19
ゼクスの案内で獣道を抜けたライルとミナは、
木々の切れ間から差し込む陽光を浴びながら、
森の出口へと急いでいた。
先ほどまでの暗く湿った空気とは違い、
出口へ向かう風はどこか軽い。
だが、その軽さは安心を与えるものではなく、
むしろ“外に待つ危険”を予感させるものだった。
ゼクスは振り返らずに言う。
「王都騎士団は森の入口と出口を押さえる。
普通に抜けようとすりゃ確実に捕まる」
「じゃあ……どうするんですか……?」とミナ。
「どうするか……か」
ゼクスは口端を少し上げる。
「簡単だ。“普通じゃない抜け方”をすりゃいい」
ミナは首を傾げた。
ライルはわずかに眉を寄せ、警戒を解かずに問う。
「……具体的には?」
ゼクスは一本の短剣を抜き、
地面にサッと線を引きながら説明した。
「森の出口はこうだ。
中央に騎士団本隊、左右に分隊が陣取る。
正面突破は不可能。
だが――」
短剣の切っ先で森の側面を示す。
「この森の南側には崖がある。
誰も“通れない”と思ってるから警戒が薄い」
ミナは息を呑んだ。
「崖って……落ちたら……」
「死ぬ」とゼクスは平然と言った。
ミナの顔が真っ青になる。
「そ、そんなところ通れないです……!」
「普通はな」
ゼクスはライルの方へ視線を向ける。
「けど、お前らには“勇者の光”がある。
足場を照らして、崖の細い縁を歩けば――不可能じゃない」
ライルはミナへ視線を向ける。
ミナは青ざめつつも、ライルの目を見て言った。
「……ライルさんがいるなら……私……やれます……!」
その言葉に、ライルの胸が熱くなる。
(ミナ……本当に、強くなった)
ゼクスは肩をすくめて言った。
「崖のルートを行くぞ。
騎士団は俺がちょっとばかし混乱させておく」
ミナは疑問を口にする。
「ゼクスさん……どうして、そんなに……
私たちを助けてくれるんですか?」
ゼクスは数歩だけミナの方へ近づき、
じっとその瞳を見た。
「……“泣きながら走ってる勇者”なんて、
放っとけねぇだろ」
その言葉は、あまりにも不器用で、
だけど優しかった。
ミナの胸がじんわり熱くなる。
ライルはゼクスをまっすぐ見据え、
静かに頭を下げた。
「助けていただき……本当にありがとうございます」
ゼクスは照れ隠しのように顔をそむける。
「礼はいい。まだ森を抜けてないんだ。
抜けてからにしてくれ」
◇◇◇
森の出口に近づくと、
空気が張り詰めるのがわかった。
重い鉄の擦れる音、
騎士団の鋭い声、
魔術の詠唱……。
すぐ先に“網”が張り巡らされているのがわかる。
ゼクスは指を鳴らすと、
ミナとライルを木の陰に追い込んだ。
「ここで聞け。
俺が前に出て“陽動”をかける。
その隙に崖へ向かえ」
ライルはすぐに反対した。
「危険すぎます」
「お前らが捕まるよりマシだ」
ゼクスは短剣を逆手に持ち、
森の出口へと歩き出した。
ミナは小さな声で呼び止める。
「ゼクスさん……気をつけて……!」
ゼクスは振り返らず、手だけ軽く上げた。
「言われなくてもな」
◇◇◇
ゼクスが森の切れ間へ出た瞬間、
騎士団のざわめきが起きた。
「誰だ!?」
「侵入者!? いや……この動き……」
「ゼクス……!? あの“影走りのゼクス”か!?」
ゼクスはわずかな距離を保ちつつ、
堂々とした口調で宣言する。
「おーい、騎士サマよぉ。
森ん中に“勇者に似た光”が見えてんぞ」
騎士団がざわつく。
「何!? 位置を示せ!!」
「魔術探知班、反応を追え! 外部の増援か!?」
ゼクスは薄く笑った。
(よし……食いついた)
◇◇◇
木陰で様子を伺っていたミナは、
ゼクスの動きを見て不安そうに呟いた。
「ゼクスさん、大丈夫かな……」
ライルはミナの頭に手を置いて言う。
「大丈夫です。
あの方は……本物の“強者”です」
ミナは小さく頷いたが、
胸には不安と感謝が渦巻いていた。
◇◇◇
騎士団がゼクスの方へ人員を割いていく。
「今です、ミナ!」
ライルがミナの手を引いた。
二人は木々の影を抜け、
森の外周へと駆ける。
その先には、ゼクスが示した“崖の縁”が待つ。
足元は、薄い草が揺れ、
急斜面の下には深い谷が続く。
ミナが声を震わせる。
「こ、ここ……通るんですか……?」
「ミナ。あなたの光があれば通れます。
信じています」
ミナはぎゅっと手を握りしめる。
(怖い……
だけど、ライルさんが信じてくれるなら……!)
ミナの胸の光がふわりと広がり、
崖の細い縁を淡く照らした。
ほんの少しだけ、足場が見える。
「ライルさん……見えます……!」
「行きましょう。
あなたの光が……俺の道を照らしています」
二人は崖の縁へ一歩踏み出した。
その瞬間――
森の方角から、レオン隊長の怒声が響いた。
「勇者発見!!
全騎士、南側へ回り込め!!
逃がすなァァッ!!」
ミナが息を呑む。
「来た……!」
「急ぎましょう!」
二人は崖の細い縁を慎重に、
しかし速く進んでいく。
ミナの光が風に揺れ、足場を照らし続ける。
その光は――
二人の未来への、小さな希望だった。
崖の縁は、本当に“道”と呼べる代物ではなかった。
幅は広いところでも人一人分。
狭い場所では、足を斜めにしてようやく立てるほど。
その細い縁を、ライルはミナの手を握ったまま慎重に進んだ。
ミナの胸の光が淡く揺れ、
崖の岩肌を淡く照らしている。
風が吹くたび、足がすくむような高さだ。
谷底には霧がかかり、その深さは想像さえできない。
ミナは足を震わせ、小さく声を漏らした。
「た、高い……ライルさん……わ、わたし……落ちそう……」
「大丈夫です。俺の手を離さなければ落ちません」
ライルはゆっくりと歩幅を合わせ、
ミナの足の位置をその都度確認して進んでいく。
ミナは震えながらも、必死に前を見ようとする。
(ライルさんが……繋いでくれてる……
怖くても……私は歩ける……!)
胸の光が揺れ、微かな温かい風が二人を包む。
◇◇◇
しかし、風の音の向こうから
怒号が響いてきた。
「勇者だ!! 崖のルートを使っている!!」
「追え!! 正面隊は崖上から射出魔術で牽制!!」
ミナが青ざめる。
「射出魔術……!? そ、それって……!」
「岩を飛ばす術式です。
直撃すれば……俺たちの体ごと落ちます」
ミナは顔を真っ青にした。
「そんな……!
わ、私のせいで……ライルさんまで……!!」
ライルは首を振り、ミナの手を強く握る。
「ミナのせいじゃありません。
あなたは何も悪くありません」
ミナの胸の光が、震えるほど強くなる。
(どうして……
どうしてライルさんは……いつも私を守ってくれるの……
私、何も返せてないのに……!)
その“涙に濡れた心”を、
光は確かに感じ取っていた。
◇◇◇
上部の森から、魔術官の叫び。
「射出魔術、準備!!
崖の足元を揺らして落とせ!!」
ミナが顔を上げる。
「いや……もうやめて……!!
私たち……誰も傷つけたくないのに……!!」
風が強まり、光が揺れる。
ライルはミナの手を引き、
岩の影になる場所へ素早く身を寄せた。
「ミナ、光を少し弱めてください!
目立つと狙われます!」
ミナは慌てて胸に手を当て、
光を弱めるよう祈る。
「おねがい……今は静かに……!」
光が落ち着き、周囲の明るさが減る。
◇◇◇
その時、
森の入口方向から鋭い声が響いた。
「――《影走り・四連飛刃》!!」
ミナとライルは驚いて振り向いた。
崖上の木立を駆ける黒い影――
ゼクスだ。
彼はものすごい速度で森の上を走り、
騎士団の前に飛び出すと、連続で短剣を投げた。
ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ! ヒュッ!
四本の刃が高速で空を裂き、
魔術官たちの杖の先端に突き刺さった。
「な……に!?」
「術式が――!!」
次の瞬間、杖の魔法陣が乱れ、
射出魔術が暴発する。
――ドガァァァンッ!!
崖上で爆風が広がり、
騎士たちは覆い被さるように木の陰へ伏せた。
ゼクスは木の幹に片足を掛け、
こちらへ視線を向けて叫んだ。
「行けぇ!! 今なら突破できる!!」
ミナは涙がにじむほど胸がいっぱいになった。
「ゼクスさん……!」
ライルは短く頷く。
「ミナ、急ぎましょう!」
二人は再び崖の縁を走り始めた。
◇◇◇
だが、余裕はなかった。
騎士団の数は多く、
森の上での爆発が収束すれば、すぐに追撃が再開される。
ゼクスはその場で騎士団を一人で引きつける覚悟だった。
ミナは胸の内で祈る。
(ゼクスさん……どうか無事で……!
私たちを助けてくれて……ありがとう……!)
胸の光が揺れ、
その揺れは不思議な温かさを持って広がった。
◇◇◇
崖道はまだ続く。
風が強まり、足場の石が崩れ、砂が滑る。
ミナは足を滑らせかけ、
叫び声を上げてライルの腕にしがみついた。
「きゃっ……!」
「ミナ!!」
ライルは即座に抱きとめ、
ミナの体が落ちないよう支える。
ミナは震える声で言う。
「ご、ごめんなさい……!
私の光が……怖くて揺れて……!」
「大丈夫です。怖いのは当然です。
あなたは悪くない」
ミナは涙をこらえ、深呼吸した。
「……はい……!」
二人は再び歩き出す。
◇◇◇
ついに、崖道の終点が見えてきた。
風の流れが変わり、
森の向こう側へ抜ける気配。
ライルが少しだけ微笑む。
「ミナ……もう少しです」
「本当に……!?
よかった……!」
だが、その瞬間――
崖上から怒号が飛んだ。
「勇者発見!! 崖道終点まで走っている!!」
「残存隊、崖上から回り込み、出口で待ち伏せに入れ!!」
ミナは息を飲む。
「ま、間に合っちゃう……!!」
「急ぎましょう!」
二人は最後の力を振り絞って崖道を駆け抜けた。
◇◇◇
崖道の出口は、大きな岩壁の陰に隠れるように存在していた。
その向こうには細い草原が広がり、
森の反対側へ抜ける道がある。
ミナは胸の光を抑えながら叫んだ。
「ライルさん……あそこ……!!」
「はい、行きましょう!」
二人が岩陰へ飛び込んだ瞬間――
――ザッ!!
草原にひらりと降り立つ影があった。
ゼクスだ。
息ひとつ乱さず、
ミナとライルを見やった。
ミナは驚いて言う。
「ゼクスさん……!!
あの後、どうやって……!?」
ゼクスは肩をすくめた。
「俺を誰だと思ってんだ。
影走りのゼクスを、あの程度で仕留められるわけねぇだろ」
ライルは心からの安堵を込めて頷いた。
「助けていただき……本当に……!」
ゼクスは手を軽く上げる。
「礼は後だ。急ぐぞ。
騎士団はまだ追ってる」
◇◇◇
三人は草原を駆け抜ける。
森を抜け、空が開けた先で――
新しい風が三人の顔を撫でた。
ミナはその風を受け、ようやく息を整えた。
「はぁ……はぁ……
ライルさん……ゼクスさん……
わ、私……生きてる……!」
ライルはミナの肩に手を置く。
「ええ。ミナのおかげです」
ゼクスも前を向いたまま短く続ける。
「泣き顔の勇者……
やっと少し“勇者らしく”なってきたじゃねぇか」
ミナは思わず頬を赤くする。
だが――その照れ笑いの裏で、
二人の追われる道は、ますます厳しさを増していく。
森を抜けた先には、
王都の思惑とは別の“第三勢力”が動き始めていた。
光と影、国家と逃避者――
その狭間で、三つの影は確かに結ばれていく。




