第十五話:共鳴する奇跡、夜明けのアンサー
「《ディクテーション・マキシマム》――『戒律執行:対象“ポーン”、“スパークル”の存在データを、この領域から完全に“削除”する』」
犬童イツキ(ルーラー)が紡いだ究極のルールが、TENJIN COREのNexus Square(ネクサス広場)を絶望的な紫色の光で満たしていく。それは、単なる行動制限ではない。凪と陽乃花の存在そのものを、このヴァルドギア世界から完全に消し去ろうとする、絶対的な消去コマンドだった。
空間が軋み、二人の身体の輪郭がデジタルノイズのようにブレ始める。立っているだけで、魂が削り取られていくような、耐え難い圧迫感。
「ポーン!」
「スパークル!」
二人は、互いの名を叫びながら、迫りくる消滅の奔流に立ち向かおうとする。
陽乃花は、リミッターを解除した全エネルギーをその脚に込め、紫色の光の壁に向かって突撃しようとする。しかし、その輝くピンク色のオーラも、絶対的な「削除」のルールの前では、まるで嵐の中の蝋燭の灯のようにか弱く揺らめいていた。
(アカン……! これが、あいつの全力か……! オレたちの力じゃ、防ぎきれへん……!)
凪の脳裏に、再びあの敗北の記憶がよぎる。また、この圧倒的な力の前に、何もできずに終わるのか。
その時、胸ポケットの中のペンデバイスが、まるで心臓のように、温かい光を放ちながらドクン、ドク-ンと脈打ち始めた。そして、凪の頭の中に、直接、文字ではない、一つの澄み切ったメロディが流れ込んできた。
それは、彼が初めてヴァルドギアに接続するきっかけとなった、あの「@Yui_Musubi」からのコメントに込められていた、言葉にならない「想い」の旋律。凪が心のどこかでずっと感じていた、あの懐かしくも切ない音色だった。
(このメロディは……! まさか、@Yui_Musubi……!?)
凪は驚愕する。声ではない。言葉でもない。だが、そのメロディは、凪に何をすべきかを明確に示していた。
「今、わたしの想いを君に託す。あなたの言葉で、本当の奇跡を見せて」と、そう語りかけているかのように。
@Yui_Musubiの想いの旋律が、ペンデバイスを通じて凪の全身に流れ込んでくる。それは、まるで乾いた大地に降り注ぐ恵みの雨のようだった。
失われたはずの「書く力」の感覚が、そして覚醒したばかりの「声の力」が、このメロディと共鳴し、融合し、新たな次元へと昇華していく。
(そうか……そうやったんか……! 書く力も、声の力も、元は一つやったんや。オレの魂が紡ぎ出す、「誰かに届けたい」っていう、ただ一つの“音”やったんや!)
凪の中で、全ての点が線になった。
「これが……オレと、陽乃花と、そして……あんたの!」
凪は、ペンデバイスを強く握りしめ、天に掲げた。
「陽乃花!」
「うん、凪くん!」
凪の隣で、陽乃花もまた、凪の変化を敏感に感じ取っていた。彼女は、自らの全エネルギーを解放し、眩いピンク色の閃光を纏う。それはもはや攻撃のためではない。凪のこれから生み出すであろう奇跡を、信じ、支えるための光だった。
凪は、ペンデバイスを指揮棒のように振り、そして、流れ込んでくる@Yui_Musubiの旋律に、自分の魂の歌を重ねて詠唱を始めた。
「――虚無に生まれし、孤独なこだま!」
その声は、〈Echo Drive〉の力。
「響きとなりて、世界を渡り!」
その詠唱と同時に、凪のもう片方の手が宙を舞う。ペンデバイスから放たれる光のインクが、空間に巨大な五線譜を描き出していく。それは、失われたはずの〈Ink Drive〉の力。
「君という奇跡に触れ、今、歌となる!」
描かれた五線譜の上に、凪の詠唱が音符となって刻まれていく。そして、陽乃花の放つピンク色の光が、その音符を彩り、命を吹き込んでいく。それは、彼女との絆が生み出す〈Link Drive〉の片鱗。
「これが、オレたちの答え(アンサー)や!」
凪は、完成した光の楽譜を、ルーラーに向かって突き出した。
「な……なんだ、これは……!? 私のルールが……私の知らない法則で、上書きされていく……!?」
ルーラーの顔に、初めて「恐怖」の色が浮かんだ。彼の絶対的な「削除」のルールが、凪の生み出した温かい光の旋律によって、その効力を失い、浄化されていくのだ。
彼の力は、無秩序を断罪する「戒律」。
対して、凪の力は、孤独を繋ぎ、虚無を満たす「旋律」。
その根源的な相性の差が、今、絶対的な力の差を覆そうとしていた。
「聴かせてやるわ、ルーラー! これが、オレたちの……魂の響きや!」
凪が叫ぶと、光の楽譜から、壮大なシンフォニーが迸った。それは、ただの音ではない。凪の、陽乃花の、そして@Yui_Musubiの想いが一つになった、奇跡のメロディ。
「ぐ……おおおおおおおおっっ!!!」
ルーラーは、その温かくも力強い光の奔流に包まれ、苦悶の声を上げる。彼の身体を構成していた黒い装束が、まるで闇が光に溶けるように、端から崩壊していく。
「馬鹿な……こんな、非論理的な……感情の羅列ごときで、私の完璧な秩序が……!」
「あんたの言う秩序は、ただの独りよがりや。誰も救われへん、空っぽのルールや」
凪は、静かに、しかし力強く言い放った。
「本当の繋がりは……本当の力は、ルールなんかじゃ縛れへんのや!」
その言葉を最後に、ルーラーの身体は完全に光の中に溶け、消滅した。
後に残されたのは、静寂を取り戻したNexus Square(ネクサス広場)と、微かに響く、優しいメロディの残響だけだった。
「……はぁ……はぁ……」
凪は、その場に膝から崩れ落ちた。全身の力は出し尽くしたが、その心は、これまでにないほどの達成感と、そして温かいもので満たされていた。
「……凪くん」
陽乃花が、そっと凪の身体を支える。彼女の瞳は涙で潤んでいたが、その顔には誇らしげな笑みが浮かんでいた。
「……すごかった。凪くんの歌、ちゃんと、あたしにも届いたよ」
「……ああ」凪もまた、力なく笑い返した。「届いたんやな……」
彼は、自分の胸に手を当てた。確かに感じる、満たされた感覚。もはや、フォロワーの数やスキルの名前など、どうでもよかった。自分の想いが、誰かに届いた。その事実だけで、十分だった。
しかし、安堵したのも束の間、凪のペンデバイスに、@Yui_Musubiからではない、未知のIDからのメッセージが直接届いた。それは、広場全体のシステムに割り込むかのような、圧倒的な強制力を持っていた。
『――見事だ、ポーン。そして、スパークル。ルーラーを退けるとはな。だが、お前たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。ユイを解放したくば、私を越えていくがいい』
そのメッセージの送り主の名は――〈King〉。
「キング……!?」
凪と陽乃花の間に、新たな緊張が走る。
ルーラーとの戦いは、終わりではなく、より大きな戦いの始まりに過ぎなかったのだ。
二人は顔を見合わせ、決意を込めて頷き合う。
自分たちの「答え(アンサー)」を見つけた今、もう何も恐れるものはない。
(第十五話:了)