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光の欠片を宿す者【旧台:勇者様は今日も常識はずれ】  作者: 憂姫
理想と現実の間で

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風裂きの谷を抜けた瞬間、空気は一変した。


 谷の強烈な風が嘘のように静まり返り、代わりにひんやりと冷たい湿気が肌に触れる。空気は重く、湿った静寂が一行を包み込んだ。


 目の前には、一面を満たす白い霧。


 ゆっくりと揺れ、呼吸に合わせて脈を打つように膨らんでは縮むその霧は、ただの自然現象ではないとひと目で分かる異様さを放っていた。


(ここが……白霧の街……)


 リュミエは胸に手を添えたまま、震えるような霧の気配を感じ取る。


 胸の光は弱いが確かな揺れを見せ、まるで霧の中にいる“誰か”を探しているかのように、一定のリズムで明滅を続けていた。


「……静かですね」


 ライルが霧の向こうを見つめながら呟く。


 ゼクスが鼻を鳴らした。


「静かっていうより……気味悪ぃな。普通の霧ならもっと風に流されるもんだろ。こいつは“立ってる”」


 リーネが淡々と観察を続ける。


「この霧は“心を映す霧”。外界核の力が濃く残った土地で起きる特異現象です。近くを歩く者の感情と反応し、時に映像のような形で幻影を生むことがあります」


 ルアナがリュミエの腕を軽く握り、心配そうに見上げた。


「リュミエ、大丈夫?苦しくない?」


 リュミエは胸の光の震えを確かめながら、小さく息を整える。


「……苦しいけど……まだ大丈夫。でも……霧の奥で、誰かの“心”がすごく揺れてる。怖がってる感じがするの」


「“光持ち”ですね」


 ライルが静かに断言する。


「この霧の性質と胸の光の反応……間違いないでしょう」


 リュミエは霧へと一歩踏み出そうとして、思わず足を止めた。


 霧はただの白い薄布のように見えるのに――身体が触れようとすると、まるで意志を持つように“拒む気配”を感じた。


(怖い……)


(なんで……?霧なのに……こんな……冷たくて……)


 胸の光が小さく跳ねる。


 その恐怖に反応するように、霧の表面に薄い影が揺れた。


 ぼんやりと、誰かの背中のような影。

 泣き叫ぶように震える影。

 助けを求めるように手を伸ばす影。


 リュミエは息を呑む。


「……見える……」


 ライルがすぐに反応し、前に立つ。


「何が見えるのですか、リュミエ」


「人……みたい……でも、違う……“心の影”……誰かの不安が形になってる……」


 ゼクスが肩を引き締める。


「なるほどな。“心を映す霧”ってやつか。こっちの不安がミラーハウスみたいに映し出されるのかよ」


 リーネが冷静に続ける。


「ええ。その影は実体を持ちませんが、心を揺さぶります。無視できません。最悪、自分の感情に飲まれて正気を失う場合もあります」


 ルアナが手を握る力を強め、リュミエの腕に顔を寄せた。


「リュミエ、あんまり奥へ行かないでね。ここ……人の心が迷子になっちゃうところだから……」


 リュミエの胸がきゅっと締め付けられた。


(怖い……でも……)


(この奥で……誰かが泣いてる……)


(助けを……求めてる……)


 その瞬間、胸の光が強く脈動した。


「っ……!」


 リュミエは胸を押さえながら、霧の奥を見つめる。


「ライルさん……行かなきゃ……!あの人……もう限界だよ……!」


 ライルは迷いなく頷いた。


「分かりました。では、霧の中へ入ります。皆さん、心を強く保ってください」


 ゼクスが大きく息を吐いた。


「しゃーねぇ。行くか。こんな霧にビビってられるかよ」


 リーネは杖を掲げ、小さな魔法の光を灯した。


「最低限の視界は確保します。ですが、霧が強い場合はすぐに吸収されます。油断しないでください」


 ルアナはリュミエの手をしっかり握って微笑む。


「大丈夫。みんな一緒だよ。ひとりぼっちじゃないから」


 その言葉にリュミエは胸の震えが少し和らぐのを感じた。


(うん……ひとりじゃない……)


(私だって……ずっと怖かった……)


(でも今は……みんながいる……)


「……行こう」


 リュミエは霧の中へと最初の一歩を踏み入れた。


 足が霧に触れた瞬間、世界の音がすべて消えた。


 風の音も、仲間の声も、草のざわめきも、全てが……消えた。


 霧の中は、まるで水の中にいるような静寂だった。


「……っ……!」


 リュミエの身体が震える。胸の光が強く反応し、周囲を照らす。


 だが、その光の中で――霧がゆっくり形を取り始めた。


 影。

 涙。

 震える両手。

 何かに怯えて後ずさる小さな姿。


(こんな……小さい……子……?)


 霧の影は幼い子どもの姿へと変わり、胸を抱えて震えている。


 リュミエの胸が痛む。


「……怖いの……?」


 影は顔を上げない。ただ震え続ける。


 その震えが、胸の光へ直接伝わってくるようだった。


(この子じゃない……この“影”の元になっている本人が……どこかにいる……)


(この影はその人の“心のくるしさ”……)


 リュミエはその影へ一歩近づこうとした。


 ――その瞬間。


 空間の奥から、鋭い叫びが響いた。


「来るなぁぁぁあああああ!!」


 霧が激しく揺れ、影が一気に弾け飛んだ。


 背筋が凍る叫びだった。恐怖でも怒りでもない――絶望から絞り出された声。


 リュミエは息を呑む。


(この声……!)


(この人が……“光持ち”……!?)


 胸の光が、今までにないほど強く、痛いほどに脈動した。


「みんな……!この先に……!」


 リュミエが振り向きかけたその瞬間――霧が裂け、黒い影が突風とともに飛びかかってきた。


「っ――!」


 リュミエの身体が咄嗟に後ろへ跳ねる。


 影は悲鳴のような風を撒き散らしながら目の前に姿を現した。


 その形は、人間にも獣にも見える。

 だが何よりも異様だったのは、その瞳――

 霧の色と同じ真っ白な瞳が、恐怖と狂乱に染まっていた。


 リュミエは確信した。


(この人が……光を持つ者……!)


(でも……心が壊れかけてる……この霧のせいで……!)


 影が凄まじい叫びをあげ、リュミエへ飛びかかってくる。


 その一瞬、胸の光が弾けるように輝いた。


「やめて……!」


 光が霧へ広がり、影の動きがわずかに止まる。


 その隙に――後方からライルの叫びが響いた。


「リュミエ!!」


霧の中に響いたライルの声は、まるで途切れそうな光をつなぎ止めるように強く鋭かった。


 リュミエは反射的にその声の方向へ身を向けようとした。しかし、その一瞬の隙を突くように、影が再び襲いかかってくる。白霧の濃さで輪郭が歪み、怒りと恐怖が混ざった叫びが霧気を震わせた。


(来る……!)


 影の手が伸び、爪のような形をつくり、リュミエの心そのものを掴もうとするように迫ってきた。


 リュミエは胸の光が激しく脈打つのを感じた。


(やめて……この人は……本当は……!)


 影の瞳は真っ白で、意思も理性もすでに霧に蝕まれている。怯え、泣き叫び、何かにすがりたい気持ちが混ざり合い、形を失った心の暴走そのものだった。


 リュミエは恐怖に震えながらも、そっと手を伸ばした。


「待って……!」


 影が一瞬だけ動きを止める。


 胸の光が淡く広がり、影の身体を包む。

 光は優しく、温かく、触れられることを拒む者の心へそっと寄り添うように揺れた。


 その瞬間、影の奥から微かな声が聞こえた。


――こわい

――だれも

――たすけてくれない

――いやだ

――さむい、さむい


 その声は小さな子どもの泣き声のようで、必死に助けを求める叫びのようでもあった。


(この声……この人……本当に、ずっと一人で……怖かったんだ……)


「大丈夫……もう一人じゃないよ……」


 リュミエがそう語りかけた瞬間――

 影は激しく震え、今度は苦しげな叫びをあげた。


「う……あ……あああぁぁぁぁ!!」


 霧が爆ぜるように舞い上がり、影が暴走する。


「リュミエ!!」


 濃い霧を裂いてライルが飛び込んできた。

 その瞬間、リュミエの背後に腕が回され、強く抱き寄せられる。


 風を切る音と同時に、影の爪がライルの背を掠める。


「っ……!」


「ライルさん!!」


 悲鳴にも似た声がリュミエの喉から漏れる。

 しかしライルは痛みに顔を歪めながらも、リュミエをしっかり守るように身体を盾にした。


「大丈夫……この程度……問題ありません」


 そう言う声は震えもせず、ただリュミエを安心させるために整えられた声音だった。


(どうして……どうしてこんな……私のせいで……)


 胸の光が悲しげに揺れる。


 そのとき、ゼクスとリーネ、ルアナの姿が霧をかき分けるように現れた。


「ライル!おい、生きてるか!」


「負傷しています!リュミエさんから離れて治療を――」


「ちょっと待って!!あれ……まだ来るよ!!」


 ルアナが叫ぶ。


 影が再び立ち上がり、霧を巻き込みながら形を変える。人型の輪郭がますます崩れ、まるで黒い風そのものが渦を巻いているかのようだった。


 その中心から漏れ出るのは、先ほどとは比べものにならないほど強烈な“悲鳴”。


――いやだ

――さびしい

――たすけて

――こわい、こわい、こわい!!


 リュミエは胸を押さえて膝をつきそうになる。


(苦しい……この気持ち……分かる……分かるよ……私もずっと……助けてほしかった……)


 胸の光が呼応し、痛みのように脈を打った。


 ライルがリュミエの肩に手を置く。


「リュミエ。あなたでなければ……この人は救えません」


 リュミエは揺れる視界の中でライルを見つめた。


「でも……私、怖い……この人の心が全部押し寄せてきて……自分が消えそうで……!」


 ライルは静かに首を振った。


「いいえ。あなたは消えません。あなたは“光をつなぐ者”。誰かの闇に触れても、自分の光を見失わない。私はそれを知っています」


 その言葉は、霧の中で唯一確かな道標のように響いた。


 リュミエの心が揺れる。


(どうして……そんなふうに信じられるの……)


(私はずっと……弱くて……)


 するとライルはわずかに微笑んだ。


「あなたが、何度も私たちを救ってくれたからです」


 胸の奥に熱が広がり、涙が滲む。


 影が再び突風を巻き起こし、襲いかかってくる。


 その瞬間、リュミエは立ち上がった。


「もう……やめて!!」


 胸の光が爆発するように輝いた。


 霧の白が一転し、黄金色の波となって一帯に広がる。

 影の動きが止まり、霧そのものが震えた。


 リュミエは影へ向かって手を伸ばし、叫ぶ。


「孤独だったよね……怖かったよね……!でも、もう一人じゃないよ……!」


 影が震え、その奥でかすかな人影が見えるようになっていく。


 泣き声。

 震える肩。

 小さく丸まった背中。


「あなた……ずっと、助けを呼んでたんだね……」


 リュミエがそっと手を差し伸べる。


 霧がその手に吸い寄せられるように集まり、影の形が崩れていく。


 そして――霧の中から一人の少年が倒れるように姿を現した。


 白い髪、細い体、怯え切った瞳。


 リュミエの胸の光が柔らかく明滅する。


(この人が……“光持ち”……)


 少年の胸にも、うっすらと光が揺れていた。ただし、その光はひどく弱く、今にも消えてしまいそうだった。


「大丈夫……もう大丈夫だよ……」


 リュミエが膝をつき、少年の手をそっと握った。


 冷たい。

 震えている。

 そして、泣いていた。


 少年の瞳に、リュミエの姿が映る。


「……たすけて……」


 か細い声が霧の中に溶けた。


 リュミエは強く頷いた。


「うん。助けるよ。あなたは一人じゃないから」


 胸の光が少年の光へ触れ、二つの光が共鳴するように淡く揺れた。


 霧が静かに晴れはじめる。


 白霧の街の中心で――

 新しい“光”が確かにリュミエへつながった。


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