うちの母が魔王と再婚しました
「マーヤ、あのね」
母が少し言いにくそうに、でも嬉しそうに私に話を切り出してきて、私はピンと来た。これはきっと、新しい父親の話に違いないと。
私の母は、いわゆるバツイチだ。私のお父さんは私が生まれる前に死んだと聞いている。だから、女手一つで私を育ててくれた母にはとても感謝していた。
母は娘の私のよく目で見てもまだ若々しく、そして美人だ。母が働いているパン屋の常連の男の何割かは、母目当てだという事も知っている。それなのに、再婚をしないのは私がいるからだろう。
片親しかいない事を哀れまれるなんて全然大丈夫だし、苛められたらやり返すので、私は特に母しかいなくても問題なかった。ただ母が私のせいで幸せになれないことが、私は嫌だった。
だから最近、母の化粧の時間が少しだけ長くなったことや、すごく楽しそうな様子に、これは男ができたのではないかと思っていたのだ。
私としては、母が幸せになるなら、どんな男でも問題なかった。私も今年で15歳。一人暮らしだってできるし、養ってもらえないなら、働くことだって出来る。
さて私の義父になる男はどんな人だろう。常連の人のいいおじさんだろうか?それとも、線の細い学者の先生だろうか。出来たら、ちょっと傲慢な金持ちちょび髭男だけではないことを祈りたい。どうもあの人は苦手だ。まあそれでも、その人を母が選んだのだとしたら、反対する気はなかった。
「あのね、お母さん、結婚しようと思うの」
「おめでとう。お母さんのお目に叶う人がやっと現れたんだね。私、祝福するよ」
そう言うと、お母さんは私を抱きしめた。
じんわりと母の暖かさが私に伝わる。
「ありがとう。もしもマーヤが反対したら、お母さんやめておこうと思っていたの」
「そんな。私に気を使って止める必要なんてないよ」
母は今まで私のためにいっぱい我慢をしてきた。だから私が母の結婚を止めるわけがない。
「ダメよ。お母さんはね、その人が好きだけど、マーヤのことの方がもっと好きなの。だからマーヤが嫌ならしないわ。マーヤはいつでもお母さんのために我慢してしまうでしょう? お母さんね、マーヤはもっと我儘でもいいと思ってたのよ」
「ありがとう、お母さん」
優しい母に、私はお礼をいう。今までも、もちろん分かっていたけれど、でも今改めて、愛されているんだなと思い、私は幸せな気分になる。
うん。私は母にこれだけ愛されているのだ。父がどんな人でも、快く受け入れよう。
「ただね、お母さんが好きな人はね、実は外国の人なの」
「えっ? そっか。じゃあ、その人の母国に住む事になるの?」
「結婚すると、そうなってしまうわね。でもお母さん、マーヤと離れたくないの。マーヤも一緒に来てくれる?」
外国かぁ。それは私が思っていた事よりも、もっとスケールの大きな話だった。
住み慣れた土地を離れて住むのは大変な事だろう。しかし母1人、慣れない外国へ行かせるのも気が引ける。母は優しく穏やかだが、しっかり者というよりちょっと抜けたタイプだった。……母さんを1人で行かせたら、何かの事件に巻き込まれている未来がリアルに想像できてしまう。
「もちろん、マーヤが大人になったら、この国へ戻ってもいいわ。でも、マーヤが子供の間は、一緒に暮らしたいの。駄目かしら?」
ここで駄目と言ったら、この結婚話を断ってしまいそうだ。私が大人になるまでという事は、あと5年。そこで住んでみて、いい就職先が見つかればそのまま永住してもいいし、無理そうならこの国に帰ってきてもいい。
私は母よりも器用なタイプだし、きっと何とかなるだろう。
「うん。いいよ」
「良かった。じゃあ、早速マーヤに新しいお義父さんさんとお兄さんを紹介するわね。実は玄関前で待っていてもらっているの」
「あ、向こうもバツイチなんだ」
バツイチ同士の結婚なら、なんだかんだで上手くいくのではないだろうか。お互いそれなりに結婚生活を経験しているので、色々譲り合えるし、母が一方的にバツイチを理由に下に見られることもない。
義兄がいるという事は、たぶん母よりも義父の方が年上という事だし、のほほんとした母をリードしてくれそうなのもいい。
呼びに行った母を待っていて、ふと通りが騒がしい事に気が付いた。何かあったのだろうか?
見に行くべきかどうするかを悩んでいると、2人の男が中へ入ってきた。1人は母より少し年上っぽい黒髪、黒目の男だ。背が高く、姿勢がいい。何か武術をやっているのかもしれない。筋肉がついて胸板も厚い。
もう1人は、1人目の男よりも背が少しだけ低く華奢だが、同じくしっかり筋肉は付けていそうだ。黒髪に赤い瞳で何とも不思議な配色だ。はて。赤色の瞳をしている人種がいる国は何処だっただろうか。
「紹介するわね。こちらカルロ。貴方のお義父さんよ。そして、この子がセシル。貴方のお兄さんよ」
「初めまして、マーヤです。母をよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。君の事はプレアから良く聞いているよ。本当に礼儀正しいいい子だね」
良かった。
私の所為で母の印象が悪くなってしまうのは困る。何とか第一印象は問題なく受け入れられたかなとほっとする。お互い連れ子持ちだけど、他の男の子供など、カルロさんにとってはあまり気分のいいものではないだろう。
「こんにちは、マーヤ。僕はずっと妹が欲しかったから、マーヤが妹になってくれて本当にうれしいよ」
そう言ってセシルがニコリと笑った。綺麗だけど女くささがないので、さぞかしモテそうな面だ。これは彼女もいるんじゃないかな?彼女に下手にやきもちを焼かれないように、ちゃんと距離感は気を付けていかないといけなさそうだ。
「お義父さんはね、魔王をやられているから、とてもお忙しいけど、今日はわざわざマーヤの為に時間を空けてくれたの。ちゃんとお礼を言ってね」
「……へ?」
今、母の口からとんでもない言葉が飛び出した気がする。えっ? 何? ま……おう?
「そんないいんだよ。君とマーヤの為じゃないか。それにマーヤに気に入ってもらえなければ、君は私の城に来てくれないのだろう?」
「マーヤは私の大切な娘だもの。当然よ。ね、マーヤ」
いや。ねって言われても。
聞き間違いとして流したい。でも確かに義父は今、城って言った。それが指し示す意味は何なのか。
「魔王様。そろそろお時間です!急いで下さい!」
玄関から、従者らしい人の声が聞こえる。今、間違いなく言った。魔王様と。
「では、急ぎで申し訳ないが、一緒に魔王城へ来てくれるかい?何ぶん、時間がないものでね」
魔王城……魔王様。異国の地……。あまりの情報に頭がくらくらしてくる。
「お母さん」
「なあに、マーヤ」
「お義父さん仕事って何?」
「だから、さっきも言ったでしょう?魔王だって。ああ、でも、魔王は職業名ではないのかしら。内容は政治的な事だと思うのだけど――」
あはは。はははははっ。
意味が分からない。
母の再婚相手が誰だろうと祝福しようと思ったけれど、これは予想外もいいところだった。というか、どこで知り合っちゃったの。
私はあまりの事に、その場で倒れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「マーヤ。僕の可愛い妹は、何故朝から不機嫌なんだい?」
きらきらした顔をを近づけてくる、義兄を見て私の眉間にしわが寄った。私が不機嫌だという事は分かるのに、どうして自分が原因だという事に考えが至らないんだろう。この馬鹿義兄は。
といっても、馬鹿は馬鹿でも普通の馬鹿とは違う。義兄は顔だけでなく、頭の中身もすごく良く、民衆からも愛されてた、魔王陛下の長男だ。いわゆる、皇太子。次期魔王陛下。そんな兄が馬鹿なはずはない。
しかし私はこの義兄が、ある特定の馬鹿だと思えてならない。それは――。
「そんなの、セシル兄様が妹馬鹿すぎるからです」
そう。顔よし、家柄よし、頭よしと3拍子そろっているのに、彼はどういうわけか、妹馬鹿、いわゆるシスコンという病を患っていた。
母から、義父と義兄を紹介されて倒れてしまったあの日から、私は魔王城で暮らし始めた。慣れない異国どころか、慣れない王族の生活。これは一緒に暮らす事に同意してしまったけれど、ちょっと大変すぎるなぁと思っていたが、暮らしていくうちに、それよりももっと大きな問題がある事が判明した。
「僕は別に普通の事をしているだけだよ。ほら、段差があるから手を貸して」
「結構です。私は段差なんかで転びませんし、転んだとしてもちゃんと1人で立ち上がれます」
「何を言っているんだい。つい最近までハイハイをしてよちよち歩きのくせに」
この義兄の目は節穴に違いない。
私のどこがよちよち歩きだ。ちゃんと幼子のよちよち歩きを見てからモノを言えと言いたい。
「あのですね。以前も申し上げましたが、私は人族。魔族換算の年齢で計算しないで下さい」
そう。魔族と人族は、成長の仕方が違った。
人族は魔族に比べて寿命が短い分、早熟だ。対して魔族は寿命が長い分、成長が遅い。その為15歳の私が、義兄には幼児にみえてしまうらしい。
初めて魔王城で目を覚ましたあの日、食事はどうするかを聞かれた。勿論食べると言うと、義兄は嬉しそうに笑い、『もう離乳はできているんだね』とのたまったのだ。
あまりに想像をかけ離れた単語が飛び出してくると、一瞬何を言われているのか分からなくなる。
さらに義兄は、トイレはもう1人で行けるの?やら、夜もしも怖かったら遠慮せず起こしてねと言った。まて、ついてくる気か。正気か?!と正直思った。15歳の娘のトイレについてくるとか、若干変質者だ。むしろお前が怖い的な。
その後義父と話した結果、どうやら魔族にとっては、私がとても幼く感じる事が分かった。15歳というのは、魔族にとっては幼児もいいところらしく、魔族領をほとんど出たことがないセシルは中々その人族との差が理解しがたいものらしい。
だったら、うちの母は、そこからプラス3年後に私を生んでるんですけど、どうなんだと言いたい。
それにその理屈でいけば、母だって幼く見えてしまうのではないだろうか。
しかし、その辺りは父親が選んだ人という事もあり、ちゃんと成人した女性とみなしているそうだ。……そうやって融通がきくなら、私に対してももっと融通をきかせてほしいものだ。
「ほら。それにここはとても広いんだよ。もしも迷子になってしまったらどうするんだい?」
「その辺りにいる、メイドに道を聞きます」
「……よし。そのメイドは首にしてしまおう」
「何を言っているんですか。全然意味が理解できないのですが」
どうして今の会話で、メイドが首になる。話が飛びすぎてて、正直疲れる。
「そんなの、僕がマーヤに頼られるタイミングを潰すからじゃないか。マーヤ。何でも言って。僕は可愛いマーヤの為ならなんだってやるよ」
「だったら、必要以上にかまわないで下さい」
「それは無理というものだよ。ちゃんと子供は愛されて育たないといけないんだぞ」
ツンツンとほっぺを突っつかれるが、悪いが私の肌は赤子のようなもち肌ではない。しかしセシルはそれでもいいのか、とても幸せそうだ。何が楽しいのか、さっぱり理解できない。
「とにかく、今日は定例の家族会議の日です。急ぎましょう」
私はこれ以上は何を言っても無駄だと思い、足早に廊下を歩いた。裾の長いドレスはとにかく歩きにくいが、これが正装だというのだから仕方がない。
ああ、あのペラペラで着心地があまりよくない麻の服が懐かしい。膝がみえてしまう長さのあの丈なら、廊下を走って、この義兄をかわす事だってできただろうに。
しばらく進んで、私は大広間にたどり着いた。ドアの前に立つと、すっと従業員が扉を開ける。ドアぐらい自分で開けられるのに。全く持って、無駄にしか思えない。
いつになったらこの生活に私は慣れる事が出来るだろう。
「やあ、おはようマーヤ、セシル」
「おはようございます、お義父様」
「おはよう、父上。聞いてよ。マーヤったら、こんなに小さいのに、もう自分で起きて着替えができるんだよ。この子、本当に天才だよ」
馬鹿にしてるんですか、この義兄は。
朝一番の苛立ちを思い出し、私は気持ちを落ち着かせるため深く息を吐いた。
「セシル兄様。起きたばかりの、淑女の部屋を突然訪ねるのは、少々常識外れだと思いますが?」
「何を言っているんだい。朝一に、妹の顔を見に来ない兄がどこにいるっていうんだ?」
「たぶん、世界中に大勢みえると思います」
「それに、もしも上手く寝がえりがうてなくて、窒息したりしていたらと思うと」
「ご安心ください。寝返りに失敗した記憶はありません」
そんな寝返り云々は1歳までの間にマスターしている。今更だ。今後寝返りができなくなったら、それは老化だと思う。
「まあ。セシルは優しいお兄さんね」
「お母さん、セシル兄様を甘やかさないで下さい。私も魔族の常識を徐々に覚えていこうとしていますが、セシル兄様にもちゃんと人族の常識も覚えてもらえないと、これから上手く付き合っていけません」
トイレは自分でできるし、寝返りもうてる。勿論、ごはんだって、食べさせてもらう必要はない。初日自分で食べてしまった時の、義兄のショックを隠し切れないような顔は今でも忘れられない。
ちゃんと主張しないと、このままでは食べるのすら手伝われてしまう。
「マーヤは本当にしっかりしているなぁ」
「ええ。私の自慢の娘ですもの」
「とりあえず、席についてもよろしいでしょうか?」
イチャつき始めそうな義父と母にそう声をかける。母が幸せなら存分にいちゃついてもらいたいが、今日はつきに2回の家族会議の日。忙しい義父と私が一緒にご飯を食べて話ができるのはこのタイミングしかないのだから少しだけ我慢してもらう。
そう。今日はどうしても聞いてもらいたい話があるのだ。
「ああ。勿論だとも。セシルも座りなさい」
そう言われて、私と義兄は隣りあわせで席に座る。
すると執事がさっとナフキンを私の膝にかけた。最初はよだれかけもかけられそうになったが、今はそれはいらない事をちゃんと理解してくれる、優秀な執事だ。
そしてテーブルにサラダが配られる。
私は神に祈りをささげ、食事を開始した。そしてしばらくして、私は義父に切り出した。
「あの。お願い事があるんですが」
「お願いごと?なんだい?」
「えっ。叶えて欲しい事があるなら、僕に言ってくれればいいのに」
黙れ、義兄。そう心の中で唱えつつ、私は義父をまっすぐに見た。彼は母と結婚しただけあって、ちゃんと人族に対して理解を示してくれる。
だから、きっと私の願いを分かってくれるはずだ。
「できれば、どこかこの国の学校に通わせて下さい。全寮制でも構いません」
そう言って私は頭を下げた。
「反対だよ!マーヤにはまだ早すぎる!!何を言ってるんだい?!」
「私はセシル兄様の許可が欲しいのではなく、お義父様に許可してもらえるよう頼んでいるのです」
隣で思った通り騒ぐ義兄に、私はぴしゃりと言った。いい加減、私が子供ではない事に気が付いてくれないものか。
「だって、マーヤはまだ15歳だよ。子供は遊ぶのが仕事なんだよ?」
「まだではなく、もう15歳です。後5年もすれば成人です。この国でこのまま暮らしていくならば、知識を身に着けなければ誰も私を雇ってはくれないでしょう。そうなれば、母国に帰るしかありません」
「そんなの、駄目だよ。こんなに小さなマーヤが1人で生活なんかしたら死んじゃうよ。それに働く必要なんてないよ。僕がずっとマーヤを守ってあげるから」
全然理解を示そうとしない、義兄に腹が立ち、私はバンと机を叩いて立ち上がった。
「そう言うできもしない言葉は謹んで下さい。前にも言いましたが、年齢は魔族計算ではなく、人族で計算して下さい。私は貴方の妹かもしれませんが、血のつながりはないのです。お母さんとお義父様が居なければ赤の他人ではないですか」
言ってから、はっと、私は言いすぎた事に気が付く。
きっと義兄も私が上手くなじめるように、あれやこれやと世話を妬いてくれているのだ。それなのに……。
「ごめんなさい……言いすぎました。ごちそうさまです。部屋に戻ります」
「マーヤっ?!」
私はぺこりと頭を下げて廊下へ飛び出した。
やってしまった。
我儘は言わない。母の為なら、どんな我慢だってすると決めたのに。まだ1年もしないうちに、こんな事をしてしまうなんて。自己嫌悪で倒れそうだ。
母の相手は、どうして人族ですらなかったのだろう。せめて人族ならば、まだ常識も通じた。又は同じ国に住んでいれば。そうでなくても、身分が釣り合っていれば……色々思う所はある。でも、選ぶのは私はなく母なのだ。私がとやかく言う権利はない。
昔が懐かしかった。
母と2人暮らしの時は、ここみたいに贅沢三昧はできない。ごはんだって、誰かが作ってくれるなんてありえないから、私か母が交代で作っていた。
それでも、母は私を一人前と見てくれていて、ここみたいに、どこまでも甘やかそうなんて事はしない。私は幼児じゃないのだ。
そして、しばらく歩いて、ふと気が付く。
「あれ?ここ、どこ?」
魔王城は広い。
迷子になってしまうよと義兄が言った言葉が脳裏をよぎる。
右を見ても、左を見ても、見覚えがない。どうやら、本当に私は魔王城で遭難してしまったようだ。
◇◆◇◆◇◆
静かだ。
じっと廊下の片隅で座っていたのだが、誰一人通らない。誰か通りがかったメイドを捕まえて、部屋までの道を聞けばいいと思っていたのだが、この廊下はあまり使われていない場所なのかもしれない。
移動するべきか、気長に誰かを待つべきか。
悩みながらぼんやりと窓から見える空を見上げる。空は昔住んでいた場所と全く変わらないのに、どうしてここはこんなに違うのだろう。
「にしても、静かな場所」
魔王城は敷地が広いので、町とも隔絶している。
なので町の音はここまで入ってこない。人が居れば、もう少し違うのだろうが……今は誰もいない。
「そう言えば、ずっとセシル兄様が一緒に居てくれたから、こんなに静かだなんて思わなかったなぁ」
もしかしたら、義兄は、城での暮らしが慣れていない私が寂しくないよう、わざと必要以上に構ってくれたのかもしれない。
そう思うと、本気で、自分の感情だけぶつけてしまった自分が恥ずかしい。相手の方が私より、数倍年上なのは分かっているけれど、一人前としてみろと言っておいて、子供のような行動をとるなんて。
「あーもう。悔しいなぁ」
もう少し私はできる人間だと思ってたんだけど。
ずっと義兄に助けられていたのではないか。これじゃあ、確かに幼児と変わらない。あんな風に馬鹿にされたような扱いをされても仕方がない。
ここが義兄のテリトリーで、ずっと暮らしていた場所だとしても――。
「そっか。セシル義兄、寂しかったのかも」
ふと、どうして義兄がこれほど私を構ってくるのか分かってきた。義兄はこの静かな場所でずっと暮らしてきたのだ。
私には母が居て、毎日顔を合わせていたけれど、魔王様は忙しくて毎日顔を合わせる事はできないだろう。そんな静かでどこか寂しい場所で、義兄は育ったのだ。
どうして、ぽっとでの妹にこれほど固執できるのかと思ったが、義兄は妹に、というか家族に執着しているのだ。
その憧れが行き過ぎて、私を幼児として扱うのかもしれない。まったくもって、迷惑極まりないが、その気持ちは分からなくはないものだ。私も母が仕事に行っている時は、1人で寂しかった。いつか、私を置いて母が居なくなってしまうのではないかと怖かった。
「ごめんなさい」
許してもらえないと思うけど。家族に憧れていた人に、私は他人だと言ったのだ。傷つけてしまった。
……せめて、母はちゃんと受け入れてもらえればいいのだけど。私は自業自得だから、追い出されても仕方がない。でも私の所為で、母までここに居ずらくなってしまったら困る。
「グルグルグルッ」
「へ?」
動物の唸るような声が聞こえて、私ははっと顔を上げた。そしてその姿を見て固まる。
「犬……じゃないよね」
私が見つめる先には、私が知っている犬より、どう考えても3倍ぐらい大きな犬がいた。しかも首が3つ。
って、何あれ?
逃げないとヤバいよね。あんな生き物、私が住んでいた国にはいなかったから、この国特有の動物かもしれない。でも、絶対危険だ。だって、肉食獣ですって歯をしてる。
何で、魔王城にそんな危険な動物がいるのか分からないけれど。
私は立ち上がると、化け物を見ながらじりじりと後ずさる。私が一歩動くと、化け物も一歩踏み出す。さらに一歩後ずされば、あざ笑うかのように、やはり一歩前へ足を踏み出してくる。
もしもここで背を向けて走ったら、あっという間に追いつかれて噛み殺されてしまうのではないか。かといって、このまま見つめ合っていてもどうしようもない。
「バウバウバウバウッ!アウーン!!」
私がどうしたら逃げられるか悩んでいると、突然化け物が吠えた。牙をむき出して吠える姿と、大きな声に、私はその場で座り込んだ。足がガクガクいて動かない。
ああ、絶対無理だ。あの生き物から逃げられる気がしない。
その迫力に、私の今までの人生が走馬灯のように頭の中を巡る。できるなら、こんな誰もいないところで食べられるなんて最期は嫌だなと思う。
でもどうしようもない。きっとこれは、優しい人を傷つけた私への罰なのだ。
私は覚悟を決めて目を閉じた。
「マーヤッ!!」
私は名前を呼ばれてバッと目を開く。すると、誰かに強く抱きしめられた。
母のように柔らかくない。もっと大きな人だ。力も強い。
「良かった。無事だったんだね。ここはまだマーヤが来たこともない場所だから怖かったよね。もう大丈夫だよ」
「セシル兄様……」
声でそれが義兄だと分かる。
その声でほっとして、私の目から滴が落ちた。良かった。見捨てられなかった――じゃない。目の前の怪物は?!
しかし義兄が抱き付いている為どうなったかを確認することができない。
「ケルベロスも良くやったね。お利口だぞ」
「「「クーン」」」
どこが犬が甘えたような声が聞こえる。
ケルベロス?……まさか。
「あの。セシル兄様、首が3つのその犬は……」
「ああ。僕のペットのケルベロスだよ。可愛いだろ」
ごめんなさい。その感性もたぶん人族と違うようです。私には、どう見たら可愛いのかが分からない。
「マーヤの匂いをたどって探してくれたんだ」
「えっと吠えたのは」
「見つけたから僕を呼んでくれたんだよ」
……なんだ。そうだったのか。てっきり威嚇されているのかと思った。でもまあ、私なんて威嚇いなくても、噛み殺せてしまいそうだけど。
「あの。セシル兄様」
「マーヤ。もしも困った時は、ケルベロスみたいに大きな声で僕を呼んで。そうしたらちゃんと助けてあげるから」
「えっと」
「義母上から、マーヤは何でも自分で解決しようとする子だって聞いてるよ。きっと、今まで頼る相手が居なかったんだもんね。でもこれからは、僕がいるから」
「あの。私……セシル兄様に、酷い事言って……」
そんな状態で優しくされると正直困る。
「マーヤが言ったのは本当の事だからね。僕らは他人だ。でも、だからこそ、努力すれば家族以上に愛し合えると思うんだ。少なくとも僕はずっと、妹が欲しくて、その大切さを知っているから」
ああ。
いつか、私も兄馬鹿になるかもしれない。このヒトは、私の兄などには勿体ないぐらい、優しい人だ。
そう思いながら、義兄に手を引かれながら、元の場所に戻る為の道を歩いた。
◇◆◇◆◇◆◇
「というわけで、せめて今は家庭教師で我慢してほしいんだ」
義兄の説明では、やはり魔王の娘となると、色々危険も多いそうだ。そりゃそうだ。血がつながってはないとはいえ、この国の1番偉い人の娘となるのだから。
だから学校に通うのは待って欲しいとの事。
「分かりました」
ちゃんとそうやって説明してもらえれば、私だって納得できる。まだ小さいからとかで誤魔化されたら、いつになったら私は大人とみなされるのか分からない。
「手続き、ありがとうございます。その意に報い、この国で生きていけるよう、しっかりと知識を身につけます」
「この国で生きていけるようにって、マーヤは変な事をいうね。マーヤはずっとここに居るんだよ?」
……相変わらずこの義兄の頭の中で、私は幼い妹には変わりないようだ。それでもその溝をゆっくりと埋めていく覚悟はした。だから私も説明は惜しまない。
「ずっとは無理です。そもそも私は人族でセシル兄様とは生きる時間が違います。母はお義父様と結婚され、血の契をしましたので、お義父様と同じ時を生きますが、家族であるだけの私は、この中の誰より早く成長老化し、やがて死にいたるでしょうから」
母よりも早く老い、老衰する時、私はとても悲しくなると思う。母もまた同じだろう。だからそうならないよう、私は母との約束通り成人したらここから出ていくつもりだ。お義父様は忙しいけれど、ちゃんと母を愛して下さっているので、安心だし。
「マーヤは難しく考えすぎるね。そんな事気にしなくても大丈夫だよ」
「セシルお兄様はもう少し、人族について勉強して下さい」
普通に考えて気にする。まだ早く成長する人族というのが良く分かっていないのだろうけど。
「大切なマーヤの事だもの。勉強しているよ。義母上は、18歳でマーヤを産んだんだよね。マーヤも18歳で魔族と結婚すれば問題ないじゃないか」
「結婚はそんな老化を遅らせる為にするものではなく、好きな人と一緒に生きていく為にするものなので、そういう考えはどうかと……」
私はそれほど長生きに憧れていないし、結婚するならちゃんと好きな人とが良い。今のところ母国で相手を探した方が身の丈に合っているんじゃないかと思うぐらいだ。
「そうだよ。一緒にずっと生きていく為にするもんだ。マーヤが18歳になるのが楽しみだね」
……ぞわりと何故か鳥肌が立った。
あれ?義兄の言い方が……まるで……。
「人族は18歳でもう大人なんだね。マーヤは15歳だから、あと3年かぁ」
「……一応、成人の儀は20歳です」
「なら、義母上との約束は20歳になるまではここに居るという事だね。ちなみに、魔族の成人の儀は60歳だからね。義母上も魔族になったのだし、この約束は60歳の方が正しいのかな?」
それ、私にとっては還暦です。
大人というか、既におばあさんという感じの年齢です。
「18歳が楽しみだね。できたら早めに老化は止めた方がいいと思うんだ。60歳まで時間は、たくさんあるけれど」
「は、ははは」
「早く、マーヤが大きくなるといいなぁ」
「えっと……あの、セシル兄様。まだ私は子供ですから」
自分で否定したはずの言葉を、自分でいう事になるなんて。でも、義兄は気にしていないようでニコリと笑う。
「分かってるよ。だからうんと、甘やかしてあげるね」
3年間の間に、何か対策しなければ。
ブラコンになりそうだなんて考えている場合じゃない。私はこの日から、義兄の家族を作る為に、嫁探しに奮闘する事となった。