16
影の底の崩落から数時間。
ミナとライルは北方森林地帯の外縁まで移動し、いまだ息を整えつつ、現実へ引き戻されるように冷たい風を浴びていた。
あの地獄のような地下空間から抜け出した安堵は確かにあった。
しかし――同時に、胸の奥には新しい影が生まれつつあった。
「王都はどう動くのか」
ミナは落ち着かない表情で、ライルの横顔を見つめた。
「ライルさん……王都の人たち、どう思ってるかな……
私が……逃げた、って……なりますよね……?」
ライルは森の向こうに広がる空を眺めながら、ゆっくりと首を振った。
「“逃げた”と判断する人間もいます。
しかし……ミナが逃げたのではない。“守られなかった”だけです」
ミナは悲しそうに眉を寄せる。
「でも……私の力は、確かに危ないって……
国の人たちは、そう思って……」
「ミナ」
ライルが言葉を遮るように、静かに名を呼んだ。
その声は温かいのに、どこか深刻な色も宿していた。
「危険なのは、力ではありません。
それを“利用しようとする人間”です」
ミナは息を呑んだ。
ライルの声は続く。
「ミナの力は……優しい光です。
あの封鎖兵たちを救った光……
恐怖ではなく、心を鎮める光……」
ミナの胸が熱くなる。
けれど、その温かさの中に“現実の重さ”が混ざり込む。
◇◇◇
一方その頃――
王都は大混乱に陥っていた。
勇者ミナが行方不明。
監察局本隊からの報告は「捜索中」「不明」「魔力反応喪失」。
各ギルド、王宮、軍部、魔術局……
全てが“勇者不在”という事実に揺さぶられていた。
中でも――
王都中央ギルドは最も敏感に反応していた。
そのギルド会議室で、
大ギルド長レイハルトは机を強く叩いた。
「影部の外れ者ごときが……勇者を連れ回してどうするつもりだ!」
机の上にはガルデルの報告書が散らばっている。
「ライル・グレイアード。
やはりあの男を野放しにしたのは失策だったか……」
補佐官の一人が怯えた声で言う。
「しかし、大ギルド長……
ライルが勇者殿を“攫った”というのは……本当に……?」
レイハルトは書類棒を叩きつけた。
「事実だ!
勇者が“選んだ”のだとしても、それは問題だ。
勇者に情を移すなど、あってはならん!!」
「し、しかし……勇者殿はまだ十七歳の少女で……
心を寄せる相手が現れるのは不思議では……」
レイハルトは補佐官を睨みつける。
「問題なのはそこではない。
勇者は国家の宝であり、兵器でもある。
“自由意思で行動している”など……あってはならん!」
部屋に沈黙が落ちた。
レイハルトは低い声で続ける。
「……影部本隊からの報告は、半分“嘘”だ」
補佐官たちが息を呑む。
レイハルトは無表情のまま告げる。
「勇者の力の“完全覚醒”――
その危険性を理解している者は、まだ少ない」
別の補佐官が小声で尋ねる。
「……覚醒とは?」
レイハルトの目が細く光る。
「“感情”によって勇者の力が増幅し、
国家の制御を離れた時――
勇者は“世界最強の災厄”となりえる」
部屋の空気が凍り付く。
◇◇◇
ミナは森の中で、胸を押さえていた。
「……私……そんな、“危険な存在”として……
見られてるんだ……ね……」
ライルがミナの前に立ち、膝を折って視線を合わせる。
「ミナを危険だと判断する国の方が……危険です」
ミナは目を大きく見開いた。
「あなたがいなければ、ミナはただの“魔力源”扱いされていた。
守られることも、選ぶことも出来なかった」
ミナの胸が強く締めつけられた。
「でも……私のせいで……ライルさん、狙われて……」
「構いません」
ライルは迷いなく言う。
「俺は、あなたの側にいると決めた。
……それだけです」
ミナの頬に涙が落ちる。
「ライルさん……」
ライルはそっとミナの頬に触れた。
「ミナ。
あなたが望むなら……俺はどこへだって行きます」
ミナの胸の光が、静かに強く脈打った。
◇◇◇
その時――
木々がざわりと揺れ、空気が震えた。
ミナが振り返る。
「……ライルさん。
誰か……来ます……!」
ライルはすぐにミナの手を取る。
「隠れてください!」
二人は倒木の影に身を寄せた。
しばらくして――
森の奥から複数の影が姿を現す。
王都ギルドの騎士団。
そして、中央ギルド直属の魔術官たち。
ミナの胸が冷たくなる。
(……探しに来た……?
私を……“連れ戻し”に……?)
ライルはミナの手を強く握り、低い声で囁く。
「ミナ。
覚悟してください。
ここから先は……王都との“本当の戦い”になります」
ミナは震えながらも、強く頷いた。
「……ライルさんがいるなら……
私、逃げません……!」
騎士団の足音が森を揺らす。
彼らはすぐ近くにまで迫っていた。
ついに――
勇者ミナと王都の均衡が激しくぶつかる時が来る。
◇◇◇
王都ギルドの騎士団と魔術官たちが森へ踏み込む足音は、まるで大地の脈動そのもののように規則的で重たかった。
葉のさざめきが緊張を伝え、枯れ枝を踏みしめる音が鋭く響き、迫り来る気配は“追跡者”というより“捕獲の網”そのものだった。
ミナは倒木の影に身を縮めながら、震える手を胸に当てた。
心臓が速く打ち、呼吸が浅くなる。
(……怖い……けれど……逃げたくない……
私が逃げたら……ライルさんが――)
その思考を断ち切るかのように、隣でライルがそっとミナの手を握った。
「ミナ。深呼吸して」
「……はい……」
ミナは震えながら息を吸い、吐く。
少しだけ、胸の痛みが和らいだ。
ライルはミナの肩に手を置き、優しい眼差しで言う。
「大丈夫です。俺がいます」
「……ライルさん……」
ミナの胸の光が、緊張に合わせて弱く pulsate(脈動)していた。
◇◇◇
騎士団の隊長らしき人物が、森の奥から姿を現す。
青銀の鎧をまとい、腰には装飾の多い指揮杖。
王都中央ギルド直属の高位騎士――レオン・バルクハイト。
鋭い眼差しで周囲を探りながら、ついに声を上げた。
「――勇者ミナ殿、ここにいることは分かっている。
王都へ戻られよ」
ミナの肩が大きく揺れた。
(……やっぱり……
連れ戻しに来たんだ……)
魔術官の一人が巻物を開き、声を張る。
「魔術局の命により、勇者ミナ殿は“保護下”に置かれる。
勇者の力の無制御化、危険度増大の恐れあり――
よって、即時収容とする!」
“収容”。
その言葉は、あまりにも冷たかった。
ミナの指先が震え、呼吸が乱れた。
(怖い……
私……また閉じ込められるの……?
誰かの都合で……動かされて……
ライルさんとも……離されて……?)
胸の奥が締めつけられ、目頭が熱くなる。
その時、ライルがそっとミナの頬を支えた。
「ミナ。俺の目を見て」
ミナは涙混じりの視線をライルへ向ける。
「大丈夫です。
あなたは“収容”なんてされません。
俺が……絶対に、させません」
その静かな言葉に、ミナの胸が少しだけ温かくなった。
◇◇◇
しかし――騎士団は容赦なく迫る。
高位騎士レオンが前へ出て、声を張り上げる。
「ライル・グレイアード!
影部の残党としての罪に加え、勇者誘拐の嫌疑がある!
ただちに降伏し――」
「誘拐……?」
ミナが、小さく呟いた。
レオンは淡々と続ける。
「勇者の保護命令を無視し、所在不明にさせ、
かつ危険区域へ連れ込んだ罪――重大である」
ミナは青ざめた。
(そんな……
ライルさんは私を……守ってくれただけなのに……!?)
堪え切れず、ミナが飛び出しかけた瞬間、
ライルがそっと腕を伸ばして止めた。
「ミナ。まだ前へ出ないで」
「でも! ライルさんが……罪人扱いされてて……!」
「大丈夫です。あなたが“真実”を知っていてくれるなら、それでいい」
ミナの目に涙が浮かぶ。
(どうして……
どうしてこの人は……
本当のことを言わないの……)
レオンはさらに数歩前へ来て、声を低くした。
「勇者ミナ殿、どうかこちらへ。
あなたは大切な“戦略資源”だ。
一個人の情に流され――国家の手を離れてはならない」
その言葉に、ミナの胸がかっと熱くなった。
(私を……物みたいに……!
“戦略資源”って……!)
両手が震え、胸の光が強く脈打ち始める。
「……私、物じゃありません……
人間です……!」
レオンが眉をひそめる。
「感情で動くな。
勇者の力は“制御下”に置かれねばならない」
ミナの胸の光が一段と強くなる。
温かいようで、悲しい色を帯びた光。
「私が……私の意思で動いちゃいけないの……?」
「勇者は国家のものだ」
その瞬間――
ミナの中で何かが崩れた。
◇◇◇
光が爆ぜた。
周囲の木々の葉が震え、空気が波打つ。
ミナの胸から溢れた光は、怒りでも憎しみでもなく――
“否定された心が叫ぶ光”。
ミナは涙をこぼしながら叫んだ。
「私は……ライルさんといたい!!
私の意思で……誰と一緒にいるか決めたい!!
私の力をどう使うか……私が決めたい!!」
レオンは驚愕し、後退した。
「な……勇者の感情反応!?
魔力値が跳ね上がって……!」
魔術官たちも慌てて巻物を展開する。
「封印陣を!! 力を安定させろ!!」
ミナは首を横に振る。
「もう……誰の命令にも従いません!!
私は……私の光で……
“守りたい人”を守りたいだけ!!」
その一言に――
ライルは言葉を失った。
胸が熱く、喉が詰まり、涙がこぼれそうになる。
(ミナ……
あなたは……こんなにも……強い……)
◇◇◇
レオンはすぐに体勢を立て直し、叫ぶ。
「勇者の暴走を確認!
全員、捕縛に備え――」
しかしその時。
ライルが一歩前へ出た。
騎士団と魔術官、全員の視線が彼へ向く。
ライルは静かに、しかしはっきりと告げた。
「ミナは暴走していません」
レオンが睨む。
「……国家に逆らうつもりか」
「国が間違っているなら、逆らいます」
その言葉に、騎士たちが一斉にざわめく。
ライルはミナの手を取り、強く握る。
「ミナの意思は――俺が守る」
ミナの目から大粒の涙が落ちた。
「ライルさん……!」
レオンが剣を抜き、叫ぶ。
「勇者誘拐犯ライル・グレイアード!!
ここで拘束する!!」
騎士たちが一斉に剣を構え、ミナへ向けて詰め寄る。
木々が揺れ、風が止まり、
その場全体が張り詰めた糸のようになる。
ミナはライルの手を握り、震える声で囁いた。
「ライルさん……どうすれば……」
「大丈夫。あなたは俺の後ろに」
ライルはミナを背に庇い、深く息を吸った。
その視線は、王都騎士団全てを真正面から受け止める覚悟に満ちていた。
勇者を守るためなら――国家すら敵に回す。
その決意が、静かに森へ満ちていく。
ミナは背中越しにライルの意志を感じ、
胸の光を固く、強く結んだ。
「ライルさん……
私も一緒に戦います……!」
「ミナ。あなたは光を……俺はその光を守ります」
騎士団が一斉に動き、魔術官たちが術式を展開する。
風が切れ、草が揺れ、
王都と勇者、そしてライルの物語は――
ここから大きく動き始める。




