22
木造の扉をくぐった瞬間、
ミナは外の冷たい空気とはまったく違う、
ほんのりと温かい香りに包まれた。
柔らかな草の匂い、
薬草を刻んだような甘い香り、
そして……どこか懐かしい温もり。
「……ここ、なんだか……落ち着く……」
ミナは無意識に胸を押さえた。
胸の光が、安心するように淡く揺れる。
広間はそんなに広いわけではない。
古びた丸机と、手入れの行き届いた本棚がいくつも並び、
奥には調合台と薬草の束が吊るされている。
“隠れ家”というより、
誰かの生活の匂いのする、静かな部屋。
◇◇◇
リーネが軽くノックし、
奥の扉へ声をかけた。
「マスター。
お連れしました」
その声に、
奥から柔らかな声が返ってきた。
「入っておいで。
勇者さまも……一緒なんだろう?」
ミナは驚いてライルを見た。
(声だけで……私のことを……?)
ゼクスは慣れた様子で扉を開けた。
◇◇◇
奥の部屋にいたのは――
白いローブを纏った、長い黒髪の女性だった。
年齢は二十代後半ほど。
涼しげな目元には優しさが宿り、
しかしその奥には、深い知識と経験が覗いている。
ミナは思わず息を飲んだ。
女性は微笑み、穏やかに会釈する。
「ようこそ、ミナ・カミシロさん。
私は《アトラ》――この隠れ家の管理者です」
ミナは驚いて声を上げた。
「ど、どうして……私の名前を……!?」
アトラは首をゆっくりと傾ける。
「だってあなたは……
“召喚術式の中心にいた少女”でしょう?」
ミナの胸が強く震えた。
ライルとゼクスも身構える。
リーネが沈んだ声で言う。
「アトラ様は……王都とは別の“術式研究者”です。
勇者召喚の術式を、ずっと独自に分析されていました」
ミナは一歩前へ踏み出した。
「……じゃあ……私のこと……
本当の意味で……知ってるんですか……?」
アトラはミナの目を真っ直ぐに見つめ、
静かに座るように促した。
「ええ。
そして――あなたに伝えたいことがあるの」
◇◇◇
ミナ、ライル、ゼクス、リーネの四人が席に着くと、
アトラは深呼吸し、ゆっくりと語り始めた。
「勇者召喚の術式――
あれは“完全な術”ではありません」
ミナは目を見開く。
「え……完全じゃない……?」
アトラは頷き、机に置いた石板を見せた。
そこには複雑な魔法陣が描かれ、
一部が不自然に欠けていた。
「これが、本来の“完全体”。
でも王都が使った術陣は……
この中央部が“欠落”していたの」
ミナは震える声を漏らす。
「欠落……?
でも私は……召喚されました……!」
アトラは静かにミナの胸元――光へ視線を向けた。
「欠落を埋めたのは――“あなた自身の光”。
あなたが持つ、特異な“心の力”よ」
ミナの胸が大きく脈打つ。
ゼクスが目を細めた。
「心の……力……?」
アトラは頷き、さらに続ける。
「普通、召喚術は魔力で行われるわ。
けれど――あなたは魔力ではなく、
“感情の共鳴”が術式を完成させた」
ミナの心臓が強く跳ね、光が揺れた。
「……私の……感情……?
そんなもので……召喚が……?」
アトラは優しい声で説明する。
「あなたの世界で生きた日々、
誰かを助けたいと思った心、
苦しくても笑おうとした優しさ。
その全部が……術式を導いたのよ」
ミナの胸が熱くなる。
(わたしの……気持ちが……
この世界に呼んだ……?)
◇◇◇
ライルが静かに問いかけた。
「それでは……ミナは、
勇者として選ばれたのではなく――
“召喚された側に適応しただけ”ということですか?」
アトラは小さく頷く。
「そう。
王都は“勇者らしい”人材を欲しがった。
でも……本来召喚されたのは、
“あなたという存在そのもの”」
ミナの目が揺れた。
「勇者らしく……とかじゃなくて……
ただの……私……?」
アトラは微笑む。
「ええ。“ミナ・カミシロ”として呼ばれたのよ。
だからあなたの光は――
敵を撃つ力ではなく、
“心を映す光”になった」
ミナは胸を抱きしめるように押さえた。
光が震え、涙がにじむ。
「私……
勇者に向いてないから……
王都を困らせてると思ってた……」
ライルはミナの手を包む。
「そんなことはありません。
ミナはミナのままでいいんです」
ゼクスも腕を組みながら呟く。
「むしろ王都のほうが間違えてるわ。
本物の“勇者らしさ”は、あいつらには見えてねぇ」
ミナの涙がこぼれた。
◇◇◇
アトラは席を立ち、ミナの前へ膝をついた。
「ミナ。
あなたの力は、戦うためじゃなく……
“未来を照らすため”に生まれた光よ」
ミナの心が揺れる。
胸の光が、涙に呼応するように強くなった。
アトラはその光を見て、静かに言った。
「そして――
あなたを探していた人が、もうひとりいる」
ミナは驚いて顔を上げた。
「えっ……誰……?」
アトラは微笑み、
「すぐに会わせてあげる」
と言った。
扉の向こうで、
誰かが静かに近づいてくる気配がした。
ミナの心臓が、
誰かの気配に合わせるように脈を強く打ち始めた。
胸の光も、涙を受けて淡く揺れる。
その震える光の気配を感じ取ったかのように、
隠れ家の奥の扉が、ゆっくりと音を立てて開いた。
ミナは息を呑み、
ライルは穏やかながらも警戒を解かず、
ゼクスは腕を組んだまま視線を鋭く向けた。
リーネは静かに扉の方へ目をやる。
――現れたのは、
銀灰色の髪を持つ若い男性だった。
年齢は二十代前半、
柔らかい雰囲気を纏いながらも、
目の奥に強い光を宿している。
彼は扉の前で立ち止まり、
ミナの胸の光を一目見ると、
驚きと安堵が混じった息を漏らした。
「……やっと……会えた……」
ミナは思わず後ずさる。
「だれ……ですか……?」
男性は胸に手を当て、深く頭を下げた。
「初めまして。
僕は――シオン・アークレイ。
“勇者召喚術式の補助設計者”だった者です」
ミナの全身が震えた。
「勇者……召喚の……?」
シオンは顔を上げ、
ミナの瞳をまっすぐに見つめる。
「君を呼んでしまったことを……
心から謝りたかった」
その言葉に、
ミナの胸の光が大きく揺れる。
◇◇◇
ライルが一歩前に出た。
「謝る……?
あなたが……ミナを呼んだのですか?」
シオンは首を振る。
「正確には違う。
僕は術式の“補助構築”を担当しただけだ。
主術式の起動は別の者が行った。
でも……君が来てしまったのは、
僕が止められなかったからだ」
ミナの胸が締めつけられる。
(呼ばれた……
やっぱり私……誰かの意思で……?)
アトラが補足するように言う。
「シオンは、召喚術の理不尽さを誰より理解していた。
だからこそ……あなたに会いたかったのよ」
シオンはミナの胸の光へ視線を落とした。
「その光……
君が自分の力で召喚陣を“完成させた印”だ」
ミナは震える声で問う。
「……私が……?
でも……そんなつもりじゃ……」
シオンは優しく首を振る。
「わかってる。
でもね、術式には“呼ばれる側の心”が宿ることもあるんだ。
本来なら呼ばれないはずの世界の人間が……
自分の光で召喚を成立させてしまった」
ミナは息を呑んだ。
(私の……光が……?
本当に……そんなことが……?)
胸の光が、返事をするように揺れた。
◇◇◇
ゼクスが腕を組んだまま言う。
「難しい話はいい。
お前の目的はなんだ。
ミナに何をしにきた?」
シオンは真剣な瞳で言った。
「ミナを守りたい。
それが僕の……“罪滅ぼし”だ」
ミナは困惑した表情で首を横に振る。
「そんな……
呼ばれたのは……私のせいなのに……」
「違う!!」
シオンの声が、隠れ家に響く。
ミナは驚き、ライルも眉を寄せる。
シオンは震える声で続けた。
「君は悪くない。
君の光は……誰かを助けたいって願いで溢れていた。
そんな優しい光を……
世界が、王都が……利用したんだ」
ミナの目から涙がこぼれた。
(利用……
私……そんなつもりじゃなかったのに……)
ライルがミナの手を取る。
「ミナ。あなたは何も間違っていません」
ミナはこくりと頷き、涙を拭う。
◇◇◇
シオンはゆっくりと深呼吸した。
「ミナ・カミシロ。
君に伝えたいことがもう一つある」
ミナは涙を拭きながら顔を上げる。
「……な、なんですか……?」
シオンはそっと手を差し出し、
ミナへだけ聞こえるほどの静かな声で告げた。
「――君の光には、
“未来を選ぶ鍵”が宿っている」
ミナは息を飲んだ。
「未来……を……?
私の……光に……?」
シオンは目を細め、
どこか寂しそうな微笑みを浮かべた。
「王都はその鍵を欲しがっている。
だから……君を取り戻そうと必死だ」
ゼクスが舌打ちする。
「やっぱりか……ただの勇者召喚じゃねぇと思ったぜ」
アトラが頷く。
「ミナ。
あなたの光は、ただの“勇者の魔力”じゃない。
もっと深い……“世界の理を揺らす力”。
だからこそ――狙われる」
ミナは震える声で呟いた。
「そんな……
私……ただの高校生なのに……」
ライルはミナの前へ立ち、はっきりと言った。
「ミナはミナです。
特別だから守るのではありません。
あなたが……ミナだから守るんです」
ミナの胸の光が大きく揺れた。
(ライルさん……)
◇◇◇
シオンはそんな二人を見て、
穏やかに微笑む。
「……君が誰と進みたいのか。
その選択は、誰にも奪えない」
ミナは涙を拭き、
胸に両手を当てて小さく頷く。
(私……
もう逃げるだけじゃなくて……
“選びたい”……)
◇◇◇
アトラがゆっくりと席を立った。
「今日はここで休んでいって。
明日から……あなたたちは
“新しい道”を進むことになる」
ゼクスが言う。
「新しい道……?」
アトラは頷いた。
「ええ。
黒鷲から逃れるだけでは……
本当の意味で自由になれない。
だから――」
アトラはミナへ微笑む。
「あなたの光が導く“外の世界”へ行くの」
ミナは胸を押さえた。
(外の……世界……?)
ライルは小さく息を呑んだ。
ゼクスも真剣な目になる。
リーネはそっとミナの肩へ手を置き、静かに言う。
「勇者さま。
あなたの旅は、ここから本当の意味で始まります」
ミナの胸の光が――
不安でも恐怖でもなく、
“決意”の色を帯びて揺れた。




