陰キャ撃退します(注:効果と代償は保証いたしません)
電灯が片方にしかついていない道は仕事終わりの憂鬱を増幅する。小鳥遊は薄暗い家路に対して常々そう思っている。隣町の職場までバスで20分、それに対して家からバス停まで20分だ。車があれば家から30分の道のり。ビジネスバッグ片手に往復1000円と20分という余計なものを払って得られるのはスマホで友達とチャットするか、ゲームをするだけの時間。夏の気だるい暑さが身にしみるたびに、修理中の車のクーラーが恋しい。今日はバスが1分早く出たせいで最終便を逃してしまった。こういう日に限って今年一番の真夏日だったりする。仕方ないので愚痴に付き合ってもらうべく友達に電話をした。今週末に合コンをするのでその確認も兼ねてのことだ。
『それよか小鳥遊聞いてくれや』
友達の原田はひとつ悪癖がある。話の流れをぶった切って自分の彼女とのセックスの話をしたがるのだ。先程まで男何人、女何人という相談をしていたので気持ちが抑えられなかったのだろうか。
「おいおい、どうせお前の彼女の話やん」
『そうそう。ちーちゃんマジかわいいんよ。ヤってるとき声抑えられなくなってキスねだって来るの』
マジやばくね、と知性のかけらも感じ取れない会話に適当な相槌を打って話を強引に戻す。道は家の近くのバス停周辺に差し掛かっていた。残り20分をどう潰すか思案していたが、また原田の自分語りが始まってしまう。流石に嫌気が差した彼は再び適当な相槌を打って通話をむりやり終わらせた。不意に訪れた沈黙は風の音と揺れる竹林のざわめきによって不気味さを増す。帰り道の中で一番憂鬱なスポットだ。丘を登る道の片側には電灯が並んでいる。ちょうどその反対側には覆い被さるように竹林が勢いを保っているのだ。
一陣の風と共に生暖かい、湿った匂いが運ばれてくる。
気のせいか、女のすすり泣く声も聞こえてきた。重い足と戻りたくなる心をなんとか前向きに直し、体を引きずっていく。家に帰るルートはここしかないのだ。曲道を抜けるとそこには意外な知人がいた。
「サキちゃん?」
姪が電灯の下でポツンと立っていた。いつもは彼の姿を見ると挨拶の前に「おっさん」か「ドーテイ」という枕詞を発するのだが、今日はどう言うわけか「叔父さん」と呼ばれた。30代前半とはいえ、中学入りたての女の子におっさん扱いされるのは複雑だったが、正式な続柄で呼ばれるとむず痒い。
「どしたサキちゃん」
いつもの生意気なニヤけづらとは程遠い、曇った表情だ。どうやらおっさんをいじっている余裕がないらしい。
「そ、それがね」
彼女の返答はいまいち要領を得なかったが、要約すると友達の大切な貰い物をなくしてしまったらしい。そのなくし方も大胆でクラスの不良に投げられたという。頑張って探したが、見つからなかったので奥の方に入り込んだのだと予測。夕日も落ちてしまう時間帯のこと、彼女自身の門限もあり、途方に暮れていたらしい。
「しょうがねえなぁ。俺が取ってきてやるよ」
生意気とはいえかわいい姪っ子の困り事だ。助けないわけにはいかなかった。小鳥遊は疲れた心を奮い立たせ、竹林に足を踏み入れた。電灯が離れるごとに闇が深くなり、吹き抜ける風もやはり生暖かい。しばらく進むと奥の方でキラリと光る点が見えた。それはあたかも一点の光明であるかのように彼を奥へと誘う。
「仕事終わりになんでこんな事しなきゃならねえんだ」
彼の愚痴はどこへともなく立ち消え、沈黙をよこしてくる。ふと、自分の靴の音に混じって何かが聞こえる。気のせいだろうか。彼は光の点にたどり着き、拾い上げる。イルカのシルバーアクセサリーだった。
「友達、ねえ」
大きさの割に重量を持つそれを手にする。あとは来た道を戻ればいい。そうして彼が振り返ると笹薮が揺れる。誰かいるのだろうか。それとも「何か」といったほうが正しいのだろうか。初めて恐怖を覚えた彼はその場から動けず、首と視界だけせわしなく巡らす。果たして、笹を揺らして飛び出したそれはみゃお、とだけ鳴いた。美しくやや長めの毛並みを持つそれは人懐こく彼の足元にすり寄る。彼は気を取り直してしゃがみ込み、その背中を撫でる。
「お前は飼い猫か? それとも野良か」
独り言のような問いかけにもちろん相手は答えない。彼は少し落胆しつつも手の中のアクセサリーに視線を落とす。銀色のイルカは真新しい。市内の水族館で販売されていたのを覚えている。そしてカップルがお揃いで買うという話を原田から聞いたことがある。
本当に友達からの貰い物だろうか。
突然撫でていた猫の毛が逆立ち、威嚇を始める。
「変なとこ触ったか? すまねえ」
その様子は少しおかしい。しゃがんだ彼の頭上を見上げているのだ。そこに誰かいるかのように。
「オイ……テケ」
微かだがはっきりとそう聞こえた。いるか、ではない。いるのだ。彼は後ろを顧みず反射的に猫とビジネスバッグを拾い上げ、来た道を走る。猫は意外と大人しく彼の腕の中で収まっている。革靴の硬いソールが地面に埋まった石を蹴り、コケそうになる。それでも彼はなんとか体勢を保ち、前へ進む。しかし、電灯とアスファルトの道は見えてこなかった。どうやら閉じ込められたようだ。先程の声の主はどこだろうか。耳を澄ますと、笹薮が擦れ合う音が聞こえる。このまま追いかけあってもジリ貧だ。こっちは猫一匹抱えた生身の人間。体力は無尽蔵ではない。そう思った彼は早足で前進を続け出口を探しながらも撃退する方法を考える。
突然猫が胸元からするりと抜け出す。気がつけば冷や汗がシャツを濡らしていた。猫は相当嫌がっていたのか、腕と胸の隙間をむりやり這い出したらしい。胸ポケットに入れていたスマホが一緒に落ちる。それを拾い上げたとき、一つのアイデアが彼の脳裏を横切る。
『おっす小鳥遊。どしたん?』
笹の葉の囁きがざわめきへと変わっていく中でその男の脳天気な声は日常だ。
「いやさ、今度合コン行くわけじゃん? お前も来るみたいだけどちーちゃんどうすんの?」
『それは……別腹じゃん? いやけどなあ、バレたら殺されそうだしなあ』
「流石に今回はお持ち帰り無しだろ。はよ帰ってイチャコラしてろ」
『まあ紹介する女はちーちゃんの友達もいるしな。持ち帰ったらソッコーバレるわ』
ざわめきは実在を予感させるまで成長している。
「来るなら来いよ」
『なんか言った?』
二重の意味で呟く。
『そういえば小鳥遊聞いてくれや』
原田が話を変えると同時に周囲の空気が重くなる。囁きが漂う。
「オイ……テケ。オンナ……オイテケ」
確かにアクセサリーは姪っ子のものだろうが女ではない。それに彼女はただのませたガキだ。幽霊は姿こそ見えないが存在は感じ取ることができる。彼は思い切ってスマホの会話をスピーカーに切り替える。
『そしたらさぁ、ちーちゃん○○○○しちゃってさぁ。もうメチャかわいくて。その後めちゃくちゃ○○○したよね』
空気の流れが止まる。こころなしか猫の表情も凍りついている気がする。
「ヤダ……ヤダ……」
『あとあの丁度いい大きさのパイオツがいいよなあ! デカいのもいいけど慣れてくると邪魔に思えてくるし、ちっちゃいのはあまりにもスロースタートなんだよな。やっぱCとかDが丁度いいよなあ!』
「お、おう」
適当に同意する。猫は呆れたような表情を彼に向ける。おそらく自分も同じような顔なんだろうなと思っているとうめき声を上げていた幽霊は
『オレ……サミシイ……リア充バクハツ……』
そう言い残す。それ以降、存在を感じ取ることはできなくなった。重苦しい空気が晴れていく。そしてなぜかサキが横たわっていた。
「やっぱ幽霊にはエロい話だわ。すまん、原田。そろそろ家だから切るわ」
『は? ちょいま』
一方的に通話を切った。彼は慌てて彼女に駆け寄り、肩を揺すり呼びかける。
「あれ? おっさん?」
「あれ、じゃない。なんでここにいるんだ」
彼女を立たせようとするが、力が抜けているのかうまく行かない。仕方がないので背負うことにした。
「あ、猫」
彼女の言うとおり先程の猫が道の先にいる。付いてこいということだろうか。しばらく無言のまま二人と一匹は竹林の中を進む。漸くすると竹の隙間から電灯の光が見えた。
「そういえばサキちゃんこれ落とし物?」
右ポケットから取り出したイルカのアクセサリーを見せる。微妙な反応を見せるも認めた。
「でも、もういらない……かな」
「別れたのか?」
「そんなんじゃ。いや、そうです」
否定してもしょうがないと思ったのか話し始めた。相手は高校生で彼女との恋愛が目的ではなく、遊び目的だったらしい。こっそりついていった数人の友達がその現場を見聞きし、その思惑は達成されなかった。サキは激怒して彼にもらったアクセサリーを竹林へ投げた。そして友達と一緒に追い返した。以上、彼女が今日覚えていることだ。
「じゃあなんでさっき竹林の中にいたんだ?」
「わからないよ。だけど今日友達と別れたあとの記憶が全然ないの。関係あるかなあ?」
俗に言う神隠しというやつだろうか。猫は道路には出てこず入り口で座り込んでいる。彼、もしくは彼女の生活圏はあくまでも林の中らしい。
「もう立てるから。下ろして」
サキを背中からおろしてやる。今日は肉体への負担が大きい一日だ。彼は彼女と並んで家路につく。腕時計を見るともうすぐで七時だ。門限を遥かに超えてしまっている。
「今から家に帰ることは言っておくから。親父さんとお袋さんには心配かけたこと謝っておきなよ。あと彼氏云々の話はしなくていい。友達からもらった大切なものを探してたって言えばいい」
彼女は黙ってうなずいていた。
「俺も口裏を合わせる。これに懲りたら男はちゃんと選ぶんだな」
「うっさい。子供扱いしないでよ。けど」
微かな声でだがありがとう、と言われた。
これは確実に余談だが翌々日はひどい筋肉痛に苛まれた。湿布の匂いをさせて出勤しようとするとサキと兄には「おっさんじゃん」と言われた。兄には言われたくなかったが姪っ子から言われるのは仕方ない。そう思えた日であった。