四角い黄色
四角い黄色
話し相手といえばゲイのアーヴィンばかり。
息子のジニといえばタッチホンにつきっきりだし。
ズボンを穿いた蜘蛛の本を置いてきたが読んでるかどうか・・、グレスビーはアーヴィンと話しにジャン・ジャンセンのリトグラフのかかったクラブに来ていた。
クラブの奥ではフライヤーが音を立て、グレスビーたちはカクテルを飲んでいる。
「・・そうなの、タッチホンと毎日にらめっこなのよ」
「いいの? あんな子供にタッチレスホンなんて教育上よくないんじゃない?」
「子疲れストレスってのもあるのよ、母親には。アーヴィン」
「あら、それじゃ私が母親になれないみたいじゃない?」
二人は声を立てて笑った。カクテルが効いてきたようだ。揚げたてホヤホヤのオイスターがザラッと皿に空けられる。
それをつまみながら、グレスビーはそろそろジニをその方の専門家に診せた方がいいんじゃないかと思っていた。外ではとめどなく降りつのる落ち葉。
「・・北極星と北極とは何の関わりもない。僕は今まで北極の上にあるのかと思った」そばではアーヴィンがラジオのように喋り続けていた。
「私、帰りに給油所に寄らなくちゃ。あんまり飲むわけにいかないの」オイスターのフライで口の中をうがいしてグレスビーは油だらけの口で指を舐めた。
「じゃあ、ジニちゃんによろしく。セクシーな警官に止められたら私に連絡ちょうだい」
「それはグッドね、忘れないわ」
グレスビーは自分のオンボロな前の夫が残していった車で給油所へ向かった。グレスビーは車には何の興味もない。
しばらく何も考えないで運転しているとふっとシフォンのシャツを着ている少女を路端で見たような気がした。それは幼い頃の自分にそっくりで思わず過去に向かって走っているような錯覚に襲われた。
ハンドルを離さずにふり向いてみるとその少女は気のせいだったようで消えていた。
ガソリンを入れているとどこかで私を呼ぶ声がした。それは弟のようでそれも錯覚だった。
家に帰るとジニはまだタッチホンを見つめていて、声をかけもしなかった。
「いい加減になさい! ジニ、いい? もうそれ以上やったら取り上げるよ。口が利けなくなっちゃうよ、いいの? それにこの頃、目も悪くなって・・」
「いいよ、もうやめるよ。でももう少し。マグと・・」
「マグって誰?」
「女の子。友達になったんだ」
「気を付けなさいよ」グレスビーはまた何か変なサイトにジニが騙されてないといいが、と思いながら不機嫌になった。
はたと冷静になってみるとジニは典型的な依存症なのではないか、と気付き不安になった。
母一人で無理をさせた結果がこうなったのか。そうなると自分が情けなくも思われてきた。
ジニがトイレに立った隙にタッチホンを取り上げてみるとまだ温かい。設定しておいたパスワードを入れるとパスワードは変えられていて入れなかった。グレスビーはこの時、ジニをその方の専門家に診せようと思った。
「・・一日24時間はやってますね」ジニの問診が終わり、グレスビーだけカウンセラーの前に呼ばれると医者の不安をあおろうとグレスビーは少し大げさに困って見せた。
「まあ、依存症といえば依存症ということになります。しかしジニ君、息子さんの言うことには最近友達ができたと、お聞きになってますか?」
「ええ、私も最近知りましたが、マグとかいう女の子・・」
「その話が気懸かりでね。タッチレスホンの依存症は大人というより子供に重大なものになりつつあるのですが、ジニ君の場合、それ、マグさんというお友達が現実にも出てくると言うのですな」
「ジニに会いに、ですか?」
カウンセラー兼医師は肯いた。
「それはどういうことですか」
「つまり、こういうことですな、ジニ君はありもしない現実を見ているんではないかと。マグという子は存在しない、つまりタッチレスホン依存の子に起こる「現実ばなれ」を起こしてるんではないかと」
グレスビーは一旦間を置いて、自分のショックを受け止めた。
「そんなに重症なんですか」
残酷にもカウンセラーは肯いた。
「治療せにゃならんですな。お母さん、できますか? タッチレスホンをジニ君から・・」
その翌日の昼、とうとうタッチホンをジニからグレスビーは取り上げた。ジニは初めは怒り、そして泣き、最後にはすねてひきこもった。
グレスビーはそっと取り上げたタッチホンを冷蔵庫の上に置いた。隠し場所といえばここくらいしかない。
部屋の中からジニの泣く声が聞こえてきた。
「・・というわけなのよ、アーヴィン。どう思う? 私はほとほと困ってる」
グレスビーはまたクラブに来ていた。
「気にしないことよ、グレスビー。君はエレジーだから青にはなれない。暗い顔はホットな男の子にモテないわよ、あそこがギンギンで・・」
グレスビーはアーヴィンの話を聞いているのかいないのか煙草をふかしていた。
フライヤーの立てるジャアジャアという音がいつになく不快だ。胃がやられているのかも知れない。そっとグレスビーはそこからジニが生まれてきた腹を労わるように撫でた。
「今夜はアジのフライよ、尻尾から食べちゃおうかしら」アーヴィンが指を揉んでいる。
曇り空、もうすぐ雪が降りそうなのにジニははしゃぎもしない。
家に帰ると、ジニが居間の中をうろついていた。さてはタッチホンを探しているのではないかと横目で怒りながら冷蔵庫を開けると、思いがけずジニが親しげに話しかけてきた。
「今までマグが来てくれてたんだ。面白かったよ」
「また、そんなこと。また病院に連れてくわよ!」
「ホントなんだ、ママ。信じてよ。マグはホントに・・いるんだ」
困り果ててグレスビーは自分の額を撫でた。
「とにかく・・」
「とにかくって言葉は嫌いだ」
「お母さんに口答えしないで!」
グレスビーとジニはまた同じカウンセラーに来ていた。あれから三日後のことである。「マグに会った」と性懲りもなくジニが言うせいだ。
またジニの問診が終わると、グレスビーだけが呼ばれ、衝立の向こうで待たされている同じような子供連れの患者たちが早くしろとため息を吐く。
「インナーセルフヘルパー?」
カウンセラーは肯いた。
「まあ、心配することはありません。健康な子供でもよくあることなんですよ。精神的な防御策です。まあ、言葉は物騒ですけれど、多重人格における自分を助けてくれる存在とでもいうんでしょうか。ジニ君の場合はそれの可能性があります。幼い子供にはタッチレスホンがインナーセルフヘルパーになることもあり得るんですよ」
「つまりタッチホンの中に自分の他の人格を形成するんですか?」
「まあ、そうです」とカウンセラーは肯いた。
「あまり頻繁にマグさんが出てくるとか、それで日常生活も送れないままならない状態が続けばもっと専門的な薬物療法をお勧めしますがね、今の所はまあ様子見ということで。お母さま、よくあることなんですよ、よくある・・」
安アパートに帰ると、ジニを一人っきりにさせることに多少の呵責は感じたが、車の鍵を持ってクラブに出かけようとした。
「またお酒?」やっとズボンを穿いた蜘蛛の本を開いてジニが聞いた。
「友達に会いに行くのよ。お母さんにも友達が必要なの。もっとも、ジニのような・・」
ジニはそれ以上聞きたくないと耳をふさぎ、アーアーと口に出して言った。
構わずグレスビーは車に乗って、その夜はしたたかに酔って帰宅した。車はどこでぶつけたのかフロントが少し曲がっていた。
ジニは本を放り出して、今まで誰かと遊んでいたように息を切らしている。
「またマグ?」
そうだよ、と言う代わりにジニが飛び跳ねた。
「エニバディエルス?」部屋という部屋を開けて、グレスビーはそう呼びかけた。返事はなかった。
ジニに聞いても生返事だ。
「マグってフルネームは何て言うの」
「マグダラのマリア」
ふん、と鼻で息を吐き、「娼婦じゃない」とグレスビーは相手にしなかった。
ジニがやっと寝ついた後、自分でグレスビーはズボンを穿いた蜘蛛の本を開いて一ページ、一ページ眺めていた。ページの所々にはジニの付けた鼻クソが付いている。
冷蔵庫の上に手を伸ばして、タッチホンを取り上げた。埃にまみれているが壊れてはないようだ。
その時、キッチンの端に少女が見えた。ギクッとしてグレスビーは振り返ったが、そこには自分がいた。鏡ではない。幼い頃の自分がいたのだ。まだ両親に可愛がられていた頃の小麦粉色の雪のようなシフォンのシャツを着た女の子が黙して立っている。まるでフラクタル、縮尺を続け無限に続く図形のように見えた。
「マグ?」
自分のドッペルギャンガーは楽しげに肯いて、踊るようにクルリと回転して服を揺れさせた。まるでそれが面白いというように。すぐにトイレへの角を曲がっていなくなってしまったが、グレスビーはそれを追いかける余裕もなく立ち尽くしていただけだった。
我に返るとアンダーシャツだけの姿で寝ていたジニを起こした。
「なあに、お母さん」
「マグのことは分かったわ。あなたは何を助けてもらいたかったの、彼女は何をしたかったの」片手には持ったままのタッチホンを握っていた。
「言ったらそれ返してくれる?」
「返すわ。だから言って、ジニ」この際、嘘をつくこともやむを得まい。私はもうすぐ強くなるんだから。
「お母さんは鶏を食べたんだよね」ジニが言った。
「叔父さんのコックを食べたんだ」
グレスビーは立ち上がってジニを他人のように見下ろしていた。タッチホンが汗でぬめる。
「マグが言ってたよ。僕も鶏を食べるよ」




