23
隠れ家《アトラの家》の朝は静かだった。
夜の冷気が消えきらない廊下に光が差し込み、乾いた薬草の匂いがほんのりと漂っている。
ミナは丸机の前で毛布を抱きしめたまま、胸に手を当てていた。
(……外の世界……わたしの光が、導く場所……)
昨夜アトラが語った言葉が、まだ胸の奥で柔らかく揺れている。
ライルはミナの隣に静かに座り、その不安を包み込むように話しかけた。
「外の世界……大変な旅になるでしょう。けれど、ミナが望むなら……俺はどこへでも行きます」
ミナは頬を染め、胸の光が淡く照らした。
(ライルさんが……いれば……)
その時――
隠れ家の奥で、アトラとシオンの声が重なる。
「――問題が起きたわ」
ミナは毛布を握りしめた。
◇◇◇
四人が揃うと、アトラが緊迫した声で言った。
「黒鷲の斥候部隊がこの森の東側に集結しているわ」
ゼクスが舌打ちする。
「もう見つかったのかよ……!」
リーネは地図を広げながら説明する。
「まだ隠れ家そのものは露見していませんが……包囲網を縮め始めています」
ミナは息を呑む。
「じゃあ……ここにも……来る……?」
「ええ。数時間以内に追い詰められるでしょう」
胸の光が不安で揺れる。
ライルはミナの手をそっと握り、真剣な瞳で告げた。
「ミナ。ここは……突破するしかありません」
ミナはその言葉に驚き、目を見張った。
「に、逃げるんじゃなくて……?」
ゼクスが頷く。
「逃げるだけじゃキリがねぇ。あいつらは勇者がこの近くにいると知ってる。なら――別のルートへ“強行突破”して抜けるんだ」
リーネが補足する。
「外の世界へ出るには、黒鷲を抜ける必要があります。 ですが……正面突破ではなく、“光がある者にしか使えない道”が一つだけ存在するのです」
ミナは胸を押さえた。
「光が……鍵……」
アトラが頷く。
「ええ。ミナにしか開けない“古い扉”が、南の峡谷にあるの」
◇◇◇
シオンが巻物を広げ、古い文字で描かれた図を指差した。
「これは“境界門”。本来は別の種族が使っていた移動装置だ。王都の兵士には認識できない」
ミナは息をのみながら覗き込む。
「ここを通れば……外の世界へ……?」
アトラはミナの胸の光を見つめる。
「あなたの光が鍵になる。けれど――」
その表情が険しくなった。
「黒鷲も、この世界の“歪み”を察知して動き始めている。ミナの光が変動すれば……奴らは必ず追いつくわ」
ミナの指先が震える。
(怖い……でも……ここで止まったら……私……ずっと捕まったまま……)
ライルはミナの肩に優しく触れた。
「ミナ。あなたが進む道を……俺たちが作ります」
ゼクスも短剣を握り、口元にいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「黒鷲だろうが誰だろうが、勇者は渡さねぇよ。俺たち三人で突破するぞ」
ミナの胸の光が、まるで頷くように揺れた。
◇◇◇
その緊張の最中、リーネがミナへ近づき、手のひらサイズの小さな“光の石”を差し出した。
「これは“護光石”。ミナ様の胸の光を、一時的に隠す力があります」
ミナは驚きながら受け取り、胸にそっと当てた。
石が淡い青を放ち、光が静かに包み隠される。
「……胸が……落ち着く……」
リーネは優しく微笑んだ。
「恐怖を抑え、光の反応を一定に保つための道具です。逃走中、力の暴走を防ぎます」
ミナの不安が少しだけ軽くなった。
◇◇◇
アトラが全員を見回し、声を引き締めた。
「いい?“境界門”を開くには、ミナの光が“希望”に向いていなければならない。恐怖でも怒りでもなく―― “誰かを守りたい”気持ち。それだけが門を開く鍵よ」
ミナは胸を押さえた。
(守りたい……私……そんな大層なもの……持ってるの……?)
ライルが静かに答えをくれる。
「ミナ。昨日あなたは……俺の手を離さなかった。あの時のミナは、“誰かと一緒に生きたい”と願っていた」
ミナの胸が熱くなる。
ゼクスもぶっきらぼうに言う。
「俺のケツ蹴ってでも走ってただろ。あれはただの恐怖じゃねぇ。“生きようとしてた”顔だ」
ミナの頬が赤くなり、胸の光が小さな脈動を返す。
アトラは深く頷いた。
「ええ。その気持ちがあれば大丈夫」
◇◇◇
隠れ家の外で、微かな金属音が響いた。
ゼクスが表情を変える。
「来やがったか……」
リーネが窓を覗き込む。
「いえ……まだ包囲の外縁です。でも……“黒鷲特務隊の紋章”が見えました」
シオンが険しい顔で告げる。
「急ごう。レオニスが動く前に、森を抜けないと」
ミナは小さく震えながらも、胸に手を置いた。
(守りたい……私を守ってくれた人たちを……今度は私が――)
その想いに応えるように、胸の光がふわりと暖かく広がった。
◇◇◇
アトラが扉を開く。
「行きなさい。あなたの道は、もう“逃げ道”じゃない」
ミナは深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「行きます。みんなと一緒に……外の世界へ」
ライルは微笑んで言う。
「はい。あなたのその決意が……門を開く鍵です」
ゼクスは短剣を構える。
「さぁ、勇者殿。俺たちを導いてくれよ」
ミナの胸の光が、初めて“恐怖ではなく希望”で揺れた。
そして四人は――黒鷲包囲網の突破へ向けて動き出す。
隠れ家を出た四人は南の峡谷へ向けて森の中を駆け抜けていた。
森の木々は高く、差し込む光は細く割れ、息を吸うたびに土と葉の匂いが胸に満ちる。
ミナは胸に抱えた護光石を握りしめ、必死に足を動かす。
(怖い……だけど……もう逃げるだけじゃない……!外の世界へ……ライルさんたちと、一緒に――)
胸の光は護光石に抑えられつつも、かすかな脈動を返していた。
ゼクスが前方を走りながら手を後ろに上げて合図した。
「止まれ!!」
ライルがミナを抱えるようにして急停止する。
リーネも杖を構え木陰へ身を寄せた。
ゼクスは低く呟く。
「まずい……黒鷲の“斥候型”だ。前方の森で待ち伏せしてやがる」
ミナの呼吸が震える。
「ど、どうするの……?」
ライルはミナの肩に手を置き小さく微笑んだ。
「ミナ。あなたは何も心配しなくていい。俺たちが切り抜けます」
ミナの光が小さく揺れる。
次の瞬間――森の奥から複数の影が跳び出した。
黒い外套、軽装の鎧、鷲の紋章を刻んだ仮面。
黒鷲特務隊の精鋭斥候。
「勇者反応、微弱ながら確認!」
「前方の隠れ家から南へ逃走中!」
「優先度“最上位”。確保に向かう!」
ミナは反射的に後ずさる。
(くる……!でも……逃げない……!)
ゼクスが短剣を抜き、ライルは防御魔道具を展開し、リーネも詠唱を始める。
これは“戦う”ではなく“突破する”ための構えだった。
ゼクスが木の幹を蹴り影のように敵の前へ跳び込む。
「――《影走り・風裂》!!」
斬撃は敵の装備をかすめ、黒鷲隊員たちは後退する。
隊長格が叫ぶ。
「殺すな!生け捕りの命令だ!!勇者を傷つけるな!!」
その隙にライルがミナを抱えて走る。
ミナの心臓は早鐘のように鳴り胸の光が震える。
(みんなが……守ってくれてる……わたし……逃げるんじゃない……進むんだ……!)
しかし斥候の数は多く、森の奥から次々と現れる。
リーネが声を荒げる。
「想定以上……!裏側からも回り込んでいます!!」
ゼクスが舌打ち。
「黒鷲の“半包囲戦術”だ……!マズい……このままじゃ押しつぶされる!」
ミナは恐怖に胸を締めつけられる。
(守られてばかりじゃ……いやだ……!)
湧き上がる想いは恐怖ではなく“守りたい”という意志。
その瞬間、護光石の下で光がふるりと広がる。
リーネが息を呑む。
「ミナ様……光が……!」
ミナは胸を押さえ叫ぶ。
「私……できます……!“みんなを守る光”……使えます……!」
ライルが振り返り真剣な眼差しで頷く。
「ミナ。あなたの意志なら信じます。俺たちを照らしてください」
ミナは護光石を外す。
――光が溢れた。
斥候たちがざわつく。
「反応値急上昇……!」
「光源が……勇者の心臓部から……!?」
ミナは震える足で一歩前に出る。
胸から溢れる光は怒りでも恐怖でも悲しみでもない。
“一緒に生きたい”という願いだった。
「――みんなを……照らして!!」
ミナの叫びとともに光が一直線に伸びる。
森が照らされ黒鷲の隊員たちが目を覆う。
「なんだこの光は……!」
「術式の反応が消える……!?」
ゼクスが呟く。
「……こいつ……本当に“勇者の型”じゃねぇのか……!」
リーネが驚愕しながら囁く。
「光が……敵意を打ち消してる……“道”を作ってる……!」
ミナは震えながら叫ぶ。
「行ってください!!この光、きっと……進む道を開けます!!」
ライルはミナの手を握り返す。
「行きましょう、ミナ!」
ゼクスも笑う。
「光が作る“抜け道”か……上等だ!走れ!!」
三人は光の道を駆け抜けた。
黒鷲の斥候は光の影響で動きが鈍り、誰も前に立ちはだかれない。
光が弱まるとライルが声をかける。
「ミナ!あと少しです!!あなたならできます!」
ゼクスも後方から叫ぶ。
「勇者ぁ!!その光――絶対手放すなよ!!」
ミナは涙混じりに叫ぶ。
(守りたい……一緒に生きたい……!)
光がさらに強くなる。
森を抜けた先に巨大な峡谷が口を開けていた。
風が吹き上がり岩壁の奥で古い紋章が青白く光る。
シオンが叫ぶ。
「開いてる!!今の光が反応したんだ!!――ミナ!!あれが“境界門”!!」
ミナは胸を押さえ涙声で叫ぶ。
「行きます!!」
三人と一人は全力で門へ走る。
ミナの光が門の紋章に触れた瞬間――眩い音とともに門が開いた。
風が渦巻き峡谷が光に包まれる。
背後から黒鷲隊の怒号。
「勇者確保を急げ!!」
「境界門が反応している!!」
「隊長を呼べ!!レオニス隊長を!!」
ミナは涙を流しながら叫ぶ。
「行こう……みんなで……!!」
ライルは頷く。
「はい。あなたと一緒に」
ゼクスは笑う。
「“外の世界”っての、拝ませてもらうぜ!」
リーネも叫ぶ。
「ミナ様……行きましょう!」
そして四人は光の門へと駆け込んだ。
門が閉じる寸前、鋭い怒号が響く。
「逃がすなぁ!!!――ミナ・カミシロ!!!!」
レオニス・アークライトの声。
しかし門は閉ざされ、静寂が訪れた。
ミナは息を切らしながら呟く。
「ここから……本当の旅が始まるんだ……」
胸の光が、初めて“自由”の色で揺れた。




