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ツキノセ  作者:
51/65

それぞれの意思 - 1

ご閲覧ありがとうございます。


 街灯のない林の中を、一台の黒い乗用車が一定の速度で走っている。

 運転手の白百合は両手でしっかりとハンドルを握り、慎重に林の中を進んでいく。対向車はまったくと言って良い程存在せず、白百合は改めて月之世家の屋敷が辺境にあることを実感していた。

 白百合は気まずそうな顔をして一瞬だけ助手席に視線を向けるが、目が合うのを避けるのと、運転に支障をきたさないようにする為、すぐに目線を戻した。

「何か言いたいことでもあるの」

 隣を気にしていたことを勘付かれ、白百合は心の中で溜息を吐く。

「いえ、大丈夫です」

「顔と声が一致していないけど」

「そういう突っ込みを入れられるのが嫌だったから一人で行きたかったんですけど」

 白百合は眉をしかめたが、隣に座っている使用人――星野は無表情のままだった。

「言ったでしょ。貴女を一人で向かわせるのは二重の意味で危険だって」

「分かってます」

 諭すような口調が気に入らないのか、白百合の声には明らかに不機嫌な様子が表れていた。

 白百合が石住井の自宅に向かうと言い出した後、綴は渋々ながらもそれを了承し、「無理はしないで」と彼女を気遣った。

 そこへ、月之世家に良い印象を抱いていない人間を一人にするのは危険だと名乗り出たのが星野だった。そして、裏切りを防ぐ為と、聡の妨害を考慮した結果、武術の心得がある星野が白百合に同行することとなった。

「一つ訊いても良い?」

 淡々と話す星野を白百合は横目で見て、鬱陶しそうな顔をする。

「何ですか」

「どうして石住井さんの家に向かう役目を買って出たの。貴女は月之世家をよく思っていないのに」

 星野の声に白百合を疑うような気配はなく、ただ不思議に思っているから訊いた、といった様子だった。

「話さないと駄目ですか、それ」

「話したくないなら良いけど」

 再び白百合は眉をしかめた。そして、溜息を一つ吐いて、前を向いたまま、独り言のように話し始めた。

「あの家は嫌いですけど、お嬢様がああいう覚悟を見せた以上、私も何かけじめを付けなきゃって思っただけです。あと、私より年下のバイトが妙に落ち着いてて、でも私は取り乱して……そのままっていうのは嫌だったんで。心変わりとか、そういうのじゃありませんから」

 星野は表情を変えなかったが、少しだけ何かを考えるような間を置いてから言った。

「結子さんと同じように、今度は自分が行方不明になるかもしれない、とは考えなかったの?」

 白百合も少し間を置いてから答えた。

「考えましたよ。もちろんあんな家の為に危ないことをするのは嫌です。でも、静城さんが……わざわざ、私にああいうメッセージを残したってことは、私を、その、頼りにしてくれたってことじゃないですか。私、月之世家は信用してないですけど、静城さんは信頼してますから」

「へぇ」

 星野は少しだけ嬉しそうに笑った。彼女はそれ以上何も訊かず、車の走行する音だけが車内に残った。

「あの」

 しばらくの沈黙のあと、今度は白百合が星野に話し掛けた。

「何?」

「静城さんって、何であの若さでメイド長だったんですか」

 自分と二つしか年齢の違わない結子が使用人たちをまとめていることを、白百合はずっと疑問に残っていた。それは嫉妬や僻みではなく、純粋にその有様が不思議だったからだ。

「結子さんが須藤さんの紹介で入ってきたことは知ってる?」

「まぁ、それくらいは」

「そのときに"メイド長"っていう役職ができたの。今度からは私とこの静城結子さんの二人がまとめ役になりますって須藤さんが言ってね」

「すごい急ですね」

 星野は外の景色を眺めながら、当時を懐かしむように少しだけ目を細めた。

「まぁね。でも須藤さんが"昔から私が頼りにしている心強い方です"って紹介をしたのと、年齢に不相応な結子さんの落ち着きと仕事っぷりに、ほとんどの使用人は彼女がメイド長になることに納得してた。本当は三十代なんじゃないかって話も出たくらいだし」

「でも、反発的な空気は感じるって静城さん言ってましたけど」

 白百合は、結子がいなくなった日のことを思い出していた。僅かな時間だったが、彼女と談笑したことは、白百合の記憶に印象深く残っている。

 あのとき、少し疲れたような顔をしていた結子に、自分ができることは何かなかったのだろうかと今でも思い返す程に。

「まぁ、入ったばかりの、しかも若い人間がまとめ役になるっていうのは、普通はないからね。渋々了承してた先輩たちも、いたにはいたと思う。私は実力主義だから違うけど」

「……そうですか」

 林を抜け、街の明かりが見えてくる。街灯もぽつぽつと見え始めて、白百合はヘッドライトを下向きに変えた。ここまで来ると、対向車もそれなりに走っている。

「あの」

「何?」

 白百合が再び、前を向いたまま星野に話し掛ける。

「仮にも年下とはいえ、上司を下の名前で呼ぶのはどうなんですか」

 窓の外を見ていた星野が、白百合の方に視線を移した。そのまま、しばらく白百合を無言で見つめている。

「何ですか」

 不機嫌そうにそう言った白百合を見て、星野はどこか納得したような表情になった。

「ああ、やきもち?」

 白百合の顔がますます険しくなる。

「違います」

「貴女も結子さんって呼びたかったら呼べば良いのに」

「違います!」

 むっとする白百合とは逆に、星野は穏やかな表情をしていた。それが気に入らない白百合は、わざとらしく大きく息を吐いた。



 市内の住宅街、石住井の自宅と思われる建物から、少し離れたところに白百合は車を停車させた。時間が時間である為、通行人の姿は見えない。

「あれっぽいですけど……」

 白百合が周囲を警戒しながら言う。

「周囲に異常はなさそうね」

 星野がスマートフォンを操作して、写真を撮るときのように前方へ掲げた。

「こちら星野です。映像は届いていますか」

『良好です』

「分かりました。はい白百合さん、持ってて」

「えっ」

 いきなりスマートフォンを手渡され、白百合は困惑の声を上げた。画面を見ると、カメラが起動しているようで、目の前の様子が映し出されていた。

「須藤さんの方に映像が送られているから、貴女がそれを持っていて。いざというときは私が時間を稼ぐから貴女はそれを持って逃げること」

「い、いざというときって」

「可能性は大いにあるでしょ。静城さんだってここで連絡が途絶えたらしいんだから」

 淡々と話す星野の言葉を聞いて、白百合は自分の状況を再認識する。もしかしたら、ここで命を落とすのかもしれない――それを考えると身震いがした。

 星野は少し呆れた様子で溜息を吐く。

「分かっていたはずでしょう」

「わ、分かってましたよ! 危険だってことくらい。分かってますよ……」

 白百合は恐怖を誤魔化すようにそう繰り返した。スマートフォンを見つめたまま唇を噛み締めて、今の状況を何とか受け入れようとする。

「お嬢様と私たちに抗議した度胸、私は評価してるから」

「……え」

「あと、結子さんを想って奮起したことも。ただ現状を嘆くだけの人間なら信頼できないけど、貴女はそうじゃないでしょう」

 自分の目を真っ直ぐに見る星野の言葉を白百合が理解するまで、少し時間が掛かった。思いもよらない言葉に少し硬直してしまったが、その意味を理解すると、白百合は複雑な顔をした。

 そして少しの間を置いて、まだ少し頼りなさげだが、覚悟を決めた表情で星野に向き直った。

「心の準備はできた?」

「はい、大丈夫……です。行けます」

「よし。星野、白百合。これより石住井への接触を試みます」

『分かりました。どうかお気を付けて』

 スマートフォンから源次の声が聞こえた。

「何ですかそれ、刑事みたい」

「そういう不用意な発言はこの先控えるように」

「む……」

 二人は車を降りて、充分に周囲を警戒しながら石住井の自宅に向かっていく。

 人の気配はなく、何の異常も見られない住宅街を進み、目的地へはあっという間に辿り着いた。「石住井」と書かれた表札が玄関前にあるのを見つける。

「姓が変わっていない……」

 星野が独り言のように呟いた。

「インターホン、押しますか?」

 スマートフォンを構えたまま白百合が訊く。

「そうね、そうしないと進まないし」

 星野の表情が少し険しくなった。今まで淡々としていた彼女が表情を引き締めたのを見て、白百合の緊張が更に増す。

 白百合が見守る中、星野がゆっくりとインターホンを押した。無機質な呼び出し音が鳴り、二秒、三秒と時間が流れる。後ろを警戒しつつ、十秒ほど経過したところで、星野はもう一度インターホンを押した。

 更に十秒が経ったが、呼び出しに応じる気配はない。白百合の表情が不安に染まっていく。

「こ、こういうときって、警察を呼んで中に入るんですよね」

「まぁ普通はね」

 反対に、星野に動揺した様子はなく、中からの応答がないことを確認すると、彼女は一度家の前から少し距離を取った。白百合は星野にスマートフォンを向けて、なるべく小さな声を心掛けて訊いた。

「何してるんですか」

「ちょっと確かめたいことがあるから、貴女はそこにいて」

「は、はぁ」

 辺りを見渡しながら声を潜めることもなくそう言う星野に、白百合は困惑しながらも頷くしかなかった。

 ふと、もし自分一人で来ていたなら、一体どういう行動を取っただろう、と白百合は考える。インターホンを押しても誰も出ない。かと言って無理やり入る度胸はない。ならば、きっと警察を呼ぶという選択肢しか思い浮かばなかっただろう。

 だが、星野がその手段を取らないということは、その考えは浅はかなのだろうか。彼女がそんなことを考えていたとき、

「ひったくりぃーっ!!!」

 いきなり星野が大声で叫んだ。その瞬間、白百合の考えていたことは全てその叫び声に掻き消されてしまう。

「えっ、ちょ――」

 白百合は何か言おうとしたが、星野がこちらを見て「静かに」という素振りをしたのを見て、慌てて口を閉じる。何が起きているかまったく理解できず、白百合はただスマートフォンを構えてじっとしているしかない。

 あんな大声を出したらきっと誰かが来てしまう。そうしたら怪しい人間だと思われて通報されるかもしれない――白百合の鼓動がかつてない程に早くなる。息が荒くなりそうなのを必死に抑える。

 だが、しばらく経っても星野の叫び声を聞いて駆けつける人間は誰一人いなかった。様子を見に来る者はおろか、窓を開けて外を確認する者の姿も見えない。かなりの声量だったので、聞こえていないということはないはずだ、と白百合は不審に思う。

「やっぱりか」

 星野が納得した様子で家の前まで歩いてきた。

「な、何なんですか」

 不安と苛立ちの混ざった声で白百合が訊く。

「多分、この家の周囲で何が起きても、近隣の住人には認識できないようになってるんでしょう。それこそ超能力とやらで」

「超、能力……こんなところにまで――っていうか、もし予想が外れてて誰か来たらどうするつもりだったんですか!」

「どうとでもなる」

 動揺を露わにする白百合を横目に、星野は落ち着いた様子で家の周囲を観察する。そして、家の正面から右に回った場所に、人が丁度一人通れそうな高窓を見つけると、彼女は手慣れた様子でそこまで登っていく。

「こ、今度は何ですか!」

「窓から入る」

「窓から入る!?」

「私が入った後に引っ張ってあげるから、貴女はそこで待ってて。一応周囲の警戒は忘れないように」

 白百合は訳が分からず、星野の言う通りに待つことしかできない。護衛と監視が役目のはずだった人間がいつの間にか主導権を握り、挙句の果てに不法侵入を試みていても、それに突っ込んでいる余裕などなかった。そもそも一人ではこの状況の打開策を思い付くことは困難だった為、白百合は口出しをする気にはなれなかった。

 ただ呆然と星野を見守ることしかできない不甲斐なさに、白百合は自己嫌悪を覚える。

 下から星野の様子を観察していると、彼女はどこからかマイナスドライバーを取り出し、高窓の隅にねじ込んだ。あっという間に窓にはひびが入り、星野は慣れた手付きで窓ガラスを打ち破る。そして、外から家の中を用心深く観察し、危険がないと判断したのか、するりと中に入って白百合に手招きをした。

「何なの、あの人……」

 バランス良く高窓に掴っているメイドを見上げながら、白百合は疲れたようにそう呟いた。

 須藤さんたちも見てるなら何か言ってくれれば良いのに――心の中で悪態を付きながら、白百合は星野の何倍にもなる時間を掛けて、ようやく高窓のある場所まで登った。



 何で警察を呼ばないんですか。何で窓を割る作業があんなに手慣れているんですか。名の知れた家の使用人がこんなことして良いんですか。

 白百合は湧き上がってくる疑問を全て押し留め、星野の手を借りて屋内に降り立った。中には洗濯機や洗面台がある。どうやら洗面所に降りたようだ。

 開け放たれた浴室に誰もいないことを確認して、星野は洗面所から廊下に繋がる扉の向こうへそっと耳を傾けた。音はなく、人の気配もない。

 星野はそっと扉を開ける。正面にリビングへの扉、左に玄関、右に二階への階段が見えた。星野は白百合がちゃんと付いてきていることを確認しつつ、手前の扉と階段を警戒しながら進む。

 白百合は心臓が爆発しそうな思いで、星野の数歩後ろにいる。表情から不安の色はなくならないが、彼女なりに細心の注意を払いながら進み、手元のスマートフォンは家の中の様子をしっかりと映し出していた。

 本来なら二手に分かれたいところだが、白百合が両手を使えないことを考慮して、星野は二人でリビングに向かうことにした。二階への警戒を怠らないようにしながら、慎重にリビングの気配を探る。物音は一切聞こえない。

 星野は右手でマイナスドライバーを構えたまま、ゆっくりとリビングへの扉を開けた。中の様子を窺いながら、物音を立てないように進む。

 白百合もそれに続こうとしたが、リビングに入る前に星野がそれを左手で制した。何事かと星野を見ると、彼女は今までと違う目をしていた。鋭い、猟犬のような目だ。

 それを見て、白百合は嫌でも分かってしまう。

 ――リビングに、誰かいるんだ。

 呼吸が荒くなりそうなのを必死に堪え、白百合は扉から距離を取った。星野はそれを確認すると、彼女からは死角になる場所まで進んでしまった。

 星野の姿が見えなくなり、白百合は急激に心細くなってしまう。一人きりになってしまった錯覚に陥って手が震えそうになるが、心の中で自分に喝を入れ、何とか平静を保つ。

 白百合は考えた。きっと、星野は自分に何かあったときに自分がすぐに逃げられるよう、リビングの手前で止めたのだと。実際、そちらへ足を踏み入れるのはとても恐ろしかった為、その判断はありがたかった。

 だが、それでは今までと同じだ。結子がいなくなったとき同様、「何者かによって妨害された」ということしか分からない。それでは、またこちら側の敗北だ。

 白百合は記憶を取り戻したときのことを思い出した。結子を助けられなかったこと、何も気付いてあげられなかったこと、忘れていたこと、何の抵抗もできなかったこと。

 そのときは理不尽な現実にただ怒りと苛立ちを覚えたが、今は違う。その怒りを糧に、今度はこちら側が優勢に立たなくてはならない。

 白百合の表情から不安の色が消えた。

 それと同時に、リビングから地を蹴るような大きな物音がした。

「っ――星野さん!!」

 白百合は思わず大声を上げ、反射的にリビングへ駆け出していた。

 中へ入り、急いで辺りを見渡す。星野の姿は、入って右手に見えるキッチンにあった。そこの光景を目にして、白百合は唖然とする。

 星野が驚愕の表情でマイナスドライバーを向けた先、そこには、同じように驚愕の表情を浮かべて包丁を構える女性の姿があった。

「……石住井、さん」

 動揺した声で、星野がその女性の名前を口にした。





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