それぞれの意思 - 3
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白百合たちは石住井を落ち着かせた後、一通り家の中を調べ終え、玄関に集まっていた。
「外部と接触し得るものは徹底的に排除されていたわね」
聡が行っている研究に少しでも繋がるものがあれば、と考えての行動だったが、手がかりになりそうなものは何一つ見つけられなかった。
「食事はどうなさっていたんですか」
白百合の問いに、すっかり気の抜けてしまった石住井が数秒遅れて答える。
「毎日決まった時間に、マスクで顔を隠した人が届けに来ていたわ」
「五年間ずっとですか?」
「ええ。一言も話したことはないけど」
それを聞いて星野の表情が少し険しくなる。
「監視されている可能性は高いですね」
『帰り道もよく警戒した方が良いでしょう』
白百合が持っているスマートフォンから源次の声が聞こえた。星野は「分かりました」と返事をして、玄関の扉に手を掛ける。石住井はそれを不安でたまらないという様子で見ていた。
星野はゆっくりと扉を開け、外の様子を観察する。辺りは静まり返っていて、人がいる気配はない。
「私がここまで車を持ってくるから、貴女はここで待機していて」
星野は玄関を出てすぐの場所で自分を待つようにと白百合に伝えた。白百合は小声で返事をして、石住井の方へ振り返る。
「石住井さん、出られますか」
「え、ええ」
自分よりも格段に怯えている石住井のお陰で、白百合はそれほど不安を覚えてはいなかった。恐る恐る外に出る石住井に気を配りながら、車の方へと歩いていく星野を見守っている。
白百合の位置からでも、星野の運転していた車は小さくだが視認できた。
「え」
車を見つけた白百合が小さく声を上げた。星野も「それ」に気が付いたのか、車から少し離れた場所で立ち止まっている。
「あ、あの、えーっと、月之世家の方ですよねぇ?」
星野が運転してきた車の前には、みすぼらしい格好をした一人の男が立っていた。男は星野に気が付くと、恐る恐る声を掛けてくる。
星野はすかさずマイナスドライバーを構え、男から距離を取った。
「誰だお前は」
「えっ、俺が来ること知らされてないのかよ! あいや、連絡手段がねえから俺が来てるんだもんな……」
男は頭を掻きながら混乱した様子を見せるが、星野も同じ思いだった。男から目を離さないようにしながら、周りに他の人間がいないか警戒する。
「何か勘違いしてるっぽいから言わせてもらうけど、俺はあんたたちに危害を加えたりとかはないんで。あんたらの主様から伝言を受けてきたわけよ」
不安そうな顔でそう告げた男に、星野は目を見開いて驚愕した様子を見せた。
「旦那様から?」
「ああ。何で俺みたいな奴にあんな金持ってそうな人がわざわざ伝言なんかって話だが、まぁそれは良いや。えーっと」
男は着用していた薄汚れたパーカーのポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃになった紙切れを取り出した。
「……なんだこりゃ? こんなモンわざわざ伝えろってのか。まぁ良いけどよ」
星野は息を呑んだ。理解の追いつかない状況だが、彼女は一先ず男の発する言葉に耳を傾ける。
「えー、石住井、自宅からの脱出おめでとう。五年間を棒に振る君の姿は滑稽だったが実に退屈なものだった。もう少し他人を疑うことを覚えてはどうかね。……これだけだな。あ、確認すんの忘れたけどあんたが石住井――」
男が言い終わる前に、星野は物凄い勢いで男に掴みかかり、そのまま地べたへと押し倒した。
「いてぇ!」
「ふざけるなっ……ふざけるな!! 滑稽? 滑稽だ!? 石住井さんがどれだけの思いで孤独に耐えてきたと思う!! お前の為にどれだけ辛い思いを飲み込んできたと思っている!! 人を見下すのもいい加減にしろッ!!」
爆発した怒りが、すさまじい怒声となって吐き出された。
「うげ、く、くるし、俺に言われても困るって!」
男は倒れたまま胸ぐらを引っ張り上げられ、苦しそうに咳き込んだ。
「教えろ。月之世聡はどんな顔でお前に伝言を頼んだ? あのド腐れ主は何を考えてこんなことを伝えようと思ったんだ!?」
「星野さん離れてっ!!」
星野の後ろから白百合の叫びが聞こえた直後、星野の右腿を何かが貫いた。彼女はそのまま体勢を崩し、倒れていた男は慌ててその場から離れる。
「あ、危ねえ! 俺に当たったらどうすんだよ!」
膝をついた星野のメイド服に血が滲んでいる。痛みに顔を歪めながら彼女は前方を確認する。慌てて離れた男の後ろ――自分たちが乗ってきた車の陰から、ハンドガンを持ったもう一人の男が姿を現していた。
「聞いていた通り好戦的なメイドだな」
「んだよシカトかよ!」
星野に掴まれていたパーカー男の方が、ハンドガンを持ったラフな格好の男の後ろに隠れる。ハンドガン男の方も、聡が関わるような人間には見えない。
「咲樹っ!」
星野の後方から石住井の叫び声が聞こえた。
「来るなッ!!」
それを聞いた星野は反射的に声を上げる。だが、その制止を虚しく、ハンドガン男はこちらへ走ってきた石住井に向けて、冷静に引き金を引いた。
星野と同じように右腿を撃ち抜かれた彼女は、星野の後方三メートル程度の場所であっけなく転倒した。
発砲音と石住井の悲鳴を聞いた星野は、足の激痛を堪えながら慌てて後ろを振り返る。
「石住井さん!!」
「女相手によくやるわ。あんた外道だな」
「危害を加えるつもりはないと平気で嘘をついた人間の言えたことか」
「俺はそんなつもりなかったから嘘は言ってねぇよ!」
「ふん、白々しいな」
倒れた二人を見下ろして顔を引きつらせるパーカー男にはを見向きもせず、ハンドガン男は淡々と言葉を返した。
「お前らっ……お前ら!! このクソ野郎共!! 殺してやる!!」
星野は凄まじい形相で男二人を睨みつけながら、血の止まらない足を無理矢理動かして立ち上がろうとする。
「ひっ」
「仕方ないな」
星野を見て情けない声を上げたパーカー男の横で、ハンドガン男は再びその手のものを構え、引き金を引いた。
乾いた発砲音と共に、今度は星野の左腿が撃ち抜かれる。
星野の絶叫を聞いて、後方の石住井が体を引きずりながら懇願するように叫んだ。
「咲樹ぃ! お願いもう止めて! それ以上咲樹を傷付けないでぇ!」
涙を流しながら必死にそう訴える石住井を、ハンドガン男の鋭い眼光が捕らえる。
「死にたくなければそれ以上近付くな」
「おいおいおいまたあの姉さんも撃つ気か!?」
「いや、あっちはもう良いだろう。立ち上がりそうもない」
パーカー男は一瞬ほっとした表情をしたが、未だに冷酷な目付きで星野を見下ろすハンドガン男に気付き、血の気の引いた顔をする。
「問題はこっちだ。両足を撃ち抜かれてもこの目……相当な精神力だな。あの方の邪魔になる」
「待てって殺せとは言われてないだろ! こんなんなったらもう動けねえって!」
「解せんな。私利私欲で強盗殺人を犯した人間の言葉とは思えん」
「あ、あんたにゃ俺たちのことなんて分かりゃしねえだろうよ。とにかく落ち着けって。あんたあの人の部下になりたいんだろ」
ハンドガン男の表情が少し変わる。「あの人の部下」という言葉に、何か思うところがあるような様子だった。
その隙をついて星野は何か行動を起こそうとするが、両足を撃ち抜かれまともに動くことができない。仕方なく彼女は動くことを諦め、男二人の注意を自分に引き付けた状態を維持しようと小声で話し掛ける。
「お前ら、どこの誰だ。何が目的だ」
「答える義務はない。だが、そうだな。一つ言えるのは、俺はあの方――月之世さんの意思によって動いているということだ。月之世さんは世界を正しく導く存在となる」
「あの腐れ当主の犬か」
歪んだ笑みを浮かべ、吐き捨てるように言った星野に、ハンドガン男は不快感を露わにする。
「口を慎め。お前も月之世さんに仕える者のはずだ」
「ああ。人生の汚点だよ」
「……貴様」
「お、落ち着けよ! あんたも何でそんな挑発するようなこと言うんだ!」
良い具合に話がこじれ始め、星野は内心安堵した。この男達は自分が思っている程冷静ではないと分かったからだ。
彼女は男二人とのやり取りに神経を使っている素振りを見せながら、彼らに悟られないよう白百合にメッセージを送っていた。うつ伏せに倒れ、体の下敷きになっている右手で二台目のスマートフォンを操作していたのである。
「月之世聡が、世界を正しく導く? 妄想も程々にしておけ。あの男が何を目的に動いているか知らないのか」
「ふん、一介の使用人にはあの方の考えなど分かるまい」
ハンドガン男は既に冷静さを取り戻していた。星野の方を見ようとはせず、慣れた手付きでハンドガンに弾を込めなおしている。
一通りの作業が終わり、男は石住井の家に向かって歩き始める。
「――何のつもりだ!」
「主の意思も汲み取れん愚か者はそこで見ているが良い。これから正される世界の一片をな」
こちらへの興味を失ったように歩いていく男の背を見ながら、星野は心の中で白百合の身を案じていた。
星野が白百合へのメッセージを送信する直前、白百合は、玄関から出てすぐの塀に隠れながら彼女たちの惨状を見ていた。
「何、何なの。何なのあれっ……銃じゃん。どうしよう、どうしよう……!」
『白百合さん、何が起こっているのですか! 落ち着いて説明を!』
白百合が胸に抱えるように持っているスマートフォンから、源次の声が聞こえる。
「ほ、星野さん、星野さんと石住井さん、なんか二人出てきて、銃の音して、多分二人共撃たれて、車、車のとこ、変な男いて――」
白百合は必死に状況を説明しようとするが、パニックを起こしてしまい言葉をまとめられない。声が震え、奥歯がかちかちと音を鳴らす。
『今向かいます!!』
『須藤さん、貴方がいなくなったらいざというとき――』
『大丈夫。私は大丈夫。源次、至急白百合たちのもとへ』
『御意』
スマートフォンから様々な声が聞こえるが、白百合は自分のことで手一杯な為、反応することができない。
恐怖で気が狂いそうになっている中、突然自分のスマートフォンから無機質な通知音が響いた。白百合は震える手でスマートフォンの画面を確認する。
そこには、星野からのメッセージが書かれてあった。
さとるのてさきがきた
そっちにいったらしょうかきをつかってめくらまししてこっちにきて
あとはわたしがなんとかする
むりそうならうらぐちからにげて
「えっなにこれ聡の手先!? 消火器!? 消火器って……」
心臓が今にも破裂しそうな気持ちで、白百合はそこに書かれている内容を何とか理解しようとする。
「消火器、そうだ。あった!」
先程まで自分たちがいた玄関に消火器が備え付けられていたことを、白百合は思い出した。彼女は転びそうになりながら玄関へと引き返す。
扉を開けたところで、消火器はすぐ目につくところにあった。
「こんな、こんなので大丈夫なの。銃持ってたんだよ」
当然のことながら殴り合いの喧嘩の経験もなく、護身用の武術も身に付けていない白百合にとって、消火器で銃を所持している人間の目眩ましをしろというのは、とてつもない無理難題に思えた。彼女はもう一度星野のメッセージを見る。
「無理そうなら、裏口から逃げて……」
最後の一文を、声に出して読んだ。その直後、白百合の中に恐怖とは別の感情が芽生え始める。
「何で――」
最後の一文を、穴があきそうな程に凝視する。
「何で、どいつもこいつも……!」
歯を食いしばる彼女の瞳から涙が溢れる。恐怖だけではなく、様々な感情が入り混じった涙だった。
白百合は思い返す。
皆の為に自分一人を犠牲にしようとした廻を。
綴や廻のことを自分のことよりも大切に思っている源次を。
自分のことで手一杯なのに、それでも尚使用人の安全に気を配っていた綴を。
月之世家の平和を願い、自分の人生を全て犠牲にしようとした石住井を。
「自分のこと、もっと大事にしてよ……!」
彼女は常に、保身を第一に考えて生きてきた。
小学生のときから一度も自分を犠牲にしたことなどなかった。
だから、皆がそこまでして他人を守りたくなる気持ちが分からない。
「私には、無理だよ。意味分かんないよ」
白百合は消火器を抱えたまま、その場に座り込んでしまう。
僅かに覚えていた怒りも、現状を再認識してすぐに引っ込んでしまった。
その直後、玄関の扉の先から足音が聞こえてきた。一切の無駄がない、目的地に辿り着くことだけを考えているような、こちらの恐怖心を煽るような足音だ。
「ひっ」
白百合は身をすくめる。結局、裏口からは逃げそびれ、彼女は消火器を抱えてその場に固まることしかできない。
扉が開いた。街灯の光と共に、体格の良い男が玄関に入ってくる。
「あ、ああっ」
その手にあるハンドガンを見て、白百合が声にならない声を上げる。
男と目が合った。男は恐怖に震える白百合を見下ろし、数秒観察すると、
「ふん」
そう鼻で笑い、背を向けた。
「え……」
困惑する白百合に目もくれず、男は来た道を引き返す。まるで警戒心のない後ろ姿だった。
ああ、良かった、撃たれずに済んだ――そう安堵していたはずの白百合が取った行動は、本人ですらまったく予想できないものだった。
「何!?」
突然目の前が真っ白になり、男は驚愕の声を上げる。振り返って銃を構えるも、視界は全て白でどこに何があるか分からない。
直後、自分の横を何かが走り抜ける音がした。音はどんどん遠くへと遠ざかっていく。
「くそっ――」
男は急いで玄関を飛び出し、星野たちのいる方へ走り出す。だが、白い煙は男の行く先を阻むように立ち昇り、迂闊に進むことを躊躇させる。
「小娘がっ!」
男は苛立った声で銃を構え、前方に向かって出鱈目に発砲した。
「うぅぅぅぅ!」
後ろから聞こえた発砲音に恐怖の声を上げながら、白百合は消火器を噴射させながらひたすらに星野の方へ走る。
星野と石住井、それともう一人薄汚い格好の男が見えた。だが、もう白百合にはそれを見て何かを判断することはできず、がむしゃらに星野の方へ走ることしかできない。
「うわぁぁ何だ何だ!?」
「そのままこいつにもブッ放してやれ!!」
「えぇ!? おいおいおいおい!」
星野の怒声が聞こえ、白百合は言われるがままに消火器を星野の側に立つ男へと向けた。
「ひぃぃ!」
男が怯んだと同時に、星野がどこからか筒状のものを二つ取り出し、すぐ近く、そしてハンドガン男の方へとそれぞれ一つずつ投げた。
「目を閉じて耳を塞げ!」
続いて聞こえた星野の声。彼女の声に全神経を向けていた白百合はすぐに消火器を放り、言われた通りにする。パーカー男の方は状況が飲み込めず、ハンドガン男の方は銃を発砲している所為で星野の声に気付かず、対応が遅れた。
次の瞬間、凄まじい閃光と耳をつんざくような音が響き渡った。
男二人はそれぞれ悲鳴を上げ、身動きが取れなくなる。
「石住井さんを連れて車で逃げて!」
僅かに聞こえた星野の声に、白百合は耳を塞ぐのを止め、側で倒れていた石住井を抱き起こす。
「咲樹が、咲樹が両足を撃たれてるの!」
石住井の悲痛な訴えを聞きながら、白百合は彼女を乗ってきた車の後部座席に乗せる。
「白百合さんお願い、咲樹が――」
「私のことは良い! 早く行け!」
「咲樹――!」
白百合は後部座席のドアを閉めた。そして、今度は助手席のドアを開ける。
「そっちは運転席じゃない! 混乱してるのか!?」
叫ぶ星野を無視して、白百合は黙って彼女に近付き、支えるようにして起き上がらせた。
「な――」
「そういうの嫌いです!!」
恐怖と焦りと怒り――あらゆる感情によって涙を流しながらそう言った白百合は、そのまま星野を助手席に押し込めた。そして、自分も足早に運転席に乗り込み、勢いのままに車を発進させた。
白い煙の中を突っ切り、視界が晴れ、住宅街を抜ける。白百合がバックミラーで後方を確認する余裕が出来る頃には、もうあの男たちの姿は見えなくなっていた。




