団結 - 2
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母がいた頃、私たち姉妹は食堂ではなく自室で食事を済ませることが割りと多かった。
母はゆるい性格をしていた。束縛を好まず、好きなときに好きなことをするのが母の生き方だった。当時は「お父様と反対だわ」なんてことを思っていたが、きっとそれは間違った認識だったのだろう、と今なら思う。
母はサンドイッチを好み、手軽でおいしい最強アイテムだとよく豪語していた。父譲りでユーモアの通じない子供だった私は「食べ物に強いも弱いもないと思う」と言った覚えがある。
「満足度で強弱を付けるのよ。サンドイッチは食べれば空腹も満たされて味覚も満たされる。味も自由自在。ほら、最強」
独特な話し方をする母の顔は得意げだった。廻は「すごいね!」と大喜びだったが、私はどうしてか反論を考えていた。きっと母が気に入らなかったのではなく、尊敬していたからこそ対等の位置にいたかったのだと思う。
でも、反論は特に思いつかなかった。だって、私もサンドイッチが好きだったから。
今思い返せば、あのときの私みたいな気持ちのまま大人になったのが父なのかもしれない。
「ご馳走様でした」
私は両手を合わせた。他の皆も私に続いて同じ台詞を口にした。阿實家に行ったことを思い出す。
「これが、セレブのお食事……」
先程まで顔を綻ばせて幸せそうにご飯を頬張っていた鈴花が、私の隣でわなわなと戦慄している。
「これを毎日ですか」
「え、ええ。まぁ、大体」
「おったまげですなー」
鈴花はたまに口調がおかしくなる。父親譲りだろうか。
私は周りに視線を移す。約五十人が集まった食事風景は圧巻だった。使用人たちは、食べ終わったあともそれぞれの話題に花を咲かせているようだ。食べ始めは厳かな空気でどうしたものかと思ったが、「いつもの宴会のように振る舞ってほしい」と私が言うと、皆すぐに今のような雰囲気に落ち着いた。お酒は許可を出したが誰も飲まなかった。
私の両隣には源次と鈴花がいる。指定をしたわけではないが、私が厨房の手伝いをして、最後に席につく頃にはそこしか空いておらず、嬉しくもあり恥ずかしくもあった。
「良いわねこれ」
談笑する使用人たちを眺めながら、私は溜息混じりにぽつりと言う。きっと誰にも聞こえていなかったのだが、それで良い。
しばらくして、食後のコーヒーやお茶が運ばれてくる。まだこのひとときに浸っていたかったが、それができないことはきっと皆も分かっている。皆の話し声が少しずつ小さくなっていたからだ。
私は全員に飲み物が行き届いたことを確認すると、一度深呼吸をしてから、なるべくいつも通りに話し始めた。
「さて、それじゃあ今後のことでも話しましょうか」
明日の出かける予定について話し合うかのように切り出したが、食堂の雰囲気は少し張り詰める。
「現状を確認します。私たちは、静城結子という人間のことを忘れ、月之世祈は廻を産んだ際に他界したと思い込み、廻は海外に留学していると思っていた。でも、それは全て書き換えられた記憶だった」
静城の名前が出たとき、何人かの使用人の表情が曇った。それだけで、彼女にどれだけの人望があったのかが分かる。
「正しくは、私の母は六年前に父の研究所で意識不明になり、廻もそこにいる。ここまでは良いですね」
私は少し間を置いて続ける。
「最後に記憶を書き換えられたときのことを、皆覚えていると思います。五和理己という少女が現れ、私は為す術もなく記憶を奪われました」
源次の顔色が少し変わった。私のもとまで駆けつけられなかったことでも気にしているのだろうか。私は源次に声を掛けようとしたが、その前に一人の使用人が手を挙げた。
「あの、私はその五和理己という女性には会っておりません」
「どういうこと?」
「あの日は急に体が重くなり、恐らく、そのまま私は意識を失ってしまったのだと思います。そして目が覚めたときには、全てを忘れていました」
彼女は、私が記憶を書き換えられたときとはまったく違う状況にいた。私はてっきり、記憶の書き換えは対象を押さえつけるなどして無力化しなければできないものだと思っていた。
しかし、言われてみれば、母の記憶を奪われたときの私はそのような経験をしていない。いつ記憶を失ったかもあまり覚えていない。敢えて説明するとしても「ある日突然眠気に襲われて気が付いたら記憶がなかった」という風になる。
「他の者も同じですか?」
私が訊くと、使用人たちは一度だけ頷いた。
それを踏まえて、私は話を続ける。
「私は、あの日五和理己と対面し、いくつか言葉を交わしました。その後、いきなり目の前が真っ暗になって、私は必死に五和理己に抵抗しました。けれど何者かが私を押さえつけて、最後に……廻の声が聞こえて。糸が切れるように意識を失いました」
あのときの廻は、もう全てを知っていたのだろう。そして、最後に私たちが記憶を書き換えられるのを確認してから、全てを背負って行ったのだ。
「恐らく私を押さえつけたのは父でしょう。それにどんな意図があったのかは分かりませんが……重要なのは、五和理己は対象に接触することなく記憶を書き換えられるということですね」
「私もいつ静城さんのことを忘れたかなんて全然分かんないや……怖いね」
横にいた鈴花が言った。彼女も静城のことを忘れていたのだから、きっと同じようなタイミングで五和理己に記憶を書き換えられたのだろう。
「お嬢様」
鈴花の反対側から低い声がして、私はそちらに顔を向ける。
「どうしました、源次」
「記憶の書き換えに関してなのですが、五和理己は、静城の記憶だけは書き換えることができなかったのではないかと思われます」
源次の発言は使用人たちの視線を集めた。
「詳しく聞かせて」
「はい。静城は行方が分からなくなる前に、自分の置かれている状況を通話で私に伝えていたのです。それを記録したボイスレコーダーは恐らく旦那様に処分されてしまったと思われますが……内容は覚えております」
私は息を呑んだ。源次は低く落ち着いた調子で続ける。
「電話の向こうからは、旦那様のお声が聞こえておりました。そして、旦那様は静城にこのようなことを仰られておりました。私の記憶に残っている言葉を、そのまま申し上げます」
源次は記憶を手繰り寄せるように一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。
「"静城結子、君は誰だ。あれは本来視認できないはずの存在だ。君が静城結子という人間であるならばね。しかし、どうしたことか君は何の迷いもなくあの場所へ辿り着いた。それは通常不可能なことなんだよ。君が静城結子以外の人間でない限りは"」
それは嫌になる程聞き覚えのある、私の父の口調だった。
食堂がしん、と静まり返る。
「あの場所……? 静城結子であるならば見つけられない場所……?」
口に出してみるも、一体何のことなのか見当もつかない。他の使用人たちも私と同じだろう。
「私も、旦那様の仰った"あの場所"という言葉が何処を示しておられるのか分かりかねますが……静城が記憶の書き換えを防ぐことができたのは――」
「彼女が、静城結子ではないから?」
使用人たちが少しざわついた。源次は私が何とか発した言葉に対し、否定も肯定もしなかった。彼らしからぬ、申し訳無さそうな複雑な表情をしていた。
だが、父の発言をもとに考えるのなら、それしか結論は出ない。
恐らく父は、誰にも悟られたくない場所を記憶の書き換えによって隠していたのだろう。それが「あの場所」だ。だが、静城はその場所を見つけた。何故なら静城結子という名前は偽名で、五和理己による記憶の操作をまぬがれたからだ。
そうとしか、考えられない。
「メイド長は、何かしらの方法で記憶の書き換えを防ぐ方法を知っていたのでは」
一人の使用人が挙手をして言った。
「それは有り得ません。静城は記憶の書き換えに勘付いている様子はありましたが、確信を得ていたわけではありませんでした。防止する手段までは知らなかったと推測します」
源次がそれを否定した。その言葉に嘘はなさそうだ。
「では何故、メイド長は名前を偽るなんてことを……」
他の使用人がそのままの姿勢で呟いた。予期せぬ事実に少なくないショックを受けているように見える。
正直、私も困惑している。祖父から聞かされた音声の中で、彼女は核心に迫るメッセージを残していた。もし彼女が味方でないなら、私たちが有利になるメッセージは残さないはずだ。
だからこそ、彼女が偽名を使っていた理由が分からない。私たちの味方なら偽名なんて使わなくて良いはずだ。それに、静城は父の秘密を知ったが故に行方不明になってしまった。ならば彼女は、少なくとも父側の人間ではないと思う。
そう、間違いなく静城結子は私たち側の人間である。それなのに、偽名だった理由が分からないというだけで、私の心に靄がかかってしまう。
「あの」
不意に、私の横から高い声がした。
鈴花がおずおずと手を挙げている。
「偽名だったことが、そんなに問題なんでしょうか」
食堂が静まり返り、皆の視線が鈴花に集まる。
「だって結子さん、絶対悪い人じゃないと思うんです。私数日しか一緒にいなかったですけど、どんと構えて頼りがいがあって、皆のこと考えてて……だから、もし偽名だったとしても、きっとそれは仕方ない理由だったんじゃないのかなって」
鈴花の言葉を聞いて、私はある日のことを思い出していた。
あの日、まだ無知だった私は、何とかして父の研究のことを調べてやろうと覚えたてのインターネットを活用していた。案の定何の成果も得られずに私は居眠りをしてしまったのだが、次の日の朝、私の体には毛布が掛けられていた。
あのとき私を起こしに来たのは静城だった。源次が不在だったからだ。
今なら分かる。あのとき私を見る静城の目は、どこか私を心配するようだった。きっと彼女は、私の夜更かしを知っていたのだ。あの毛布は、彼女が気を利かせてくれたのだろう。
「その通りね」
静まり返った食堂で、不安そうな顔をする鈴花に向かって私はそう言った。
「綴ちゃ、あー……さま」
「ちゃんで良いから。貴女の言う通りよ鈴花。偽名のことなんてどうでも良かった。過去の振る舞いから考えても、私も静城が敵だとは思えない」
源次が少し驚いたような顔をして、申し訳なさそうな表情になる。私はそんな彼とは対象的に、笑いながら言った。
「皆も同じ考えでしょう? 何なら、私は静城を疑うくらいなら、静城に後ろから刺された方がマシとさえ思っている。それに、記憶の書き換えを防ぐ方法が分かったところでもうどうしようもないし、別の話をした方が有意義じゃないかしら」
「仰る通りです」
間髪入れずに賛同をしたのは、星野という使用人だった。
「この議論がこのまま続くようであれば、私が苦言を呈しているところでした。メイド長がどのような立場にあったのか、本人が不在の今、それを確かめる術はありません。ならばそれをとやかく言うより、今私たちには何ができるのか、それを話し合うことを優先すべきです。そうでしょう、須藤さん」
星野は私ではなく、私の横で複雑な表情を浮かべる源次に言葉を投げかけた。
源次の表情が僅かに変わる。
「何を思い詰めているのか知りませんが、最年長である貴方がそのような顔をしていては他の者に示しがつきません。きっとメイド長を同じことを言うはずですよ。鉄壁の執事はどこへ行ったんだと」
星野の言葉には厳しさがあったが、その声色に棘はなかった。むしろ励ましているように聞こえる。
確か、星野は静城とはある程度親しかったはずだ。もしかすると、彼女は静城のことを何か知っていて、それが原因で源次が複雑な表情をしていると悟ったのかもしれない。
「……その通りですね。ありがとうございます、星野さん」
「もう、こんな小娘に励ましの言葉を掛けさせないでくださいよ」
苦笑する星野に向き合う源次も、同じように苦笑しているように見えた。
私はその光景を見て安堵しつつも、自分がいかに周りの人間関係を把握していなかったのかを知る。
星野が自分よりも遥かに年上の上司に向かって軽口を叩いても、それを咎めるものはいない。その様子は、彼らの間にどのような信頼関係が成り立っているのかを物語っていた。
きっと、このような場を設けなければ、私はこの先もそれを知らないまま過ごしていたのだろう。
「小娘って歳じゃないでしょ」
「お嬢様、挙手もなく意見を述べてしまったこと、申し訳御座いませんでした。お話をお続けください」
星野は近くの使用人の発言をスルーして、私に頭を下げた。私は笑いそうになったのを咳払いで誤魔化す。
「気にしないで、良いものが見られたから。さて、それじゃあ静城のことは一旦置いておくことにして、これから私たちはどのような行動を取るべきなのか。それを話し合うことにしましょう」
使用人たちの顔が少し引き締まる。
「結論から言うと、私は父の研究所へ突入する手段を見つけました。でも、そこに何があるのか、何が待ち受けているのかは分からない。私たちが持っている情報は少なすぎる。一秒でも早く廻を助けたいけど、今の状態で父に正面から立ち向かうのは危険すぎます。そこで――」
私は言葉を一度区切ってから、皆に切り出す。
「まずはこの屋敷の中を、全員でくまなく調べて欲しい。真実を知ったうえで見れば、何か見落としているものがあるかもしれない。私に協力すると言ってくれた皆の力を貸してください」
私が辿り付いた結論はこれだった。浅はかだと思われるかもしれない。だが私には力もなく、頭に関しては勉強のことしかなく、センスや閃きというものはまったく持ち合わせていない。だから、とにかく情報を集めるしかない、という結論に至った。
勿論、父は自分が不利になるような情報を残す人間ではない。それでも思いついたことをやってみる、というのが私の新しい方針だ。
皆は顔を見合わせ、少しの間沈黙する。当然だ。啖呵を切ってみたり皆を集めて食事をしてみたり、いろいろやって最後に出た言葉がこれなのだから。もっと良い案を出せたら良かったのだが、私が思いついたのはこれくらいだった。
「御意」
隣で座っていた源次が、それだけを言って立ち上がる。
「皆さん、早速取り掛かりましょう」
よく通る源次の呼び掛けで、他の者も次々と立ち上がる。私の出した結論が正解であれ間違いであれ、彼らはそれを尊重してくれるようだ。頼もしいが、同時に不安もある。
「皆――」
「ちょっと待ってください」
食堂の入口から、少し大きめの声がした。
皆の視線がそちらに集中する。
「そんな非効率的なことをやってる場合じゃないですよ」
「白百合……」
そこに立っていたのは白百合だった。
食事の準備をする前、私は源次に、白百合も夕食に誘うように申し付けていた。結局白百合が来ることはなかったのだが、今になって、彼女は食堂に姿を見せた。不機嫌そうな顔をしているが、先程のような冷静さを欠いている様子ではない。
使用人たちが不可解な表情になる中、源次が代表して白百合の前に出た。
「何かありましたか、白百合さん」
「お見せしたいものがあります」
そう言うと、白百合は自分のスマートフォンを取り出して、源次に差し出す。
源次はそれを受け取り、画面を見る。しばらくすると、彼は驚いたように声を発した。
「これは……消去されていなかったのですか」
「信じられないことですけど、静城さんのことを思い出してから見えるようになったんです」
「どうしたの?」
私は二人のもとへ駆け寄り、源次からスマートフォンを受け取る。
そこには、一通のメールが表示されていた。
From:結子さん
sub:無題
これを見たら源次に電話を渡して
「……これは?」
「画面を下にスクロールなさってください」
白百合に言われるがまま、私はスマートフォンの画面を指で操作しようとする。
「えっと……」
「お嬢様、失礼致します」
源次のサポートによって、表示されていた本文が、上にすーっと動いていく。
しばらく同じようなことをしていると、唐突に別の文章が現れた。
イスイのじたく
どうやら改行を大量に挟んでいたらしく、しばらく下にスクロールしなければ表示されないようになっていたようだ。急いで入力したのか、上手く変換がされていない。
私が隠された文章を見たのを確認すると、白百合が眉をひそめて言った。
「このメール、静城さんが行方不明になる直前に私にくれたものなんです。石住井さんって、大分前に辞めた方ですよね。その人の自宅に、何かあるんじゃないですか」
それを聞いて、私はようやくこのメールの意味を理解した。
先程、源次が皆に伝えた父の言葉。その中にあった「あの場所」というのは、きっと石住井の自宅のことだ。静城はそれをこのような形で伝えていたのだ。
「屋敷の探索なんてしてる場合じゃないですよね」
「……ええ、ええ。そうね。こんな伝え方をするってことは、きっとそれ程重要なことだものね。でも、何で静城は石住井の家に」
「そんなことどうでも良いでしょう。静城さんがこうして伝えてくれた情報を、すぐにでも活用するべきです」
白百合の声には焦りがある。そして、その意見も最もだ。
だが、どのような行動にも理由がある。それを理解せずに焦って動くのは危険だとも同時に思う。
静城は何故、石住井の自宅に向かおうと思ったのか。退職してしばらく経つ使用人に、一体何の用があったのだろう。
「何があったんですか?」
いつの間にか私の横には鈴花がいた。私は「これ、見て」と言ってスマートフォンを鈴花に渡す。鈴花はすぐに不自然な改行に気付いたようだ。
「石住井さん?」
「そう、きっとそこには静城の伝えたかった何かがある。でも、彼女が何故そこへ行こうと思ったのかが分からなくて」
「確か石住井さんって、あの写真を撮った人だよね? 廻ちゃんから聞いたんだけど」
「写真?」
写真といえば、私と廻が幼い頃に写したあれが思い当たる。でもあれは母が六年前に撮ったもので――
「……あ、そうだ。廻が言ってた。静城に説明するときにも、石住井が撮ったって」
「何の話ですか」
白百合が少し怪訝そうな顔で訊いてくる。私は横にいる鈴花から白百合へと視線を戻した。
「母が六年前に撮った私と廻が写真があるんだけど、廻はどういうわけか、それを石住井が撮ったものだと静城に説明したことがあったの。もしかしたら、静城はその矛盾に気付いていたのかも」
あのとき、静城は確か驚いた顔をしていた気がする。その本当の理由を、今になって理解した。
恐らく、静城以外の人間はこの写真に関する記憶を書き換えられていた。だが静城だけは、偽名を使っていたおかげでまぬがれたのだろう。
「そういえば、二年前に撮ったっていう説明にも疑問を抱いている様子だったわね」
「あ」
鈴花が声を上げた。
「あの写真、六年前に撮ったって言ったよね。でも色々思い出す前の綴ちゃんは二年前って言ってて……私、そのとき不思議に思ってたんだ。写真の二人はもっと小さく見えたから。きっと静城さんも同じことを思ってたんだよ」
「そうか、鈴花は新人だったから写真のことは書き換えられてなかったんだ」
そもそもあのとき、鈴花と父は顔を合わせたばかりだった。記憶を書き換えている余裕などなかっただろう。
「じゃあ、静城さんはそれを石住井さんに確認しようとしたってこと?」
「多分そうだと思います!」
鈴花の説明に白百合も納得したのか、もう苛ついている様子はなかった。
「これで静城の行動の理由がはっきりしたわね」
私は鈴花に礼を言って、白百合の携帯を受け取る。そして、それを持ち主に返した。
「白百合もありがとう。よく気が付いてくれました」
「え、いや……えっと、はい」
彼女が抱いていた月之世家への不信感は相当なものだったろうに、よくこのメールのことを教えてくれたと思う。私はその思いに応えなければならないだろう。
私は使用人の皆に状況を説明するべく、何度かそうしているように皆を見渡して言った。
「静城が行方不明になった日、彼女が石住井の家に向かっていたことがたった今分かりました。私は静城が何を確かめようとしていたのかを知るために、これから石住井の家へ向かおうと思います」
私の言葉を聞いた使用人の中に、合点のいった表情をする者は誰もいなかった。どうやら皆も静城の行動に心当たりはないようだ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てて私に声を掛けてきたのは白百合だった。
「向かおうと思いますって、何があるか分からないんですよ。司令塔であるお嬢様が行かれるのは危険すぎます」
「じゃあ私が――」
「貴女もだめ。お嬢様の唯一のご友人を危険に晒すわけにはいかないでしょ」
「ご、ごめんなさい」
挙手しかけた鈴花を、白百合がぴしゃり、とたしなめる。
鈴花にしては珍しく、あっさりと引き下がった。
「……でも、それを言ったら、私だって他の皆を危険に晒すのは賛成できない」
私は横目で使用人の皆を見る。彼女らは心配するような顔でこちらを見ていた。
分かっている。これは単なる我儘だ。石住井の家へは、何にせよ誰かが向かわなければならない。でも私は他の皆を危ない目に遭わせたくなくて、自分が行くと言い出してしまった。
だが、それは白百合の言う通り愚策だ。皆に司令を出す私は、本来この家にいなくてはならない。それなのに、私は自己犠牲という都合の良い手段を取ろうとしてしまったのだ。
「なら、"真実を知りたいから"っていう理由で勝手に行動するような人間がいれば良いってことですよね」
「え?」
白百合の言い出したことがよく分からず、私は聞き返した。
「それならお嬢様が行けと命令する必要もないでしょう」
「勝手に行動……って」
仏頂面で私を見る白百合。その目から、以前まで感じ取れていた嫌悪は伝わってこない。そこで私は、彼女が何を考えているのかを理解してしまった。
何かを決意したような強い瞳で、白百合はこの場にいる全員に聞こえるように、張りのある声で言った。
「石住井さんの家には、私が行きます」




