第十八話:深淵の回廊、蒼き水のガーディアン
霧島レイカに導かれ、Aqua Nodeの隠された扉の先へと進んだ天沢凪と雪村陽乃花。そこは、表層のクリーンで未来的な研究施設とは全く異なる、金属とケーブルが剥き出しになった、無機質で迷宮のような空間だった。空気はひどく乾燥し、絶え間ない低周波のノイズが耳の奥で反響している。まるで巨大な機械の血管の中を歩いているかのようだ。
「うわぁ……なんか、雰囲気ガラッと変わったね……」
陽乃花は少し不安そうに周囲を見回しながら、凪のすぐ後ろを歩く。彼女の明るいピンク色のバトルウェアが、この薄暗い通路ではひときわ目立っていた。
「ああ。ここがAqua Nodeの“裏の顔”ってわけか。霧島さんの話やと、この先はヴァルドギアのシステム自身が防衛しとるらしいからな。気を引き締めていかんと」
凪はペンデバイスを握りしめ、警戒を怠らない。通路の壁には、時折、赤い警告ランプが点滅しており、侵入者を拒むかのような圧迫感があった。
霧島レイカから受け取った認証キーは、通路の各所に設置された厳重なセキュリティゲートを次々と解除していく。しかし、ゲートを通過するたびに、奥から感じられるプレッシャーはより強力になり、二人の緊張感は高まっていった。
「霧島さんの話、すごかったね……」陽乃花が、凪の背中に向かってぽつりと呟いた。「ユイさんって人、そんな大変なことになってたんだ……。師匠も、その人のことを助けようとしてたのかな……」
「……かもしれへんな」凪もまた、霧島から聞いた衝撃的な事実を反芻していた。@Yui_Musubi――高良結心は、世界を救うために自らを犠牲にした、孤独な管理者。そして、キングは、彼女を「解放」するために、世界のバランスを崩しかねない危険な行動を取っている。自分は、一体どうすべきなのか。答えはまだ見つからない。
しばらく進むと、通路は少し開けた円形の広間のような場所に出た。広間の中央には、巨大な円筒形の装置が設置されており、そこから無数の青く光るケーブルが天井や壁へと伸びている。装置全体が蒼い光を放ち、周囲に複雑な幾何学模様のエネルギーフィールドを展開していた。
「ここが……『データ・サンクタム』への最初の関門みたいだね」
陽乃花がデバイスで師匠の遺したデータを参照しながら言う。
「この装置が、サンクタムへのアクセスを制御してるメインサーバーの一つらしい。これを突破しないと、先に進めないって」
凪が装置に近づこうとした、その時だった。
広間全体に、甲高い警告音が鳴り響いた。
『警告。未認証ユーザーのアクセスを検知。防衛プログラム“ガーディアン・ウェーブ”を起動します』
冷たく、感情の篭らない合成音声が響き渡ると、広間の中央にある装置から、液体金属のような蒼い物質が流れ出し、それが急速に人型を形成していく。瞬く間に、凪と陽乃花の前には、水流を纏ったかのような美しい、しかし殺意に満ちたガーディアンが三体、姿を現した。
「うわっ、出た!」
「こいつらが、霧島さんの言ってた防衛プログラムか!」
ガーディアンたちは、一切の躊躇なく、その腕を鋭い水の刃へと変化させ、二人に向かって高速で突撃してきた。
「陽乃花さん!」
「うん!」
二人は即座に散開し、攻撃を回避する。
「こいつら、動きが速い! それに、ルーラーの“影”とは違って、完全に機械的だね!」
陽乃花は、パワーアップしたスピードを活かし、ガーディアンの一体の攻撃を掻い潜りながら分析する。
「ああ、感情がない分、容赦もない。師匠さんのデータに、こいつらの対処法はなかったんか?」
「えーっとね、『極めて高い連携能力を持つため、一体ずつ確実に無力化することが推奨される』だって! 弱点は、どうやら胸にあるコアみたい!」
「了解や!」
凪は、陽乃花が一体を引きつけている間に、別のガーディアンに向き直る。そして、深く息を吸い込み、覚醒したばかりの〈Echo Drive〉を起動させた。
「――その動き、鈍れ(スロウ)! 響きなき水流!」
凪の口から放たれたリズミカルな詠唱は、目に見えない音の波となってガーディアンを襲う。ガーディアンの動きが、僅かに、しかし確実に遅くなった。
「ナイス、凪くん!」
陽乃花は、凪が作り出したその一瞬の隙を見逃さなかった。彼女は、自身が引きつけていたガーディアンを蹴り飛ばして牽制すると、動きが鈍ったもう一体のガーディアンの懐へと一気に潜り込む。
「あたしのスピードからは、逃げられないんだから!」
ブースターを点火させた彼女の脚が、螺旋を描きながらガーディアンの胸部にある蒼いコアを正確に撃ち抜いた。
「《スパークル・ドライバー》!!」
バキン!という甲高い音と共に、コアが砕け散り、ガーディアンは蒼い粒子となって霧散した。
「よし、一体!」
しかし、安堵したのも束の間、残った二体のガーディアンが、即座にフォーメーションを組み直し、連携攻撃を仕掛けてきた。一体が水の鞭で陽乃花の動きを封じようとし、もう一体が高圧の水弾を凪に向かって連射してくる。
「くっ!」
凪は『反射』の詠唱で水弾を防ぐが、その威力はこれまで戦ってきた“影”たちの攻撃よりも遥かに重い。
陽乃花もまた、変幻自在に襲い来る水の鞭を回避するのに手一杯で、なかなか攻撃に転じられない。
「こいつら、一体減った分、攻撃パターンを変えてきた! ヤバい、このままじゃジリ貧だよ!」陽乃花が焦りの声を上げる。
「ああ、分かっとる!」
凪は、霧島から受け取った通信機に意識を集中させた。
「霧島さん! 聞こえるか! ガーディアンの対処法について、何か他に情報はないか!?」
『……聞こえます、凪くん! そのガーディアンは、周囲の環境データと常にリンクしています! おそらく、この部屋のエネルギー供給源である、あのメインサーバーから直接パワーを得ているはずです!』
通信機の向こうから、霧島レイカの冷静な声が返ってきた。
「メインサーバー……! なるほどな!」
凪は、広間の中央で蒼い光を放ち続ける円筒形の装置に目を向けた。
「陽乃花さん! あいつらの本体は、あの中央のサーバーや! あれを叩けば、こいつらの動きも止まるはずや!」
「オッケー! でも、あいつらの攻撃が激しくて、サーバーまで近づけないよ!」
「オレが道を作る!」
凪は、陽乃花に向かって叫ぶと、ペンデバイスを強く握りしめた。ルーラーとの戦いの後、@Yui_Musubiの助けによって取り戻した、全ての力の感覚。書く力と、声の力。その二つを、今、一つにする。
「――聴け、我が魂の歌! 創られし砦、今ここに顕現せよ!」
凪の詠唱が、広間全体に響き渡る。それと同時に、彼のペンデバイスから放たれる光のインクが、空間に巨大な設計図を描き出した。それは、失われたはずの〈Ink Drive〉と、覚醒した〈Echo Drive〉が融合した、新たな力の形。
設計図が完成した瞬間、広間の床や壁から、光り輝く半透明の柱や壁が次々とせり上がり、ガーディアンたちの攻撃を防ぐ巨大な「砦」を形成した。
「なっ……すごい! ポーンくん、こんな力も……!」
陽乃花は、目の前で起こった奇跡のような光景に目を見張る。
「これは、まだ不完全な〈Forge Drive〉の真似事や。長くは持たん!」凪は、額に汗を滲ませながら叫ぶ。「陽乃花さん! この砦を盾にして、サーバーまで一気に突っ込むんや!」
「うん!」
陽乃花は、凪が作り出した光の砦を駆け抜け、ガーディアンたちの猛攻を掻い潜りながら、一直線にメインサーバーへと向かう。
「行かせるか!」
残った二体のガーディアンが、陽乃花を追おうとするが、凪が作り出した砦がその進路を巧みに妨害する。
「これで、終わりだぁぁぁっ!!」
メインサーバーの目前まで到達した陽乃花は、リミッターを解除した全エネルギーを込めた、渾身の蹴りを叩き込んだ。
「《スターダスト・ノヴァ》!!」
ゴォォォン!という轟音と共に、メインサーバーに巨大な亀裂が入り、その輝きが急速に失われていく。
それと同時に、陽乃花を追っていた二体のガーディアンの動きも停止し、やがて蒼い粒子となって掻き消えた。
「はぁ……はぁ……やった……やったよ、凪くん!」
陽乃花は、その場にへたり込みながらも、満面の笑みで凪にピースサインを送った。
「ああ……ナイスやったで、陽乃花さん」
凪もまた、力の消耗で膝をつきながら、安堵の笑みを浮かべた。
二人の連携が、Aqua Nodeの最初の関門を突破した瞬間だった。
しかし、メインサーバーが沈黙したことで、広間の奥に、これまで閉ざされていた新たな通路が、重々しい音を立てて開き始めた。
その暗い通路の先から、二人は、さらに冷たく、そして強大なプレッシャーを感じ取っていた。
データ・サンクタムへの道は、まだ始まったばかりだ。
(第十八話:了)