命ある限りその命を生ききる 増補版 (私の人生遍歴・瞑想日記より)
命が与えれられている限り
その命を生きること
それ以外に
命の、、、、、、、、、、
目的も
意味も
価値も
ないと
私はおもうのです。
そもそもあなたの命
わたしの命は
あなたが
わたしが気づいたら?
与えられていたものですよね?
あなたも
わたしも
「命をください」なんて
願いましたか?
そうじゃなくて
ある日気が付いたら
生きていた、
ということでしょ。
あなたの周りには
父がいて
母がいて
そしてあなたがいた
つまり
命って
他動的なんですよ。
あなた任せなんですよ、
別に願いもしないのに
あなたは
わたしは生まれた。
それが命の真実なのです。
では?
そういう命って
どう生きたらいいのでしょうか?
生きることは
また悲しみの連続でもあるだろうし
苦しみの連続でもあるだろう
楽しい日々はあっという間に掻き消えて
あとは悲しみの連続かもしれない
そんな人生をどう生きたらいいのだろうか?
私自身も随分悩み
答えを求めて遍歴・迷走もしてきました
でも?
答えはなかったです。
というか
今から思えば
わたしは
そもそも答えなんて、無いことを必死に訪ね歩いていたということだったのです。
人生にこたえなんて最初からないのです
だって命はだれかから与えられて
あなたが命の主人公?ではないからです
まあ自発的にあなたが自分の命を絶つことは可能ですが
それでも
命はどうにもなりませんからね
あなたが死んでも明日、また
太陽は東から昇るだろうし
世界は勝手に運航してゆくのでしょうから
あなた一個の命はどうにかなっても
それで世界が変わるはずもありませんからね
いのちってでは_
何でしょう?
人生って何でしょう?
いきることに意味があるのでしょうか?
生きることに価値があるのでしょうか?
ハッキリ言ってしまうと
命に価値も意味もありませんね
無価値にただ
そこにある命、
という事実です
それに対して人間は他の動物と違って
『お利口さん」ですから
何かと意味は価値を
後付けするんですよ
生きることは愛すること、、、、、だとか
世界と人類の幸福が命の意味だ、、、、、、とかね
まあそれで自分の存在意義を確かめて「安立」したいという
自己保存本能なのですけどね
だからまあ
それはそれでいいと思いますけどね
でもはっきり言うと
人生に意味も価値もありません
では?
それなら
わたしは
あなたはどう生きがいを見つけたらよいのでしょうか?
意味も価値のない人生を生きたってしょうがないじゃないか?
そうですよね
たしかにそうです
でも
どうでしょうか?
そもそも命の本質って
無心に命の作用を感受して
「命有る限り、その命を生ききる」
この言葉に尽きるのではないでしょうか?
わたしはそう思います。
無心に帰り
命のままに、
食べ
飲み
働き
愛し
憎み
生きるだけだと思います
なにそれ?
そんな原始的な人生でいいの?
そうですね
でも
それが命の本質でしょ?
人生であなたが何かをやらかして
有名人になっても
それ地球史で
何の意味もありません
地球はやがて50億年後に終る?のですから。
そう考えると
ある意味?気楽になりませんか?
まあ平凡な結論になりますが
人生とはあなたなりに
「あなたに何の偶然か。与えられたその命を、命ある限りその命を生ききる 」
それしか真実はないからです
ええ
そんな平凡な答えでいいの?
、、て
思われたそこのあなた。
まあ
でもねえ
宇宙の究極の真理とかって
まあ
何というか
案外
「なああんだ、そんな平凡なことだったの」?
っていくことが多いんだけれどね。
平凡こそが実は
真実だった
それも世界の事実だということだからです
平凡なありきたりな
何処にでもころがってるような
答えが
実は世界の真理だった
そういうからくりが
俄か利口の
つまり
「お利口さん「な
人類の苦悩の原因だった
ということなのだと思いますよ
禅の言葉に
「愚に帰れ」という言葉があります。
人間なんて
ちょっとばかり他の動物
よりも
「知恵」があるからって
威張ってますが
まあ宇宙全体から見たら
本来は「おバカさん」にすぎないのです
というか
それよりも、むしろ
「「大バカ者」でしょうね
宇宙の真理などわかるはずもないのが
大バカ者の人類なのでしょうね?
まあそういう私もまた
「大バカ者」ですけどね
人間本来の愚に帰ること
それしかこの命を
どう生きるかという答えはないと思うのです。
世界一の愚か者として
命の報酬を感受して
「命ある限り、その命を生きる」
それ以外に命を生ききる方法はないと
いま世界一の愚か者である
わたしは
断言します。
信じるか?
信じないか?
それはあなた次第です。