としてお迎えしたかったのですが、しかし、私の国には貴女の国へもたらす恩恵が無い。イポメアの王は、貴女をこの国へ嫁がせる事を許さなかった事でしょう。そして、この国に憑りつく魔女の監視もあった。この方法しかなかったのです……」
「悪夢かよ! 先生は何処だ!!」
呼び出された召使いたちに、連れて行かれるシルバの喚き声が、国王の長いセリフを所々遮った。
フリージアもシルバと同じ意見だった。
今後自分がどうなるのか、また、さっぱり分からなくなってしまったのだから。