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それぞれに偽り重ねて

 医者は日の沈む前にやって来た。

 若い夕日の中を二人乗りの馬車に揺られてやって来た医者は、枯れ木を思わせる老爺だった。

 彼は頑丈な皮の大きなカバンを大切そうに抱えながら、フリージアの寝かされている部屋へやって来ると、早速フリージアのベッドの傍に立った。シルバが座っていた椅子から立ち上がって勧めたけれど、老医者は断ってフリージアのベッドに腰かけた。

 カサカサした手がフリージアの額に触れる。

 熱いねぇ、辛いねえ、と、優しい声が老人特有の身体の揺れに合わせて揺れて聴こえた。


「名前を言えますかな」

「ヘリアンサスだ」


 フリージアが唇を動かすより先に、シルバが割り込んで答えた。


「お嬢様に答えてもらわなくては」

「判ればいいだろう。意識が朦朧としているんだ」

「自分の名前を答えられるかどうかも、診察なんですよ」

「……」


 言われて、シルバは唇を真一文字にしてフリージアを見る。

 フリージアは彼の強い眼差しを受けて、小さな声で「ヘリアンサスです」と、答えるしか無かった。

 医者は彼女に頷いて、慣れた手つきで手首の脈を計る。そうしながら、シルバに聞いた。


「どのくらいの間、熱を出してますかな」

「三日前からだ」

「急にですか? 徐々に?」

「……わからない。多分急にだ」

「たぶん?」


 シルバの答えに、医者が外面だけのほほんと返した。


「妹はムリする性質(タチ)なんだ。気付かなかった」


 ふぅん、と医者は生返事して、フリージアの瞼を捲る。


「あなた方はご兄弟?」

「そうだ」


 シルバがピシャリと答えた。

 医者はそれに微かに頷いただけで、何も言わずに診察を続ける。


「私を真っ直ぐ見れますかな」


 そう言って瞳を覗き込んで来る老いた医者の目玉は、少し白く濁っている。

 フリージアは尋ねられた事に頷いた。

 医者は目元を緩ませて、今度は人差し指をフリージアの顔の前で立てた。


「この指は? 何本?」

「一本……」

「うん。しっかりしてらっしゃるね。口を開けて。……。はい……もう良いですよ」


 フリージアの喉を覗き込んだ医者が、シルバへ振り返った。


「落馬か何かしましたか」

「いや?」


 医者は瞬きをして、再び何も言わずにフリージアに屈みこむ。

 青草の匂いがフリージアの鼻をくすぐった。その為、なんとなくナズナと同じ雰囲気があるような気がして、フリージアはこの老人に好感を抱いた。

 首筋や腹部の張りを触診して、最後にフリージアの小枝の様な足首をクルリと回すと、医者は一息吐いて、シルバの勧めた椅子にようやく腰を下ろした。


「どうだ?」

「熱さましの薬をお出ししましょう」

「悪い病気じゃないか? 人に感染(うつ)るような」

「そういう症状はないなぁ。けれど悪いと言えば悪い。熱が出ているのだから」


 そう言って、医者はフリージアの汗に湿った額を指で撫でた。

 血と汚れで固まって房になった前髪が、頭皮の何処かを引っ張って横に流れた。

 医者はそっとそれを摘み、指先でほごした。指先に付いた汚れをしげしげ見た後、唐突に尋ねる。


「この方は、貴方と同じ銀髪?」

「いや、金色だ……淡い」


 いよいよ訝し気な声でシルバが答える。部屋の空気が徐々に重たくなったが、フリージアにはそれがどうしてだか分からなかった。

 ただ、『怒らせないで』とだけ、願った。


「きっとお美しいね」


 医者は部屋の空気の重さに気付かないのか、気にならないのか、ポツンとそう言って鞄を漁る。

 ベッドの空いているスペースに布を広げ、粉にした薬草と、小枝を並べ始めた。


「粉は水に溶かして朝昼晩。一回ずつ分けておきましょう。こっちの小枝は煮ます。カップ二杯分の水で一枝、一刻。一日一回……夜眠る前がお勧めです。今すぐにでも」

「わかった」


 シルバは短く答えて、家主のおかみを呼ぶと、枝を二枝渡して二回分の分量を指示した。

 おかみが愛想よく頷くより早く、医者が直ぐに訂正した。


「違います。一枝……」

「あんたも飲め」


 ボロい木床がギシ、と音を立てた。シルバが体重を片方に乗せたのだ。ただそれだけの音だった。しかし、その時はその音しか無かった。

 フリージアの耳に、医者が「ふ、」と息で笑うのが聴こえた。その息の奥になんとなく牙がある様な、そんな感じを受けて彼女は身体を少し緊張させる。


「坊ちゃん、わたしは熱を出してないよ」

「滋養にも良さそうじゃないか。飲んどけよ、俺のオゴリだ」


 長生きしてくれよ、と、シルバが喉でゴロゴロと言った。


「はてさて、困った。オゴリなら酒がいいのにねぇ……」


 そう言って、医者は笑ってフリージアを見る。

 二人のやりとりを眺めていたフリージアは、老人の濁っても尚キラキラ光る瞳からそっと目を逸らす。

 なんとなくこれ以上自分を見られてはいけない気がして来たのだ。シルバがピリピリし始めたから。



 枝の薬が煮えると、シルバは粉薬も薬湯に混ぜ込んで、医者に手渡した。


「勿体無い。勿体無い。この薬が手に入らなくて苦しむ子供がたくさんいるのに……」


 医者はしみじみそう言って、薬湯をグイッと飲み干した。


「だったら無償で配りゃ良いだろ」


 シルバは腕組みをして、ジッと老いた医者を観察している。

 彼はここでフリージアに何かあったら困るのだ。結びつけるのが難しい悪意すら警戒する程に。

 絶対に彼は連れて行きたいところへ自分を連れて行くのだ。と、フリージアは改めて彼から身動きできない事を自覚する。

 シルバはフリージアを解放するどんな些細な機会も丁寧に潰す。例え、それが死でも。

 医者は彼の様子に怒るでもなく、肩をすくめるだけだった。


「何も起きやしないさ。お嬢さまに飲ませれば、熱がマシになるけれどねぇ」

「ふん」


 シルバはようやく納得したのか、フリージアの身体を支え起こしながら、薬湯の入った器を手に取ると、彼女の唇に当てる。フリージアは流し込まれるままにそれを飲み込んだ。喉が洗われる様な清涼感が、とろりと胃に落ち、熱いものに変わった。


――――お薬が効きますように。何事も無く、シルバーニ様が私を国へ連れて行き、わたくし以外の誰の身にも何事も無く、何もかもが終わります様に。


 医者は二人を眺めていたが、ため息交じりに呟いた。


「何を警戒されたのかな……私はこれから美しくなる人を殺したりしないよ」

「悪ぃが、あんたは普段掛からぬ医者だ、旅先のな」

「ここまでするだろうか」


 す、とシルバを取り巻く空気から温度が下がった気がして、彼の腕に抱えられているフリージアはゾクリとした。

 ベッド脇のサイドテーブルに、薬湯の器をドンと音を立てて置くシルバの身体の動きに揺さぶられながら、フリージアは彼の腕の中で固まって、シーツの皺に視線を集中させた。絶対にシルバの顔を見たくなかった。


「妹に変なモン飲ませられねぇだろ? ジイさんこそ、突っかかるじゃねぇか。あーあ、いっそ腹割れよ」


 シルバは余裕だ。彼は年老いた医者を出し抜く自信があるのだろうか。

 そうじゃない、と、フリージアは思う。

 彼には腕力がある。どちらが強いかなんて、小枝の様な老人と、燃える様に若々しいシルバを見比べるまでも無い。

 フリージアは心の中で祈る。


―――お願い。もうこの人になにも聞かないで下さい……。


「では……どこのお嬢様ですかな、そのお方は」


 医者はこの時を待っていたとばかりに、ゆるりとした表情の中で、濁った目だけをピカリと光らせて小さな声で切り込んで来た。

 シルバはフリージアの頭を引き寄せ、彼女の顔の横に自分の顔を並べると小さな笑い声を立てた。


「俺のお妹様だ」

「あなた方はちっとも似ていないよ」

「母親が違うのさ」

「血が違うと言うんだね。じゃあこのお嬢様が頭にかぶった血は誰の血だろう」

「血じゃない」

「苦しいなぁ、私は医者ですよ。手首に縛り傷があるし、口腔内も深く切れてる。どうしてですかな」


 フリージアの背に回していたシルバの腕の力が、ふ、と抜けた。

 シルバはフリージアを雑に寝かすと、医者に身体の正面を向けてベッドの端に座った。

 ちょうど医者からフリージアが見えなくなる位置だ。

 彼は頭を片手で掻き毟って、深く溜め息を吐く。


「なんていうかな、俺もバレバレなのは分かっているんだが、見逃してくれねぇかな」

「何処かから攫って来たのではと思ったですがね、あなたみたいな血気盛んそうな坊ちゃんは、やりかねんですから」

「なんだと、無礼者」


 実際フリージアを攫って来たクセに、シルバは「俺はそんな事しない」とばかりに憤慨して見せた。

 それから、彼はほとほと疲れ切ったという声を出す。


「逆だ。この通り美人だろ? 誘拐されたのをようやく取り戻した帰りなのさ。……大暴れしてな」

「へぇ……」

「だから無事に安全圏へ帰るまで気を抜けないってワケだ。どこで、どんな形で仕返しの種があるかわかんねぇからな。ジイさんも巻き込まれたく無けりゃこれ以上詮索するな」


 それから、シルバは「ジニー、アル、ハンナ」と、囁いた。


「これから勉強して、偉くなるんだってさ……」

「……」



「巻き込まれたくなけりゃ……」シルバがもう一度繰り返すのを聞きながら、フリージアは目を閉じる。薬の作用だろうか、気疲れだろうか、とても眠たくなって意識が保てない。それとも、これは弱くて狡い逃避だろうか。


――――もうやめて。



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