回り始めた歯車Ⅱ
[海の守護神]ベルバド・ガルガドスが統治する海域に最も近い王国、レグルス王国の王室では、国王のレイフースが自慢の剥製を撫でていた。
まもなくして、レグルス王国の三大獅子と呼ばれる猛者が、王室の扉を開け、レイフースの前に姿をあらわした。
「おお!皆、よくきてくれた。待っておったぞ。」
レイフースが真っ先に言葉を発するが、集まった三人の猛者たちは、国王の面前ですら屈服する態度は一切取らない。ましてや、三人の猛者の内の一人、レグルス王国最強の騎士ガウデスは、普段と変わらぬ態度で言葉を吐いた。
「ふん。久しぶりの仕事だからな、いちいちあんたの顔なんて見たくもねぇけど、今回は派手になりそうなんでね。まぁ、それより。あんた、その悪趣味な剥製を早く捨てろよ。」
「ガウデスよ。お主は誰に対してもその態度は崩さないのだな。それもよかろう。お主らの腕前はよく知っているからな。国王に対するその態度も許すとしよう。それとな。この剥製は私の宝物なのだ。あれは、まだ私が若かった頃の話だ、人魚の娘をたぶらかして、この国へ連れてきた。この人魚の娘は私に惚れ込んでおったよ。人魚の足を捨てて人間になったほどだ。でも、馬鹿な娘だったわ。全て嘘だったのにな。精神がいかれるほど陵辱し、拷問し、人魚族の情報を全て吐かせた。そのあとは、私自らの手で殺して。今もこうして剥製にしているのだ、故に、私の宝物なのだよ。」
「最低なやろうだな。国王として失格だろう。」
「ふははは!ガウデスよ。それは褒め言葉として受け取っておくとしよう。」
レイフースは思い出していた。若かりし頃、偶然海辺で見かけた人魚の娘のことを。その娘はとてつもなく美しかった。けれど、他種族に恋心を抱くことはなかった。それよりも自分の野心のためにこの娘を利用できるのではないかと。最初は怖がっていたが、毎日アプローチをかけ続けるたびに、人魚の娘はレイフースに心を開いていった。しかし、その間レイフースが嘔吐がでるほど嫌悪な日々をすごしていたとも知らずに。いつしか人魚の娘はレイフースに愛情を抱くようになった。その愛にレイフースは自身の心を嘘で塗り固めて接した。
そして、時が満ちたとき、人魚の娘は自分の足を捨てて、人間になれるという秘薬を飲んでレイフースの国へきた。しかし、それが人間へとなった人魚の娘の哀れな運命だったのだろう。絶望の淵に死の道を歩いたのだった。
後に、レイフースは長い時を費やし準備を整えてきていた、あの哀れな娘から聞いた情報をもとに人魚を捕獲するための手段を。
「レグルスの騎士ガウデス、レグルスの魔道士エリーゼ、レグルスの爪サルフォンよ。私は長い時を待った。そして、その時が来た。これより、世界の全てを支配する。その一歩として、人魚族の支配だ。エリーゼ!魔道部隊は準備できているか?」
「ええ、勿論。ぬかりはなくてよ。」 エリーゼが淡々と答える。
「でもよーあんた、世界支配するって。そろそろ寿命じゃね?」 ガウデスが笑いながら口を挟む。
「ふははは!だから、一番先に人魚族の支配なのだ。私の知るところによると、海の守護神と呼ばれる男が不老不死の秘薬を持っているのだ。」
「ふーん、で、そいつは強いのか?」 ガウデスが興味本位で尋ねる。
「強いかどうかは知らぬ。だが、海の守護神と呼ばれる奴だ。それなりの力はあると思うがの。戦いたければガウデスに任せる。だが、殺すな。」
「へいへい、分かりましたよ。」
「それと、ガウデス、エリーゼ、サルフォン!なるべく人魚族を殺すな。生け捕りにしろ。もしやむなく殺す場合は外傷を出来るだけ付けるな。生け捕りなら、奴隷市場では初の人魚族の出品なのだ。さすれば金も予想以上にあつまるだろ。まぁ、やむをえなく殺したとしても人魚族だからな。物珍しさに買い取る輩もいるだろうが、殺すでないぞ。分かったな!部下にも、レグルス国の軍全員に伝えろ!」
「へいへい。了解ですよ。ひとつ聞きたいんだが。女の人魚捕まえたら味見してもいいんだよな?」 ガウデスがニヤニヤしながら質問をする。
「構わんよ。ただ、先程も言ったとおり。傷はつけるなよ!」
ガウデスの質問を最後に、レグルス王国三大獅子は王室をあとにした。
*****
「くそがっ!」
怒声と石造りの壁を殴打する音が、冷えた廊下に響き渡る。レグルス王国戦士、レグルスの爪たるサルフォンは憤慨していた。
(あの、クソ国王の野心がいらつく。趣味の悪い剥製を見るのもイライラする。ガウデスの下婢た笑い声も耳障りだ!エリーゼも一見聡明に見えるが、ただの脳なしか!)
サルフォンはどうしてもこのレグルス王国という、野望に満ち満ちた空気と、野獣くさい騎士どもの連中と、ゴミのような魔道士が発する澱んだオーラが好きになれなかった。
もとより、サルフォンは各国を転々とする傭兵だった。しかし、何故彼がレグルス王国の戦士として正規軍に参入しているかといえば、それは簡単な理由だった。彼には妻子が存在する。ただそれだけだった。傭兵として稼ぐより、この国で正規軍に参入した方が稼ぎが良かったからである。
剣術の腕に自身があったサルフォンは、今までの傭兵としての功績と、レグルス国に来てからの武勲の数々により、レグルス王国三大獅子の座まで上り詰めるのには、さほど時間を要さなかった。
しかし、サルフォンはとにかくこの国の在り方が嫌いだった。
サルフォンは自宅に帰宅するまで、今日の王室でのことが忘れられず、一日中鬱憤が溜まっていた。しかし、愛する妻子の笑顔を見たら、今までの鬱憤もどこかに消えてしまっていた。
「父さんお帰り!僕ね今日、剣術の先生に褒められたんだよ。だからさ、よかったら今度僕に稽古つけてよ。きっと父さんも驚くよ!」
「そうか!じゃあ、次の休みの時にどれくらい上達したか、きっちり見せてもらうからな。」
「ほんと!楽しみだなー。父さんに稽古つけてもらうの久しぶりだから。」
息子とのちょっとした会話もサルフォンにとってはかけがえのない、大切な時間だった。
「あなた、お帰りなさい!夕飯の支度できてますよ。」
「ああ、ありがとう。早速いただくよ。」
(家族と過ごす時間。これをおれは守らなきゃいけないんだな)
サルフォンは家族の大切さをしみじみと考えた。
サルフォンにとって、愛する妻と、かけがえのない息子の存在は大きかった。それは、サルフォンが自身の親を知らないことが大きな理由だった。
彼が物心ついた時には、剣は身近なもので、生きるために必要なのだと感じていた。また、彼には剣術の才能があった。そして、13歳の頃には傭兵として成り立っていた。
サルフォンは戦いの中に身を置くような生き方しかしてこなかった。そのためか、彼はいつしか家族をもつことが夢となっていた。もちろん傭兵としはそんな夢を持つのは珍しいことだった。けれど、心のどこかで寂しかったのだろうと、素直に認めていた。そして、夢は叶った。家族がいるということの幸せを、サルフォンは噛み締めていた。
(家族がいるって、ほんと幸せなことだ。ちっ、今度の仕事、やっぱり剣を抜きたくねぇな。おれは、今の生活で十分だし、それに、今回は、長年の傭兵経験で培った勘が。今は王国戦士だけれど。嫌な、とても嫌な予感がする)
サルフォンはどことなく、近いうちに行われるであろう人魚捕獲、及び支配という侵略で、自分にも、家族にも危険がおよびそうな気がしてならなかった。王宮にいたときは憤慨していたから何も考えられないでいたが、今冷静になり考えてみると。漠然とした自身の勘による危機感というのも鬱憤の一要因になっていたのかもしれないと思った。
けれど、家族を養うという義務と責任が、サルフォンを奮い立たせた。
(やはり、この仕事をきっちりとこなそう、早々に終わらせて。)
しかし、この考えが大きな間違いだったことを。サルフォンに教えてくれる者はいない。
*==*==*==*==*
「海が騒いでいるよのー。不吉な事が起こるのかもしれぬよなー」
人魚族の巫女は御年300歳を過ぎても、自分の巫女としての責務をこなしていた。その巫女が海の声を聞いたからなのか、普段は饒舌に喋る口を重くして、つぶやいていた。
「巫女様、いったどうなさったのでしょうか?」
次世代の巫女の候補とされるシェリアが、顔を曇らせている巫女に訪ねた。
巫女候補といっても、いまだシェリアには何の力もなかった。それゆえに、巫女の言っていることの半分は理解の範疇を超えたものだった。しかし、普段は見ることのない巫女のその表情から、ただごとではないのだということは察していた。
「シェリアもなー、心を海に満たすのじゃよー。さすれば声も聞けるのじゃがのー。最近ではよーのー。この身に宿る巫女としての力も衰えているよーのー。早く、海からの恩恵を受けられることを願っておるのじゃ。」
「私はまだまだ未熟者です。巫女様にもっと教えを請いたいと思っております。それで、いったい海はなんと言われているのですか?」
シェリアには心を海で満たせなんて言われても意味がわからなかった。いつものことではあったが、いずれ自分にもできるようになるのかと不安があった。しかし、今はそれどころではなく、どんな不吉な事がおこるのかが気になっていた。
「うむ、それはのー。人間がせめて来るかもしれぬというのだ。」
「巫女様!それはありえません!人間が海の中に潜り剣でも振るうとおっしゃるのですか?」
「それはどうか分からぬがのー。海の中だけとは限らんかもしれぬのだよーのー。」
シェリアは納得できないという表情を作っていた。しかし、巫女の言うことはまず間違いがないということも理解はしていた。けれど、この平和な海で何か起こるということは想像できずにいた。いや、想像をしたくなかったというのが正しいのかもしれなかった。
「のー。それとな、これは年老いた老婆の戯言かもしれぬが、世界が終わるかもしれぬのよーなー。」
いきなりのことでシェリアの思考は固まった。
この巫女が言っていることがまったくもって理解しがたかったため、思わず口に出てしまったのだ。
「はっ?何をおっしゃているのか意味がわかりません!」
しかし、巫女はそれを気にもとめずに、最後にこういうのであった。
「今宵は三日月よーのー。何も起こらぬことを願うのみなのじゃよー。」
巫女はそれ以上は何も言わずまだ日が昇っていない、陸からよりも遠い遠い夜明け前のそらを、見上げていた。