表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【勇者様は今日も常識はずれ】ー荷物持ちの俺は心臓が持たないー  作者: 憂姫
召喚された少女と荷物持ちの男

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/24

1

王都セリオンの朝は、いつも荘厳だった。

 神殿の鐘が七度鳴ると同時に、王城の大広間では一世一代の儀式が執り行われていた。

 魔導士たちの詠唱が重なり、空気が震える。

 床に描かれた巨大な魔法陣が眩く輝き、その中心に、ひとりの少女が現れた。


 肩までの焦げ茶の髪。灰色の制服。手には薄い黒い板――スマートフォン。

 彼女は瞬きを繰り返し、ぽつりと呟いた。


「……え、ここどこ?」


 静寂が広間を満たした。

 王も神官も騎士も、誰もが言葉を失う。


 召喚の間に立ち会っていたギルド専属サポーター、ライル・グレイアードは、ため息をひとつ落とした。

 彼の仕事は本来、冒険者たちの行動支援や物資補給、危機管理である。

 戦闘とは無縁。剣も魔法も扱えない。

 それでも王命が下り、彼はこの儀式の「後方監督」として派遣されていた。


 そして、今目の前にいる少女が――神託により選ばれた“勇者”だという。


「これが……勇者様、ですか」

 ライルの呟きに、隣の魔導士が頷く。

「神託は確かです。異界より救世主が現れると」


「……救世主、ね」

 ライルは眉間を押さえた。

 召喚された少女は、依然として状況を理解していない。

 不安そうに周囲を見回しながら、スマートフォンを掲げた。


「ねえ、これ、電波入ってる? あ、Wi-Fiは? え、圏外? マジで?」


 誰も理解できない単語を並べる彼女を前に、宮廷魔導士が青ざめた。

 王は咳払いをひとつして、威厳を保ちながら口を開く。


「勇者よ。そなたは神に選ばれし者。この世界を脅かす魔王を討ち、平和を取り戻す使命を負う者である」


「……魔王?」

 少女――一ノ瀬ミナは小首をかしげた。

「それって……ゲームのラスボス的なやつ?」


 空気が凍った。

 ライルは心の中で深く祈った。

 ――どうか、この世界が今日一日だけでも滅びませんように。


 任命式が終わると、ギルドの使者が王に進言した。

「勇者の管理には、ギルド本部から専属の補助員をつけるべきかと」

「うむ。誰が適任か?」

「……このライル・グレイアードでございます」


 名を呼ばれた瞬間、ライルは顔を引きつらせた。

「陛下、それは誤解です。私は物資管理専門で――」

「心得ておる。ゆえにそなたに任せる」


 命令は絶対だった。

 こうして、彼は“非常識な勇者”の監督役として同行することになった。


◇◇◇


 初日の同行は、王都を出てすぐに波乱へと変わった。

 街道を歩く勇者は、見たこともないものにいちいち反応しては立ち止まる。


「わっ、馬! 本物の馬だ! かわいい〜!」

「勇者様、隊列を乱さぬようお願いします」

「だって触りたいんだもん!」

「噛まれますよ」


 ライルの忠告は、軽やかに無視された。


 昼食の際にはさらに混乱が広がる。

 携帯食糧を取り出すライルを見て、ミナは眉をしかめた。

「え、これパン? ……お米ないの?」

「この地方では麦が主食です」

「えぇ〜、パン飽きるんですけど」

「……贅沢を言わないでください」


 勇者というより、修学旅行中の高校生だった。


 しかしライルは、彼女を責めることはできなかった。

 召喚されて数時間。見知らぬ世界に放り込まれた少女が、冷静でいられるはずもない。

 彼は現実主義者だが、人の心の機微には敏感だった。

 この異世界に適応できるようになるまで、時間が必要なのだ。


 そう理解しながらも――胃痛だけは止まらなかった。


◇◇◇


 日が傾き、最初の宿に着く頃。

 ミナは馬車の中で丸くなり、スマートフォンの画面をじっと見つめていた。

 光らない画面に、映るのは自分の顔だけ。


「……帰りたい」

 かすかな声が漏れた。


 ライルは、その言葉を聞かなかったふりをした。

 彼女にかける言葉を、まだ持ち合わせていなかった。


 代わりに荷台から毛布を取り出し、そっと彼女の肩に掛けた。


「風が冷えます。今日はもう休んでください」

「……うん。ありがと」


 その一言に、彼は小さく微笑んだ。

 ――守る対象としてではなく、“ひとりの人間”として見られた気がした。


◇◇◇


 翌朝、ギルド本部から緊急の伝令が届いた。

 近隣の村が、魔獣の群れに襲われているという。

 勇者パーティへの初任務が、早くも舞い込んだのだ。


 ライルは頭を抱えた。

 まだ準備も整っていない。武器の扱いも知らない少女を、危険地帯へ連れていくなど――。


「待ってください。訓練もなく現場に出すのは――」

 彼の反対を、王の使者は一言で切り捨てた。

「命令です。勇者様の力を示す好機とせよ」


 ミナはそんな空気をよそに、瞳を輝かせた。

「人が困ってるなら、助けに行こう!」


 ライルは言葉を失った。

 その笑顔には恐れも疑いもない。

 ただ、真っすぐに“人を救いたい”という意思だけが宿っていた。


「……了解しました」

 彼は深く息を吸い、いつもの冷静な声で応じた。

「勇者様、準備を始めましょう。食料、水、薬草、予備の装備――全て俺が用意します」

「ありがとう、ライルさん! 頼りにしてる!」


 その明るい声に、彼の心はわずかに揺れた。


 ――そうか。

 この旅は、予想よりも厄介で。

 けれど、思っていたよりも――退屈ではなさそうだ。


王都を出発して三日。

 勇者一行は、最初の目的地である交易の町・バルストへと辿り着いた。


 高い石壁の向こうからは、荷馬車の車輪が軋む音、人々の喧噪、そして香辛料の匂いが漂ってくる。

 ミナは馬車の窓から身を乗り出し、子供のように目を輝かせた。


「すごい……まるでテーマパークみたい!」

「……テーマパーク?」

 隣の座席に座るライルは、聞き慣れない単語に眉を寄せた。

「遊ぶために作られた街のこと、です!」

「この町は交易と金のために作られました」

「えぇ〜、夢がないですね!」


 ミナの率直な感想に、ライルは乾いた笑いを漏らした。

 彼女は良くも悪くも真っすぐすぎる。

 町の門番に旅券を見せ、関所を通過するまでのあいだも、興味津々であらゆる物を見つめていた。


「わあ、鎧着てる人がいっぱい! コスプレのイベントでもあるのかな?」

「……勇者様。彼らは衛兵です」

「えっ、本物? 剣も本物?」

「ええ。本物です。ですから不用意に触らないように」


 ミナが一歩近づいた瞬間、衛兵のひとりが怪訝そうに睨んだ。

 ライルは慌てて彼女の肩を押さえ、小声で諭す。

「この国では、兵士に触れるのは無礼とされています」

「そ、そうなんですか。……知らなかった」


 落ち込んだように肩をすくめる彼女を見て、ライルは少しだけ胸が痛んだ。

 異世界に来てまだ数日。

 知らないことばかりなのは、当然だ。

 それを怒るのは筋違いだと分かっている。


 ただ――問題は、彼女が学習するよりも速く、次の非常識を披露していくことだった。


◇◇◇


 市場に入ると、色鮮やかな屋台が軒を連ねていた。

 香辛料、果物、織物、武具。あらゆる商品が並び、人々の声が飛び交う。


「すごい! 賑やかですね!」

 ミナはきらきらした目で屋台を見回すと、唐突に言った。

「値札ってないんですか?」

「え?」

「だって、いくらか分からないと買えないじゃないですか」

 商人たちが一斉に目を丸くする。


 この国では、値段は交渉で決まるのが常識だ。

 買い手が口を開く前に値を示すことは、“自らの商魂を腐らせる行為”とされていた。


「交渉制、です」

 ライルが小声で説明すると、ミナは目を瞬かせた。

「え、じゃあ“値切り”放題?」

「……概ね、そうです」

「よーし! 任せてください、スーパーのセールで鍛えた交渉術!」


 勇ましい宣言を残し、彼女は果物屋の前に突撃した。


「このリンゴ三個で一銀貨? 高い! 半分にしてください!」

「な、なにっ!? 勇者様、それは――」

「だって向こうの屋台はもっと安いですよ!」

「比べるな! 品質が違う!」


 あっという間に周囲が騒然となった。

 衛兵が何事かと駆け寄る中、ライルは頭を抱える。


 彼女に悪意はない。

 ただ、あまりにも“この世界を知らなすぎる”のだ。

 ライルは慌てて間に入り、穏やかに場を収める。

「申し訳ありません。この者は異界からの召喚者でして、まだ慣れておらず……」

 商人が額の汗をぬぐい、ため息をつく。

「頼むぜ、旦那。勇者様ならなおさら、言葉には気をつけてくれ」

「心得ています。以後、私が同行します」


 ミナは反省したように頭を下げた。

「ごめんなさい……なんか、空気読めなかったみたいで」

「ええ、少しだけ」

「“少しだけ”って言い方が優しいですね」

「そう言わないと胃がもたないので」


 そのやり取りに、周囲の緊張が少し和らいだ。


◇◇◇


 昼下がり、宿の確保を終えた後。

 ライルはギルド支部で報告書を書いていた。

 勇者の行動記録、補給状況、旅程の安全確認――本来ならば、淡々と処理すれば済む仕事だ。

 しかし今回は違った。

 報告欄のほとんどが“想定外”の出来事で埋め尽くされている。


「勇者様、市場で値切り交渉を敢行。軽度の混乱を招く」

「勇者様、露天商に“ポイントカードはありますか”と質問」

「勇者様、街路樹の下で昼寝を試みる」


 ライルはペンを止め、深く息を吐いた。

 この調子で魔王討伐まで辿り着けるのか。

 だが、不思議なことに――不安だけではなかった。


 その日、宿の部屋の窓辺で。

 ミナが猫のように窓枠に腰掛け、沈む夕陽を見つめていた。

 ライルが声をかけると、彼女は小さく笑った。


「ねえライルさん、この世界って、ちょっと不便だけど……すごく綺麗ですね」

「そうですか?」

「うん。空気が澄んでるし、人の声が近い。スマホがなくても、ちゃんと温かい」


 夕陽が彼女の頬を照らし、風がカーテンを揺らした。

 その瞬間、ライルは言葉を失った。

 ――この少女は、ただの“異世界人”ではない。

 どこか、この世界が忘れていた“まっすぐさ”を持っている。


「……勇者様」

「ん?」

「明日からは、もう少し周囲を見て行動をお願いします」

「えへへ、努力します!」


 まるで子供のような返事だった。

 ライルは苦笑し、窓の外に目を向ける。


 ――きっと、この旅は長く、厄介で。

 けれどその分だけ、彼の世界を少しずつ変えていくのだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ