【ホラー小話】秋彼岸
秋風のような涼しさを。
秋彼岸。
秋分の日の前後3日を含んだ7日間。
昼と夜が同じ長さ。
秋彼岸。
『明日は秋分の日です。一日の昼と夜の時間が同じ長さなんですよ。』
報道番組の最後に流れるお天気キャスターの映像を風呂上がりのぼうっとした頭で眺める。
明日は彼女と初めてのデートだ。
思いがけず、昨日今日と残業が続いたが、明日は休みだ。
アプローチして半年以上。
ようやくこぎつけた初デートだ。
「先月から残業が多かったからなぁ。来月支給の残業代は凄いだろうなぁ。
クリスマスデートに奮発しちゃおうかなぁ。」
にやにやと3ヶ月先の彼女とのお泊まりを想像しながら、ドライヤーで髪を乾かした。
布団に入っても、疲れと楽しみと期待と興奮で中々眠れない。
もぞもぞと布団の中で何度も寝返りを打ちながら、眠りに落ちる。
ふと、瞼に光が眩しい。
時計を見ると、「5:30」の表示。
彼女とは、11時待ち合わせだ。
いくらなんでも早すぎるな、と二度寝する。
疲れていたせいか、あっという間に深い眠りに。
ふっと、目が覚める。
朝の光が部屋に満ちている。
時計を見ると、「5:29」の表示。
一瞬だけの寝落ちか。
布団に潜ってしばらく。
勢いよく起きる。
スマホを見る。
「17:30」の画面表示。
それと、複数の不在着信の表示。
その下に彼女からのメッセージ。
『もう誘わないで』
呆然とする部屋に、刻々と夕暮れの陽射し。
その夜は眠れなかった。
秋彼岸。
墓参りをする。
彼岸に逝った人に会いに行く。
秋彼岸。
父の一周忌に合わせて、秋彼岸に納骨することになった。
最期を自宅で迎えられたのは、父にとっても、母にとっても幸運だった。
秋の昼下がり、静かな夫婦だけの寝室で、年老いた両親が黙って、両手を握り合っていた姿を私は忘れないだろう。
誰も見ていないと思っている両親が、何も話すことなく、ただ手を握り合っていただけの姿。
薄く開いた扉から、見えてしまったその光景は、今でも私を涙もろくさせる。
じわりと涙が滲む。
ぐすっ、と洟をすする。
残された母もようやく納骨することを受け入れてくれた。
一緒に墓まで来られないのは残念だが、山の高低差のある墓地に、足が不自由な母を連れてくるのは、危険だった。
母は、さっき読経をあげてもらった寺で、妻と二人で待っている。
杉林がざあっと鳴る。
夏よりも薄くなった空の色。
カラスが旋回している。
墓の供物を狙っているのだろうか。
坂を歩く途中に、目に入るのは花の供えられた墓石たち。
今日は静かに彩られる墓地。
父方の伯父叔母も一緒に、コンクリートで固められた斜面をゆっくり進む。
「先日の豪雨でだいぶ水が流れたわね。」
「墓は大丈夫だったか。」
「樹木が近いせいか、ウチの方は大丈夫でしたよ。」
ハアハアと息を乱しながらも、ゆっくりと坂を歩く。
80近い伯父の足が一番早いのは、何でだ。
メタボリックな自分の腹に抱えた骨壷が、やけに重く感じる。
ようやく墓に辿り着くと、息子夫婦と孫が仏花を供えていた。
5歳になったばかりの孫娘は、可愛らしく花を持って立っている。
「おじいちゃん、お花。」
「うん、おじいちゃんは骨壷を持っているから、代わりに頼むよ。」
「ひいじいちゃんをしまっちゃうの?」
「ううん、土に還るんだ。」
墓石下の納骨扉を開けば、底は土のままだ。
そこに父の遺骨を混ぜて、祖父母と同じように土に還す。
祖父母の時に、父から教えられた事を今、自分が孫に教える。
感傷に浸りながら、骨壷を包んでいた風呂敷を解いていると、もう一人の孫の勇介の声が響いた。
「おじいちゃん!見てよ!これ、すごくない?」
墓場の雑木林で拾ったのか、篠竹を振り回して、高い木の枝を叩いている。
花粉の季節でもないから、大丈夫かと上を見ると、ボーリングの球ほどのスズメバチの巣。
騒然とする墓場。
「やめなさい!勇介!蜂に刺されたらどうする!」
「叩いちゃダメよ!お義父さんが刺されたら、死んじゃうのよ!」
スギ花粉症でもある私は、二度スズメバチに刺された事がある。
二度目の時は、アナフィラキシーショックで血圧も下がり、一時危篤状態になった。
医者には、
「アンタ、もっかい刺されたら、死ぬよ。」
と、軽やかに死亡宣告をされている。
父の一周忌に死ぬのは、嫌だ。
ぞっとしながら、骨壷を抱えて後ずさった。
その間に、息子夫婦が孫の勇介から篠竹を取り上げた。
伯父が巣に近付いて確認したところ、営巣していない古い巣のようだった。
ほっとしながら、骨壷を墓前に運び、伯父叔母、息子と共に納骨扉の前に跪く。
不貞腐れた顔の勇介も一緒に、線香に火をつける。
線香の煙を漂わせながら、父を偲んだ。
火葬場で母と共に挟んだ骨は、もう冷えていて熱も何もない。
ただの真っ白い塊りになった。
ぐすっ、と洟をすする。
納骨扉を開く。
黒い塊りが目に入る。
私の黒い喪服にそれが飛んできた。
伯父が厳かに言った。
「クロスズメバチだ。」
納骨場所の土の中に、巣が出来ていた。
私は父に再会した。
その後、父に戻された。
「お前にゃ、まだ早い。」
三途の川の向こうで父は笑っていたと、私は病院のベットの上で、母に伝えた。
秋彼岸。
赫赫と、
彼岸花が咲く頃。
秋彼岸。
今年も彼岸花が咲き乱れている。
茅葺き屋根だった家をリフォームしても、毎年変わりなく正面に並び咲く曼珠沙華。
江戸時代から続く建物と同じだけの歴史の長さを誇る群生地。
『悪いものが入らないように』
嫁に来たばかりの時に、隠居でお茶をいただきながら聞いた話。
野ネズミやモグラの事かと聞けば、違うと言う。
老婆の話は、語り口から既に恐ろしい。
『悪いものが入らないように、ご先祖様が植えたんだ』
結局、その「悪いもの」とは何なのか、教えてくれなかった。
「……あなたは、悪いもの、なのね。」
赫赫と咲き誇る花の向こう側にいるのは、夫の兄。
由緒正しい家柄の長子に生まれながら、賭け事に女性問題、暴力沙汰を繰り返して絶縁された挙句、去年の盆の夜に殺されて死んだ男。
その亡霊が、彼岸花の向こうにいる。
嫁の私にだけ見えると気付いたのは、去年の秋彼岸。
死してなお、家から拒絶されたままとは。
「……亡くなってからも、あなたは許されないのね。」
細く伸びる雄蕊と雌蕊がトンボに揺らされる。
しゃがみ込んだままの私は、小さな声で話し続けた。
「まだ半年だから、この子には見えないわ。今の内だけよ。」
胸元からは、甘い赤ん坊の匂い。
むせかえるように香るのは、生者の匂い。
目の前の赫い花が境界。
花咲く彼岸の時だけ、男は姿を見せる。
何も言わず、ただ境に立っている。
「いつまでもそこにいるつもり?」
男は何も言わない。
私も本当の事は、決して言わない。
言わずに彼岸まで逝く。
けれど、その時私はーー
「おーい、叔母さんたちの土産のケーキ食べようぜ〜」
この家の跡継ぎで、私の夫である男がのんびりと玄関から声を掛けてきた。
私の公的な男は、今、声を掛けてくるこの夫だ。
「はーい。今行く。あ、起きちゃったか、ごめんねぇ。」
腕に抱いた可愛い息子の顔を覗き込む。
曼珠沙華に照らされたような頬の紅さ。
私はぬくぬくとした息子を抱え直すと、彼岸の向こうにいる男へ、小さな声で話しかけた。
「あなたの息子は、ちゃんとこちら側にいるわ。」
たとえ、私が死んだ後は、あなたと同じ場所に立つとしても。
私は彼岸花の向こう側に微笑みかけると、夫の待つ玄関へと向かった。
【 秋彼岸 】