回り始めた歯車Ⅰ
とある王国の食事の席、まだ国王が席に着く前、すでに第一王女、第二王女、第三王子及び、第四から第九までの王女王子が集まっていた。
この国では、国王とその妃、その家系の王女、王子までもが食時の席を共にするのがいつものことだった。
はたから見たのなら、上手くやっている王国に見えるだろう。しかし、この王国も、他国同様に次の国王の座を争う内部事情というものは、確かに存在していた。
「ねえ、アリス。何であなたがここにいるの?目障りだから犬小屋に戻ってくれないかしら。」
「申し訳ございません、お姉さま。でもどうか、この惨めな私めにも、御夕食の席に着くことをお許しください。」
第9王女のアリスは、心の底から礼を尽くして言った。勿論全て演技なのだが、これで第一王女のエリアスをなだめることができるのなら安いものだった。
しかし、エリアスは不満げな顔をしたまま無慈悲の命令をくだすのだ。エリアスが一番早く生まれたからと言う理由だけでしかなかったが。アリスには逆らう術が、今は何もなかったのだ。
「あら、アリスは普段家畜の餌を食べてるのだから、私が食すものの味がわかるというのかしら。ふふっ。まぁ、特別に食事の席につくことは許可するわ。私の椅子としてならね。」
「では、失礼ながら第一王女エリアス様、その役目はアリス様の側近の私が引き受けさせてもらいます。」
アリスの側近であるアルフォード・ジェノバが、自身の仕える姫を侮辱されたことに、たまらず口を挟んでしまった。
「ちっ!調子にのるんじゃないわよ。たかだか第九王女の側近風情が私に口答えするなんて。ほんとっ!躾がなってないんだから。ルーカス!この馬鹿にマナーというものを教えてきてあげなさい!」
エリアスは含みのある言い方で自分の側近で、王国最強の騎士と呼ばれるルーカスに命令をした。
「はい!姫の為たらば。この不躾なやからにみっちりと、王国騎士としての作法を教えてまいります。」
ルーカスがアルフォードの腕をつかみ、強引に連れて行こうとする。アルフォードも抵抗してみるものの、ルーカスの圧倒的な力の前には何の意味もなかった。それでも、アルフォードは口だけは達者に叫び続けた。
「アリス姫を侮辱するな、たかが生まれたのが早いだけで。って、離せよ!」
だが、アルフォードの声は虚しくも遠ざかっていった。
アリスは思う。今まで自分のために頑張ってくれたアルフォードを、今日も、昨日も一昨日も、そして明日も。辛い目に合わせてしまうだろう。私に、もっと力があったのなら。世界も少し変わってくれたかもしれないのに・・・
けれど、悪夢は終わらない。なぜなら、その日の食事の席に国王が来ることはなかった。そのため、エリアスによるアリス虐めが酷さを増したのは、言うまでもなかっただろう。
アルフォードがルーカスに連行されて、アリスがエリアスの椅子になり、先ほどにもまして酷い罵倒と、心底楽しそうな笑い声の喧騒の中、突如として、部屋の扉がおもむろに開かれると、国王の妃が姿をあらわし、王女、王子、勿論アリスにも興味がないといったような目をしながら、静かに話し始めた。
「皆、慌てることなく聞いてくださいませ。先ほど国王様が病で倒れてしまいました。ですが、医師の方によれば一時的なものだとかで、命には別状はないみたいなのですが、しばし安静にしていなくてはなりません。なので、国王様の様態がよくなるまでは食事はともにできません。無論、私も国王様の側に居ますので、今日から数日の間、皆で仲良くやってくださいね。それでは、私はこれで失礼しますわ。」
妃は感情のこもっていない声音で淡々と話を終え、アリスを蔑んだ目で見たあと、静かに部屋を出て行った。
「まったく、母上も冷酷な人間ですこと、どうせ父上が倒れたのも、あの女が何かしたんでしょう。」
エリアスは椅子に暑いスープをこぼしながら言った。また、エリアスの発言に賛同するものがいた。それは第二王女のリリスだった。
「エリアス姉さまのおっしゃるとおりですわ。母上は人間の皮をかぶった悪魔ですわ!」
「そう。リリスもそう思うでしょ。けどね、人間の皮をかぶった悪魔っていうのは、私の椅子を産んでくれた人のことをいうのよ!」
エリアスは、自身が座っている椅子の腰まであるであろう髪を食事用のナイフで大胆に切りながら嗤っていた。侮辱した。椅子の全てを否定した。
メイド、執事は当然のことながら、第三から第八の王女、王子も、誰もエリアスを止めることはしなかった。関わりたくなっかたのだ。少なからず血が繋がっているといっても、所詮他人事でしかなかったのだ。ただ、エリアスの矛先が自分には向けられないようにと。祈ることしかできなかった。しかし、第二王女のリリスだけはエリアスにいつも加担していた。けれど、それはそれで、彼女なりの世渡りというものなのかもしれなかった。
*****
誰もいなくなった王国騎士専用の鍛練場で、アルフォードは一人、嗚咽にも似たような声を発しながら、涙していた。
ルーカスに強引に連れてこられたこの場所で、アルフォードは躾という名目で、ルーカスとその取り巻きたちにボコボコにされていた。顔の形がわからなくなるほどに殴られていた。それだけではない。身体のいたるところの骨も折れている。どう見ても直ぐに治療しなければならないほどだった。
それでもアルフォードはおもむろに立ち上がる。なぜなら、行かなくてはいけないところがあるからにほかならない。彼が敬愛しているアリスの元へとだ。
アルフォードがアリスに絶対的忠誠を誓うのには理由があった。それは単純な理由だったが、彼にとってはその理由だけでよかった。
*****
夜は月の灯りだけが頼りになる、犬小屋と呼ばれる真っ暗な部屋で、少女が自身の腕にいくつもの切り傷を作り、一つの言葉をひたすら繰り返しつぶやいていた。
「殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す あの、わがままな第一王女を、媚びへつらうことしか脳のない第二王女を、見て見ぬ振りをする他の王子王女も、母を妬んでいたあの国王の女も、母を裏切ったこの国の国王の冠を授かった男も、アルをいじめる騎士も、人間を全て殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す 殺す」
憎悪に満ちた部屋の扉がゆっくりと、優しく開かれる。そこに立っていたのは、言うまでもない。アリスのことをいつも守ろうとしてくれる、アルフォードにほかならない。
アルフォードはおぼつかない足取りでありながら、アリスの側まで来て、王国騎士として恥ずかしくない、綺麗な姿勢で膝まづいた。
「アリス様、遅くなり申し訳ありませんでした。今日も・・守ることが出来ず、私は・・・本当に惨めで、情けなくて嫌になります。私がもっと強ければアリス様にこんな・・」
それ以上アルフォードは何も言えなかった。言葉よりも涙が、嗚咽が邪魔をして言葉にできないでいた。
「ねぇアル。私ね、辛くなんかないよ、だって私がどんな仕打ちを受けたって、アルが助けてくれるから。もう、それだけで十分幸せなんだよ。」
そう言いながら、アリスはアルフォードに治癒の魔法を施した。アリスの治癒魔法は決して秀でているわけでもなく、魔法がつかえると言えるほどでもなかったが、アルフォードにはその気持ちだけでも十分だった。
アルフォードの身体が少しばかり、本当に気休め程度でしかなかったが、回復したためか、先ほどはほとんど見えていなかった目が、確かにアリスの顔をその瞳に映した。そして、アルフォードは驚愕した。
「アリス・・様・・・髪を、あの忌々しい女に切られたんですか・・それに、火傷も酷いじゃないですか、美しいお顔に火傷の傷が残ってしまいます。今すぐ治療を・・・」
しかし、アルフォードは治癒の魔法が使役できないでいた。また、アリスの傷を治癒してくれるような魔道士もこの国には存在しない。もとより、エリアスが治癒の魔道士をすべて囲っているのが原因であるのだ。不甲斐ない自分自身を呪い殺したい気分だった。また、治癒の庭が存在してくれれば、なんて、おとぎ話にすがってしまうことにも、嫌気が刺した。
アルフォードにも、アリスにも、今の状況を打破することはできないでいた。それでも、アルフォードは自分自身を鼓舞するためにも、アリスに誓うのだった。
「アリス様、いつの日か、このアルフォード・ジェノバが必ずアリス様を支配者たる地位にさせてみせます。この命にかえても!」
「うん!いつも本当にありがとう。でも命は大切にしなきゃダメだよ。」
「失礼ながら、アリス様も御自身の御身体を大切になさってください。その腕の切り傷は、アリス様自身がなされたのでしょう?」
「ふふっ。やっぱアルには気づかれてたんだ。でもね、この傷はね、悔しさや悲しみを、そして憎しみを忘れないためにつけてるの。」
「それなら、私も忘れないために、同じ傷をつけます。」 アルフォードは自分の腕にナイフを当てた。鮮血が滴る。
「まったく、アルも自分を大切にしなきゃだよ。」 そう言いながらも、アリスは微笑んだ。
アルフォードが、今日のアリスの笑顔を忘れることはなかった。また、アリスもアルフォードの泣き顔を忘れることはなかった。
アリス14歳、アルフォードが16歳の頃のことであった。それから3年後に二人の運命は大きく変わり始める。