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朝日が完全に地平を越え、分岐域の境界に残っていた陰りを押し流していった。
先ほどまで漂っていた張り詰めた空気は、嘘のように静まり返り、ただ澄んだ風だけが大地を撫でている。
戦いは終わった。だが、誰一人として「勝った」という言葉を口にしない。
ライルは岩陰に腰を下ろし、背を預けたまま深く息を吐いていた。
身体は重い。腕も脚も、鉛を詰め込まれたように言うことをきかない。
(生きてる、それだけで……十分か)
視界の端で、リュミエが彼の前に座り込むのが見えた。
朝の光を受けた彼女の表情は、まだ少し青白い。胸の光も、はっきりとは戻っていない。
それでも確かに、そこに在った。
「……ライルさん……」
その声は、普段よりも小さく、慎重だった。彼は顔を上げ、ゆっくりと応える。
「……はい」
リュミエは、一度言葉を飲み込むように唇を噛み、それから続けた。
「……さっき……」
「……私……起きたとき……」
言葉が、少しだけ震えた。
「……あなたが……前に立ってるのが……見えた……」
ライルは、視線を逸らさず聞いていた。
「……怖かった……」
「私……また……間に合わなかったんじゃないかって……」
その告白は、静かだったが、重かった。ライルは、しばらく沈黙してから言う。
「怖がらせてしまいましたか」
「ううん……」
リュミエは、首を振った。
「……違う…怖かったのは……あなたが……傷つくかもしれないって……」
その言葉に、ライルの胸がわずかに軋んだ。
(そうか私も、守られていたのか)
彼は、ほんの少しだけ笑った。
「それならお互い様ですね」
リュミエは、驚いたように目を瞬かせる。
「……え?」
「あなたが前に立つとき、私はいつも同じことを考えています。もし…守れなかったら、と」
リュミエの胸に、熱が灯った。
(……同じ…だったんだ)
二人の間に、短い沈黙が落ちる。その沈黙は、重くはなかった。むしろ共有された感情が、静かに馴染んでいく時間だった。
エアルが、少し離れたところから様子をうかがっていたが、意を決したように近づいてきた。
「ライル」
小さな声。
ライルは、そちらへ視線を向ける。
「はい」
エアルは、胸のペンダントをぎゅっと握りしめながら言った。
「ありがとう」
「ぼく…こわかったけど、ライルが前にいたから」
言葉が、途中で詰まる。
「……にげなかった」
その一言に、ライルは一瞬、言葉を失った。
(逃げなかった、それだけで十分すぎる)
彼は、ゆっくりと頭を下げた。
「そう言ってもらえるなら、立った意味はありました」
エアルは、少し照れたように頷いた。その様子を見て、ルアナがほっと息を吐く。
「なんか派手じゃないけど、すごい戦いだったね」
ゼクスが、腕を組んで苦笑する。
「……ああ…敵を倒したわけじゃねぇ。でも負けてもねぇ」
リーネが、静かにまとめる。
「これは“排除”ではなく“拒否”と“保持”による成果です。守るべき対象を失わず、敵意を拡大させず、目的を達成した。戦術的にも……最善に近い。」
その評価に、ライルは小さく息を吐いた。
(戦術か、私は……ただ…通さなかっただけ)
だが、その“ただ”がどれほど重要だったかを、皆が理解していた。リュミエは、胸に手を当て、静かに目を閉じる。眠っていた光が、わずかに脈を打つ。まだ強くはない。だが戻ろうとしている。
(……盾…守るって前に立つことだけじゃない立ち続けること)
彼女は、目を開け、ライルを見る。
「……ライルさんあなたは…」
言葉を探し、そして――
「……私の……盾だった……」
その言葉は、静かで、確かなものだった。ライルは、少し驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくりと頷いた。
「……そうであれたなら……本望です」
朝の光が、三人
リュミエ、ライル、エアルを包み込む。それは、勝利を祝う光ではない。誇示するための輝きでもない。
ただ失わずに済んだという事実を、静かに肯定する光だった。
朝の光が完全に地を照らす頃、分岐域の名残はほとんど消え去っていた。風は一定の方向に流れ、草の揺れにも迷いがない。
この土地が、再び“通れる場所”へ戻ったことを、自然そのものが示している。
野営地の片付けが、静かに進められていた。派手な声も、勝鬨もない。だが、皆の動きには不思議な一体感があった。
ライルは立ち上がり、背負い袋を持ち上げる。
いつもの重さ。いつもの感触。だがその意味だけが、少し変わっていた。
(……同じ荷物…でも……役割は…はっきりした……)
彼は、無意識のうちに、リュミエのほうを見ていた。
彼女はエアルの前にしゃがみ込み、何かを話している。
「今日は少しゆっくり歩こうね」
「……うん……」
エアルは頷きながらも、ちらりとライルを見る。
そして、少しだけ微笑んだ。それだけで、胸の奥が温かくなった。
(……通した…)
(通さなかった……)
(それで……よかった……)
リーネが、地図をまとめながら言う。
「この先は、しばらく大きな歪みはありません。ですが……今回の件で、外界に“観測された”のは確実です。」
ゼクスが肩をすくめる。
「つまり……今後も、面倒は増えるってことか。」
「ええ。」
リーネは淡々と頷いた。
「ただし……彼らは、無秩序に襲ってくる存在ではありません」
「明確な“条件”を満たさない限り、積極的な干渉はしないでしょう」
ルアナが首を傾げる。
「条件……?」
リーネは、リュミエを見る。
「“強く使われた光”」
「そして……それを“守る構造”があるかどうか」
その言葉に、皆が黙り込む。ライルは、静かに理解していた。
(……だから……私が…前に)
リュミエは、リーネの視線に気づき、ゆっくりと頷いた。
「分かってる。無理はしない」
その声は、以前よりも慎重で、重みがあった。光を使うことの意味を、身をもって知った者の声。
リーネは、満足そうに頷く。
「それでいい」
「光は使い続けるものではありません」
「必要な時に戻ってくるものです」
その言葉に、リュミエは胸に手を当てた。眠っている光が、わずかに応える。確かにそこに在る。
ライルは、深く息を吸い、歩き出す準備を整えた。すると、不意にリュミエが声をかけてくる。
「ライルさん」
彼は振り返る。
「はい」
リュミエは、少し言いづらそうにしながら、続けた。
「……これからも……前に立つこと……あると思う」
その言葉に、ライルは一瞬だけ考えすぐに答えた。
「はい必要なら立ちます」
リュミエは、安心したように息を吐いた。
「……ありがとう……」
だがライルは、そこで言葉を足す。
「ただし」
彼女が、きょとんとした顔をする。
「一人では立たせません」
その言葉に、リュミエは驚き、そして小さく笑った。
「うんっ」
エアルが、二人のやり取りを見て、少し誇らしげに胸を張る。
「ぼくもついてる」
その宣言に、ゼクスが吹き出す。
「ははっ!頼もしいじゃねぇか!」
ルアナも、嬉しそうに頷く。
「うん!みんなで、だね」
リーネは、静かに締めくくる。
「役割は、固定ではありません。前に立つ者、支える者、守られる者、そのすべてが、状況に応じて入れ替わる。それが“続く旅”の形です」
ライルは、その言葉を胸に刻む。
(続く、だから私は、ここにいる)
リュミエは、空を見上げた。分岐域を越えた先の空は、澄んでいて広い。
だがその向こうには、まだ見ぬ影と光が確実に待っている。それでも。彼女の足は、迷わなかった。
ライルの背中が、少し前にある。
エアルの手が、確かにここにある。
仲間たちの気配が、背後を固めている。
(行ける。今度は支え合って)
一行は、再び歩き出す。静かな勝利を胸に抱きながら。この先で待つものが、どれほど重い問いを投げかけてこようとも。
光をつなぐ者。
光を守る者。
その二つを支える者。
それぞれの役割が、重なり合う。




