20
草原を抜けてしばらく走った三人は、
西に傾く陽が森の陰へ落ち始める頃、
小さな泉のほとりでようやく脚を止めた。
風の音だけが耳に残り、
長い逃避行の疲労がいっきに押し寄せてくる。
ミナはその場に膝をつき、
胸へ手を当てて大きく息を吸った。
「はぁ……はぁ……
ライルさん……ゼクスさん……
やっと、止まれました……」
ライルはミナの肩に手を添え、
呼吸を整えるように背中を優しくさすった。
「大丈夫です。ここはしばらく安全です。
騎士団は崖道で足止めされていますから」
ゼクスは木陰に寄りかかり、短剣を点検しながら言う。
「ま、追って来たとしても夜だ。
この辺りは魔獣も出る。あいつらは基本、撤収する」
ミナは息を整えながらも、
ゼクスの姿を見て不思議そうに首を傾げた。
「ゼクスさん……あんなに戦って……
全然、息も乱れてないんですね……」
ゼクスは肩をすくめる。
「慣れだ。お前らを逃がすくらい、造作もねぇよ」
だが、その声の裏にはわずかな疲労が滲んでいた。
ミナは気づいたものの、そっと胸にしまった。
◇◇◇
夜が落ちる前に、
三人は手早く焚き火を準備した。
焚き火を囲むと、
炎の温かさが、張り詰めた心を解かすように広がっていく。
ミナは火を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……今日、一日だけで……
こんなに心臓がドキドキしたの……人生で初めてかもしれません」
ライルは苦笑した。
「ええ。俺もです。
まさか勇者と一緒に、崖道を命がけで走るとは思いませんでした」
ミナは頬を膨らませる。
「も、もう……!
それは私が足手まといだったって意味ですか……!」
ライルは慌てて手を振る。
「ち、違います! そうじゃなくて……
あなたが“生きたい”と思ってくれたから走り抜けられた……そういう意味です!」
ミナは一瞬きょとんとした後、
火に照らされて赤くなった頬で俯いた。
「…………そんなこと、言われたら……
余計にドキドキします……」
ゼクスが呆れたように火に小枝を投げ込む。
「お前ら、逃げてる最中なのにようやるな……」
ミナはむっとして言い返す。
「ゼクスさんだって……さっき助けてくれた時……
す、すごく格好よかったですよ!」
ゼクスの手が止まった。
「…………は?」
ミナは真剣な顔で続ける。
「ほんとに。あの、崖の上にひょいって現れて……
魔術官の術式を一瞬で壊して……
“行けぇ!!”って、すごく頼もしかったです」
ゼクスは火の光を避けるように顔をそらし、
ボソッと呟いた。
「……あんた……褒めるの下手なのか、上手いのかわかんねぇな……」
ミナはきょとん。
ライルは微笑ましく見守る。
◇◇◇
しばらくすると、
ミナの胸の光が小さく瞬き始めた。
ミナがそっと胸に手を当てる。
「光……今日はずっと揺れてばかりです……
怖かったり、不安になったりしたから……?」
ライルは焚き火越しに優しく言う。
「ミナの光は、心の反応です。
あなたが泣きたかった時には揺れて、
誰かを守りたい時には強くなった」
ミナの胸が熱くなる。
「……そんな風に言われたの、初めて……」
ゼクスが火を見ながら言った。
「勇者の光ってのは、攻撃魔法だと思われてる。
でも……お前の光は、もっとやわらかいもんだな」
ミナは驚き、ゼクスを見た。
「ゼクスさん……?」
「俺は武器しか握ってこなかったからわかる。
お前の光は敵を殺すためのもんじゃねぇ。
“誰かを救うため”の光だ」
ミナの目が潤む。
(救うための光……
そんな風に言ってくれる人……初めて……)
ライルも静かに頷いた。
「だからこそ……ミナはミナのままでいてください。
誰の命令に縛られる必要もありません」
ミナは胸を押さえて、涙をこらえた。
「ライルさん……ゼクスさん……
私……生きててよかった……」
◇◇◇
焚き火の温もりが三人を照らす。
ミナの光も穏やかに揺れ、
その揺れは安心の証のようだった。
ライルはミナの隣にそっと腰を下ろす。
「明日は安全なルートを探して、
街の外れにある宿場町へ向かいましょう。
騎士団の手が届きにくい場所です」
ミナはこくりと頷いた。
「……はい」
ゼクスはその二人の様子をちらりと見て、
また火へ視線を戻す。
「宿場町の近くに、俺の知り合いの拠点がある。
しばらく匿ってもらえるはずだ」
ライルが驚く。
「そんな場所が……?」
「なんでも屋みたいな連中だ。
だが、信用はできる」
ミナは安心したように微笑んだ。
◇◇◇
やがて火は小さくなり、
夜の静けさが周囲を包み込む。
ミナは肩を震わせながら、そっと呟いた。
「二人がいて……よかった……
今日、ほんとうに何度も怖かったから……」
ライルは優しく返す。
「大丈夫です。
これからは……俺たち三人で進んでいきましょう」
ゼクスはその言葉に横目を向け、
小さな声で付け加えた。
「まあ、逃げるにしろ戦うにしろ……
三人のほうが生存率は上がる」
ミナは笑った。
「ゼクスさん……そういうところ、好きです」
「……やめろ。照れるだろうが」
焚き火の赤い光が三人を照らし、
逃避行の初めての“平和な夜”が、
静かに更けていった。
焚き火の火が落ち着き、
夜気がしんしんと降りてくる頃。
泉のほとりは静まり返り、
水面は月光を淡く反射しながら、
三人の姿をゆらりと映していた。
ミナは火のそばで毛布に包まり、
少し眠気を含んだ表情で空を見上げていた。
「……星が、こんなに綺麗なの、初めて見ました」
夜空には、王都ではほとんど見えなかった星々が
一面に広がっている。
その光はどれも小さく優しく、
今日までの不安と恐怖をわずかに溶かしていくようだった。
ライルも隣に座り、同じ空を見て言った。
「王都は灯りが多いですからね。
ここまで明るく星が見える場所は、なかなかありません」
ミナはきゅっと毛布を抱えながら呟く。
「……なんか、落ち着きますね。
逃げてるのに、不思議……」
ライルはそっと微笑んだ。
「落ち着いていいんですよ。
今日は……よく頑張りました」
その言葉にミナは、胸の奥が温かくなる。
(ライルさんって……
どうしてこんな時にまで優しくできるんだろう……
私……どれだけ助けられてばかり……)
ミナの胸に、じんわりと光が灯った。
◇◇◇
一方ゼクスは焚き火の反対側で、
短剣の手入れをしながら二人を時々ちらりと見ていた。
ミナが小声でライルに寄りかかりそうになるたび、
ゼクスは「まったく……」と呟いているようだったが、
その表情はどこか柔らかかった。
しばらくして、
ライルがゼクスへ向けて静かに言った。
「……ゼクスさん。
今日は本当に助けていただき……感謝しています」
ゼクスは短剣を拭く手を止めずに答える。
「気にすんな。仕事でもねぇけど……
放っといたら、勇者が殺気で泣いて倒れてただろうしな」
ミナはむっとして言った。
「そんなことありませんっ。
私は……ちゃんと逃げるって決めてました……!」
ゼクスは鼻で笑う。
「逃げる覚悟した顔してたら、
あんな涙ボロボロ出ねぇよ」
ミナは「うっ」と声を詰まらせる。
ライルは苦笑しながらフォローした。
「ミナは……とても怖かったんです。
それでも俺の手を離さなかった。
それが一番大事なんです」
ミナは胸を押さえ、
焚き火の光を受けてぽつりと言う。
「ライルさんが……そばにいてくれたから……
だから、逃げられたんです」
ゼクスはやれやれと肩をすくめる。
「まったく……
あんたら二人だけで逃げてたら、
どっちかが崖下まで真っ逆さまだったな」
ミナは「そ、それは……」と言いかけて、
涙目でライルの服を掴む。
「ライルさん……ゼクスさん……
ふたりとも……ありがと……」
声を震わせながら、
ミナは本心をぽつりと吐き出した。
「私……ひとりだったら、
きっともう走れなかった……
こわくて、こわくて……
胸が苦しくて……」
ライルは静かにミナの手へ触れた。
「ミナ。あなたは、強いです。
今日一日、それを誰よりも感じました」
ミナは涙をこぼしながら首を振る。
「ちがう……
強いんじゃなくて……
ただ、助けられてばかりで……
何も返せなくて……」
ゼクスがミナの方へ視線を向け、ぼそりと言う。
「返す返さねぇは関係ねぇよ。
危ない時に“逃げる勇気”があるだけで充分だ」
ミナは驚いてゼクスを見る。
ゼクスは柄にもなく目をそらしながら続けた。
「お前の光は……
守るための光だろ。
なら今は、自分を守るために使えばいい」
ミナの目が、静かに大きく揺れる。
(自分を……守るために……
光を使ってもいい……?)
ゼクスの言葉は、ミナの心に深く刺さった。
ライルも頷く。
「ミナ。
あなたが笑っていてくれるなら……
それだけで俺たちは報われるんです」
ミナは火の揺らぎを見つめながら、
胸の光に手を当て、小さく呟く。
「……うん……
ライルさん……ゼクスさん……
私……強くなりたい……
ふたりを守れるくらい……」
その瞬間、ミナの胸の光がふわりと優しく揺れた。
ただ涙を流す光ではない。
“願い”と“小さな決意”が宿った光だ。
ライルはその光を見て、静かに微笑んだ。
(ミナ……
あなたはもう、逃げるだけの人じゃない)
◇◇◇
火が小さくなり、
夜気がさらに深く落ちてくる。
ゼクスが立ち上がり、周囲を見回した。
「さて。寝る前に見張りを決めるか」
ライルは即座に言った。
「俺が最初に立ちます。
二人は休んでください」
ミナは慌てて手を挙げる。
「い、いえ……私も起きて……」
「ミナは寝てください。
今日は心の疲労が大きいはずです」
ミナは反論しようとしたが、
ライルの優しい声に押されて、小さく頷いた。
「……はい……じゃあ……少しだけ……」
ゼくスは焚き火に枝を追加しながら言った。
「じゃ、俺が二番。
お前らが寝てる間くらい、守ってやるよ」
ミナの胸がぎゅっと温かくなる。
(……ふたりとも……優しい……)
◇◇◇
やがてミナは毛布にくるまり、
焚き火の近くで横になった。
眠りにつく直前、
ミナは半分夢の中のような声で呟いた。
「……ライルさん……
今日の私……ちゃんと……逃げられましたか……?」
ライルはそっとその髪を撫でる。
「ええ。
あなたは……胸を張っていいくらい、立派でした」
ミナは安心したように微笑み、
眠りに落ちていった。
胸の光も、穏やかな脈動だけを残している。
◇◇◇
雲が静かに月を覆い、
泉の水面が揺れる。
ミナが眠りに落ちた後、
ゼクスがライルに問うように声をかける。
「……なあ、ライル」
「なんでしょう」
ゼクスは迷うようにして言う。
「お前……覚悟、してんのか?」
ライルの目が細くなる。
「覚悟……とは?」
ゼクスはミナの眠る姿をちらりと見て、小声で続けた。
「勇者を守るってのは……
王都を敵に回すってことだ。
お前一人の問題じゃねぇ。
“こいつ”も巻き込む」
ライルは焚き火の火を見ながら、
ゆっくりと答えた。
「……覚悟しています。
俺はもう……ミナを手放す気はありません」
ゼクスはわずかに息を呑む。
「……そっか」
ライルの目は穏やかでありながら、
“折れない意志”を秘めた光を宿していた。
◇◇◇
夜風が静かに吹き抜ける。
三人の影は、揺れる焚き火に寄り添うように映り、
その中心には、眠るミナの穏やかな表情があった。
――逃避行の夜は、こうして静かに更けていく。
そして次の朝、
三人には思いもよらない“新たな出会い”が待っていた。
タイトル詐欺がより激しくなっちゃった…
内容にあうタイトル考えます…




