08話 通常試練開始
13時半。
ついに仮想世界での通常試練が始まった。
リアルな世界で繰り広げられるサバイバルゲーム。
クリア条件は舞台の島からの脱出。
期限は1年次の修了式当日まで。すなわちほぼ丸1年。
そして唯一にして絶対のルール、それは一度でも仮想世界内で死亡すれば即退学というもの。
緊張しないわけがなかった。柿谷には誰にも負けないと言い切れる何かなんてないし、自分は強いと思える自信もない。
しかし変わりたいという気持ちは本物だった。
これまではただ思うことしかできなかった。
だけど今は違う。
自分の行動次第でその思いを実現できるところまできていた。
柿谷は今一度決意を固め、拳を握る。
「よしっ、やるぞ」
「おっ、気合い入ってるねー」
誰にも聞かれないよう小声で呟いたはずが、すぐそばで声がして柿谷はビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、安栗さん!?」
「あはは、ごめんごめん。別に驚かすつもりはなかったんだよ? グループのみんなが移動し始めたのに柿谷くんはボーッとしたままだったから呼びに来たの」
「そうだったんだ、ごめん。緊張してて皆のこと全然見えてなかったみたい」
「もしここで死んじゃったら退学なんだもん、仕方ないよ、私だって緊張してるしね。でももう大丈夫そうだね」
下から柿谷の顔を覗き込んだ安栗はニッと笑いかけてくる。
その綺麗な笑顔に思わず目を逸らしてしまう。
「と言うと?」
「だって今の柿谷くんいい表情してるもん、気合い十分って感じ」
「そうかな? でも皆に迷惑かけるわけにもいかないし頑張るつもりではいるよ」
「うんうんその調子、頼りにしてるよ! それじゃみんなのとこ行こっか!」
「そうだね」
柿谷は安栗の後に続いてグループの仲間である増渕、源、楓井と合流に向かった。
柿谷達一行がまず向かったのは島の外縁部、すなわち海岸だった。と言っても男女仲良く海に遊びに行くとかではなく、島の外側がどうなっているかの確認のためだ。
地面が謎の金属で覆われた《安全地帯》を抜ければそこは人の手が加わっていない森の中だった。
生い茂った枝葉のせいで太陽光は遮られ、仮想世界内の時刻は朝の7時を過ぎているというのに薄暗い。太さや高さが不揃いな木々は等間隔に並んでいるわけもなく、避けながら歩いているとちゃんと真っ直ぐ進めているのか不安になってくる。
しかし《安全地帯》から出てしまえばどこを見渡しても代わり映えのしない景色が広がっており、森で遭難した人が絶望する気持ちがなんとなく理解できた。
「あたっ」
不意に柿谷の目の前を歩く安栗が変な声を上げたかと思えばよろめいて転びかける。しかし横を歩いていた楓井が咄嗟に支えて体を起こしてあげた。
「ちゃんと足元にも注意しなよね。未桜は背が低いんだからあたし達よりよく下が見えるんじゃないの?」
「もー、ちっちゃいって言わないでよね、奈美香ちゃん。別に私だって下向かなきゃ地面は見えないんだよ」
「冗談よ冗談。でも歩きづらいのは事実だから気をつけてよね」
「はーい」
姉妹のような微笑ましい光景を見せられたわけだが、柿谷は安栗だけ皆とペースを合わせるために少し歩調が速いことに改めて見て気付いた。
地面に道などなく、木の根が地面から飛び出していたり、大きい石があちこちに転がっていたりと、自然の中を歩きなれていない人にとっては歩くだけでも大変な環境だ。
そんななか普段より速いペースで歩くのは明確な終わりのない現状的に得策とは言えない。
「もう少しペースを落とした方がいいかもね」
柿谷は先頭を歩く増渕にも聞こえるよう言う。
「もしかして速かったか?」
「私のためなら全然大丈夫だよ? ちょっと躓いちゃっただけだから」
安栗は皆に迷惑をかけたくないのか首を横に振るが、それを楓井が顔を両手で挟んで止める。
「何言ってんの、こういう時は素直に甘えちゃえばいいのよ。これは女子の歩調に合わせられない増渕が悪いんだから」
「ぐっ、いやまあその通りだから反論のしようがねーんだけどよ、もうちょっとこう言い方ってのにも気にかけてもらえると俺も嬉しいなーって言ってみたり……。ところでよ、本当にこの方向で合ってんのか?」
分が悪いと判断した増渕はわざとらしく話題転換を図る。
「それは問題ない。ちゃんと時間と影の向きから方角を導き出している」
それに反応したのは増渕の斜め後ろを歩く源だ。
比較的日差しが地面まで届いている場所を見つけるとその都度方角を確認していたため、真っ直ぐ進んでいるつもりだったけど実は……なんて展開はおそらくないだろう。
「あたし思ったんだけどさ、この島って日本と同じ緯度にあるとは限らなくない? 源くんの計算ってここが日本だっていう仮定ありきでしょ? そもそもの前提としてここが異世界だなんてこともありえるんじゃない?」
楓井はふと思いついたのか、人差し指を立てて呟く。
「それは俺も思ったが、もしここが異世界で空にあるのも太陽なんかではないとしたら方角を知る術が何もなくなることになる。マップはデバイスで確認できるが、現在位置も向いている方向も示されていない状況じゃ時刻と太陽を利用できなくては完全にお手上げだ。方角が分からなければ誰も移動できなくなる、流石にそうならないよう学校側も手を打っていると俺は推測している。……それに心配しなくても読み通り無事海岸に出れそうだ」
そう言うと源は進行方向を指差す。
柿谷がそちらを確認すると、確かに奥の方が明るくなっていた。すなわち森が終わる証拠だった。
「あら本当ね、疑って悪かったわね」
「別に気にしてないから問題ない。むしろそうやって意見してくれた方が俺としても助かる」
「よっしゃー、ようやく森が終わるぜ。案外方角さえ分かれば簡単に脱出できるような試練だったりするんじゃね?」
増渕の楽観的な考えもありえなくはないが、おそらくそれはないだろうと柿谷は確信にも似た何かを感じていた。
それから1分も経たずに無事森を抜けることができた。
遮るものがなくなった太陽の明るさに目を細めつつも、柿谷は眼前に広がる風景に目を奪われた。
ゴミ1つ落ちておらず、太陽光を反射させている綺麗な砂浜。そしてキラキラと輝く青く澄んだ海。
しかしそんな美しい景観を霞ませる圧倒的な存在感を放つ異物。それはあえて言葉で表現するのであれば光の壁だ。
砂浜と海を分け隔てるその光の壁は青く半透明で、ともすれば背後の海や空と同化してしまいそうだが、時折脈打つように光を放つことでその存在を主張してくる。
どこまでも高く左右に続く光の壁には柿谷以外の皆も気付いているようで、誰も砂浜に足を踏み出そうとしない。
「アレを破って島を出るっていうのは流石に無理そうだよね」
「そんな簡単に出させてくれるなら拍子抜けもいいところだけどね」
安栗の嘆息に皆も同調する。
分かっていたこととはいえ、いざ島の外を目の前にすると歯痒い思いが柿谷にも込み上げてきていた。
「でもここまで来て試さないわけにはいかないっしょ!」
しかし増渕はそう言うや否や砂浜に飛び出し、光の壁に向かって走り出す。
「あっ、ちょっ……」
止める間もなく増渕は加速し、そのままの勢いで光の壁に激突する。ガーンッと派手な音を響かせたかと思うと増渕は優に数メートルは吹っ飛ばされ、砂浜の上を転がった。
柿谷は増渕の元まで駆け寄り、手を差し伸べる。
「何でわざわざ勢いつけて突っ込んだのさ。もし試すとしても近寄って触れる程度でも確かめられたのに」
「実体があるわけじゃなさそうだし、ゆっくりとだと跳ね返されるかもだけど勢いがありゃなんとかなるんじゃないかって思ったんだよっと」
増渕は柿谷の手を取り、起き上がる。
「うわー痛そうだけど大丈夫だったの? 怪我とかはない?」
後を追って他の3人も集まってくる。
「余裕だよ余裕、なんか痺れてる感覚があるけど痛みとかはないぜ。えーと……HPも11減ってるだけみたいだ」
増渕は自身のデバイスを起動して〈体力〉の確認をしていた。
「はぁ、助かるわ、あなたみたいな恐れ知らずがいてくれると自分で危険を冒さずにいろんな情報が手に入るからね」
「全くだ。一手にして島からの脱出方法の当てがなくなったことが判明し、痛覚は痺れに変換されること、そしてダメージの目安まで分かった」
楓井と源に口々に言われ、増渕は照れたように頭を掻く。
「おう、俺は頭使うのは苦手だけど運動神経には自信があるからそういうのは任せてくれ」
おそらく楓井と源は増渕のことを褒めたわけではないのだが、増渕は気をよくしていた。
柿谷は安栗と顔を見合せ、お互いやれやれと首を振って余計なことは言わないよう静観を貫くことに。
「んでブレイン達に聞きたいんだが俺達はこれからどーするんだ?」
増渕が他の4人を見回しながら問いかけた。
本当ならここに来るまでの間に今後について話し合う予定だったが、慣れない移動でそれどころではなかったのだ。
「そうね、それをちゃんと決めましょ。でも立って話すのもあれだしあそこの岩場に座りながらにでもしない?」
楓井の提案に反対する者はおらず、一行は光の壁から少し離れたところにある岩場に円になるように座った。
「島の脱出っていうゴールへの道筋が途絶えた以上、俺達はひとまずこの島で生き残るための基盤を整えなくてはならない。この点に異論のある人はいるか?」
まず話を切り出したのは源だった。こういう場面で理論立てて話を進めてくれる存在は案外大きい。
《安全地帯》の金属の地面に海岸沿いの光の壁と、この島には明らかに不可解な点がある。そんな未だ謎多きこの島を短時間で攻略できるとは到底思えず、じっくりと時間をかけて解明していくしかないことは自明だった。
他の4人は首を横に振り、異論はないことを示す。
「よし、では具体的に何をするべきかだが……」
「はいっ! 拠点作りはどうかな?〈作成ツリー〉から土台とか壁も作れるみたいだったよ」
安栗が食い気味に手を上げて案を出すが、源はそれを手で制す。
「いずれはそれも必要だが最優先事項は違う。俺の思う最優先事項は水、食料、火の3つだ。自分達のステータス画面を見てくれないか?」
源に言われるまま柿谷達がデバイスを起動させてステータス画面を開くと、確かに既に〈食料値〉と〈水分量〉のメーターが減っていた。具体的には〈食料値〉が85、〈水分量〉が71という状況だ。
「今日の利用可能時間は本来の平日と同じ3時間半。現時点で現実世界換算で30分が経過していて、〈食料値〉が15の減少に〈水分量〉は29の減少となっている。このままのスピードでいけば〈食料値〉は1日で、〈水分量〉に関しては半日でゼロになる計算だ。〈体力〉の減少はそれぞれがゼロになってからだが、どれだけ良く見積っても〈体力〉がゼロになるまでは一日とかからないだろう」
源の頭の回転の速さに柿谷は舌を巻きつつも、その言わんとすることはよく分かった。このまま飲まず食わずの状態ではあと2日ももたずに死んでしまうという事実。しかもそれは歩いた場合の話であり、走るなどをしてしまえばタイムリミットはさらに短くなる。現在のように動かない限りは多少延びるかもしれないが、それは無為に時間を延ばしているに過ぎない。
拠点作りなどといった今後のことを考える以前に、今日明日の心配をしなくてはならなかったのだ。
「初手からこれはハードモード過ぎやしねーかおい」
ゲームとなると理解が早くなる増渕の苦々しげな呟きには柿谷も同感せざるをえなかった。
「食料と水を早急に見つけなきゃいけないってことは分かったけど、3つ目の火はどうしてなの? 暗い時間は正直移動しても仕方ないだろうから《安全地帯》で過ごすだけになるんじゃない?」
「その通りだが魚や肉を手に入れた時に生では食えないだろう? その時焼けるようにするために必要だ」
「なるほど、納得したわ。でも火があったって肝心の食料がなきゃ意味ないわよね? 何はともあれまずは食料探しじゃないかしら?」
「ああ、ゆえにどこに探しに行くかだが……」
今置かれている状況が相当危険であることを理解した面々は早速行動へと移ろうとする。
「ここら辺はまだ他の人達が来ていないようだししばらくこの辺りの森の中を探してみてもいいんじゃないかな」
「それ賛成だよ、ここ一帯の食料独占しちゃおう!」
柿谷の提案に安栗が元気よく賛同した。
「だけど魚とか動物はどうやって捕まえるんだ? そういう武器系だと今んとこ【作成ツリー】じゃ〈棍棒〉ぐらいだぜ?」
「太めの木の枝の先端を石とかで削れば即席の槍ができるんじゃないか? アイテム化さえしなければ十分機能するはずだ」
源の機転の利いた発想に皆「おぉ」と感嘆する。確かに資料の説明で一度アイテム化するとそのモノの特徴はなくなると書いてあったが、それは裏を返せばアイテム化しなければそのモノの特徴は残るということだった。
「そんな手があんのか、やるな源! よっしゃ、そんじゃ早速始めてこーぜ!」
増渕がテンション高く拳を突き上げ、他のメンバーもそれに倣う。
こうしてあっという間に方針が定まり、食料及び水探しが始まった。
……しかしこの日の成果は《安全地帯》近くに申し訳程度の細い川を見つけ、食料に関しては辛うじて食べられそうな小さな果実をいくらか採取することができただけだった。