抗う者たち - 2
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柿崎先生は源次が車で家まで送ることになった。
昨日のようなことが起こる可能性も考えたが、流石にこのタイミングで二人が襲撃されることはないだろう。
昨日の襲撃は、恐らく父が余興としてやったことだ。源次ほど争い事に慣れていない使用人三人が、拳銃を持った男にどう立ち回るのか。父が見たかったのはその様だと私は考えている。
ならば、源次に対して同じようなことをするとは思えない。余興としては退屈なものになるだろう。別の方法で邪魔をしてくる可能性もあるが、父は今研究に専念したいはずだ。そう何度も余興に時間を割くことはないと思いたい。
まだ少し不安そうな顔で源次の車に乗り込む柿崎先生に、私は源次に用意してもらったあるものを渡す。
「肌身離さず付けていてください」
近くに五和理己がいる可能性も考慮して、私は小声で耳打ちをした。
先生は戸惑っていたが、何も聞かずに頷いてくれた。
源次も運転席に乗り込み、エンジンを掛ける。発進した車は背の高い正門を抜け、あっという間に林の中へ消えていった。
さぁ、と心地よい風が吹く。屋敷を取り囲んでいる木々の揺れる音が、この狂ってしまった日常にいる私の心を、僅かだが穏やかにしてくれた。
あと一週間もすれば、日差しの照りも強くなって気温は更に上がり、虫の声も活発になるだろう。そのとき、私はこの風をこの庭で感じることができているだろうか。
後ろから足音がして、私は振り返る。そこには屋敷や庭園と同じように橙色に染められた少女──阿實鈴花が立っていた。
「大丈夫だったんだね」
「うん、協力してくれてありがとう」
柿崎先生との一件があるだろうということは、今朝の時点で使用人の皆には説明していた。そのうえで、皆にはいつも通りに過ごしてもらうように協力を仰いだ。過剰な警戒は不自然に映る。
その為、鈴花にもいつも通りに登校してもらった。公共の場にいる間は安全であるだろうし、何より彼女の私生活を犠牲にはしたくなかったからだ。
鈴花は今、見慣れたメイド服に身を包んでいる。学校が終わって、いつものようにここへ来てくれたのだろう。
「ううん、お疲れ様」
屈託のない笑顔で鈴花が言う。それだけで人柄の分かる、いつもの素朴な笑みだ。
そんな彼女を、私はぼーっと見つめていた。
「ん、どうかした?」
鈴花の声で私は我に返る。
「え、ああ、いえ、なんかね。詳しいこと訊かないんだなって」
「訊いた方が良かった?」
「そういうわけじゃないけど」
きょとんとする鈴花に私は苦笑した。
分かっている。鈴花はきっと、私がどこで何をしていても味方でいるつもりなのだ。だから過ぎ去ったことをいちいち聞こうとも思わないのだろう。私の唯一の友人、阿實鈴花というのはそういう人間だ。
私は屋敷の方へ歩き出し、鈴花もその横に並んで歩き出す。
「先生も脅されてたんだって。私を止めないと家族に危険が及ぶ状態だったみたい」
「そうだったんだ」
不規則な足音を耳に受けながら、私は続ける。
「聡に渡されたであろう拳銃を向けてきてね。でも、彼は震えてた。どっちが銃を向けられてるのか分からないくらい、先生は怖がってた」
「銃、持ってたの?」
「そう。結局撃たなかったけど」
「そっかぁ」
鈴花は大きな反応をすることもなく、冷静に私の話を聞いていた。
「不思議な感覚だった。銃を向けられたのなんて初めてなのに、なんにも怖くなかったの。先生の心情が手に取るように分かって、どうすれば大人しくさせられるか、なんて考えてた」
私は屋敷の扉の前で立ち止まり、自分の手のひらを見つめる。
あのとき、柿崎先生は恐怖に顔を歪ませ、拳銃を握る手も震えていた。
それに比べ、私は手汗ひとつかかずに、冷静に自分の置かれた状況を見つめていた。
「私も結局は──」
「綴ちゃん、違うと思うよ」
それまで淡々と私の話を聞いていた鈴花が私の声を遮った。
無意識にそちらへ視線が移る。
「綴ちゃんは、人を傷付けるためにやってるんじゃないもん。だから、違うと思う」
淀みのない真っ直ぐな瞳が、私を見つめ返していた。
「鈴花……」
僅かな沈黙のあと、鈴花の目が泳ぎ始める。
「え、あっ、うわまたなんか偉そうな感じになっちゃった! ご、ごめんね! えっと、あの──」
「鈴花」
「ひゅいっ?」
今度は私が鈴花の声を遮った。
彼女の方へ体を向け、私は続ける。
「私、明日父と廻に会いに行こうと思う」
言えた。自分で思っていたよりもかなりすんなりと言えた。
会いに行く、という言葉に含まれた意味を理解してくれたのか、鈴花はほんの一瞬だけ目を伏せる。だが瞬きを一度する間に、彼女の表情は戻っていた。
「そっか、うん、分かった。何か私にできることある?」
ただ、そのいつも通りに見える顔がほんの少しだけ、どこかいつもと違う気がして──私は、すぐに言葉を返せなかった。
「綴ちゃん?」
鈴花が私の顔を覗き込んでくる。
「あ、うん、そう、鈴花、鈴花にはね」
違う。ここで言い淀むのは良くない。
そう思っていても、目が泳いでしまう。
「えっと、そう、あるの。やってもらいたいことね」
「……良いんだよ綴ちゃん。『貴女みたいなポンコツインテールにできることなんてRPGのレベル上げくらいよプププ』って正直に言って……ううう」
「は?」
まったく予想もしていなかった反応が返ってきた。鈴花は肩を落として何やらぶつぶつと呟いている。前にもこんなことがあったような。
「そうだよねぇ、相談とかには乗れたけど、私頭悪いし身体能力も高いわけじゃないしなぁ……」
「ちょ、ちょっと待って。待ちなさい」
私は慌てて鈴花の肩を掴む。ぐわんと彼女の頭が揺れた。もげるかと思った。
「うおお視界がすごぉい」
「ねぇ鈴花ちょっと勘違いしてるでしょ。私が貴女に気を遣って何も言えないと思ってるでしょ。まさかこの期に及んで自分が無能なんて思ってるんじゃないでしょうね」
「えぇぇ違うのぉおぉお」
「全然違う!」
私はぱっと手を離した。散々揺らされた鈴花だが、何とか転ぶことなくその場に踏みとどまる。そして訝しむように白い目がこちらへ向けられた。
「じゃあ何で言い淀んだのさぁ」
「……家にいてほしいって言おうと思ったの。危ない目に遭わせたくなかったから」
「え」
私はまた目をあらぬ方向へ逸らしてしまいそうになり、代わりに服の袖をぎゅっと掴んだ。
「本当は堂々と鈴花にも何か頼みごとでもできれば良かったけど、無理だった。こんな危ない場所に、たった一人の友人をこれ以上いさせたくなかったの」
でも、それは私の我儘だ。鈴花は本気で私に協力したいと思ってくれている。
だから、「安全な場所にいて欲しい」という言葉で彼女の思いを無下にしたくなかった。
「綴ちゃん……」
「もちろん家に返っても絶対に安全とは言い切れないかもしれない。でも、少なくともこの家にいるよりは安全だし、ご両親もきっとすごく心配してる」
そう口にしてから、最後のは少しずるい言い方だったかもしれない、と胸が痛んだ。ご両親が気がかりなのは本当だが、結局のところ、私は鈴花を危険な場所に置いておけるほど肝が座っていないだけだ。
「どうしてこんな気持ちになるのか分からないの。危険なのは皆一緒なのに、鈴花に何かあったらって思うと、どうしようもなく不安で、落ち着かなくて」
仮に──使用人の誰かが何らかの形で命を落とすようなことがあった場合、私は自分の不甲斐なさに絶望するだろう。そしてそれが他者の手によるものなら、何としてでも仇を取ろうと決意するだろう。
だが、鈴花が同じような目に遭ったとき、自分がどうなるか想像がつかないのだ。怒るのか、悲しむのか、塞ぎ込むのか──自分でも全く分からない。
「だから、その……私の為に、家で安全にしていて欲しい。それが、鈴花にやってもらいたいこと」
だから、気持ちをそのままに伝えた。うまく言葉をまとめられなかったから、思ったことをそのまま口にした。
鈴花は何と言うだろう。こんなことを言われて何を思うだろう。少し前の私なら、もっとお利口さんな言葉を選んだのかもしれない。
私は伏せ気味だった視線を、何とか鈴花の方へ向ける。表情を確認するのが少し怖い。
鈴花の顔は──見えなかった。私が顔を上げた瞬間、彼女が私に抱きついてきたからだ。
「え、あ、すずか」
「ありがとう」
「え?」
鈴花の声は、ほんの少しだけ震えていた。
「私もね、不安だったんだほんとは。綴ちゃんがお父さんのとこに行くって言ったときにね、胸がざわざわしてさ。一瞬、もう会えなくなっちゃうんじゃないかって思った」
そうか、さっきの鈴花の様子は──。
「こんな寂しい気持ちになったの初めてかも」
初めて耳にする、鈴花の弱々しい声。
私はそっと、彼女の背中を抱き返した。
「そっか、鈴花もそういう風になるんだ」
「そういう風?」
「うん、弱気になるんだなって」
「そりゃなるよぉ」
「なんか安心した」
思わず笑みを零した。
私は鈴花のことで不安になり、鈴花は私のことで不安になっていたなんて。
「うー、ほんとは堂々とした感じで応援したかったのにー」
「ううん、こうやって正直に言ってくれて良かった。不安なのは私だけじゃないって分かったから」
「綴ちゃんもやっぱり不安?」
「まぁね」
温かい鈴花の体を抱いていると、不思議と心が落ち着いてくる。
なんとなく、幼い頃に母に抱きしめてもらったことを思い出した。
「まぁ、あれね。何とかしてくるから、家で応援してて」
抱き合った状態で黙っているのもなと思ったが、口から出た言葉は何だか緩んでいて、思わず笑ってしまった。鈴花にもそれが伝わってしまい、彼女もつられて笑った。
「ん、おっけー。負けないでね」
「任せなさい」
不安や心細さは消えはしない。でも、二人とも半笑いだった。くすくすと笑いながら抱き合っているのもおかしくなり、私たちはどちらともなく体を離す。
そして、互いの顔を見て私たちはまた笑いそうになってしまう。
「はー、不安だったけど何とかなるんじゃないかって思えてきた」
「それは何より」
さて、と言いながら私は屋敷の扉に手を掛ける。
手前に力を込めると、聞き慣れた重苦しい音がした。
「また皆を集めないとね」
エントランスを歩きながら私が言う。
明日父の研究所に出向くことは、まだ皆には話していない。
「では私が」
反響した私の声に応えたのは、私より大人びた女性の声。
声の方に視線を向けると、二階へ続く階段の前に白百合が立っていた。
昨日の疲れがまだ残っているのか、顔色から察するに万全というわけではなさそうだ。
「休んでいなくて良いの?」
「今はじっとしていると逆に疲れてしまいますので」
「そう、じゃあお願い。石住井と星野には声を掛けなくて良いから」
「畏まりました」
石住井と星野のことで責任を感じているのだろうか。それなら何も気に病む必要はないのだが。
しかし、ここで「無理をするな」と返すのは、彼女にとっては返って酷だろう。私は素直に彼女の申し出を受け入れることにした。
「あ、白百合さん私もお手伝いします!」
控えめに手を上げる鈴花に対し、白百合は何かを言おうとして止める。
そして、少しだけ考える素振りをしてから応えた。
「うん、じゃあボイラー室に誰かいないか見てきてくれる? あそこうるさいからインカムで呼んでも気付かない人いるし」
「わかりました!」
白百合に指示を受けた鈴花は、とても嬉しそうに返事をしてボイラー室に向かっていった。
そういえば、石住井の家に鈴花も同行しようとしたとき、白百合にぴしゃりと断られていたことを思い出す。
私が再び白百合の方を見ると、彼女は何とも複雑な表情をしていた。恥ずかしがっているような、申し訳なさそうにしているような。
こういうときは、むやみに声を掛けないほうが良いのだろうかとも思ったが、鈴花への態度を改めてくれたことは喜ばしいことなので、お礼くらいは伝えたい。
「ありがとう白百合。鈴花に付き合ってくれて」
「いえ、あの……、一応、私は先輩ですし。無下にするのも嫌だったというか。何より、お嬢様のご友人でも御座いますから」
白百合はそう説明したが、それ以外にも態度を改めた理由がありそうな、そんな表情だった。これ以上踏み込んだ話をするのは野暮だろう。
「じゃあ、皆への声掛けをお願いします」
「あ、はい。直ちに」
疲労が残る表情を引き締め、白百合は一礼をしてからその場を離れた。
昨日から、皆には何度も集まってもらっている。
それでも私に苦言を呈す者がいないということは、私はしっかりとやれているのだろうか。月之世聡に立ち向かうに値する人間になっているだろうか。
私は軽く頭を振って、余計な考えを意識の外へ追い払った。
今は、自分にできることをやるだけだ。
皆がエントランスに集まる頃には源次も帰還し、更にもう一人、普段は見慣れない人物も揃っていた。
その中で、車椅子に座っている星野と石住井の姿も確認できた。本当はまだ安静にしていて欲しかったのだが、彼女らも生半可な気持ちで使用人をやっているわけではないということだろう。
「皆、集まってくれてありがとう。今日は皆に伝えなければならないことがあります」
エントランスは緊張感に満ちている。だが、昨日よりも皆の視線から信頼感のようなものを感じるのは、私の気の所為ではないと思いたい。
整列した使用人の後方で静かに座している"見慣れない人物"──私の祖父である月之世尊に視線を向ける。彼も温かい眼差しでしっかりと私の方を見てくれていた。
私は整列した皆を見渡し、告げる。
「明日、私は父のもとへ向かいます。そこで、皆にはお願いしたことがあります」
皆の表情に劇的な変化はない。少し安心する。
呼吸を一つして、私は先程より少し大きな声で言った。
「皆はここで待機していてください。父のもとへは、私一人で行きます」




