5回目
悲鳴を上げて目を覚ました。涙が止まらない。
思い出せなかった私はなんて馬鹿なのだろう。せめて最後に思い出しさえすれば、もう少しマシな最期を紫苑に与えてあげられたのに。
あの後、紫苑はちゃんと死ねたのだろうか。私はその後の記憶がないから死んだのだろうけれど。
いつかのように、もうこの夢を疑ったりはしない。あれは、確かにあった現実だ。けれど、どこまで正確かはわからない。死ぬ間際のことをこれほど克明に記憶しているとは思えない。ただ、紫苑が壊れていたのに違いはないだろう。
私はなんということをしでかしてしまったのだろう。紫苑にあんなこと…いや、罪悪感を抱かないのなら殺してくれたって構わないのだけれど、あんな顔をさせたかったわけではない。いつだって紫苑には笑っていてほしいのに。
紫苑を追い詰めたのは私たちだ。あの時願ったからまた会えたけれど、紫苑を1人置いてリンドウと死んでしまったことは、紫苑に想像以上のダメージを与えたようだ。さらに悪いことに、紫苑しかそのことを覚えていない世界だ。気が狂ったって仕方がない。人間、独りは耐えられない。
どうしてこんな惨い真似をするのだろう。
自己犠牲精神が根深い紫苑は、他人に重きを置く。それは悪い言い方をすれば、他人ありきで生きているということだ。つまり、他人のためにしか生きられない。なのに、自分しか覚えていなかった。私もリンドウも忘れてしまっているのだ。それは、紫苑にとって地獄以外の何物でもないだろう。
紫苑のことが心配だとは思っていたけれど、これほど悲惨なことになるとは思わなかった。本当にどうして思い出せなかったのだろう。最期のあの瞬間確かに何かを感じたのに。それなのに思い出せなかった。
もう過去のことだ。それはわかっている。けれど、どうにかならなかったのかといつも考えてしまう。悩むなんて無意味でしかないのに。けれど、頭をぐるぐる回るのだから、嫌になる。
私はこの不快感をどうにかしたくて幼馴染の家に押しかけた。
部屋に入った途端、私は何の前触れもなく話しだした。部屋に入ってすぐのところで立ったまま言い募る。
「アンタ覚えてるの」
「何が?」
リンドウはこちらを怪訝そうに見ている。
ああ、そうか。何も知らないのか。
「そう。覚えてないのね」
「だから、何がって聞いてんだろ」
「そんなことどうでもいいのよ!アンタさえ覚えてればアイツがああなることもなかったのにどうして何も覚えてなかったのよ!…どうして覚えてないのよ」
無茶苦茶なことを言っているのはわかっている。これは単なる八つ当たりだ。けれど、思い出したら言わずにはいられない。どうして死んだかは知らないけれど、リンドウが死ななければ、覚えていれば、紫苑はあんな暴挙には出なかった。
「うるせぇな。てか、なに。いきなり来てわけわかんねぇこと捲し立てて、涙目になって意味わかんねぇんだけど」
リンドウは私の言葉を単なるヒステリーだと思ったようで、迷惑そうに眉を寄せている。
その姿に、ぐっと奥歯を噛み締める。自分しか覚えていないとはこういうことか。こんなに虚しくなるのか。
もし、リンドウに記憶があったなら、抱きしめて落ち着けようとするだろう。愉しげに笑って、あやすように頭を撫でたりなんかして。それを私が望むかどうかは別として。
そこまで考えて、今の私たちの間にはあの頃ほどの親密さはないのだ、と思い知らされて泣きそうになった。今から親しくなればいいなんて前向きにはなれない。あれは、特殊な関係だったからああなっただけで、普通の家庭で生まれ育った単なる幼馴染なんてちゃちな関係ではリンドウが私に気を許すはずがないし、記憶がなければ私も気を許すことはないだろう。
あの頃…リンドウが領主の子息という肩書きがあった頃、きっと私たちは互いしかいなくて、仕方なく一緒にいた。顔合わせだかなんだかよく知らないけれど、幼い頃から引き合わされて、2人で過ごす時間をお膳立てされて。
婚約者候補だということは知っていた。けれど、私はそんなもの興味がなかった。というか興味を持ったところで親の言う通りに嫁がなければいけないのだから意味がなかった。そして、リンドウは婚約者候補に会わされることにうんざりしていた。
候補という言葉通り、リンドウには私以外にも相手がいた。その人たちはみんな目の色を変えてリンドウに迫っていたらしい。いつか嫌そうにリンドウが言っていた。だから、興味なさそうな私を選んだ。そして、互いだけが理解者だと世界を閉ざした。アスターが現れるまでは。
互いだけではないのならリンドウが私を選ぶ理由はないのだ。私だって記憶がなければきっとリンドウと一緒にいることを選ばない。そこに紫苑がいたなら話は変わってくるけれど。それでも、やっぱり元の形には戻らない。3人で完結したとしても、それだけで安寧は得られない。
言いたいことを言って少し落ち着いた私は視線をリンドウから外し、大きく息を吐いて心を落ち着ける。潤んだ目を乾かそうと必死だった。
これだけ好き勝手言ったけれど、それで嫌われるとは思っていない。けれど、泣き顔を見られるのは少しばつが悪い。
もう帰ってしまおうと視線を上げると、いつの間にかリンドウが目の前に立っていた。それにたじろいでいると、大きく溜息をついたリンドウが私を緩く抱きしめた。私の頭を撫でながら。
あ、ダメだと思った。潤むだけだった目から涙が溢れてくる。
覚えていないだけで、中身は一緒なのだ。いつか自分を誤魔化すために、記憶がなくても根本は一緒だ、なんて言ったけれど、あの時はそんなこと本心では信じていなかった。けれど、今なら、人間は変わらないんだ、と信じることが出来る。だって、今のリンドウは私が想像した通りの行動をとっている。それがとても。…とても?
急に言葉の続きがわからなくなって、何故か恐怖を感じる。その感覚をどうにも出来なくて、誤魔化すようにリンドウの肩口に顔を埋めた。
その時、楽しげな声が聞こえて扉が開いた。
「やっほ〜!遊びにきたよ!」
紫苑は私たちを見て昔と寸分違わぬテンションで叫ぶ。
「ずるいっ!俺も混ぜて!」
返事をする間もなく、紫苑は私たちに突っ込んできた。
紫苑は私を挟むように私たちを抱きしめる。3人で抱き合うなんて、馬鹿みたいだ。こんなのすごく仲が良いみたいじゃないか。ああ、涙が止まらない。
もしかしたら、あの頃と何も変わらないのかもしれない。変わらなくなるのかもしれない。それが、嬉しい。嬉しいはずなのに、凍えるこの胸は一体なんなのだろう。
いつまで経っても涙が引かない私を2人は慰めてくれた。それは逆効果だったのだけれど、無理矢理涙を押し込んで、勝気に笑う。2人は詳しいことを聞かないでいてくれた。それがありがたかった。
それから、私たちはあの頃のように3人で過ごすようになった。何故あれが契機になったのかはわからないけれど、2人は楽しそうに笑っている。それはとても幸せな光景だ。
なのに、2人を見るたびに私の心は軋む。幸せな光景が私には地獄のようだった。いくら2人が幸せでもそれは私の知る2人ではない。それでも、幸せな2人を見れば嬉しいし、良かったと思う。けれど、どうしても他人事のように感じてしまう。どうしても私も幸せだと思えない。2人にこの心が露呈しないように生活するのが苦しくて、これなら関わらないほうが良かったんじゃないかと自問自答を繰り返す。
いっそ2人を殺してしまおうか。殺して次会えれば、2人は覚えているかもしれない。そうすれば今以上に幸せな光景を見られるかもしれない。
そんなことを考えてしまったからバチが当たった。事故にあった。3人でバスに乗っていて、それで───。
私だけが生き残った。
死ねなかった。一緒にいたのに、死ねなかった。どうしてこんなことになったのだろう。どうして、私は生きているのだろう。ああ、けれど、きっと自業自得なのだろう。2人を殺そうなんて考えたから。
これはきっと2人の死を願った私の所為だ。あんなことを考えたから2人は死んでしまったのだ。本当は2人が生きているだけで幸せなはずだったのに。欲をかいたから、痛い目を見る。しかも、私ではなくて2人が。
私は救えない馬鹿だ。いなくなってからでなければ、大切なものに気づけない。
私はすぐにサバイバルナイフを購入して教会に向かった。そして、一日中祈った。膝を折って、祈って祈って祈って、そして『神に命を捧げます』と紙に書いて、ナイフで喉をひと突きにする。あの時の紫苑を真似てその痛みを感じられるように。
これが贖罪になるとは思わない。けれど、自分の罰を刻み込むには丁度よかった。そして、次こそは幸せな未来を、と事切れるその時まで願い続けた。
やっぱり神なんて信じていないし、祈りが届いたかどうかもわからない。けれど、そうして、私は死んだ。




