表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光の欠片を宿す者【旧台:勇者様は今日も常識はずれ】  作者: 憂姫
理想と現実の間で

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/46

11

北方黒樹林を抜ける頃、空はすでに灰色の雲を孕み、太陽の光は細い線のようにしか差し込まなかった。

 息をするたび、森の奥に渦巻いていた濃密な魔力の残滓が胸にまとわりつく。

 ミナは川の匂いを含んだ冷たい風を吸い込みながら、自分がまだ“逃げているだけ”であることを強く実感していた。


 「……外に出たと思ったら、今度は崖ですか……」

 思わず本音が漏れた。

 城下町の通学路しか知らなかった女子高生の足には、断崖の獣道など拷問のように思えた。


 だが、ライルは控えめに笑いながら言う。

 「すみません。ここが一番安全なんです」

 「安全の基準が“落ちたら死ぬ”なのはどうなんですか……」

 「……“敵に殺されるよりはマシ”という意味で」


 ミナは返す言葉もなく、ただライルの背にしがみつくように歩いた。


 黒樹林の恐怖、灰影部隊の追跡、魔獣の咆哮。

 一つひとつは、ミナがいた世界では到底考えられなかった危険だ。

 だが、それらすべてを“現実”として受け入れなければ、いま生き残ることはできない。


 足元の石が崩れ、ミナは短く悲鳴を上げた。

 「きゃっ……!」

 「ミナ!」

 ライルがすぐに腕を支えた。その手は温かく、確かで、揺るぎない。


 しばらくして呼吸が整ってくると、ミナは言った。

 「ライルさん……もしかして、怒ってます?」

 「怒ってませんよ。心臓が止まりそうになっただけです」

 「……怒ってるじゃないですか……」


 そう言って小さく笑うと、ライルもまた微笑んだ。

 重苦しい空気の中で、この微笑みだけがミナの心を支えてくれる。


◇◇◇


 断崖の中腹にある、わずかに平らな岩場に到達したのは、それから二十分後のことだ。


 「ここで少し休みましょう」

 「……倒れます……」


 文字通りへたり込むように座ると、ミナは深く呼吸を整えた。

 周囲は絶壁と深い谷。風が強く吹くたびに草が揺れ、かすかな音が遠くへ吸い込まれていく。


 ミナは川の音に耳を傾けながら、少しずつ心を落ち着けた。

 ――でも、落ち着きかけたときほど、不安はこみ上げてくる。


 「ねえ、ライルさん」

 「はい」

 「……あの人たち、本当にずっと追ってきますよね?」

 「ええ。監察局は一度標的を定めれば、諦めることはありません」


 ミナの喉が小さく震える。

 「どうして、そこまで“勇者”に執着するんですか……?」

 「勇者は“力”だからです。

  あなたの力を手に入れれば、王国は、どんな反乱も異民族も、すべて制圧できる」

 「……そんなの、勇者じゃない……」


 ミナはぎゅっと膝を抱えた。

 戦いを止めるために使った光が、今度は戦争の道具として狙われる。

 彼女が最も恐れる未来だ。


 そのとき、ライルは言った。


 「……実は、過去の私の所属と関係があります」


 ミナの目が揺れる。


 「影部、ですよね?」

 「ええ。監察局の下部組織。

  “国のために不要なものを排除する”役目でした」


 ライルの声は淡々としているが、その裏には深い痛みがあった。


 「私はそこで、守るべき人を――救えなかった」

 「……!」


 ミナは反射的にライルの腕を掴んでいた。


 「それって……」

「詳しくはまた話します。

  ただ、だからこそ……私はあなたを見捨てたくないんです」


 まっすぐな言葉が胸に突き刺さる。

 ミナは俯きながらも、その言葉の重みを噛み締めた。


◇◇◇


 そのとき――断崖の上で“カツン”と乾いた音が響いた。


 ミナは身体を強張らせ、ライルの袖を握る。


 「い、今の……」

 「……足音です」


 ライルは瞬時に防御魔具に手を伸ばし、周囲を見回した。

 黒い影が、崖の縁に沿って動いている。


 風が止まり、空気が冷たく凍る。


 「――発見」


 低く、淡々とした声。


 断崖の縁に数人の灰色の外套が揺れ、

 “灰影部隊”の兵士たちが姿を現した。


 ミナの視界が狭まる。

 心臓が高鳴り、呼吸が浅くなる。


 「どうして……こんな早く……!」


 兵士のひとりが弓を構え、声を張り上げる。

 「勇者ミナ! 王命により拘束する!」

 「補佐官ライルは反逆罪で処断対象とする!」


 ミナが震える。

 「処断……って……」


 ライルはミナの肩を抱き寄せた。


 「ミナ。俺を信じてください」

 「……信じます」


 その瞬間――

 上空から黒い影が降り注いだ。


 “無音の矢”。


 「伏せて!」

 ライルが防御陣を展開し、光の盾が矢を弾く。

 火花が散り、崖の岩が砕けた。


 しかし、それは序章にすぎなかった。


 ――彼らの“動き”が異常なのだ。


 呼吸も、足運びも、腕の振りも。

 まるで感情のない“機械のような人間”の動き。


 ミナは恐怖に染まった声で呟く。

 「ライルさん……あの人たち……普通じゃない……」

 「精神封鎖処置を受けています」

 「精神……封鎖……?」


 ライルの目が細められる。

 その瞳には、怒りと哀しみが混ざっていた。


 「“自我を奪い、命令だけで動く兵士”ですよ」


 ミナの心臓が凍りつく。

 そんな兵士を追手にした者たちが、どれほど彼女を奪いたいか――痛いほど分かった。


 ライルは短く息を吸い込んだ。


 「ミナ、ここは危険だ。

  崖を下りて川へ飛び降ります」

 「と、飛び……!?」

 「今はそれしか生き残る道がありません!」


 ミナは躊躇したが、ライルの真剣な目を見て頷いた。


 「……分かった。ライルさんとなら」


 ライルは強く頷き、

 「せーの――」と跳躍準備に入った。


 その瞬間。


 崖の側面に仕込まれた魔術陣が、不気味に輝き始めた。


 ――ゴォッッ……!


 空気が震え、崖全体が脈打つ。


 ライルが顔色を変えた。

 「ミナ、下がれ!!」

 「えっ――」


 遅かった。


 魔術陣が展開し、ミナの足元の空間が裂けた。


 ――強制転移陣テレポイント


 ミナの身体が白い光に包まれ、宙へと浮き上がる。


 「ライルさん!!」

 「ミナ!! 手を伸ばせ!!」


 二人の指先が触れかけ――

 寸前のところで、空間が鋭くねじ曲がった。


 ミナの視界が白に染まる。

 最後に見えたのはライルの伸ばした手。


 届かない。

 触れられない。

 離れたくないのに――。


 「――いやだぁぁぁ!! 離れたくない!!」


 ミナの叫びが、世界から消えた。


◇◇◇


 白い光が世界を満たした瞬間、ミナの身体は空間に浮かび、上下すらわからなくなった。

 目も開けられないほどの眩しさ。

 次に感じたのは、急激な寒さだった。


 ――ドサッ。


 地面に叩きつけられ、ミナは息を呑む。

 冷たい苔の感触。湿った土の匂い。

 目を開けると、そこは黒樹林とは違う、“別の森”だった。


 「ここ……どこ……?」


 声は震えていた。

 身体の奥がまだ光に引き裂かれたように痛む。

 崖の魔術罠――強制転移陣。

 ミナを“単独で隔離する”ために設置されていたもの。


 「ライルさん……!」


 叫ぶが、返事はない。

 風の音だけが虚しく森を抜けていく。


 ミナの胸の奥に、冷たい恐怖が広がった。


 ――ライルがいない。


 その事実が、全身の力を奪っていく。


◇◇◇


 その頃、断崖では。


 「ミナ……ッ!!」

 ライルの叫びが山に響いた。


 白い光が消えると同時に、ミナの姿は断崖から完全に消えた。


 魔術陣は既に崩壊し、残ったのは焦げた石と魔力の残滓だけ。

 ミナがどこへ飛ばされたか、痕跡は何一つ残っていない。


 灰影部隊の隊長格が冷たい声で言った。

 「勇者ミナ、転移完了。補佐官は処断する」


 ライルの目が鋭く細められた。


 「……貴様ら……!」


 怒りに震える声。

 決して声を荒げない男が、今、明確な殺意を背負っていた。


 だが灰影部隊は無表情のまま迫る。

 その動きは異様なほど均質で、命令に忠実。


 「補佐官ライル・グレイアード。王命により排除対象」

 「抵抗は不要。あなたに自我は不要」


 その言葉が、ライルの奥底で何かを引き裂いた。


 「……ふざけるな」


 その瞬間、灰影部隊が一斉に飛びかかった。


◇◇◇


 森の中。

 ミナは足元もおぼつかないまま立ち上がり、必死に周囲を見回した。


 「ライルさん……どこ……?」


 返ってくる答えは風だけ。

 森は深く、暗く、寒い。


 「……怖い……」


 胸が苦しく、涙が滲む。

 でも、このまま泣き崩れても、誰も助けに来ない。


 ミナは震える指で胸に触れた。

 赤い風を止めたときと同じ、あの淡い熱が胸の奥に残っている。


 (私……また守られてるだけじゃダメだ……

  ライルさんがいないなら……私が探しに行かなきゃ……)


 そう決めると、不思議なことに、胸の奥から温かい光がじわりと広がった。


 「……これ……?

  私の……光?」


 小さな光の粒が掌に集まり、淡く輝いている。

 それは治癒の光に似ているが、少し違う。


 ――これは、“探すための光”。


 ミナの魔力が、危機によって新しい形を作り始めていた。


◇◇◇


 一方その頃。


 断崖の岩場で、ライルは灰影部隊に囲まれていた。

 魔具の盾が激しく振動し、矢が次々と弾かれて火花が散る。


 (こいつら……以前の灰影部隊とは動きが違う……!

  精神封鎖に加えて、強化処置まで……!)


 呼吸を整え、ライルは敵の弓兵と間合いを測った。


 「貴様は不要。勇者だけで足りる」

 「補佐官、不要」

 「勇者の光、必要。補佐官、排除」


 まるで壊れた人形のような声。


 だが――

 その言葉の一つひとつが、ライルの心に鋭い刃となって刺さる。


 「……俺をどう評価しようが構わない」


 ライルは静かに魔具を構えた。


 「だが一つだけ言っておく。

  ミナに触れた瞬間――

  お前たちを、俺は許さない」


 灰影部隊が一斉に動いた。

 ライルの足元の岩が砕け、矢が雨のように降る。


 ライルは地を蹴って跳躍し、敵の間をすり抜けながら結界を展開する。


 「第五式《偏光結界》!」


 光が走り、敵の攻撃が一瞬だけ逸らされる。

 その隙にライルは崖を降り、ミナの転移痕を探すため谷側へ飛び移った。


 (ミナ……どんな場所に飛ばされた……!?

  どうか、無事でいてくれ……!)


◇◇◇


 森の奥へ歩き始めて数分後。

 ミナは木々の間に奇妙な痕跡を見つけた。


 「……何これ……?」


 地面に“均等に並んだ足跡”。

 しかも、人間のものとは思えないほど一直線でぶれがない。


 (……まさか……灰影部隊……?

  ここにも来てるの……!?)


 胸がざわつく。

 転移陣は自動ではなく、誰かが“操作して発動”させた可能性が高い。


 (私を……隔離した……?

  誰かが……私を捕まえようとしてる……?)


 そのとき、森の奥から小さな光が瞬いた。


 ミナは身を潜めながら耳を澄ませる。


 ――ザッ、ザッ。


 規則正しい足音。

 灰影部隊と同じ無機質な歩調。


 「……いや……いやだ……!」


 膝が震え、喉が潰れそうになる。

 ライルがいない今、敵に見つかれば即拘束だ。


 (逃げなきゃ……!

  ライルさんに……会わなきゃ……!)


 ミナは全力で走り出した。


 だが、数分走ったところで――

 不意に風が止まり、森全体が静かになった。


 「っ……!」


 耳の奥で、低い声が囁く。


 「――勇者」


 ミナは反射的に振り返る。


 暗い木々の間に、灰色の外套の影が立っていた。

 無表情で、感情の欠片もない瞳。


 「……見つかった……」


 恐怖が喉を塞ぐ。


 灰影兵がゆっくりと手を伸ばす。

 その指先には白い魔力。


 ――転移。


 「嫌……!!」


 ミナの手から光が生まれた。

 無意識に放たれた光は、淡い帯となって敵の腕をはじいた。


 「……え?」


 ミナの身体が震える。


 「今の……私……?」


 治癒でも攻撃でもない。

 “拒絶”の光。


 ミナの中で、新しい何かが芽生えていた。


◇◇◇


 その瞬間、遠くで雄叫びが響いた。


 「ミナァァァァ!!!」


 森を揺らす声。

 ミナの胸の奥に深く刻まれた、大切な人の声。


 「ライルさん……!」


 ミナは涙をこぼしながら駆け出す。

 ライルも同じく、灰影部隊を振り切り、ミナへ向かって全力で森を駆けていた。


 しかし――

 そのふたりの間に、別の“影”が入り込む。


 黒い外套。

 灰影部隊とは違う、もっと嫌な空気を纏った者。


 「やはり……勇者は一人のほうが扱いやすい」


 低く冷たい声。

 ミナは立ち止まり、その影を見る。


 ――“裏切り者”。


 ギルドから情報が漏れているとしたら、

 この男がすべての中心にいる。


 「あなた……誰……?」


 影は答えず、ゆっくりとフードを上げた。


 その顔を見た瞬間、ミナは息を飲んだ。


 「……ギルドの……!」


 だが言葉を言い切る前に、影は言った。


 「勇者。君は“王”に返す」


 次の瞬間、森の空気が裂け――

 ミナと影の間に巨大な魔術陣が展開した。


 ミナは恐怖で足がすくむ。


 (だめ……こんなとこで……!

  ライルさんに……会えないまま……!)


 影の手が、ミナの肩へ伸びる。


 その瞬間。


 「ミナから離れろォォォ!!!」


 ライルの叫びが、森を切り裂いた。


 ミナの胸に、ぱっと光が灯る。


 ――ああ、来てくれた。


 その一瞬の光が、

 ミナの運命を大きく動かそうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ