悪役令嬢と結婚するのは嫌ってだけの話
悪役令嬢と結婚するのは嫌ってだけの話。
婚約破棄を言い渡されたのは、よく晴れた日の午後だった。
王都でも名高い庭園にて、私は静かに紅茶を飲んでいた。向かいに座る婚約者――第一王子レオンハルト殿下は、妙に晴れやかな顔をしている。
「エリシア・フォン・グランツ。君との婚約を破棄する」
ああ、来たか。
内心でだけため息をつき、私はカップをそっと置いた。
「理由を伺っても?」
分かりきってはいるが、一応聞いておく。
「君は悪役令嬢だからだ」
堂々と言い切られてしまった。
周囲に控える令嬢たちが、くすくすと笑う。どうやら、私が彼女たちに意地悪をしてきたという設定らしい。
……設定、ね。
「具体的には?」
「君はマリアに嫌がらせをしただろう! 陰湿な罠を仕掛け、何度も彼女を困らせた!」
殿下が指さした先には、栗色の髪の少女――平民出身のマリアが、震えるように立っている。
ああ、この構図。
なるほど、そういう筋書きか。
「申し訳ありませんが、覚えがありません」
「しらばっくれるな!」
怒鳴られるが、事実なのだから仕方ない。
私はマリアに嫌がらせなどしていない。むしろ、彼女の振る舞いに周囲が戸惑っているのを何度か見た程度だ。
だが、ここで否定したところで無意味だろう。
なぜなら、これは“物語”だから。
私、エリシア・フォン・グランツは、いわゆる悪役令嬢という役割を与えられている。
そして殿下は、ヒロインに恋をして、悪役令嬢を断罪する王子様。
典型的な、よくある話。
「……そうですか」
私は立ち上がった。
「婚約破棄、承りました」
周囲がざわめく。もっと取り乱すと思っていたのだろう。
だが、私は別に絶望などしていない。
むしろ、少しだけ安堵していた。
「ずいぶんあっさりしているな」
「ええ。もともと、この婚約には乗り気ではありませんでしたので」
「なに?」
殿下が眉をひそめる。
私は淡々と続けた。
「悪役令嬢と結婚するのが嫌なのでしょう?」
「ああ、当然だ!」
「私も同じです」
場が、凍りついた。
「……どういう意味だ?」
「私は、悪役令嬢と結婚したくありません」
「君がその悪役令嬢だろう!」
「だからです」
私はにっこりと微笑む。
「自分と結婚するなんて、冗談ではありませんもの」
数秒の沈黙の後、誰かが吹き出した。
それを皮切りに、空気が一気に崩れる。
「ふざけているのか!」
殿下は顔を赤くして怒鳴った。
「いいえ、本心です。私は“悪役令嬢”という役割に興味がありませんし、それに縛られる気もありません」
私はゆっくりと周囲を見渡した。
「そもそも、私が本当に悪役令嬢なら、こんな場で大人しく引き下がると思います?」
誰も答えない。
当然だ。
本物の悪役なら、もっと派手に暴れるだろう。
だが私は違う。
「ですから、殿下のご希望通り婚約は解消いたします。その代わり――」
私は一歩踏み出した。
「今後、私に“悪役令嬢”を求めるのはおやめくださいませ」
殿下は何か言い返そうとして、しかし言葉を失った。
その隙をついて、私は一礼する。
「それでは、ごきげんよう」
こうして私は、王子との婚約を失った。
だが同時に、ひとつの役割からも解放されたのだった。
――その日の夜。
「いやあ、見事だったよ」
屋敷の書斎で、私は一人の青年と向かい合っていた。
第二王子、ルーク殿下。
彼は楽しそうに笑いながら、ワインを揺らしている。
「ずっと見ていたのですか?」
「途中からね。兄上の顔、最高だった」
性格が悪い。
だが、嫌いではない。
「それで? これからどうするつもりだい?」
「どうもしませんわ」
私は肩をすくめた。
「静かに暮らします。悪役でも、ヒロインでもなく、ただの一人の人間として」
「それは難しいんじゃないかな」
「でしょうね」
それでも構わない。
役割に従うよりは、ずっとましだ。
「ねえ、エリシア」
ルーク殿下が、ふと真面目な声で言った。
「君、結婚する気はある?」
「相手によります」
「じゃあ、僕はどう?」
思わず瞬きをした。
「……冗談ですか?」
「半分は本気」
彼は笑う。
「悪役令嬢でも、そうでなくても関係ない。君自身に興味があるんだ」
珍しいことを言う人だ。
「ですが、私は社交界では評判が悪いですよ?」
「だから何?」
即答だった。
「評判なんて、誰かが勝手に作った物語だろう? 君はどう思う?」
試すような視線。
私は少し考えてから、答えた。
「……嫌いですわ。そういうの」
「なら、ちょうどいい」
彼はグラスを置いた。
「僕も嫌いだ」
その言葉に、思わず笑ってしまう。
「奇遇ですね」
「だろう?」
静かな夜だった。
窓の外には、星が瞬いている。
「少し考えさせてください」
「いくらでも待つよ」
ルーク殿下は立ち上がり、軽く一礼した。
「君が“君として”選ぶ答えなら、なんでもいい」
そのまま彼は去っていく。
一人残された書斎で、私は小さく息を吐いた。
「……本当に、変な人」
だが、悪くない。
悪役令嬢でも、ヒロインでもない。
ただのエリシアとして、誰かに見られるのは――
少しだけ、嬉しかった。
窓の外の夜空を見上げながら、私はそっと呟く。
「悪役令嬢と結婚するのは嫌……ね」
けれどもし。
“私”と結婚したいと言ってくれる人がいるのなら。
それは、少しだけ――
考えてもいいのかもしれない。
良ければ高評価やブクマをよろしくお願いします。




