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白霧の街へ向かう道は、外界の中でも特に風が強いとされる“風裂きの谷”を越える必要があった。
谷へ向かう途中、草原は徐々に岩肌が増え、地面には無数の細かい溝が走り始める。風が通るたびに笛のような音が鳴り、歩く者の心をざわつかせる独特の雰囲気が漂う。
リュミエは胸に手を当て、その風の音を聞いていた。
(風の音……じゃない……何かが混ざってる……)
耳で聞こえるわけではない。けれど、胸の光が微かに震え、その震えを通して“何か”を感じ取っているのがわかった。
ライルが隣から歩調を合わせ、静かに問う。
「胸の光が、何かを?」
リュミエはゆっくり頷いた。
「うん……まだ遠いけど……“呼んでる”っていうほど強くはないんだけど……心がざわざわするの。焦ってるみたいな……そんな感じ」
ゼクスが背中に背負った武器を揺らしながら前を歩いていたが、その言葉に振り返る。
「焦ってる……ねぇ。この先にいる“光持ち”は、そうとう切羽詰まってるってことか?」
リーネが冷静に補足する。
「可能性はあります。白霧の街はもともと、精神状態が不安定な者が長居すると影響を受けやすい場所です。霧が“心を映す性質”を持つせいで、自分の不安が形になりやすい……つまり、光持ちには危険な環境とも言えます」
ルアナが口を尖らせた。
「じゃあ、その人……霧の中で、自分の不安に押しつぶされちゃってるのかな……」
リュミエの胸が、強く痛むように脈動した。
(苦しい……この震え……まるで“助けて”って……)
外界核で聞いた言葉が思い返される。
――光を持つ者たちを、つなぐ存在。
(私……そのためにここにいるんだ……)
胸の光が小さく明滅を繰り返す。
その光を感じながら、リュミエは視線を上げた。
風裂きの谷へ続く道。その先には、白い霧が遠く薄い層となって漂っているのが見える。まだ距離はあるのに、霧がもつ不思議な気配が風に乗って流れてくるようだった。
ライルが前方を見据え、慎重に歩を進める。
「ここから風が強くなります。足場も悪い。皆さん、気をつけて」
ゼクスが鼻で笑い、風に髪を揺らしながら言う。
「任せとけって。こういうのは冒険者の基本だろ」
そう言いつつも、その目には油断がない。谷には多くの風魔獣が棲むと知られているからだ。
次の瞬間、強風が吹き抜け、リュミエの髪と服を大きく揺らした。
「きゃっ……!」
とっさに身体が浮きかける。その腕を、すかさずライルが掴んだ。
「大丈夫ですか、リュミエ」
リュミエは目を瞬かせ、掴まれた腕を見てからライルの顔を見る。
「う、うん……ありがとう……」
触れられた部分から、胸の光に共鳴するように温かい感覚が広がっていく。
(ライルさんの手……あったかい……)
(私……この人が隣にいてくれるだけで、こんなに安心するなんて……)
その温かさを意識した瞬間、光がふわりと反応し、さらに柔らかく脈動した。
リュミエの心臓が跳ねる。
(な、なにこれ……光が……どうして急に……)
ライルは特に気づいていない様子で、手を離しつつ言った。
「風裂きの谷は、予想以上に風が読めません。特にリュミエは体重が軽い。危険ですから、必ず私の近くにいてください」
その真剣な声音に、リュミエは胸が熱くなる。
「……うん。離れないようにするね」
その言葉に、ライルはわずかに穏やかな笑みを浮かべた。
ゼクスがそれを見てニヤリとする。
「おーおー、随分仲良くなったじゃねぇか。前はもっと距離あったのに」
「ゼクスさん、からかわないでください」
ライルが淡々と返すと、ゼクスはけらけら笑う。
「いや、いいことだろ。仲がいい方が旅もやりやすいしなぁ?」
リュミエは顔が熱くなるのを自覚しながら、慌てて前を向いた。
(仲良しって……そういうんじゃない……はず……)
(でも……ライルさんがいると……不安が減るのは本当で……)
(それって……どういう意味なんだろ……)
光が揺れる。
胸の奥で、何かを語りかけるように。
(聞こえないよ……そんな大事なこと……まだ、分からないよ……)
そんな心の声に応えるように、風が優しく頬を撫でた。
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谷の入口に到達したときだった。
胸の光が突然、強く跳ねた。
「……っ!」
リュミエは思わず胸を押さえて立ち止まる。
「リュミエ?」
ライルが気づき、近寄って覗き込む。
「どうしました」
リュミエは息を整えながら言った。
「……さっきより……もっと強い……誰かが……“怖い”って……叫んでるみたいで……」
ゼクスとリーネが同時に険しい表情を浮かべた。
「“怖い”……か」
「白霧の街の影響を受け始めたのかもしれませんね」
ルアナが心配そうにリュミエの手を握る。
「大丈夫?無理してない?」
リュミエは首を振った。
「ううん、大丈夫……でも……急がなきゃいけない気がするの……」
胸の光は、まるで必死に何かを伝えようとするように、震え続けていた。
(待ってて……必ず見つけるから……)
リュミエは前を向き、強く地面を踏みしめた。
「行こう、みんな。白霧の街へ……その光の人に、会いに行こう!」
ライルが短く頷き、皆もその決意に応えるように歩き始めた。
強風が吹き抜ける谷へ、一行は足を踏み入れる。
その瞬間、霧の向こうで誰かの心が――確かに震えた。
風裂きの谷に一歩踏み入れた瞬間、空気の密度が変わった。
外界の風はただ強いだけではなく、まるで“意思”を持って流れているようだった。時には突き上げるように地面から吹き上がり、時には横殴りに身体を押し流そうとする。谷の壁面には風の削った跡が深く刻まれ、その壮絶さが一行の緊張感をいやが応でも高めていた。
リュミエは胸を押さえながら、風の鼓動を聞き取るように歩く。
(風が……荒れてる……でも、怒ってるわけじゃない……苦しんでるような……そんな感じ……)
胸の光が影響を受けて震える。外界核の力が強く漂うエリアでは、こうして外界そのものの感情が流れ込んでくることがあるのだと、リーネから説明を受けたばかりだ。
「リュミエ、無理を感じたらすぐ言うんですよ」
ライルが風に負けぬよう、声を張って言う。
リュミエは頷いたが、その足は止まらない。
「大丈夫……まだ平気。胸は震えているけど……私、進めるから」
ゼクスが前方で風の強さを身体で受け止めながら言う。
「風裂きの谷は昔から“泣き谷”なんて呼ばれてるからな。風の鳴き声が人の泣き声に聞こえるって理由だが……今日はいつもよりずっとひどい」
リーネが険しい表情で谷の奥を見据える。
「これは……自然の風だけではありません。何か、大きな力が谷の流れを乱しています」
ルアナが身を寄せてくる。
「ねぇ……胸が苦しいのって、リュミエだけじゃないのかな……私も、ちょっと痛いかも……」
リュミエは驚いてルアナの手を取った。
「えっ……大丈夫?」
「うん……でも……胸の奥がキュッてする……何か、怖がってるみたいな……」
その瞬間、リュミエの胸が強く跳ねた。
(……やっぱり……!)
(私だけじゃない……外界の“光を持つ者”が共鳴してる……?)
胸の光はまるで答えるように明滅を強めた。風がさらに勢いを増し、岩壁から砂粒が舞い上がる。
ゼクスが声を張る。
「気ィつけろ!この先は風魔獣の縄張りだ!下手すりゃ吹き飛ばされ――」
その言葉の途中、谷の奥で大きな影が動いた。
鋭い風をまとった獣――風魔獣が数体、地を滑るように現れた。姿形は狼に近いが、身体の輪郭は霧のように揺れ、風を纏った爪と牙が不規則に閃いている。
リュミエは反射的に後ずさった。
「……っ!」
ライルが一歩前に立つ。
「ゼクスさん、リーネさん、迎撃を!」
「任せな!」
「了解しました!」
ゼクスが武器を振り上げ、風魔獣へ駆け出す。リーネは詠唱を始め、風の流れを逆らうように魔力を構える。
ルアナが小さく叫ぶ。
「私も手伝う!」
「ルアナさんはリュミエを守ってください!」
ライルの声が鋭く飛ぶ。
リュミエは胸が苦しくなるほどの震えに襲われていた。
(怖い……怖い……でも……)
(この風……魔獣の怒りじゃない……“誰かの心”が触れてる……)
リュミエは風の向こうに、ぼんやりと感じ取る。
恐怖、孤独、叫び――まるで、風に乗って誰かの心が発せられているようだった。
(風魔獣も……この“声”に影響されてる……?)
ゼクスが風を裂いて魔獣と交戦し、リーネの魔術が後方から風の乱れを抑える。ライルが隙を見て攻撃を弾き返しながら、リュミエの前に立つ。
「リュミエ、下がってください!ここは危険です!」
しかしリュミエは首を横に振った。
「下がらない……!この震え……放っておけない……!」
胸の光が強く輝き、風の流れが一瞬だけ変わった。
魔獣たちの動きが揺らぎ、風が悲鳴のような音を立てる。
ライルが驚いたようにリュミエを見る。
「今の……あなたが?」
リュミエは自分でも分からないまま、胸に手を当てた。
「違う……私じゃない……私を通して……“誰かの光”が動いたの……!」
魔獣の動きが乱れ、次の瞬間、谷を揺らすような強風が吹き抜けた――。
風が晴れた時、風魔獣たちは怯えたような声をあげ、谷の奥へと逃げ去っていった。
ゼクスが肩で息をしながら言う。
「……ったく……今日は何もかもがおかしいぜ……あんなにビビった魔獣、見たことねぇ」
リーネが魔術を解除しながら、静かに言った。
「今の現象……まるで風そのものが“感情”に揺れたようでした。リュミエさん、胸の光は?」
リュミエは静かに答える。
「……悲しんでる……」
皆の視線が集まる。
「胸の奥が……すごく苦しいの……誰かが……必死で……泣いてる……」
風がまた、ふわりと吹いた。それはまるで、“この先へ”と道を示すように。
ライルが周囲を見渡し、慎重に言う。
「……白霧の街にいる“光持ち”が……限界に近いのかもしれません」
リュミエは拳を握りしめた。
(待ってて……絶対に行くから……)
胸の光が答えるように明滅する。
「急ごう。あの人……きっと今も“助けて”って叫んでる……!」
リュミエが走り出す。
ライルがその背を追い、ゼクス、リーネ、ルアナも続いた。
風裂きの谷を越えた先に――白い霧が静かに揺れている。
その霧の奥で引き裂かれた心が、確かにリュミエを呼んでいた。




