変化 - 5
GAME SET!!
「はぁぁぁぁ……」
「そんな深い溜息吐かなくても……」
十連敗。拍手をする剣士の顔が呆れているかのように錯覚し始めている。
「ぽよんぽよんのピンクのくせに……」
「勇者ですからね」
「こっちだって勇者よ。時駆けてるのよ」
「そんな体鍛えてんのよみたいに言われても」
別のゲームを何本かプレイした後、先程のリベンジマッチを果たすべく私は結局このゲームに戻ってきてしまった。
分かっている。ゲーム機に触れて間もない私が鈴花に勝てるわけがないのだ。だが頭で理解していても悔しさを隠すことは難しい。父に丸め込まれたときも相当悔しい思いをしているが、それとはまた別の感情。あれは不快感を伴っていたが、こちらにそのようなものはなく、ただ『次こそは』という闘志が滾っていた。
「初めて会ったときはこんな人だと思わなかったなぁ」
「え?」
「負けず嫌いだなって」
そう言って鈴花は楽しそうに笑みを零した。くすくすと笑う彼女の反応を見て、私は途端に恥ずかしさが込み上げてくるのを感じた。
「なっ、そんな、ことは……ない、とは言い切れない、わよね……」
反論しようとしたが、今までの自分の言動を振り返るとまったく言い逃れできないことを察してしまい、歯切れが悪くなる。
しかし、そうだったのか。私は負けず嫌いだったのか。今までは競う相手もなく、父に対する自分の態度を顧みることもなかった為に気付かなかった。ましてそれを私に指摘するような人間などいるはずもない。
「はぁ、今更自分の幼稚さを実感することになるなんて思わなかったわ」
「そんな落ち込むことじゃないですよ。かわいくて良いと思います」
「かっ――」
むせた。何を言い出すのかこの娘は。
「ちょっ、大丈夫ですか」
鈴花が鞄から水筒を出し、カップにお茶を注いで差し出してくれた。それを少しずつ喉に流し、咳で痛んだ喉を潤わせる。その間にも鈴花が背中を摩ってくれていたのもあり、私は落ち着きを取り戻した。
「もしかして、綴様って褒められるの苦手ですか?」
「……そういうわけではないけど」
幼少期にはよく父に成績や普段の振る舞いを褒められていたし、催事にパーティドレスを着た際なども使用人たちから称賛の言葉を貰っている。だが、彼女に言われるのとは何か違うのだ。何というか、直球過ぎるというか。
「あっ、というかまたやっちゃった! セレブ冒涜罪……」
「セレ……何?」
「な、何でもないです。でもあの、凛としてる綴様も素敵ですけど、そういう親しみやすい感じがある方が私は好きですよ――って、まだ会って間もないのに何言ってるんだ私……」
「……」
今度は鈴花が頭を抱えて動揺し出した。笑顔で人を褒めだしたり、かと思えば急に慌てふためいたりと忙しい娘だ。彼女の慌てふためき様を見ていると、不思議とこちらは冷静さを取り戻すことができるのだが。
「まぁ、貴女の言う通り、私の負けず嫌いもひとつの個性として受け入れるべきなのかもね」
私がふっと笑うと、鈴花はほっとしたような顔をした。
「そうですよ。逆に負けても平然としてるより自然だと思います」
「じゃあもう一戦ね。悔しいから」
「……目が恐いです」
「あっ!……負けちゃった」
再戦後、私は危うい状況になりつつも鈴花に勝利した。
「……手加減してないわよね」
「してないですよ! ええー、なんか急に動き読まれるようになっちゃった」
勝因は、攻め過ぎず鈴花の動きを一つ一つ冷静に分析したことによるものだった。今までは連敗の悔しさもあり、彼女に攻撃の隙を与えまいと攻撃を重ねてしまい、結果それによって守りが浅くなったところを突かれてしまっていた。しかし一旦冷静になって彼女の動きを観察していると、独特の癖というか、決まった場所で隙が出来ることを発見し、そこを上手く突くことで一歩優位に立つことができた。
「上達するの早いなあ。初めてゲーム触った人とは思えないですよ」
「いえ、多分貴女のお陰よ」
「え?」
「自分が負けず嫌いなことを自覚したら、さっきよりは頭に血が上らなくなってね。過去の自分のプレイを省みて、冷静に鈴花の動きを見ながら操作できたの」
「えー、それじゃあ私自分で敗因作っちゃったんですか?」
がっくり、という音を立てて鈴花が肩を落とした。彼女には申し訳ないが、ずっと勝てなかった相手をこうして打ち負かせたのはなかなかの達成感だ。少しこの勝利の余韻に浸らせてもらうことにしよう。
「ふふ、無意識に敵に塩を送っていたということね。私をかわいいなんて言葉で動揺させた報いだわ」
「ちょ、そんなつもりで言ったんじゃないですよー!」
鈴花が頬を膨らませて抗議してくる。先程の連敗の仕返しも兼ねて少し意地悪なことを言ってみた。期待通りの反応が返ってきて思わず笑い声を漏らしてしまう。
とはいえ、彼女とこうして戯れることがなければ、自分が負けず嫌いだということも、飾り気のない言葉で褒められると動揺してしまうと自覚することもなかっただろう。
世間一般の子供たちのように、自分も学校というものに通っていたら、鈴花のような子と友達になっていたのだろうか――目の前でころころと表情を変えるメイドを見て、私はふとそんなことを考えた。それと同時に、そんな思いをさせてくれた鈴花に、私は心の中で感謝の気持ちを抱いていた。
「……私が祈を守らなかった、というのはどういう意味かな」
父の表情と声色はいつもの冷静さを取り戻していたが、私は父が目を見開いたのを見逃さなかった。あの反応は、何かしらの動揺があったということだ。
「言葉通りの意味です。お母様が命を落としたのは、お父様の落ち度によるものではないですか」
根拠など欠片もない、謂わば暗闇に無防備で突撃するようなものだ。だが、今の私には必要な無謀さだ。情報も持たず父への有効な一手もない私には、危険を顧みず先の見えない暗闇に飛び込む必要があった。
私の母――月之世 祈の死因など聞いたこともないが、先程父の部屋へ向かう途中で思い出した。父は母の死については口を噤んだ。それはどんな理由があるにせよ、後ろめたさがあるということだ。
どんなことにも動じず、整然と振る舞ってきた父の唯一の綻び。この綻びを突くことこそが、今の私にできる反撃に他ならない。
「綴に祈の死について話したことは無い筈だが」
「ええ、ありませんね。……まさか私がお父様に与えられた知識しか持ち得ないとでもお思いですか?」
「誰かから祈のことを聞いたのか」
「ご想像にお任せします」
父が声色を一定に保っているように、私も決して口調を荒げることはしない。感情を表に出してしまえば、表面しか固めていない私の主張は一気に崩されてしまうだろう。
――私がこの冷静さを保っていられるのは、鈴花のお陰だった。
昨日の対戦ゲームを通して、私はいかに自分が負けず嫌いな性格をしているかを知った、そして、それ故に掴めるものも掴めていないということも。自分という人間を少しだけ理解した今、かつてのように取り乱すことはない。慎重に父の出方を窺い、廻を連れ戻すに至る糸口を掴む。
「……では、私が原因で祈が命を落としたと綴は言ったね。何故そう思ったのかな」
「何故だなどと、ご自分が一番良く理解しているのではないですか? お父様がもっと細心の注意を払って下さっていれば、お母様が命を落とすことはなかったと」
「……」
父が沈黙する。その表情からは真意を読み取ることはできない。
この追求がはったりであることは悟られてしまうかもしれないが、それはそれで構わない。もし私に「祈の死の詳細について知っていることを話せ」などとと発言すれば、それは私の言葉に疑いを掛けるということ。普段から『娘を信用し愛する父』として振る舞っている自分の尊厳に傷を付けることになる。ならば、父が私のはったりについて指摘する可能性は低いと考えて良いだろう。
私が危惧するところは別にあった。それは私のはったりがまったくの的外れで、「祈の死は何をしても避けることのできないものだった」と言われてしまうことだ。そうなってしまえば、母の死について父は何の責任も持たず、私が酷い言い掛かりを付けただけということになってしまう。その場合は、「私の聞いた話と違う」と言って誤魔化すつもりだったが、父の反応を見るにその必要はないようだ。尤も、母の死について語らなかった時点でその可能性は極めて低いとは踏んでいたが。
どちらにせよ、あの月之世聡だ。どう動くかを完全に読むことはできないだろう。だが、どんな発言をしようと、冷静に分析すれば新たな綻びを見つけ、そこから一つ一つ切り崩していけば――
「ああ、そうだな。綴の言う通りだ」
――長い沈黙の後、ようやく口を開いた父の言葉は、私の予想を遥かに超えていた。