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悪趣味な物語の、思いがけない善良な意思

 幌馬車は朝昼晩を四回繰り返して、前進していた。

 フリージアは三日目の昼頃から熱を出し、くたりと床に寝そべっていた。

 彼女の容態は重く、ナズナとシルバが、彼女を何処かで休ませるか否かで何度目かの言い争いをしているのも、段々聴こえなくなって来ていた。

 彼女は朦朧としながらも、御者台の向こうに抜ける様な青空を眺めた。そこに、救いがある様な気がして。

 馬車の揺れに合わせて閃く白い光に時折目を細め、じわじわと際限なく重くなっていく身体の辛さを忘れようと空の青さに心を馳せる。

 本当は自分もあんな風にどこまでも青く、明るく、軽やかなのだと錯覚したかった。

 床が揺れて、ナズナがシルバに組み敷かれたのが視界の端に見えた。

 


 ―――もう止めて。


 こんなにも苦しいのに。

 ナズナは、もうシルバに歯向かわないで欲しい。

 わたくしはこの人の怒った声や顔がとても怖い……。

 そして何より、ナズナに傷ついて欲しくない。

 わたくしには力が無くて、助ける事が出来ないから。


「しつっけぇなぁ!!」


 聴き慣れるには(おぞ)ましい、拳で人の肉を打つ音が、朦朧とした意識の膜を一つ張った向こうで聴こえた。

 息を荒げ、咳込みながらも淀みのない声で訴えるナズナの声がする。 


「医者に診せてください」

「大袈裟だ。もうすぐ俺の国だし」

「国に着く前に亡くなったら? 本望ではないでしょう?」

「医者に診せてる間に死んだら? 足止めを喰ってる暇なんかねぇよ!」


 帰国を急いているシルバの声は、厳しい。

 どうせ殺すフリージアの容態など、自分にはどうでもいいとばかりの口ぶりだ。

 フリージアはそれでいい、と思った。

 気持ちが滅入り過ぎて、自分の事など何もかもどうでも良かった。

 このままシルバの国へ連れて行かれ、さっさと命を絶って欲しいとまで思っていた。

 シルバの話が本当なら、自分は生きていてはいけないのだろうと、思う。

 自分のせいで父王の様に壊れてしまう人間が再び現れるのだと思うと、恐ろしい。


 彼女は陰気な気分に飲み込まれて、ふぅ、と重たい息を吐いた。

 ナズナとシルバはまだ言い合っている。

 ナズナの涙声が、幌馬車内で虚しく響いた。


「お願いします……」

「黙れ」


 シルバが唸る様に言った後に、ゴツン、と音がした。


「お願いします」


 ゴツン。

 重たい音が、ナズナの声と一緒に聴こえて来る。


「お願いします」


 ゴツン、ゴツン。

 音の不穏さに、フリージアは思わず耳をそばだてる。 


「やめろ」

「お願いします……」

 

 ゴツン、ゴツン、ゴツン。


―――ナズナ……?

 

 一体何をしているのだろう。フリージアが重たい頭を動かそうとした時、御者台の方から声がした。


「シルバーニ様、近くに村がありますので、そこへ向かいます」

「はあ? いらん。真っ直ぐ進め」

「我らがルベンスの領土内です」

「そうだ。もうすぐそこに領土だ!! だから、真っ直ぐ進め!!」

 

 シルバの怒鳴り声と、固い靴底が思い切り床を踏む音が響いた。

 御者台からの声は、それに全く臆せず、淡々とした様子で返って来た。


「領土と言っても、城にはあと数日掛かります」


 そして、毅然として続けた。


「村へ行きます」 

「なんでだカマドゥ」

「その娘の熱の得体が知れないからです。御身に感染するかも知れない」

「ただの弱っちい疲労だ」

「言い切れません」

「ふざけんなよカマドゥ!」


 ドタドタと足音が御者台の方へ向かい、馬車の車輪が軋みながら止まった。

 揺れに気分が悪くなり、フリージアは固く目を閉じる。


「俺の命令に背くのか!?」

「シルバーニ様をお守りするのが私の役目です」


 シルバと御者の、会話が遠い。でもどうでも良い。

 少しの間を置いて、気配を感じ目を開けると、ナズナが彼女を心配そうに見下ろしていた。

 誕生祭の夜、拒否をされてから目を合わすのは初めてだった。

 

 彼はあの時、なんて言った?

 もう、私とは会いたくないと……それなのに。


―――縛り付けてしまった。


 今までのシルバとの争いで、顔じゅうが腫れ、穏やかな鳶色の瞳と瞳の間に、血が垂れている。


「ナ、ズ、ナ」


―――血が。


「シ、姫様……安静になさって下さい。喋らないで……」


 優しい声に、涙が瞳を覆った。

 ナズナが歪む。わたくしが歪ませた。わたくしが。

 もっと歪んでいるのは、わたくしの顔。見ないで。

 でも、言わなくては。

 もっともっと早くに、言わなければいけなかった事。


「ごめ、な、さ」

「泣かないで下さい……縛られているので、お拭きできません」

「おい、俺の目を盗んでコソコソ話すんじゃねえ!」


 御者台からシルバが怒鳴った。

 ナズナはそれを無視し、フリージアに悲し気に微笑むと、彼女からそっと離れ反対側の布壁にもたれて座った。

 

 ラッ! と、馬を急き立てる声がして、幌馬車がまた動き出す。

 暫くしてから御者台からシルバがノシノシ不機嫌そうに戻って来た。


「……村へ行ってコイツが変な病気じゃねぇか診る」

「! ……ありがとうございます!」

「オメーらの為じゃねぇ。国に変な病原菌持ち込めねぇからだ……」


 押し殺した様な、シルバの声が聴こえる。きっと、歯を喰いしばっているに違いない。

 そのセリフが終わるか終わらないかの間に、今度は御者台の方へ「ありがとうございます!!」と大きな声でナズナが言うのが聴こえた。


「お前なぁ!」

「なんですか。ありがとうございます」


 ナズナの嬉しそうな声に、フリージアはなんとも言えない気持ちで目を閉じる。

 苦しみが長引く様な気がして。そして、長引かせなければいけない気がして。

   


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