第十一話:灰色の現実、交差する過去と未来
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犬童イツキという圧倒的な力の前に全てを失い、深い絶望を味わった天沢凪と雪村陽乃花。しかし、互いの存在を支えに、二人は再び立ち上がることを誓った。灰色の現実の中で見つけた確かな絆は、彼らの心に新たな闘志の炎を灯し始めていた。
凪のアパートの一室。先ほどのハプニングの気まずい空気も、共通の敵である「ルール野郎」――犬童イツキをどう攻略するかという話題で、いつの間にか薄れていた。床に散らばっていた雑誌や空のペットボトルを陽乃花が手際よく片付け(その度に凪は内心ヒヤヒヤしたが)、少しだけマシになった部屋で、二人は改めて向き合っていた。
「それにしても、凪くんって、結局何者なの? 配達員だって言ってたけど、あの言葉の力とか、普通じゃないじゃん?」
陽乃花は、ローテーブルに肘をつき、興味津々な瞳で凪を見つめる。ヴァルドギアで出会ってから、まともに自己紹介をする機会もなかったことに、今更ながら気づいたのだ。
「何者て……ただのフリーターやけどな」凪は少し照れくさそうに頭を掻いた。「本名は天沢凪。歳は……今年で27になる」
「えっ! 凪くん、そんなに年上だったの!? あたし、タメ口ばっかり……ご、ごめんなさい!」
陽乃花は慌てて立ち上がり、深々と頭を下げようとする。
「いやいや、ええって! 気にせんでええよ。それに、ヴァルドギアじゃ年齢とか関係ないやろ。今まで通りでええ」
凪は苦笑しながら彼女を制した。
「う、うん……じゃあ、遠慮なく凪くんって呼ばせてもらうね!」陽乃花はすぐにいつもの調子を取り戻し、再びちょこんと座り直した。「改めまして雪村陽乃花! 19歳! NEO-FUKUOKA CITYのビル街にあるカフェで、しがない接客スタッフやってまーす! 特技はカラオケと、あと、ちょっとだけバレエやってたから、体は柔らかい方かな!」
彼女は悪戯っぽく笑い、片足を軽く上げてみせる。そのしなやかな動きに、凪はまたしても視線を奪われそうになった。
「陽乃花は、なんでヴァルドギアで戦っとるんや? 師匠さんのこと、探しとるんやろ?」
凪が尋ねると、陽乃花の表情が少しだけ真剣なものに変わった。
「うん……」
陽乃花は語り始めた。地方からNEO-FUKUOKA CITYに憧れて出てきたこと。知り合いもいなくて心細かった時に、面倒見の良い師匠と出会ったこと。その師匠がヴァルドギアの謎を追っており、その手伝いをするうちに、陽乃花自身もバトラー《戦う者》としての才能を開花させていったこと。
「師匠はね、ただ強いだけじゃなかった。ヴァルドギアの危険性とか、その成り立ちとか、すごく真剣に調べてたんだ。あたし、師匠の遺してくれたこのデータチップ、少しずつ解析してるんだけど……」
陽乃花は自分のデバイスを操作し、いくつかのファイルを凪に見せた。そこには、師匠が追っていた「特定のエネルギー波形の観測記録」や、「システムの歪みに関するメモ」が断片的に残されていた。
「まだ、これが何を意味するのかは全然わからないんだけど……師匠が、この世界の何を守ろうとしてたのか、あたし、それをどうしても知りたいんだ。だから、諦められない」
「そうやったんか……」凪は、陽乃花の師匠への想いの強さと、彼女がただの感覚派ではなく、きちんと目的を持って行動していることを改めて感じた。自分にも、かつて音楽という夢を追いかけていた時期があった。もし、その夢を導いてくれた人が突然いなくなったら……。
「凪くんは? 凪くんは、なんでヴァルドギアに?」
今度は陽乃花が尋ねる番だった。
凪は少し躊躇った後、自嘲気味な笑みを浮かべながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「オレは……陽乃花みたいに、立派な理由なんてないで」
「そんなことないよ!」
「いや、ほんまに。昔、音楽で食っていこうと思っとった。作詞作曲して、ギター弾いて歌って……でも、全然上手くいかんくてな。才能もないし、誰にも届かへん。気づいたら、毎日ただ配達するだけの、空っぽな生活送っとった」
凪は、普段は見せない、弱々しい目で自分の手を見つめた。
「夢もなくなった。昔つるんどったダチとは、いつの間にか疎遠になって、もう何年も会ってへん。彼女? そんなん、できたこともないわ。金かて、その日暮らしでカツカツや」
そこまで言うと、凪はふっと息を吐いた。
「夢も、ダチも、彼女も、金も、希望も……なんもない。マジで、空っぽやねん、オレ。そんな時に『@Yui_Musubi』ってアカウントからコメントが来たんや」
『あなたの音、私には届きました』――。
「それがきっかけで、ヴァルドギアに接続して……。正直、今でも何が何だか分からんことだらけや。でもな、あの日、確かにオレの音楽は誰かに届いた。そして、ヴァルドギアで陽乃花……あんたみたいな仲間もできた。だから……もう一度、あの『何も繋がってへん、空っぽの日々』に戻るのは、もう嫌なんや」
凪は、自分の全てをさらけ出すように、不器用ながらも正直な気持ちを言葉にした。それは、彼にとって大きな勇気を必要とする告白だった。
部屋に、少しだけ沈黙が流れる。
陽乃花は、凪の言葉をじっと聞いていた。彼女の瞳から、いつもの悪戯っぽい輝きが少しだけ消え、代わりに深い共感の色が浮かんでいた。
「……そっか。凪くんも、色々あったんだね」
彼女は静かに呟いた。そして、自分の膝を抱えるようにして、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……あたしもね、師匠に会う前は、似たようなもんだったかも」
「え……?」凪は意外な言葉に顔を上げた。いつも太陽のように明るい彼女からは、想像もつかない言葉だった。
「あたし、地元じゃ、なんかちょっと浮いててさ。オシャレとか、好きなこととか、周りと全然合わなくて……。『NEO-FUKUOKA CITYに行けば、きっと楽しいこといっぱいある! キラキラした自分になれる!』って、それだけを夢見てこっちに出てきたんだ」
陽乃花は、少し遠い目をして続けた。
「でも、現実は全然違った。NEO-FUKUOKA CITYは広すぎて、人はたくさんいるのに、誰とも繋がってない感じ。バイト先では愛想笑いばっかだし、休みの日はウィンドウショッピングで時間潰すだけ。こっちに来たのに、地元にいた時より、もっと孤独で、もっと空っぽだって感じてた」
彼女の声が、微かに震える。
「誰かに見てほしくて、オシャレしたり、SNSに写真上げたりしたけど、返ってくるのは表面的な『いいね』だけ。誰も、本当のあたしのことなんて見てくれてないんだなって……。凪くんが言う、『どこにも繋がってへん』って気持ち、あたし、すっごくよく分かるよ」
いつもは隠している、彼女の繊細な内面が、凪の前で初めて見えた瞬間だった。
「そんな時に、師匠に出会ったんだ。師匠は、初めてあたしのことを、ただのオシャレな女の子じゃなくて、『雪村陽乃花』っていう一人の人間として、ちゃんと見てくれた。あたしのくだらない話も、真剣に聞いてくれた。だから、師匠がいなくなった時、またあの空っぽな自分に戻っちゃうのが、すっごく怖かったんだ……」
そこまで言うと、陽乃花はふっと息を吐き、そして、いつもの太陽のような、しかし以前よりもずっと深みのある笑顔を凪に向けた。
「でも、今はもう大丈夫!」
「……!」
「だって、凪くんと会えたから! 凪くんも、あたしと同じで、空っぽで、でも何かを必死に探してる。あたし、凪くんといると、一人じゃないんだなって思えるんだ」
彼女は、悪戯っぽく、しかしどこまでも優しい笑顔を浮かべた。
「だから、解決だね! 夢は、これから二人で見つける! ダチは、あたしがいる! 彼女は……ま、あたしが立候補しちゃおっかなー? なんてね!」
陽乃花は舌をペロッと出して笑う。
「……アホか」
凪は、照れ隠しにそう呟きながらも、顔を上げることができなかった。だが、その心の中には、これまでに感じたことのない温かい感情が満ち溢れていた。お互いの弱さを、空っぽな部分を、さらけ出し合った。それでも、この少女は笑ってくれる。そして、隣にいてくれる。
「アホって言ったー! ま、いっか! とにかく、凪くんもあたしも、もう空っぽじゃないってこと! だってお互いがいるし、@Yui_Musubiさんもいるし、師匠の遺してくれたものもある! だから、一人で抱え込まないでよね!」
陽乃花は、ごく自然に凪の手に自分の手をそっと重ねた。その温かい感触が、二人の間に生まれた確かな絆を物語っていた。
凪は、今ただの文鎮のようになっている自分のペンデバイスをテーブルの上から手に取った。
「……もう一度、試してみるわ」
彼はメモ用紙に、試しに『灯』という文字を書き込んでみる。しかし、文字はただのインクの染みとして紙に残り、以前のように光を放つことはなかった。
「やっぱり……あかんか。完全に、空っぽや」
その現実に、凪は改めて唇を噛んだ。
「じゃあ、どうすれば……」陽乃花が不安そうな顔をする。
その時、凪が手にしていたペンデバイスが、不意に微弱な青白い光を発した。驚いて見つめると、真っ暗だったはずのスクリーンに、ノイズ混じりの文字が浮かび上がっていた。
『……声……響き……汝の内なる旋律……解放……』
「な、なんやこれ……!?」凪は目を見開く。
「え、どうしたの凪くん!? 光った!?」陽乃花も心配そうに覗き込む。
文字はそれだけですぐに消えてしまったが、凪の頭の中に、その言葉が強く刻み込まれた。「声……響き……旋律……」それはまるで、「@Yui_Musubi」からのメッセージのようにも感じられた。
(オレの内なる旋律……? そうか、オレにはまだ、音楽があったんや……!)
凪は、かつて自分が全身全霊を込めて紡ぎ出していた「音」の記憶を、そしてその音に「言葉」を乗せていた感覚を、必死に手繰り寄せようとしていた。書くだけではない。もっと直接的に、魂を震わせるような力の形が、自分の中にあるのではないか。
凪は、無意識のうちに、かつて作った曲のメロディを低く口ずさんでいた。それは、誰にも届かないと思っていたはずの、自分の心の叫び。
「陽乃花……少し、付き合ってくれへんか」
凪は、陽乃花に向き直り、真剣な目で言った。「オレの、新しい力の可能性を……試してみたい。あんたがおらんと、多分、上手くいかん気がする」
その真っ直ぐな言葉に、陽乃花は一瞬ドキッとしたが、すぐにニッと笑った。
「オッケー! あたしに任せといて! 凪くんの新しい力、あたしが一番近くで見ててあげる!」
凪の心の中では、敗北の絶望の中から見つけ出した小さな光が、陽乃花という存在によって、そして「@Yui_Musubi」の謎めいた導きによって、確かな炎へと変わろうとしていた。
それは、彼が新たな力の扉を開く、再起へのプロローグだった。
(第十一話:了)